第68話「だからヴィクトリア、オレと結婚してほしい」
アイゼン男爵と面会を済ませたその日の夜、執務室のデスクに皇帝より手紙が届いた。 内容はアイゼン男爵が辺境に着いた頃だろう、よろしく頼むの一筆だった。
夕食時の終わりごろ、アメリアがタイミングを計ってそれをヴィクトリアに手渡す。
皇帝陛下が勅命で彼をシュワルツ・レーヴェの外交担当に任命する勅命の書状を思い出し、ヴィクトリアはため息をつく。
皇帝は第五皇女の例を見て、ヴィクトリアの辺境に各国の使者や王侯貴族が押し寄せることを予見していたのだろう。
アイゼン男爵は外交政略として、ヴィクトリアの婚約に異議を唱える者ではあるが、辺境領の実態を見せると帝国のメリットを考える人物であることは皇帝も把握していたらしい。
「殿下が直接お会いするべき方々を選別したり、名代を務めるには最適の人材でしょう」
アレクシスがそう言うとヴィクトリアもしぶしぶ頷く。
もう一度ヴィクトリアを見たさに押し寄せる各国の賓客を対応するにはヴィクトリア一人では限度がある。
「皇帝陛下の厳選された人材とみて登用してみてはどうでしょう?」
「……黒騎士様、敬語やめてくださいね」
「お仕事のお話なので」
アレクシスにそう言われて、ヴィクトリアは頬を膨らまし、食後のデザートにフォークを突き刺す。
そうしている仕草は、とても年頃の、結婚間近の貴族の令嬢にそぐわないものなのに、アレクシスには可愛くて仕方ない。
「ヴィクトリア」
彼にそう名前を呼ばれて、ヴィクトリアはアレクシスを見る。
「これも仕事の一環なんだが……」
「はい」
「ヴィクトリアがまだ視察していない村へ一緒に視察に行くのはどうだろう」
その言葉を聞いてヴィクトリアは菫色の瞳を輝かせる。
「ウィンター・ローゼを離れ、アルル村とエセル村に、あの村は辺境領の南、すでに雪解けて酪農も農業もこの辺境よりいち早く取り掛かっている。シュワルツ・レーヴェの特産となる羊肉と羊毛を取り扱い、エセル村は養蜂に力をいれている村だ」
「黒騎士様、連れて行ってくださるの!?」
「社交シーズンが終わったらとずっと考えていたんだ」
お行儀が悪いですよと窘められるところなのに、ヴィクトリアは構わずに、アレクシスに抱き着く。
「嬉しい! 一緒にお出かけ!」
椅子を蹴り飛ばすような勢いで立ち上がって、自分の首に縋りついてくる彼女。
以前もこんな場面があったような気がするとアレクシスは思った。
そう、あれは、ニコル村とオルセ村に視察に誘った時のことだ。
「デートみたい!」
ヴィクトリアはそう言う。
ニコル村に視察の誘いをしたあの時は、お行儀が悪いですよと窘めたアレクシスだったが、今こうして抱き着いてくるヴィクトリアにその言葉をかけることはなく、彼は椅子を動かして彼女を自分の膝の上に載せる。
あの小さなヴィクトリアの時も……今みたいに膝にのせて、視察についていろいろ考えを膨らます彼女の話を聞いてあげればよかったと思った。
「デートは帝都でもしたと思うが……」
「違うの! 黒騎士様が誘ってくれたのが嬉しいのです! 帝都のお忍びデートはわたしが誘ったんですもの! わたしばっかり黒騎士様を振り回して、黒騎士様が呆れてるかなってちょっぴり思ったりしたの」
「護衛もつけてだが?」
「第七師団は当然です。みんなも一緒に行くの! ニコル村とオルセ村に初めて行った時のように! アメリアも、中将も、みんなで!」
嬉しそうな彼女の様子を見て、これはかなり外交関連でストレスが溜まっていたんだろうなとアレクシスは察した。
「一つ意見がある。ウィンター・ローゼやニコル村は、帝都並みに開発しても、視察にいくアルル村とエセル村は、手を加えない方がいい」
「よくわからないけど……どういうことですか?」
「行けばわかる」
「……そうですね、楽しみにしてます! じゃあアイゼン男爵にはさっそくこのウィンター・ローゼで各国の代表をあしらってもらいましょう。そしてわたし達はつかの間の逃避行です!自領内ですけれどね」
そう言って彼女はアレクシスに笑顔を向けるのだった。
アイゼン男爵は有能さを発揮して、ヴィクトリアの代わりに諸外国の貴賓たちの相手を務め、また、各国や帝国内での外商においてもその手腕を振るうことになるのだが、そのアイゼン男爵は、ヴィクトリア殿下はよくお一人でこの状態を対応していたものだ、と共に辺境に連れだってきた年上の細君に愚痴めいたことをこぼすほどだった。彼の細君はそんなアイゼン男爵を見ながら、この多忙な状況を彼自身が喜んでいるのを察しており、今回の辺境領への赴任を決めた皇帝陛下の慧眼はさすがだと思っていた。
アイゼンに問題なしと感じたアレクシスは、第七師団にアルル村とエセル村への護衛をする隊の編制を決め、ヴィクトリアを連れ立って視察に向かう。
アルル村では生まれたばかりの子羊たちに囲まれて、横で未だ大きくならないアッシュと一緒に羊毛を確認している様は、幼い彼女を思い出させる。
この様子を見ていたルーカスは、ニヤニヤしながらアレクシスをからかうことを忘れない。
アルル村に向かう道中、休憩を挟んだ時にアメリアにも声をかけた。
「侍女殿、アレクシスの奴は結構独占欲が強いと見た」
「はい?」
「陛下の後押しがあればこそだが、この辺境の外交関連をすべてあの男爵に任せて、殿下を連れて逃避行だぞ。社交シーズン中、次から次へとうじゃうじゃとやってくる、他国のお偉いボンボンにいい加減ぶちぎれたと見た」
「そうですね。いい傾向です」
「侍女殿もそう思う?」
「黒騎士様……フォルクヴァルツ閣下は自己主張しなさすぎです。存在自体が主張しすぎと自覚されているからか、姫様の傍にいるだけで行動を起こさずにいままできましたが、もうご結婚までお時間も近い……ただ……」
「ただ?」
「黒騎士様は……うちの姫様に何の魔法をかけたのか……姫様のキラキラ加減が通常よりも眩しく……」
「それな」
「えーそんなの決まってるじゃないですかー。お二人とも、閣下のこととやかく言えないですよ」
軍馬の世話をしていたニーナが口を挟む。
ニーナは今回の視察に同行している。ヘンドリックスとの新婚旅行を兼ねて、ヴィクトリア視察の護衛を受けたのだ。もちろんシロとクロも一緒である。
ニーナに指摘を受けてルーカスとアメリアはニーナに何がいいたいのだろうと首を傾げる。
「ちゃーんと閣下が、ご自身の気持ちを打ち明けられたからじゃないんですか? 殿下のキラキラは愛されてる自信ですよー」
ニーナの言葉にアメリアは眉間に皺を寄せた。
「それって……遅すぎじゃないですか?」
「手厳しいぃー、だってあのアレクシスだよ? 女から怖い怖いと泣いて逃げられてた非モテ男の代表がですよ? 頭の中には仕事以外には詰まってなさそうなあの朴念仁がですよ? 殿下からずーっと好き好き言われてたのに恋愛系鈍感突発難聴を患わせていたヤツがですよ? 結婚したってあの姫様に告らないだろってオレは思っていたよ!? ちゃんと自分から動いたことを褒めてやって!」
「まあ……確かに閣下は言葉が足らないところはありますからね……」
「そこはいいんですけれどー、でもちょっとアレがまた鬱陶しいですよね……」
ニーナが視線を向けるのは第七師団の護衛についてる独身男性達だ。
自分の上官が、婚約者とイイ感じなのは、祝いたい、いや祝っている。心の中で万歳三唱もしている。ここ最近なら実際アイゼン男爵がくるまで、ヴィクトリアに近づく各国のお偉いボンボン達を彼等が壁になって阻み、ヴィクトリアとの距離を物理的に何度も作っていた。
――閣下が、殿下を伴って領地の視察は確かにわかる。
――雪解けもしたしな、殿下が本来なら昨年の内に視察されるはずだった南の村だ。
――羊と戯れてる殿下は可愛いけどさ……。
――いやいや、殿下は羊毛の質を確認するための抱っこっていうのもわかるよ?
――あざといぐらいに可愛さ全開ですけどね!
――うん、オレは見たよ、子羊抱っこした殿下が子羊に顔を舐められてた。
――閣下がその子羊とりあげたのをな!
――子羊にやきもちとかどんだけ狭量なの閣下!?
――オレも彼女が欲しい!
――殿下のようなとは贅沢は言わない! 普通に可愛い彼女が欲しい!
声にならない心の声を察したアメリアはルーカスを見上げる。
「ここは中将がウィンター・ローゼに戻ったらムーラン・ルージュで彼等をねぎらうべきでは?」
「はあ? 何故オレが? オレもあいつら側だっつーの! オレじゃなくてアレクシスだろ! そこは!」
ルーカスはそんな言葉を返すが、アメリアは聞く耳を持たず、すたすたと自分の持ち場に戻っていく。
しかし、護衛についてる第七師団団員とルーカスにさすがのアメリアも同情したのが、エセル村に着いた時だった。
エセル村は養蜂を村の収益としていた。
ミツバチ達があつめるハチミツはこのエセル村の花だ。その花が咲き誇るこの春が稼ぎ時。
広大な花畑を目にしたヴィクトリアは両手を組みその花畑に魅入っていた。
「黒騎士様……黒騎士様が仰った、このシュワルツ・レーヴェの南の村は、開発の手を入れたくないという意味がわかりました。これはこのままがいいです!」
花畑の向こうに湖が太陽の光を受けて煌めいている。
「あー湖も素敵! 帝都での公園で乗ったみたいにボートがあれば乗りたい!」
「あとで聞いてみよう。湖近く居を構えている村人がボートを所有してるかもしれない……」
ヴィクトリアは、どこまでも続きそうな花畑を歩いていく。
新しいドレスを着た時みたいに、その場でくるくると回ってその景色を見まわしている様子をアレクシスが見守っている。
細い華奢な指が、小さな花を摘む。
温室に咲く花にするように、その花の花弁を白い頬に当てて香りを確認している。
そんな仕草をする彼女を見ていたら、胸を突かれた。
「どの角度から見てもこの花畑は素晴らしいです!」
「ヴィクトリアに見せるなら、絶対に春にしようと思っていた」
アレクシスの言葉にヴィクトリアは人知れず頬を赤らめる。
ずっとずっと彼が好きで、結婚しても片想いが続くと思っていた。
でも、社交シーズンから少しずつ、彼はヴィクトリアに気持ちを伝えてくれている。
自分が相手に気持ちを伝えるのも照れくさいが、相手から同じように気持ちを伝えられるのはどこかくすぐったいような、照れくさいようなそんな気持ちだが……。
「なんか……すごく幸せ者ですね、わたし」
いつものように素直にそう呟くと、彼はヴィクトリアの手を取る。
「幸せにする……」
「黒騎士様……」
目の前にいる彼女に最初に誓ったのは忠誠だった。
「だからヴィクトリア、オレと結婚してほしい」
心臓が、止まるかと思った。
父である皇帝から決められた政略結婚の相手。
そして父に言い渡される前から一目で恋に落ちた相手。
その彼から「結婚してほしい」という言葉をもらえるとは思えなかった。
まるで今、夢でも見ているんじゃないだろうかと、自分で自分の頬をつねろうかとヴィクトリアは思った。
でもアレクシスとつないだ手を放しがたくて、彼の手をぎゅっと握る。
「はい! もちろんです! 黒騎士様の花嫁はわたしですから!」
この辺境にきてから、そう言っていたいつもの言葉をアレクシスに伝えると、アレクシスは彼女を抱きすくめる。
――愛してるヴィクトリア……永遠の忠誠と愛を誓う……他の誰でもないキミに……。
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