第62話「関係あるから言っている。おいで……トリア」
市場の様子を見て、ヴィクトリアが何か考え込んでいるようだが、それはいずれまたウィンター・ローゼに戻ったら反映されるだろうとアレクシスは思う。
「人がいっぱいいるのは賑やかで活気がありますが……」
繋いでいた手が「すいませーん通りまーす」と商人の通行の為にはなされる。人込みの流れでヴィクトリアが慌てて離れたアレクシスを追うが、通行が整備されてない場所なので流されるままだ。
ヴィクトリアの視線は離されていても背の高いアレクシスを見ることができる。
――成長したからこの視界でわかりますが、小さいままだったら見つけられませんね。
「く……」
いつもの癖で黒騎士様と呼びかけそうになって慌てて口元を抑える。
――黒騎士様ってずっとお呼びしていたから、ついうっかり言いそうになった。
アレクシスもヴィクトリアの場所がわかるようだ。人込みに紛れていてもアレクシスがヴィクトリアの方へ歩き出すが、再び観光客の団体が通り過ぎて距離を開けられた。
――人がたくさんいて活気があっていいですけど! これでは黒騎士様が……え……黒騎士様が……見えない……? 距離を開けられてしまった!!
ヴィクトリアはひたすら前進する。アレクシスがいたと思われる場所まで歩き出すと、横から数人の男達に声をかけられた。
「お嬢さん、迷われましたか? よかったらオレ達が案内しますよ」
そう言いながら彼らはヴィクトリアの進路を阻んで囲んだ。
「可愛いお嬢さん、プレシアパークへ行くんでしょ? お連れの人を探してあげる」
「もちろんお嬢さんが、一人で行くとは思わないよー。オレ達も。プレシアパークは帝都でも最近流行のデートスポットだもんね。でもどーみてもはぐれちゃった感じ?」
「こーんな可愛い子を一瞬でも離すなんて。彼氏、たいしたことないんじゃない? オレ達が楽しいところに案内するからさあ」
囲んだ男の一人が馴れ馴れしくヴィクトリアの肩を抱くように腕を回す。見るからに金持ちの道楽息子達という感じだ。
ここは商業地区でも皇城よりだ、貴族のタウンハウスエリアにも近い。多分下級貴族の子弟だろうとはわかる。
だからだろうか、市場の店の者も、通り過ぎる通行人も、その様子に気づいてはいるものの、相手がもし貴族ならば町人の自分達では店も取り潰されかねないので率先して助けに行くに行けない様子だ。
「結構です」
ヴィクトリアがキリっと断りを入れるが男達はニヤニヤ笑うだけでその手を放そうとしない。
「結構ですってー了解ってことー? 話がわかる~」
断りを入れた言葉を逆の解釈をされた。彼らはヴィクトリアが断りを入れているのをわかっているのだ。
「違います、ご遠慮しますという意味です」
もう一度ヴィクトリアが断りを入れるが、聞く耳を持たない様子だ。
「遠慮しますなんて言わないで~一緒に探してあげるって言ってるじゃん。こーんな可愛い女の子と一緒に街を歩けるなんてそうそうないからさ、サービスでプレシアパークよりももっといいところに案内しちゃうぜ」
「は、離してください!」
ヴィクトリアがそう叫ぶと、ヴィクトリアの肩に乗っていた手がはじかれ、ヴィクトリアの傍にくっついていた男がその痛みに声をあげる。
男の手を弾き飛ばしたのはステッキの先端だった。
ヴィクトリアを囲んでいた男達の前に、頭一つ分上背のある男が立っていた。
男達は目の前に現れたその大男にぎょっとする。
並みの男性が現れたら多勢に無勢で男を取り押さえてヴィクトリアを連れていくこともできただろう。
しかし目の前の男は多分自分達よりも貴族位の高い人物だと瞬時に察したらしい。
ヴィクトリアが安堵の微笑みを彼に向ける。
――黒騎士様!
ステッキの先端でヴィクトリアの肩に乗せている手を弾いたのはアレクシスだった。
サングラスをかけているにもかかわらず、多分それを外したらその風貌は恐ろしいものだと、本能的に若い男達は察した。
「案内は不要だ」
男が発した言葉は低く、ヴィクトリアを取り囲んでいた若い男達を声だけで怯ませる。
男達はどうしようと逡巡している様子だった。
「関係ない旦那は引っ込んでいろよ、先に声をかけたのはオレ達なんだぜ」
変装しているとはいえ、アレクシスの放つ殺気に当てられながらも怯まずに噛みつくあたりは気骨があると思う。
それに、本当にヴィクトリアの連れだとは思えなかったのだろう、自分達よりもはるかにヤバイ男にしか見えない。
苦し紛れに男の一人が言い放つが、アレクシスはステッキを持ってない手をヴィクトリアに向けて差し出す。
「関係あるから言っている。おいで……トリア」
おいでと発したアレクシスの声は、男達に向けていたものとは段違いに優しく柔らかなものだった。
アレクシスから初めて愛称で呼ばれてヴィクトリアは破顔し、跳ねるようにアレクシスに駆け出していく。
「おい! 貴様!」
ぶるぶる震えながらステッキで手の甲を打たれた男がアレクシスを呼び止めるが、ヴィクトリアはアレクシスの腕にすがりつく。
何事もなかったのを安堵して、アレクシスはヴィクトリアの頭に手を載せる。
「こんな雑多な商業地区で魔法を展開させない方がいいぞ。すぐに憲兵が来る」
自分が魔法を展開しようとしていたのを察知されて、男はぐっと詰まる。
ヴィクトリアはアレクシスに頭を撫でられて、照れくささと嬉しさが混ざった表情をする。
「貴様の魔力を根こそぎ彼女に奪われてもいいなら止めないがな」
アレクシスの言葉に、ヴィクトリアが男達に視線を向ける。人形のように整った顔に凍り付くような冷めた視線を向けられて、男達は人込みに紛れて逃げ出していく。
その情けない姿を見送って、ヴィクトリアはアレクシスに言った。
「わたし、他人の魔力を奪うことはできませんよ?」
「ノーダメージで枯渇するまで相手に使わせてしまえば同じことです」
ヴィクトリアならばそれも可能だろうとアレクシスは思う。
ぎゅっとアレクシスの腕に縋りつくと、二人はプレシアパークに向かって歩き出した。
「どうせなら、『連れ』じゃなくて『妻』とか『嫁』とか言ってほしかったです」
小さな時のようにぷくっと頬を膨らませて拗ねられるとアレクシスは苦笑する。
「……『連れ』でも相当なショックを受けていた様子だったので」
「でも、『トリア』って呼んでくださったので、嬉しかったです。今度は離されないように、手は繋がないでずっと腕に捕まっています。黒騎士様は、すぐに腕から手をとってしまうんですもの腕にくっついています。いいですよね」
成長したヴィクトリアに腕に抱き着かれると、思いっきり彼女の柔らかい部分に腕が触れるので、アレクシスとしてはいろいろ意識してしまい出来れば避けたいと思っていたが、サングラス越しに映るこの場所を見るかぎり、手を繋いでいるだけではまた人に流されて離れてしまいそうだ。
プレシアパークに入ると、長蛇の列に並んで、大観覧車に乗り込む。ゆっくりと動き出す箱は空中に浮いていく。
「うわああ、すごーい。ロッテ姉上すごいわ! こんなの作れるなんて! これは素敵、黒騎士様は高いところは平気ですか?」
窓の外をのぞき込んでヴィクトリアは歓声を上げる。
「もちろん」
アレクシスもサングラスを外して、一緒に窓から帝都や皇城を見つめる。
「皇城が近くに見える! わああ街もすごいよく見えます! 並んでもこの景色は見たくなりますよね! よーし、シュワルツ・レーヴェの収益が上に行った暁には、コレをつくってもらいます」
「もし建造するならば、ニコル村あたりがよろしいのでは?」
「そう! 海! 海を臨む大観覧車ステキ! もうだめね、わたし達、普通のデートをしているつもりなのに、こんな風に、シュワルツ・レーヴェにもコレをコレをとか思ってしまうの」
そう言いながらもヴィクトリアは朗らかに笑う。
「何もないところなのですから、何を建ててもいいと仰せになったのは殿下です」
「……」
「殿下?」
「名前! 殿下じゃなくてトリアって、さっきみたいに呼んで! 敬語もやだ! はい、やり直し!」
「……これは習慣になっているので……」
「もう、いつも思うの! 黒騎士様がやっとわたしに近づいてくれたって思ったら、すぐに離れてしまうの! いろんな意味で一歩進んで二歩下がる感じ禁止!」
ヴィクトリアにそう言われてアレクシスはその瞳を観覧車の窓から移る皇城に視線を移す。
繁栄するリーデルシュタイン帝国の象徴ともいえる白亜の皇城。
彼女は自分よりも一回り年下のお姫様。
降嫁を言い渡された時は、思っていた。
彼女がいずれ大きくなったら、決められた結婚ではなく、今のような社交シーズン中に、自分以外の青年貴族と恋に落ちるかもしれないと。
それを言い出すときは、この忠誠はそのままに、彼女を自由にしたいと。
しかし、そんなアレクシスの思いを知らずに、ヴィクトリアは婚約が結ばれた日から、彼を慕ってくれた。
この社交シーズンに、美しく成長したヴィクトリアの婚約を破棄させて別の国へという発言がある。そんな発言をヴィクトリア自身が一蹴し変わらずにアレクシスを慕ってくれている。
それは暖かな春の日が雪を解かすように、アレクシスの堅い忠誠以外の、いままで誰にも抱くことのなかった、小さな想いを育てた。それはもうアレクシス自身も認めざるをえない。
「トリア」
アレクシスに呼ばれて、ヴィクトリアは窓に向けていた視線を彼に向ける。
「人に説教していたら、せっかくの景色を見逃すぞ」
ヴィクトリアは向かいに座るアレクシスに抱き着く。小さな身体の時と同じように、自分の首に腕をまわして縋りつく。
「いくら軽いからって、いきなり立ち上がるな……ボートに乗っている状態で場所を移動するのに似ているぞ……今のは……」
アレクシスは慌ててヴィクトリアを膝の上に乗せる。
「黒騎士様のせいです。あ、でも公園でボートにも乗りたいです。デートっぽくないですか?」
甘くて柔らかく頼りなげなその華奢の身体を抱きしめ、その艶やかな髪にアレクシスはキスをする。
「黒騎士様、今のは場所が違うんじゃないでしょうか……」
「嫁入り前のお姫様の言葉じゃない」
彼にそう言われて、不満気な様子を見せるヴィクトリアだった。
その様子は小さな彼女を彷彿させる。
アレクシスは微笑んで彼女の華奢な身体を抱きしめて、もう一度そのこめかみにキスを落とした。
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