第67話それにしても黒騎士様は、うちの姫様に一体どんな魔法をかけたのだろうか……。



 ヴィクトリアは今シーズンの社交界の出席を終了し、シュワルツ・レーヴェに戻るとマルグリッドに伝えた。マルグリッドは残念そうではあったが、結婚式のドレスの打ち合わせにはくるようにと念を押す。

 ヴィクトリア自身も花嫁衣裳の為なら仕方ないと思ってアレクシスを見上げる。

「皇城から出なければ問題もないですよね」

 ヴィクトリアの言葉にアレクシスは頷く。

「まあ確かに、そうした方が安全なのは日々実感しているものねえ」

 マルグリッドはそう呟く。

 皇城は、グローリアの輿入れ前と同じ状況になってきてるのだ。

 もちろん転移魔法陣で行き来しているので、ヴィクトリアに実害はでていないが、皇城のセキュリティ、警護を守る守衛達の沽券にもかかわる。

 無断侵入者を捕まえてみればやはり各国の王侯貴族の手の者だったりするので外務省やら宰相やらが、その対応にあたる状態で慌ただしいのだ。

「衣裳の打ち合わせだけに来ます。結婚式はこっちで企画します」

 ヴィクトリアはきっぱり言い切る。

「結婚式を自ら企画?」

「だーって、黒騎士様のお嫁さんになるのが夢だったんですもの! シュワルツ・レーヴェで挙式するわ! いろいろ考えてるんですよ、これでも」

 マルグリッドがため息をつく。

「ウィンター・ローゼの本格的お披露目の場よ! 国内の貴族達だって、どんなところなんだって押し寄せてくるだろうし、会場は教会ではない場所で!」

「は?」

「は?」

「祭壇は設置します! シュワルツ・レーヴェは豊穣の女神デルティニア様を信仰してる領民がほとんどだもの、形骸化した教会でなくてもきっとみんな――」

「待って待って、確かに黒騎士様の領民はそれでもいいでしょう、第七師団だって、団長の挙式に場所の否やは唱えないでしょうけれど、集まる貴族達はどうするの!?」

「……大丈夫です。まだ未婚の貴族の令嬢達が、これは教会よりも素敵かもって思うような場所で式を挙げるから! 姉上達にも秘密なんですよ。これが成功したら、教会の挙式が混み合うことはなくなるわ。他に会場を設置していいとなれば!」

 マルグリッドはアレクシスを見上げる。

「本当にフォルクヴァルツ閣下には、こんな妹でご苦労をおかけするというか……」

「いえ、私自身が結婚するとは思わなかったので、ヴィクトリア殿下の提案ならば、それも楽しそうです」

「閣下が納得していてくださってよかったわ……」

 自分で自分の挙式をプロデュースする貴族の令嬢なんて聞いたこともない。破天荒な妹の発言をマルグリッドは呆れる。

「じゃ、姉上、またドレスの打ち合わせの時にきます!」

 アレクシスの腕を引いてヴィクトリアは魔法陣に入る。そのご機嫌の良さといったら実の姉から見ても眩しいものだった。

 本当に小さな時は社交界に憧れている様子だったのに、今は社交界がヴィクトリアを待ち望んでも、彼女は黒騎士様のシュワルツ・レーヴェと、その領主である黒騎士様の方が何倍も大事らしい。


「それにしても……黒騎士様は――……」


 マルグリッドはぽつりと呟くがその言葉は周囲にいる侍女達の耳にすることはなかった。



 アメリアは転移魔法陣でウィンター・ローゼに戻ったヴィクトリアとアレクシスを出迎える。

 いつにも増して、ヴィクトリアの嬉しそうな笑顔が眩しいとアメリアは感じた。

 社交シーズンが開始された頃も、確かに嬉しそうではあった。「黒騎士様とおめかししてお出かけです!」と。確かにデートらしいデートといえば社交シーズンの夜会だ。しかし、ヴィクトリアはリーデルシュタイン帝国の皇女、夜会に出席すれば外交的な仕事もその場ではあるはずで、デートらしいデートとはいえなくなってきて、転移魔法陣で帝都に移動して戻る度にため息も増え、社交シーズン当初よりもテンションは下がっていたように思う。

 しかし今、ヴィクトリアは晴れ晴れとした表情だ。

「戻ったわ、アメリア。聞いて、社交はもうおしまいなの!」

 ヴィクトリアは出迎えたアメリアに抱き着いて嬉しそうにそう言う。

「お疲れ様でございました、姫様」

「一番疲れたのは黒騎士様です、黒騎士様、本当にお疲れ様でした」

 アレクシスに向き直って、ヴィクトリアはそう告げる。

「これでしばらくはシュワルツ・レーヴェでゆっくりお仕事ができますね」

「そうですね」

「さ、姫様、お召し替えをしてお休みを。閣下も湯の用意をしてございます」

 アメリアに促されるが、ヴィクトリアはアレクシスを見上げたままだ。


「おやすみ、ヴィクトリア……よい夢を」


 アレクシスはそう言って、ヴィクトリアの額にキスを落とす。

 その様子を見てアメリアは目を見開いた。

 昨年、帝都皇城から、このウィンター・ローゼの領主館に辿り着き初めてこの領地ですごす夜に、ヴィクトリアは黒騎士におやすみのキスはしてくださらないのかとそう伝えた。

 彼は忠誠を誓う騎士のごとく、ヴィクトリアの前に膝まづいて、彼女の手の甲にキスを落として、「おやすみなさいませ、殿下。よい夢を」そう告げたのをアメリアは記憶している。

 それが今は敬語はないし、無表情なと言われるその顔に僅かに笑みを浮かべて、ヴィクトリアの額にキスをする。大事な宝物を扱うように。

 ――閣下は……黒騎士様は……変わられた……。

 以前ならば、たとえ専属侍女だろうと、アメリアや他の者がいる前で、こんな風にはヴィクトリアに接しなかった。

 少しずつ、彼は変わったのだ……。

 ヴィクトリアと共にいることで。

 そして……。

 ――姫様も変わられた……。

「ねえねえ、アメリア。今はもう農業地区の方にも仕事が開始されてるわよね? ニコル村では漁も始まってるかな?」

 いつものヴィクトリアらしい発言だ。

 しかし彼女から発せられる輝き方が何倍も増してるようにすら思う。

 姉であるマルグリッドからチャームの抑制を習得したと言っていたのにも関わらず、この眩しいぐらいの輝きは一体どうしたということだろうか……。

 アメリアは自分の背後を振り返る。執務室で別れて、自室に戻ろうとしている黒騎士の後ろ姿があった。


 ――それにしても黒騎士様は、うちの姫様に一体どんな魔法をかけたのだろうか……。


 そのアメリアの心の呟きは、ヴィクトリアを見送ったマルグリッドが人知れず呟いた言葉と同じものだった。

 戦闘に特化したアレクシスが使える魔法はヴィクトリアが持つ魔法とは全然違う。しかしそう思わずにはいられないぐらい、姫様は輝いて見えるとアメリアは思った。




 シュワルツ・レーヴェでは春を迎えて、領民達は酪農に精を出す。

 雪解けしたので、ヴィクトリアが魔法で作り上げた街道も、通行できるようになった為、観光地としてのサービス業を請け負う領民達も少しずつ仕事が増えているようだ。

 帝都での社交を終了したヴィクトリア目当ての諸外国の貴族達が観光と称してウィンター・ローゼを訪れているからだ。

 観光と称してるのだから、ヴィクトリアが個人的に会うことはないとヴィクトリアは思っているのだが、なかなかそうも言ってられない状態だ。

 アレクシスも第七師団の護衛を以前より増員した。

 小さな身体の時のように、気ままに思うままに街の様子を見に行くことができないヴィクトリアのご機嫌は斜めの様子。ヴィクトリアとしては、冬の間にも工務省が建造している学園都市の状態を視察に行きたいのに、次から次へと観光と称してやってくる諸外国の王侯貴族達の対応を迫られていた。

 そんなある日、領主館の警備担当していたカッツェが執務室のドアをノックしてアレクシスとヴィクトリアに一人の貴族の来館を告げる。

 帝都の貴族である人物が目通りを願いたいと申し出ているという。


「外務省の方のようです。カスパル・フォン・アイゼン様です」


「外務省の……アイゼン男爵……」

 ヴィクトリアの記憶にはその名前と顔が一致している。

 社交シーズンの折、夜会でよく顔を合わせていた人物だ。

 姉、マルグリッドがいうには、「外務省でも結構有能だけど、ヴィクトリアちゃんを外交政略推進派してるみたいよ? だからフォルクヴァルツ閣下の上司であるバルリング公爵やヴァルタースハウゼン元帥は彼にはいい印象を抱いてないと思うの。だってあの二人は黒騎士様推しだから」とのことだ。

 観光業を主軸とするからには、どんな相手も招き入れなければならない。

 ヴィクトリア自身に近づきたいと思う諸外国の王侯貴族達も、自分を彼らの内のどこかへと外交利用したいと思っている外務省の貴族でもだ。

「通してください」

 カッツェはヴィクトリアとアレクシスに一礼して執務室から客人をもてなす応接室へと歩き出した。

 一方、応接室で、ヴィクトリアの面会を待っていたカスパル・フォン・アイゼン男爵は、このウィンターローゼの領主館の造りに感嘆のため息をつき、侍女に給仕されたお茶を一口口にしていた。

 リーデルシュタイン帝国の第六皇女ヴィクトリア、齢16で国内でも勇猛と言われる黒騎士に降嫁を約束された皇帝の末の愛娘。

 黒騎士の降嫁を発表された昨年の戦勝式典ではとても16には見えないほどの幼さであったものの、今回の社交シーズンに現れたヴィクトリアは貴族の令嬢として美しく成長していた。

 他国の貴賓が色めき立つのもわかるというもの。

 婚約という形ならば正式な婚姻とは違うし、皇帝に掛け合いこれは黒騎士との婚約を反故にして、他国との政略を一考できないものかと外務省側から進言してみたのだが……。


「外務省は辺境領の状態を見たことがあるのか? フォルクヴァルツ卿に下賜した辺境領は、見違えている。アレは我が娘ヴィクトリアとフォルクヴァルツ卿が協力してこそ出来た領地。外交は外務省の力ならば成せるだろうが、国内の国力を上げるのは余の娘達の得意とするところだ。エリザベートの第一直轄領に並ぶだろうそれを、外交理由をあげてここで止めるのは承知することはできぬ」


 そう一蹴されてしまっていた。ならば雪解けの辺境領に足を運び実態を見ようとこの辺境の街ウィンター・ローゼに訪れてみたのだが……。

 領民はみな笑顔で観光に訪れる者を歓迎し、自分達の仕事に精をだしている。

 工務省が抜擢した領地開発チームだけでここまではならないだろう。

 ガラス張りの巨大温室や、貴族向けの宿、賑やかな商業エリア、第一直轄領いや、帝都をそのまま小さくしたような街並み。

 帝位第一継承権を持つエリザベートが第一直轄領を拝された時「帝都並みにしてくれよう」と呟いたことは有名だが、この辺境領の街はそれに酷似している。

 聞けば辺境領ニコル村は帝国軍が鳴り物入りで軍港を作っているという。

 まだまだ発展する要素が残っている。

 あの軍務一辺倒の黒騎士がここまで出来るはずがない。

 軍人としては非常に優秀ではあるが、これは絶対にあの第六皇女殿下の力によるところが大きい。

 これらを見てしまえば、フォルクヴァルツ卿との婚約を反故にして外交の為他国との政略結婚を、とは言い出せなくなってしまった。

 実のところエリザベート殿下が第一直轄領拝領した折、アイゼンは帝都に残るか、次期女帝といわれるエリザベートの新領地開拓に参加するか大いに悩み、最終的に帝都に残って現在の業務に携わることにしたのだが……。

 この街を見てしまえば、当時の気持ちが思い起こされる。

 謁見がかなうことになったので、第七師団の団員に促されて、ヴィクトリアのいる執務室に向かう。

 中央のデスクに座っているのは、ヴィクトリアだった。

 横並びにデスクが配されていて、そこには通常、アレクシスが座っている。しかし、こういった来客の場合、彼は今のように、デスクに座るヴィクトリアを守るように背後に立ち、来客の行動を観察している。


「外務省のアイゼン男爵ですね、帝都からはるばるようこそ、シュワルツ・レーヴェへ」

 帝国の皇女達はいずれも、素晴らしいリーダーシップを持っているとアイゼンは目の前のヴィクトリアを見てそう思った。

 次期女帝のエリザベートはいわずもがな、第三師団を任されている第二皇女ヒルデガルドも宰相の子息と結婚した第三皇女マルグリッドもその華やかさで貴族社会に君臨していると言っていい。

 この目の前にいるヴィクトリアは上の姉君達のいいとこどりをしているようにすら思える。その為政者としての貫禄も対外的に印象を与える美貌も、そして、この何もなかった辺境を変えたその魔力も、工務省の力だけではないと聞き及んでいる。この姫が自ら街を作りに参加してきたという話は、帝国で知らぬ者はいない。


「お目通りいただき恐縮です。ヴィクトリア殿下」

「帝都より五日の道行きを使ってまでこの辺境領まで来てくださったのです。どういったご用件でしょう?」

「社交シーズンも終わり、婚儀までのお時間もない殿下の周囲が、少々騒がしいのではないでしょうか?」

 それは事実だった。

 ヴィクトリアは沈黙したままアイゼンの次の言葉を待つ。


「私を、この辺境領においていただければ、その煩わしさを緩和させることも適いましょう」


 にわかには信じがたい言葉だった。

 外交関係に明るい者がこのシュワルツ・レーヴェにきてくれるのは嬉しい限りだが、彼は外交政略の推進派だ。

 その裏には何があるのだろう。

 アイゼン男爵は、ヴィクトリアの前に書状を差し出す。

 ヴィクトリアはその書状を広げて、目を通す。そしてその書状をアレクシスに渡す。

 アレクシスはその書状に視線を落として目を見開く。

 その書状をしたためた筆跡と文末に押されているその印璽、まぎれもなく本物であった。内容は異なれど、アレクシスもこの書状を人づてから受け取ったことがある。


 それは皇帝陛下からの勅命の書状だった。



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