第64話「だからアレクシス様、瞬殺はダメですよ?」
ヴィクトリアは用意されたカタログを手にして「黒騎士様にはどういうのが似合うかなあ」と思いながら、ページをめくっていた。
案内されたサロンは個室で、上客がここで商談をしたり、仕立ての際に連れの女性が待っている部屋だった。
室内のファブリックも高級感溢れるものだったがお茶を運ぶ女性店員の様子が、挙動不審だった事にヴィクトリアは気が付いた。
ネクタイピンを見ている時は店員は普通だったのに、お茶を給仕する時に、何か怯えているような印象だ。
あからさまなその様子を気づかないフリでカタログを見つめてから、給仕されたお茶を口にした。
――これは……。
一口口にすると、多分何かが混ぜられているのに気が付いた。
――なるほど、一服盛ったなら挙動も不審ですよね。
ちなみにヴィクトリアには毒や麻痺の耐性がある。
帝国の一番小さなお姫様、魔力も少ないと思われていた頃、こうして一服盛ってヴィクトリアを自分の手中に治め中央政権に手を伸ばそうと思う貴族もいたからだ。
しかし、お忍びで変装していて自分が第六皇女とはわからないはずである。客の連れにあたる女性に一服盛るとは一体何が彼女をそうさせたのだろうとヴィクトリアは考えた。 さっきアレクシスに渡したタイピンが、自分になにかあれば反応するはずだったので、さてここで自分はどういった対応をしたらいいものかと思案する。
ドアノックがされて、女性店員がドアを開けると、二人の青年が部屋に入ってくる。
「よくやった、ドリス」
「オリヴァー様、どうかもうこんなことはおやめください。こんな……」
「大丈夫だよ、ドリス。悪いようにはしないから。オレの事を想ってくれるドリスの為なんだよ」
青年の内の一人が女性店員に甘い言葉を囁くようにそんなことを呟く。
どうやら青年の一人がここの店主の親族で、この女性店員はこの青年を慕っている様子が見て取れる。
その様子を見たヴィクトリアは「その男の言葉、絶対嘘っぽいですよね」と思った。
どう見ても、その気がない金持ちボンボンが口先だけの甘い言葉で純な若い使用人を誑かしているようにしか見えない。
店員の手をほどいて、オリヴァーと呼ばれた青年がヴィクトリアの顔をのぞき込む。
「ダニエル。この娘、目が開いているが、薬が効いているのか?」
部屋に入り込んできたのは、プレシアパーク前の市場でヴィクトリアをナンパしようとした青年だった。
「まあ微量だがチャーム持ちだからじゃないか? 魔力があるからそういう反応なんだろうさ。さっさと運ぼう、連れの大男が来たらやっかいだ」
そういうとヴィクトリアを抱き上げて部屋を出ていく。
黒騎士様以外の男に横抱きされるのは不本意だとヴィクトリアは思う。
「裏に馬車を回している」
意外にも力があるのかヴィクトリアを抱き上げて店舗の裏手に回ってこうとする。
「いい加減に降ろしてもらえませんか?」
廊下に出たところでヴィクトリアが口を開いたので、驚いたのか青年が足を止める。
「薬が効いていない……だと?」
抱えていた力が驚きで抜けたのか、ヴィクトリアがその腕から落ちる。
ヴィクトリアは猫のような身軽さで床に足をつけた。
「馬車には乗りたくありません。ここには未来の旦那様とお買い物に来ているので、旦那様もご一緒でなければ」
「そうか」
ポケットからナイフを取り出しヴィクトリアの前に突き出す。
「ちゃんと別の未来の旦那様を紹介してくれるらしいぞ。大人しく馬車に乗るんだ」
「……」
青年の言葉をヴィクトリアは考える。「ちゃんと別の未来の旦那様を紹介してくれるらしい」という言葉。
これはどういう意味なのか……。
「聞いているのか!?」
ヴィクトリアの髪を引っ張りナイフで一房切り落とす。
貴族か裕福な商家の令嬢ならば、傷をつけなくても髪をちょこっと切り落としただけで泣き出すだろうと思ったのだろう。
――顔や身体に刃物を向けず。髪……。連れ去ろうという対象者に傷をつけない……。
青年も、普通の令嬢ならばここで泣き出すか怯えだして、言うことを聞くだろうと思っていた。
しかし切り落とされた髪を見ているだけで微動だにせずにいるヴィクトリアに業を煮やしたもう一人の男がヴィクトリアに近づく。
「ダニエル、四の五の言わせずさっさと移動するぞ叫ばれたら面倒だ」
手を伸ばしヴィクトリアの腕を引こうとするが、あと少しで触れようとしたところで、その手にバチバチっと静電気が走り、一瞬手を引く。
「くっそ、静電気かよ」
もちろん、そんな都合のいい静電気が起きるわけがない、ヴィクトリアがそれとなく魔力でもって発生させたのだ。
床に落ちた髪を見て冷静に考え込んだ。そして青年を見つめる。
人形のような表情のない顔だった。
「別の未来の旦那様を紹介とはどういうことですか?」
ヴィクトリアがそう尋ねると、アレクシスが廊下の奥から現れた。
ナイフを持っていた青年が、アレクシスに気が付くとヴィクトリアを盾にしようとする。
青年の手が肩に触れるところで、またもヴィクトリアが魔法で静電気を発生させた。普通の静電気よりも強く、青年は持っていたナイフを取り落とす。
店主の身内と思われる従業員をそそのかしていた青年も、慌ててドアの外へ逃げようとするが、店主が回り込んで、その青年の横っ面を殴った。
アレクシスは巨体に合わない素早い動きで距離を詰めヴィクトリアにナイフを向け脅していた青年を捕らえる。
「貴様……今、何をした」
重低音の囁きが聞こえる。その声を聴いただけで青年の毛穴がブワっと開いた。アレクシスが彼のみぞおちに拳を撃ち込むと、彼は膝をつく。
「ヴィクトリア! ケガはないか!?」
「大丈夫です」
ヴィクトリアの言葉に安心し、青年が取り落としたナイフを拾い上げる。床に一房、ヴィクトリアの髪が散乱しているのを目にした。
「く、黒……アレクシス様?」
ケガはないと彼女が言うが、一房だろうと髪を切り落とされているのを見て、この男達を許せるわけがない。
逆鱗に触れる……もしくは獅子の尾を踏むとはこのことかと、傍にルーカスやアメリアがいたらそう呟いたかもしれない。
アレクシスは背後で立ち上がろうとしていた青年を回し蹴りにすると、豪快に壁まで吹っ飛ばした。
しばらく立ち上がれないだろうなとヴィクトリアは思った。
アレクシスはそのまま、店主ともみ合っているもう一人の青年の胸倉を片手で軽々とつかみ上げた。みぞおちに一発拳を入れると気を失ったようだ。
ヴィクトリアはアレクシスに抱き着く。
「多分、何回か彼らはこういうことをしてそうです。憲兵に引き渡していろいろ事情聴取をとってもらってください。もしかしたら例の事件にも関わっているかもしれません。裏口に馬車を用意してると言ってました。他に仲間もいるかもしれませんから」
ヴィクトリアの言葉を聞いた店主は他の従業員を呼び出して、裏口にある馬車を確保し憲兵を呼ぶように伝えた。
アレクシスは裏口に停車している馬車の中にいる人物も含めて、殴りかかる。
「黒……じゃなくてアレクシス様、治癒魔法かけてもいいですか?」
「こいつ等に!? 貴女を狙ったんだぞ!」
ヴィクトリアの言葉にアレクシスは何をそんな情け深いことを優しすぎるにもほどがあると思ったのだが、ヴィクトリアが告げる言葉は全然情け深くもなく、実に現実的な発言だった。
「だって、これではこの人達、自白できないじゃないですか……」
「……自白……」
「いろいろ詳しく聞かないと、帝都で令嬢達が行方不明になってる事件と繋がってるかもしれないでしょ?」
コツンと一番最初にアレクシスに殴られ蹴り飛ばされた青年に歩み寄る。
「だからアレクシス様、瞬殺はダメですよ? この人たちから、いつから、誰を、どうしたのかを……ぜーんぶ、素直にお話してもらわないと」
人形のような無表情で、そんな言葉を誰となしに告げるヴィクトリア。
「もしも素直にお話してくださらない場合は、もう一回。ううん、何度でも同じ様にアレクシス様が今みたいに注意してくださればいいと思うの」
ヴィクトリアにナイフを向けた青年にヴィクトリアは告げる。
「憲兵さんが来たら、素直にお話してくださいね」
ヴィクトリアの発言に蹴り飛ばされた青年は背筋に悪寒を走らせた。
憲兵が来る頃には4人の青年達がアレクシスによって捕縛されている状態で、馬車も彼らも憲兵によって、留置所へ送られるのだった。
そして後日、ヴィクトリアのところへ、例の青年達の供述が報告された。
思わぬ人物と繋がっていたことが判明した。
「黒幕は~元ハルトマン伯爵夫人とその父親のタウアー男爵だったのね~」
マルグリッドがはーとため息をこぼしながら報告書に視線を走らせている。
連れ去る令嬢や侍女、彼女達が立ち寄りそうな場所など元伯爵夫人の経験から見当をつけて、いまだ持つチャームで男達に命じて令嬢達を拐かし、そしてその娘達は今外交で来ている他国の高官や貴族達にあてがっていたというのだ。
「タウアー男爵は評判はあまりよろしくないけれど、娘のイザベラの美貌は自慢で、どの金持ちに嫁がせるかを算段していたのも当時の社交界では有名だったのよねえ~」
「そうなんですか……」
「ハルトマン伯爵に嫁がせて、親子そろって散々贅沢をしつくして、エリザベートお姉さまの不興を買って没落して、でも贅沢は治らなくて今回の犯行にってところですね~」
「ねえ、姉上、被害にあったご令嬢はどうなったの?」
「無事親元に帰されそうよ~今外務省はそれで大騒ぎねえ」
「社交界に無事復帰とかは……」
「ないでしょうね。多分、被害者の親も保護された被害者も無事だったのは喜ばしいけど、やっぱり貴族社会だと外聞が悪いから……だいたい修道院かしら……」
「そうですか……」
被害にあった令嬢達を思って、ヴィクトリアは気分が沈んだようだ。
「もっとも、そんな被害にあったにも関わらず、一人か二人ぐらいはちゃっかりロマンスが芽生えちゃってハッピーな人もいるらしいけど」
その言葉にキョトンとするヴィクトリア。
「え……何それ、どういうことですか?」
「だからそのまま婚約しちゃった人もいるらしいわ」
「……」
「……」
ヴィクトリアはアレクシスと顔を見合わせる。
「中には政略結婚がいやでという方もいるかと」
ヴィクトリアを下賜されるまで、政略結婚したくない相手として筆頭だったアレクシスが我が身を思い出してそう告げる。
「そういう方もいるかもしれませんが……わたしなんかは、すっごい好きな人と結婚できるから婚約中だった被害者がお気の毒です……修道院か……」
「そうね……その捕り物の舞台になっちゃったあの紳士服店もお気の毒よね……いい店だったんだけど……ドラ息子のしでかしたことで店の信用がなくなってお店を畳むらしいわ。店としては新参だけど店主の腕は素晴らしいから残念よね」
「ええ~!」
マルグリッドの言葉を聞いて残念そうにヴィクトリアが声を上げる。
そんな二人にアレクシスが声をかける。
「それですが」
「え?」
「あのテーラーをウィンター・ローゼに呼ぼうかと思っているのです」
ドラ息子はさておき、店の店主の腕はマルグリッド推薦だけあって素晴らしいものだった。店主自らお詫びと共に、後日仕立てた服を届けに、アレクシスを訪ねようとしていたのだ。
しかしアレクシスはヴィクトリアの転移魔法陣で辺境を行き来しているので、店主はマルグリッド経由で仕上がった服とお詫びを伝言をしていたのだ。
「ステキ! いいわ! さすが黒騎士様! だってウィンター・ローゼには第七師団もいるし、工務省もいるし、観光業だから着替えの服を持たせて旅行に来てても、そういうテーラーがあるならって立ち寄ってくれるかもしれないし! ケヴィンさんがいるから遠方からのお客様だったとしても仕上がった服の流通面では問題ないし!」
「賛成してくださいますか?」
「もちろんよ! だって黒騎士様の制服以外、ウィンター・ローゼでも見たいもの! さっそく店主の方に連絡をしましょ! こちらに来てもらって交渉を!」
後日店主は皇城に呼び出された。自分のドラ息子が店主の目の前で連れ去ろうとしていたのがお忍びできていた帝国の第六皇女であり、そして自分が服を仕立てようとしていた客が黒騎士だとわかると、腰が抜けるかと思ったほど驚き、二人に熱心に店の移転を勧められて感激して泣き出した。
雪解けと共に腕のいいテーラーがウィンター・ローゼにくることになったのだった。
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