第66話「僕はヴィクトリアが欲しいんだ、譲ってもらえないだろうか?」



 他国の王侯貴族達との対話を終えると、ヴィクトリアはバルリング公爵の孫娘クララと数人の令嬢達に囲まれて歓談を楽しんでいた。

 その様子を少し離れたところから、いつものようにアレクシスが見守っている。

 ヴィクトリアの姉妹は年が離れているけれど、皆仲良しだ。

 だが、同年の友人達とこうしている姿は見たことがない。社交シーズンでこうして夜会に出て、同年の同性の友人らしき存在と会話することができるのは、希少なことなのかもしれない。


「フォルクヴァルツ卿」


 アレクシスに声を掛けるのは先ほどヴィクトリアとワルツを踊った隣国のギルベルトだった。


「ヴィクトリアとのダンスをありがとうというのもおかしいかな」

 アレクシスは何も言わず一国の王太子相手に一礼をするだけに留める。

「ヴィクトリアは……綺麗になった。結婚を前に眩しいばかりだ」

「……」

「彼女は卿に夢中のようだが、卿はどう思っているか尋ねたくてね。フォルクヴァルツ卿自身は、自分が彼女の横に並ぶに相応しいと思っているかどうか」

「……」


「もし、ほんの少しでも引け目を感じるならば、この婚約を取りやめてもらえないだろうか?」


 アレクシスは目を見開く。

 夜会に出ると自国、他国問わず、やっかみと羨望の視線を向けられ、美女と野獣でヴィクトリアの婚約者として相応しいかと言われれば、見た目は全然だなと聞こえよがしの囁きも耳にする。

 他国から外務省を通じて婚約をとりやめないかという話を持ってきたそうな気配も感じるが、アレクシスを前に退散しているのが現状だった。

 そんな状況で直々に一国の王子が自分にこの話題を振ってくるとは思いも寄らなかった。勇敢ではあると思うが、ダイレクト過ぎる。


「大丈夫、この会話は聞こえない」

 アルデリア王大子ギルベルトから僅かに魔力が感じられる。

「魔力があってよかったよ、こんな話をこんなところでするわけにはいかないけれど、僕らに近づきすぎない限りは聞こえない。卿は婚約者だが、ヴィクトリアの最強の護衛でもあるからね。人気のないところに連れ出すわけにもいかないだろ、こういった夜会の出席も護衛としての仕事の一環だろうから」

 

 お気遣いありがとうございますと言うべきかと思ったが、彼が切り出そうとする話の内容は、はっきり言って耳を塞ぎたい気持ちのアレクシスだった。



「僕はヴィクトリアが欲しいんだ、譲ってもらえないだろうか?」

 


 また直接的な発言だった。

 アレクシスは白皙の美貌を持つ王子を見つめる。


「僕の国に留学していた時から、ヴィクトリアの才気は注目していた。あまりにも幼い容姿に躊躇ったが、今の彼女ならば国からも文句はでないだろう」


 ギルベルトはアレクシスを見上げる。


「遠まわしな貴族達の囁きは聞かないフリで通してしまうだろうから、こうして直接打診してみたんだけどね」

「……」

「確かにフォルクヴァルツ卿は帝国一の武力を持っているが、だからと言って、彼女に相応しい男であるかと言われれば卿自身は胸を張って宣言できるのかな? 本当にヴィクトリアを愛してるというならば話は別だが、そうじゃないだろう? 他の婚約者を持つ貴族のように彼女にべったりというわけでもなく護衛騎士よろしく、適度な距離を保っているのがその証拠だ。婚約者なのに」

「……」

「卿は大事に守っているだろう。だが、ヴィクトリアが愛されているとは思えない。僕は卿のような直接的な武力を持たないが、ヴィクトリアの傍にいる。卿同様に守ることはできる」

 確かに一国の王子ならばその権力でヴィクトリアを守るだろう。

 そして何よりも、並んで立てば一枚絵のように見目麗しいカップルだ。それこそ第三皇女マルグリッドと帝国宰相の子息メルヒオールのように。


「よくよく考えてほしい、キミとの結婚と僕との結婚の、どちらがヴィクトリアが幸せになるのかを」


 言いたいことを言いきったらしくギルベルトは黙る。

 ヴィクトリアがクララと共に、アレクシスの傍に向かって歩いてくる様子を見たからだろう。


「黒騎士様、クララ様が今度、シュワルツ・レーヴェに遊びにきてくださるの!」


 花のような笑顔をアレクシスに向けるヴィクトリアに、アレクシスは穏やかな視線を送る。


「おじい様がシュワルツ・レーヴェに一度視察されるというので、おねだりしてしまいました」

 アレクシスの風貌に物怖じすることなく発言するクララにアレクシスも答える。

「お越しをお待ちしてます、クララ嬢」

「じゃ、お手紙書きますね、クララ様。そろそろ、お暇しましょ? 黒騎士様」

 ヴィクトリアの言葉にアレクシスは頷く。

「ではクララ様、ギルベルト殿下、ごきげんよう」

 ヴィクトリアはアレクシスの腕に手を添えて会場を後にした。




 馬車で皇城に向かう道すがら、ヴィクトリアはアレクシスに尋ねる。

「黒騎士様、ギルベルト殿下とお話されてました?」

「……まあ……」

「どんなお話?」

 あの王子様は帝国の黒騎士相手にお前の婚約者を寄こせと言ったのだ。

 彼自身、他国の王侯貴族達の様子を見て、外務省の職員を通じてでは埒があかないと踏んでの直接の行動だろう。

 他国を出し抜く為に公にしたくない会話だから、ギルベルトが魔力を使って会話を周囲に聞こえないようにしていた。

 アレクシスはヴィクトリアを見つめる。

 夜会仕様のヴィクトリアは女神もかくやという容姿だ。

「意地悪なことを言われたのではありませんか?」

 会話を聞いていないはずなのに、核心をついてきたヴィクトリアにドキリとする。

「どうしてそう思われるのですか?」

「わたしがギルベルト殿下に八つ当たりされましたから」

「八つ当たり?」

「黒騎士様も八つ当たりされませんでした? ギルベルト殿下にはどうやら片想いのお相手がいたらしいけれど、その人が他の人と婚約したからって、わたしに意地悪なことを言うのよ。黒騎士様の意思なんか二の次で、わたしが好きだからって理由で婚約出来てよかったね、みたいなことを仰ったのよ」

 

 それは彼がヴィクトリアの気を引きたいが為の発言だろうなと、アレクシスは思う。

 彼だけではなく、他の王侯貴族の子弟達も夜会でヴィクトリアと踊るたびに、彼女に振り向いてほしいが為に、黒騎士との婚約を取りやめて自分のところへ来てほしいと懇願されたかもしれない。

 敢えて考えたくなかったことだった。

 アレクシス自身も、皇帝よりこの婚約を言い渡された時には思っていた。

 自分の隣なんかよりも、他の国の王族ならば、ヴィクトリアの地位に相応しい。

 玉座の隣にいる方が彼女自身の為。

 婚約当時「16歳ですから」と言い張るものの、見た目は幼かった。いずれ成長したらそれとなく別の選択もあると薦めるのが自分の役割だと思っていた。

 しかし一年近くずっと傍で見守っていた時間が、アレクシスにそれを躊躇わせる。

 幼い姿からいきなり美しい淑女に成長しても、ヴィクトリアは変わらずに「黒騎士様大好き」と自分に気持ちを素直に言葉にして伝えてくれる。

 そんな彼女をいまさら手離せるはずがない……想像するだけで身が裂かれ焼き尽くされそうだとも思う。


「本当に頭にきたんです。マルグリッド姉上から社交のレッスンを受けてなければ、怒鳴り散らすところでした。よく作り笑いで乗り切ったと自分で自分を褒めてあげたい。確かに黒騎士様から、『ヴィクトリアは可愛くて大事で早く結婚したい』とか『ヴィクトリアのことを誰よりも愛してる』とかそういったことは聞いたことはありませんが! でも黒騎士様は照れ屋さんだから、言わないだけですよね!?」

 キリっと菫色の瞳で見上げられて、アレクシスはその瞳を見つめる。

 アレクシスはヴィクトリアと過ごした時間をいろいろと振り返ってみると、確かにそんな直接的な言葉を口にしたことはない。

 でも、ヴィクトリアが今アレクシスに行った言葉以上のことをすでに心の中では何度も口にしていた。

 ただ言いなれていない言葉だし、タイミングも外れていたらダメだろうしと、グルグル考えてしまい伝えていない。

 ヴィクトリアは多分、彼女自身がそうだったらいいな、そうなりますように。という気持ちからアレクシスの心情を語ったのだろう。

「いつ言えばいいんでしょうね」

「言ってください、いつでも!」

 ヴィクトリアが「さあ、今すぐに!」という感じで両手を広げるのでアレクシスはいつものように目を眇めて笑みを浮かべた。

 ヴィクトリアのようにことあるごとに、相手に気持ちを伝えることができない自分がもどかしいのはわかっている。

 アレクシスがまたいろいろ考えているのを見て、ヴィクトリアは手を広げたまま肩をすくめる。

「わたしだけではなく、黒騎士様にも八つ当たりするような方もいるし、だいたいの社交も終わったことですし、今シーズンの夜会の出席はもういいでしょう」

 ヴィクトリアは扇を畳んでエリザベートの物まねよろしく手でポンポンと弄ぶ。

「よろしいのですか?」


「いいのです。大好きな人を困らせたり嫌な目に合わせたりなんかできません。わたしが守ります」


 夜会の会場を出てからずっと後をつけている馬車がいるのをアレクシスは気づいていた。窓の外で馬車を護衛している自分の部下に視線を走らせると、アレクシスの視線に気が付いた部下達は心得たように尾行をつけている馬車の方へ向かっていく。

 ヴィクトリアが、小窓の方に視線を向けているアレクシスが気になったのか、彼女自身も肩越しに小窓を覗く。

 街頭の明かりしか見えない為、ヴィクトリアは眉を寄せてアレクシスに向き直ると、えいとアレクシスの膝の上に乗る。


「殿下!?」

「黒騎士様が何を見ているのか気になったのです」

「危ないだろう。走ってる馬車の中だ」

 はあとアレクシスがため息をつく。

 敬語がとれているアレクシスにヴィクトリアは機嫌をよくする。 

「観覧車でも大丈夫でした。馬車も大丈夫です。帝都は舗装がいいですから」

「そういう問題じゃないだろ……」

 そう言いながら膝の上に座ってるヴィクトリアは、アレクシスがさっきまで見ていた後部座席の小窓に視線を向けて、いたずらめいた表情から、人形のような無表情に変わる。

「黒騎士様とわたしを引き離そうなんて、どこの国のどんな偉い人なのかな」


 隣の国の美形の王子様を筆頭に鈴なりだと、アレクシスは内心答える。

 しかし、どこの誰が彼女を欲しがっても、アレクシスは渡すつもりはなかった。


「ヴィクトリア」


 アレクシスがヴィクトリアを呼び捨てにすると、ヴィクトリアは小窓に向けていた視線をアレクシスに向ける。

 


「愛してる」



 いつもより、少しだけ力を込めて抱きしめると、ヴィクトリアは菫色の瞳を見開いて、アレクシスの顔を見つめて小さな姿をしていた時のように彼の首にすがりついて幸せそうに微笑むのだった。



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