第65話「彼が心から君を愛しているかどうかなんて、君にとっては些末なことなんだね」
春――シュワルツ・レーヴェ領も雪解けし、白い根雪もなくなり暖かくなってきた。
帝都での社交シーズンも終盤にさしかかってきて、遠方から来ている貴族は領地に戻り始めており、ヴィクトリアも夜会の出席もそろそろ取りやめて領地の内政に集中したい気持ちだった。
しかし、観光地としての宣伝の機会と思い、外務省の高官である貴族が主催する夜会に出席していた。
「帝国には美しい姫がいると聞いていたが、確か結婚されたのではなかったのか?」
諸外国の王侯貴族達が、夜会に出席するヴィクトリアを見て、そう言葉を漏らす。
黒騎士と共に、夜会に現れるヴィクトリアを一目見たさに、外交官を通じ、ヴィクトリアが出席する夜会には、国内貴族だけではなく国外の貴族の出席者が増えていた。
「あの姫様は帝国の第六皇女ヴィクトリア殿下、一番下の末姫様です」
「うちの息子とはどうだろう。年の頃も釣り合いが取れそうだ」
海外の身分の高い貴族達からそんな声が上がる。
「はあ……しかし、ヴィクトリア殿下は既にご婚約中でして……」
「婚約!? なんと、そんな幸運な男はどこの国の男だ」
「いえ。この国の貴族で……」
「結婚をしていないのなら、まだまだ交渉の余地はあるだろう?」
「はあ……しかし皇帝の命により既に決まっておりますれば……」
「どの貴族だ、その男に直接交渉してみようではないか」
しかし、そんな強気な発言も、外務省の貴族がヴィクトリア殿下の婚約者は自国の辺境伯、アレクシス・フォン・フォルクヴァルツ閣下ですと告げ、黒騎士の姿を見るなり勢いを削がれる有様だった。
しかしそんな会話の横を社交シーズンに遅れてやってきた隣国の第二王太子殿下が進み出て、ヴィクトリアの前に現れる。
「ヴィクトリア!」
相手も他国の王子、だがヴィクトリアと呼び捨てにするとはと、夜会に出席していた貴族達は誰もが思う。
「しばらく見ないうちに大きくなって! 僕を忘れてしまったかな? 暫く会わなかったが、君ほど僕は見た目が変わっていないと思うけれど?」
ヴィクトリアを取り囲んでいた他国の貴族達を始め、夜会に出席する度に、他国の王侯貴族に取り囲まれる場面を目にしてきた自国の貴族の令嬢達も、その青年貴族に注目する。
金髪に薄いグリーンの瞳をした白皙の美青年といった彼の存在は、独身の……しかも帝国では高位な貴族の令嬢達の政略結婚の相手として、この社交シーズン一番の注目を集める人物だった。
リーデルシュタイン帝国の隣国、アルデリア王国の第二王太子、ギルベルト殿下。
ヴィクトリアを取り囲んでいた諸外国の貴族の子弟は、ギルベルトを見て、舌打ちしたくなった。
ここ数日、夜会に出ると他の貴族の令嬢の囁きからは、必ず名前が挙がる人物だったからである。
「まあ、ギルベルト殿下、お久しぶりでございます」
隣国に留学していた際に、ヴィクトリアは彼と面識があった。
「婚約したんだって? おめでとう、でもせっかくの社交シーズンなんだし、一曲お相手願えないだろうか?」
気さくな感じでヴィクトリアをダンスに誘う様も嫌味が感じられない。成程、確かに若い令嬢達の注目を集める人物だなと、ヴィクトリアの傍にいるアレクシスも思う。
「フォルクヴァルツ卿、いいだろうか?」
この社交シーズン、ヴィクトリアを取り囲む他国の貴族の子弟達は、帝国の青年貴族達よりもヴィクトリアと接見する機会があったように見受けられる。
最初こそ「ダンスは黒騎士様とのワルツだけ」と、他国の王侯貴族も断られていたが、シーズンも終盤になって、記念に一曲だけでも、という言葉を固辞することはしなかったのである。
ヴィクトリアは結婚間近、婚約者である黒騎士の風貌を見ては彼を押しのけて誘うことができない者もおり、本日の夜会ではそんな貴族の子弟が、せめてヴィクトリアとの会話をしたいと、彼女を取り囲んでいた。
そんな彼らの目の前で、見目麗しい青年貴族がヴィクトリアを堂々とダンスに誘ったのである。
アレクシスが頷くと、ヴィクトリアは控えめな笑顔を張り付けたままギルベルトの手をとった。
タイミングよくワルツの曲が流れる。
優雅なリードでヴィクトリアをその場からギルベルトは連れ出した。
会場にいる者、とくに貴族の若い令嬢達は、ヴィクトリアと隣国の第二王子ギルベルトの並ぶ様を見て、まるで一枚絵のような美しさにほうっとため息を漏らす。
帝国の社交界でマルグリッドとメルヒオールのカップルが踊る時と、同じようなため息だった。美男美女のカップリングは眼福という一致の意見だ。
すでに既婚している貴族達特に年ごろの娘の親たちは、最近諸外国の貴族の子息達と踊るヴィクトリアを見るものの、その相手はどこの国の貴族だろうという詮索がされる。
自分の娘の嫁ぎ先としてヴィクトリアと踊る相手を吟味する傾向があった。
ヴィクトリアが黒騎士にベタ惚れなのは、もうこの社交シーズンで知らない者はいないからである。
「君の侍女も言ってたけれど、僕も言ってただろ? 君はいずれ成長するからと」
曲に合わせて踊りながらギルベルトがヴィクトリアに告げる。
「辺境領の空気が君を成長させたのかな? いいところなんだって?」
「はい」
「僕も見てみたいな、君の街を」
「是非、お越しください、温泉もあって食事がとても美味しいんですよ」
黒騎士の領地に興味を持って、訪ねようと発言する者は貴重だ。
外務省に泣きついてようやくヴィクトリアと夜会のダンスを申し込み踊る彼らは、ひたすらヴィクトリアのその容姿を褒めちぎり、自分の国はいいところだから是非来てほしいとヴィクトリアに誘いをかける。
ここで社交辞令的にもYESと答えようものなら彼らは黒騎士を蹴って自分のところに輿入れてもいいと言質をとったと言い出しかねない雰囲気があった。
黒騎士様と新婚旅行の候補として検討しますと答えると、当然相手方は鼻白む。
そこへヴィクトリアが「黒騎士様は領地のことをすごく考えてくださるから~」という言葉を皮切りに、盛大な惚気を相手に聞かせるのだ。最初こそ、政略だろうと考えていた貴族の子息達も、ここで最終的にへこまされる。
「ヴィクトリアが持ち込んだシードル試飲させてもらったよ、確かに美味しかった」
ギルベルトの言葉にヴィクトリアは嬉しそうに笑顔を見せる。
「本当にそういった笑顔を見るとグローリア姫だね。フォルクヴァルツ卿は幸運な男だ、大陸一の美姫と言われた妹姫を娶るのだから」
「わたしが幸運なのです。黒騎士様と結婚できるんですもの」
ヴィクトリアの天然な惚気にギルベルトは苦笑する。
――黒騎士がヴィクトリア姫を身の程知らずに望んでいるのならばと思っていたが違うらしい。どうやら姫の方が黒騎士との結婚を望んでいるようだ。
他の国の貴族の子息達がこぼしていた噂通りな反応だとわかったからである。
「そうか……じゃあ、君の未来は前途洋々だ、想う彼と一緒に君の魔力で街をつくることができて繁栄させて」
「……」
「彼が君を望んでいると思っていたんだけど、本当に君が彼を好きなんだね。皇帝陛下もよくよく吟味されたものだ。君を守るにはこれ以上ない人材だ」
ギルベルトの言葉にヴィクトリアは訝しむ。
「帝国には六人も姫がいる、他国へ君を政略に使うこともできたはずなのに、末娘には甘いんだね。君の想いを察して、好きな男がたまたま、それなりの爵位を持っていたから辺境地をあてがって、君との婚約に相応しい地位を用意した」
貴族的な湾曲な言い回しなのかと思ったがどうやら違う。かなり直接的な彼の発言の本心を探ろうとヴィクトリアは思考する。
「彼が君との結婚を望んでいるかどうかも確認も何もなく」
曲のターンでヴィクトリアの視界にギルベルトの肩越し黒騎士の姿を見る。いつものように軍の高官に囲まれていた。
「彼が心から君を愛しているかどうかなんて、君にとっては些末なことなんだね」
ヴィクトリアは菫色の瞳を見開く。
「貴族の結婚は政略結婚だもの関係ないか……ヴィクトリア不思議だね、君は賢いのに、普通に恋する乙女のままなんだね。そう思ったんだよ」
「何を仰りたいのかわからないわ」
「男に愛されて、求められる方が女性は幸せだと言われるのに、君は帝国の第六皇女だし君自身が好きな男と結婚を望んだら、そうできる立場にいる。君が選んだ男と一緒になって幸せになれるのかなって思っただけだよ」
「姉上みたいなことを仰いますね。最初はヒルダ姉上もそんなことを仰ってたわ。でも黒騎士様は私を大事にしてくださってますよ」
「うん。そうだろうね。だって皇帝陛下からの命令だもの大事にするだろう。彼の本心とは別として」
「……本心?」
「彼が他に想う女性がいても、陛下の命令だから君の降嫁を受けるしかない」
それはこの婚約が発表される時にヴィクトリアが感じていた不安だった。
ハルトマン伯爵夫人に懸想をしていると社交界の噂もあった。それはただの噂だともうわかっている。
「黒騎士様がかつて人妻である伯爵夫人に懸想していたというのは根も葉もない噂です」
「そうか……」
「ご心配くださったのですね」
「うん……なんの憂いもなければいいんだよ」
そうヴィクトリアに告げる彼の表情の方が憂いを含んでいるようだった。
「じゃあ、彼も君だけなんだね。政略結婚だけど、ちゃんと君に恋をしてくれているんだよね」
ヴィクトリアはドキリとする。
黒騎士様が……自分に恋をしてくれているのだろうかと。
「彼はタイプ的に恋愛に現を抜かすタイプでもないから、君の想いが一方通行ってわけじゃないなら――」
「……」
「君は幸せな結婚を迎えるわけだ」
「ギルベルト殿下、趣味が悪いです」
「うん?」
「結婚前の滅茶苦茶幸せなわたしに、さっきからヘンなことを仰るんですもの」
ヴィクトリアはそう言って、花のような笑顔を向ける。
「ごめんごめん。お祝いを言いたいんだけど、どうもね、僕は叶わぬ恋をしている愚かな男だから」
ギルベルトの言葉にヴィクトリアは驚いたように彼を見つめる。
ならば幸せいっぱいの自分を見れば、意地悪な言葉を投げつけたくもなるかとヴィクトリアは内心納得した。
「初めて会った時から、叶わない恋だなって思ってたんだ」
彼は自分の過去の記憶を探るように呟く。
こうして夜会に出て若い貴族の令嬢達に騒がれるような容姿と、一国の王子という地位もありながら、彼自身は好きな人を選べないのかとヴィクトリアは同情する。
「では告白されなかったのですね……」
「やっぱり年が離れすぎかなって躊躇って」
年齢差のある相手だったのかとヴィクトリアは想像する。
ヴィクトリア自身も相手の黒騎士様は年上だし、婚約した当初は子供扱いかもと思うところもあったし、年上の女性に憧れる若い青年はいるとマルグリッドから聞いたことはある。
「でも勇気を振り絞って告白しようとしたんだけど――」
恋愛猪突猛進で、常に黒騎士に告白しているヴィクトリアは内心「そう、告白しなきゃ!」と過去の彼にエールを送る。
「彼女は国に帰ってしまったんだよ」
「あら」
「国が落ち着いたら結婚の打診をしようとしたら、すでに相手は婚約してたんだ」
ギルベルトの言葉にヴィクトリアはどんな言葉をかけていいのか一瞬悩む。
しかしありきたりな慰めの言葉しかでてこなかった。
「それは……とても残念でしたね」
ヴィクトリアの言葉に、彼は憂い顔を残したまま控めな笑顔をヴィクトリアに向ける。
「うん。本当に残念だ……」
曲が終わりヴィクトリアを黒騎士の傍までエスコートする。
そのエスコート中に、彼はヴィクトリアを見つめ呟いた。
「でも、この恋が叶うなら、僕は何もかも捨てていいんだけどね」
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