第63話「黒騎士様は? 楽しい?」
「邪魔が入ったけど、さっきの娘は上物よね」
ヴィクトリアに声をかけた青年達に向かって、一人の女がそう言った。
見た目はどこの貴族の令嬢だと思わせるぐらいに豪華だが、どこかすさんだ印象がある。今期の社交シーズンになってから、目星をつけた令嬢を彼らに攫うように命じていた女だった。
「だけどさっきの娘はダニエルのチャームに引っかからないし、ついている男もサングラスをかけて目は不自由そうだったけど、気配の感知はあるみたいだし、難しくないか?」 リーダー的な青年をみんな見る。
「たとえ男連れでもいままでダニエルのチャームに引っかからなかった女はいなかったのにな」
「その程度だったら、フェシリティ通りのグレイス・ホールの大舞達台で観客を魅了なんてできないわね」
女の発言にリーダー格の青年がむっとしたようだ。
「いいわ、貴方達より腕のたつ人に頼むから……でも、あの娘、どこかで見たことがある気がするのよ……多分高位の貴族の娘がお忍びで城下町に足を運んでると思うわ」
だとしたら、体格のいい男ももしかしたら、護衛なのかもしれないと想定した方が無難だろうと女は思った。
プレシアパークの最新遊具を楽しんだヴィクトリアは、アレクシスと連れだってボート乗り場に来ていた。ボートに乗ってみたいというヴィクトリアのリクエストに答えた形だ。すでに池には家族連れやカップルがボートを漕ぎだしていた。季節が季節だけに混雑はしていないため、乗り場の余っているボートを回す。
「夏場だともっと混雑してそう……」
乗り込んだヴィクトリアが座ったのを確認してから、アレクシスはオールを漕ぐ。
スーっと水面を滑るようにボートが進んだ。
「わあー……すごーい」
なめらかな動きでゆっくりと水面を漕ぎだす様子を見てヴィクトリアが呟く。
「黒騎士様、ボートに乗りたいって言ったらちゃんとボートに乗せてくれて嬉しい……ありがとうございます。それに上手です、想像したよりも揺れも少ないです」
「救難任務でボートに乗る機会もありましたから」
「むう……敬語に戻ってます」
「すぐにはなかなか……」
「ルーカス中将にはもっとフランクです」
付き合いの長い友人兼部下と比較されてアレクシスは苦笑する。
「雪が解けたら、トリアがまだ足を運んでいない村へ視察へいこうと思っている、一緒に行くか?」
愛称で呼ばれたことに加えて、まだ足をはこんでない村への視察の話を聞いてヴィクトリアはぱっと花のように笑う。
「え、アルル村に行くの? 行きたい。オルセ村はウィンター・ローゼよりも北の国境沿いですが、アルル村はその反対側ですよね、南の方に位置してるの」
「アルル村の近くには湖がある」
「わあ見たい。アルル村って、羊がいるんですよね。辺境の税収として羊の肉が収められていた村で、牛や豚もいるでしょうけど、羊の方が圧倒的に飼育されているんでしょう? ……辺境領の畜産物は帝都でも質が良くて高値で卸されていますが、羊もその一つですよね」
「そう。それと、もう一つ、特産物になりそうなものがあって。ただ季節が……雪解け直後だとあまり楽しめないかもしれない」
「わわ、なんだろう。楽しみ。視察だから第七師団の護衛がつくのは仕方ないですけど、黒騎士様が誘ってくれたのが嬉しいな、やっぱり夜会よりシュワルツ・レーヴェの村の視察の方がデートっぽくていいです」
ここでちゃんと夜会用に着飾っているヴィクトリアも可愛いし綺麗だと言えればいいのだが、アレクシスにはそういった言葉が上手く出てこなかった。敬語でもなく愛称でそんな事を言った場合、彼女はどういう態度をとるだろうと想像する。
この池の大外をクルリと一周してみようとオールを漕ぎだした。
リクエストのボートを乗り終えて、新鋭の画家の絵画展を覗いて、プレシアパークから大店の商店が連なる商業エリアへ抜けた。
「お茶にしますか? 殿下」
腕に捕まってるヴィクトリアを見ると、ヴィクトリアは頷く。
また敬語と殿下呼びに戻ってますと心の中で思うが、口に出して注意することはしなかった。
自分自身も彼を名前ではなく黒騎士様と呼んでしまうので、もしかしたら多分彼を黒騎士様と呼ぶことは一生変わらないかもしれないとも思ったからだ。
大店が並ぶ商業エリアはプレシアパーク前の市場よりも貴族のタウンハウス寄りの位置にあり、身なりのいい貴族や商人達が行き交っている。
どの店舗も市場よりの商店と比較して、洗練されていて高級感がある。
「さっきの市場も楽しそうでよかったし、こういうお洒落な感じの店舗が並んでいるのも何かワクワクします。ウィンター・ローゼの商業地区にもこういう感じの通りを作りたいな。観光業ですから、観光する裕福な層には好まれるかなって思うの」
「そうですね」
カフェテリアに入ると、内装や客の様子をヴィクトリアは観察しているようだ。
気に入った様子で、嬉しそうな表情をしている。
「でもこういうのもセンスなんですよねえ……マルグリッド姉上みたいに、お洒落でハイセンスな人なら、そういうの見極められるんでしょうけれど、わたしはなかなか」
「大丈夫、ウィンター・ローゼはいい街になってきてます」
ウェイターに案内されて、窓際の景観のいい席に座る。
テーブルクロスや飾られている花や花器もサイズといい色彩といい、若い女性が好みそうなインテリアだ。
「このお店もステキ」
ヴィクトリアも気に入った様子で、アレクシスも安心するが、本当にどうやってこういう店の情報をあの悪友は仕入れているのだろうかとアレクシスは思う。
店の中ではカップルや若い女性達が同性の友人達とつれだってお茶や軽食を楽しんでいた。
帝国の皇女ともなれば、こうして街のカフェに気軽には入れないのだろう。
「ね、黒騎士様、ここでお茶したら、マルグリッド姉上が紹介してくれたお店に行きましょ。黒騎士様の服を見立ててもらうの」
「殿下は?」
「え?」
「何かお買い物したいとかは?」
「わたしはいつもウィンター・ローゼで黒騎士様に服を買ってもらってます。視察用の服とか。それにほら、わたしはいきなり成長したから服を仕立てなおしてもらったばかりですし、今日は黒騎士様のお買い物なの。今日の服とかカッコいいです。既成服でそれだけ着こなしてしまうなら、オーダーメイドしたらきっともっとステキだと思うの。普段着使いの服とかも揃えたいな。いつも制服だから見てみたい」
「……」
「え? お買い物だめ?」
「いいえ」
ウェイターがお茶とケーキをヴィクトリアに給仕している。
自分が、婚約者とつれだって、こうして帝都の街を歩く日がくるとはアレクシス自身も想像もしたことがなかったとしみじみ思う。
しかもこの婚約者は自分よりも一回り年下で、美しく、才気溢れる為政者の面を持ちながらも、アレクシスの前ではストレートに好意を寄せてくれる。
「すごーく楽しい。ありがとう黒騎士様、わたしの我儘に付き合ってくださって」
ヴィクトリアの我儘とはいうけれど、こうしてデートらしいデートなんて生まれてこの方したこともなかったアレクシスだったが、確かに楽しい。
「黒騎士様は? 楽しい?」
「……うん」
アレクシスは敬語で答えなかった。
その様子を見たヴィクトリアは、彼がいつもよりもどことなく幼い感じがしてこういう黒騎士様をもっと見たいなと思った。
アレクシスが、笑顔のヴィクトリアを見つめると、ヴィクトリアは照れながらケーキを口にしてまた笑顔を向ける。世間の恋人同士が言う、彼女(彼)がいればそれで幸せなんだというセリフがなんとなくわかる気がした。
「おお、これはこれは……、是非仕立てさせていただきますとも」
カフェから出て、徒歩でマルグリッドが紹介してくれた紳士服ご用達のテーラーのドアをくぐり、マルグリッドの紹介状を受付に出てきた店員に渡すとほどなく店主らしい紳士が現れた。
「サイズから測らさせていただきます別室へどうぞ、お嬢様はこちらでお待ちくださいませ、お茶をお持ちします」
「あ、もし見本が見れるようならば……」
「ええ、当店ではカタログもご用意しておりますので、ドリス、お嬢様にお茶とカタログをご用意して差し上げておくれ」
数人の男性客がヴィクトリアに視線を向けている。
その雰囲気にアレクシスは嫌な予感がした。
アレクシスの思っていることが伝わったのかヴィクトリアはショーケースに飾られているネクタイピンを取り出してもらうように頼み、それを手にとってすうっとその細い指先でネクタイピンをなぞる。
「このタイピン、ステキだからこれに似合うタイも作ってもらいましょ?」
ヴィクトリアからタイピンを渡されると、アレクシスはそのタイピンを見つめる。この場にいる者にはわからないが、微量な魔力が感じられる。
多分いまの仕草でヴィクトリアはこのタイピンに何かをしたのだ。
「ほかのタイピンやカタログも見せてもらって待っていますから、これを持っててくださいね」
アレクシスが頷くと、ヴィクトリアはショーケースの方に足を延ばし、さっきのもいいけどこっちもステキだなあと呟きながらタイピンを見つめる。
店の店員に待ち合わせのサロンに案内されるヴィクトリアの後ろ姿を見送って、アレクシスは店員の案内に従った。
「いやいやマルグリッド殿下のご紹介状とは……」
流れるような仕草でアレクシスの背幅や裄丈を測っていく。
この店主は初老の男でこの店の二代目。
だが、帝都のこのエリアの店の中ではまだまだ新参の部類に入る。
「お連れ様はお若いですが奥様ですか?」
さすがマルグリッドの専属の侍女と執事の変装を施しただけはある。上位貴族の接客もしたことがあるだろうに、店主もまだアレクシスが黒騎士とは見えず、ヴィクトリアが第六皇女だということも気づいていない様子だった。
「……将来的には……」
「おお、やはり。ではご婚約中で? いいですなあ」
喋りながらもメジャーでアレクシスの背幅や裄丈を測っていく。
「それにしてもお客様は体格のよい感じで……もしかして軍の方ですか?」
「わかるのか?」
「ええ、筋肉の付き方で」
数値を紙に書き記しながらうんうんと店主は頷く。
うるさい感じのお喋りではなかったので、アレクシス自身も店主の会話に返事を返したりできた。
新参の店ではあるものの、腕は確かなので、ようやく上位貴族の顧客がついてきてそれなりに店も名前を覚えてもらえるようになったことや、詳しい事は話さないものの、跡取り問題が目下、この店主を悩ませているようなことも、アレクシスは感じられた。
そんな会話を続けているとアレクシスの手にしていたタイピンが熱を持ち始めた。
初めは気のせいかと思ったが、握っていたタイピンを見ると、青白く光りを放ち始めていた。
店主はアレクシスの手にしていたタイピンをのぞき込んでアレクシスを見上げる。
「……これは……」
アレクシスは店主を見る。
「これはさきほどのタイピンですが……こんな光り方なんてしません」
もちろん店主の言葉が正しい。
洒落た意匠のタイピンではあるが、何の変哲もないタイピンが部屋を照らすほどに光りだすのはあり得ない。
「店主、サイズはもういいだろうか、連れが心配になってきた」
アレクシスの言葉に店主は何度も頷いた。
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