第61話「変装したいの! だから姉上お願い!!」
「今日は夜会に出席しませんが、城下町お忍びデートの為にきました!」
いつもより早いヴィクトリアの到着。ヴィクトリアの私室で待ち構えていたマルグリッドに、すごく嬉しそうに伝えた。
ここ最近、魔法陣を使って帝都に来るヴィクトリアの眉間に皺が寄っていたが、今日ばかりはいつもの可愛らしい妹の笑顔だ。
「トリアちゃん……」
「だって、だって、黒騎士様も今日は警備にあたるんですもの、わたし一人で夜会には出られません! だからね、昼間に黒騎士様と城下町をお忍びでデートしたいの!」
マルグリッドは黒騎士に視線を走らせる。無表情ながらも、多分彼は困惑している様子ではあると察した。
勢い止まらない妹を窘める言葉をマルグリッドがかける。
「まあまあ本当に、もっともらしい理由をつけて黒騎士様を振り回す気ね、この子は」
「姉上、わたし、これでもいろいろ我慢してるのです! 皇族として当たり前のことをしなければならないのは承知ですけれど、正直つまらないの! 夜会だけなのはつまらないの! シュワルツ・レーヴェをもっともっと発展させたいし、帝都のいいところも取り寄せて、辺境でも帝国の防衛地点で賑わってる! って、列車開通した暁には、そう思われたいの!」
「フォルクヴァルツ卿……本当にごめんなさいね、こんな子で」
「いえ……」
慣れました。と心の中でアレクシスは思う。
もちろん、そんな彼女だからこそ、自分の中で特別な存在なのだとも。
「仕方ないわね。……で、お忍びデートでその恰好なの?」
マルグリッドの視線がヴィクトリアではなくアレクシスに移る。
ちなみに、夜会に出席する時も、アレクシスは軍服のままだ。
軍高官を意味するマントは身に着けているし、飾緒もついてるし階級章でわかる。
しかしヴィクトリアのいうところのお忍びデートには向かない服装だった。
誰もが彼を見れば黒騎士であるとわかってしまう。
そしてその傍に、美しく若い女性がいればどんなに変装してようとヴィクトリアだとわかってしまうだろう。
お忍びという感じではなく公務での帝都商業地区視察以外に見えない。
多分ヴィクトリアが希望するのはあくまでプライベートのお忍びデートなのだということも、マルグリッドは理解している。
「変装したいの! だから姉上お願い!!」
マルグリッドは自分付きの侍女に視線を移すと、侍女は心得たようにヴィクトリアの私室を下がり、ほどなくして執事風の男と従僕を連れ立って戻ってきた。
「トリアちゃんも、もう少し、商家のお嬢様風に着替えましょうね。あとは頼んだわ」
執事にそう言い残し、ヴィクトリアをいつもの寝室へと侍女と共に促した。
ヴィクトリアを大店のお嬢様風もしくは下級貴族の令嬢が街に出るような服に着替えさせ、髪を整えてもらっている。
「姉上、こういう服もお持ちなのですね」
「もちろん、お忍びデートはメルヒオールとしたことあるもの」
「え?」
「あと、市井の流行とかも把握しておきたかったし」
「なるほど……メルヒオールお義兄様も変装したの?」
「いろいろね」
「黒騎士様が軍服以外をお召しになってるの、実はあんまり見たことがないので、ちょっと楽しみです」
「……確かにそうかもしれないわね……本当はオーダーメードがよかったのかもしれないわ。体格のいい方だから既製服が入るといいのだけど」
執事と従僕を連れてきた侍女に視線を向けると、侍女が頷く。
「サイズは問題ないかと」
ヴィクトリアの支度が整ったところでドアノックがされる。
マルグリッドの侍女が取次の為ドアの傍に寄る。
「マルグリッド様、フォルツヴァルグ閣下のお仕度も整ったようです」
ヴィクトリアはわくわくしながらドアを開けてもらうのを待った。
軍服以外のアレクシスを見て、ヴィクトリアはその白い手を口元に当てた。だが、内心では絶叫している。
――黒騎士様!! 軍服以外もお似合いですよっ!!
一般的な貴族の男性が着用するモーニングに着替えていた。もちろん上着は黒だが、コールズボンはやや暗いグレー。シャツは白でポケットチーフも同色。
――ええー! たまには軍服じゃなくて、こっちの服装で夜会にエスコートされてみたい!
執事がステッキとトップハットを持っている。
傍にいる妹がかなりテンション高めに婚約者を見つめているのを見て、マルグリッドは頷いた。
「うん。いいわね。既製服が合うかどうか心配でしたけれど」
マルグリッドがそう言いながら、ヴィクトリアのデスクで何か手紙を書いている。
「素敵! 黒騎士様! カッコイイ!!」
ヴィクトリアが手放しで褒めるので着慣れない服ではあるけれど、アレクシスは内心安堵する。
「じゃあ、お忍びデートの途中でコレを持って、フォルストナー商会に行ってもいいんじゃないかしら?」
マルグリッドは書きつけていた手紙に蝋封をするとヴィクトリアに手渡した。
「?」
「最近流行ってるデザインの紳士服をオーダーメードしてもらうように、商会に依頼状を書いたのだけど?」
アレクシス自身も貴族だから、こういった服は多分持っているだろうとマルグリッドも思うが、ほぼ軍服姿しか見たことがない。
貴族とはいえ、長く軍属している人物に多いタイプである。そしてまた、そういった人物は軍服が似合う。
黒騎士様大好きーな妹は軍服以外もきちんと着せればそれなりに着こなせることができる男性だとは思いもよらなかったようだ。
ヴィクトリア自身が衣裳に拘りを見せる性格ではないのがその原因の一つだろう。これは、上の姉達、エリザベートやヒルデガルドの影響が大きい。
民を導く為に、抑えられるところは抑えておきたいというのがエリザベートの意向であり、自身を飾ることよりも、他への費用に充てられると思っているからだとマルグリッドは察している。
だからマルグリッドは時として、妹や姉達を公式の場で見せる為に、衣裳には敏感であった。そういった服に頓着しない姉妹達に、必要と思われる衣裳や着こなし方は、皇女達として必要な事だと思っているので、姉や妹達が式典や行事等で、公式により多くの貴族や民衆の前に立つ時は衣裳の件について何くれとなく意見を出すことが多い。
だが、ヴィクトリアや姉達は「マルグリッド(姉上)はセンスがいいお洒落さんだから」としか思っていないようだ。
ヴィクトリア菫色の瞳を輝かせてはマルグリッドに抱きつく。
「姉上! わかっていらっしゃる! やっぱりセンスいい!!」
「それと、視界が悪くなるかもしれませんけれど、フォルクヴァルツ卿はこれをつけてくださいな」
マルグリッドはヴィクトリアに手渡したのは細長い箱。
その箱に入ってたのはサングラスだ。
「サングラス……?」
ヴィクトリアはアレクシスの傍に近づいて、アレクシスにサングラスを渡す。
アレクシスはヴィクトリアからサングラスを受け取ってかけてみた。
「閣下は目が鋭くていらっしゃるから、それを隠せば大丈夫と思ったのだけれど……あら、逆に迫力が増してしまったかしら?」
「いいえ! 完璧です! かっこいいです!!」
マルグリッドの言葉にヴィクトリアは否を唱える。
確かにレンズの濃い色彩で通常との視界は違うが、夜間作戦時の事を思えばまだクリアな状態だし、アレクシス自身が持つ身体強化系の魔法を使えば、例え視界がなくても察知は可能だろう。
しかし、マルグリッドから見た目の迫力が増したと言われれば少々不安になる。そんな様子を察したのか、従僕が鏡を持ってアレクシスを写し、執事がタイを整えた。
「でも、ぱっと見では黒騎士様とは気づかれませんわね。大丈夫でしょう」
マルグリッドの言葉にヴィクトリアはこくこくと首を縦に振る。
「です! さ、行きましょう! 黒騎士様!」
「トリアちゃん……黒騎士様ってお呼びしてたら、わかってしまうかもしれませんわよ? お忍びデートなんでしょ?」
「あ、そうか……えっと、アレクシス様……やーん、お名前呼びはお嫁さんになったらって思っていたのにー!」
ヴィクトリアは両手で頬を抑えて小さくキャーと叫んでる。
そんな様子を見て、マルグリッドはやれやれと肩をすくめる。
執事がアレクシスにコートを着せてる傍で、マルグリッド付きの侍女もヴィクトリアにコートを身に着けさせる。
「じゃ、姉上、夕方には戻ってきます!」
「はいはい。楽しんでらっしゃい」
アレクシスはマルグリッドに一礼すると、従僕からステッキとトップハットを受け取りヴィクトリアを促して私室を退出した。
「では、お時間になりましたらこの広場にて馬車をお持ちさせます」
「頼みました」
マルグリッドの用意させた馬車からヴィクトリアとアレクシスが降り立つと、御者はそう伝えて馬車を再び走らせて去って行く。
「では殿下。観劇という手もありますが、ここ城下町で注目されているのは昨年完成された大観覧車のある遊興施設です。多分ロッテ様が開発されたのでしょう。そこのイベントホールでは注目の新人画家の絵画展がもようされていると聞いてます。どちらがいいですか?」
「その遊興施設に行ってみたい! 実はね、ロッテ姉上からは聞いていて、前々から行ってみたかったの! あと黒騎士様もわたしのことは名前で呼んでください」
「……お名前呼びは結婚してからと思っていましたので」
アレクシスがそう言うと、ヴィクトリアはアレクシスの腕を捕まえる。
「じゃあ、わたしも黒騎士様ってお呼びしてしまいますよ? でも、大丈夫ですよね? あんまり大きい声でお話はしませんから」
二人とも、殿下と黒騎士様と呼び合うのが通常の状態なので、互いの名前呼びはなかなか慣れないと思い至ったようだ。
城下町の人気の遊興施設に足を運ぶ途中には、市場もある。
市井の民達の台所と言われる場所だ。
どこぞの貴族のキッチンメイドが主や料理長に頼まれて買い出しにでかけたり、時には安価な商品もあつかっており、庶民の姿も垣間見える。
威勢のいい店の主の声が所々で聞こえて、活気が溢れていた。
中には呼び込みはしないものの、行列を成す店もある。
タレ付きの肉をその場で焼いて、煙と匂いで人を集めている情景を目にする。
「すごーい。人がいっぱい」
「朝市はもっとすごいそうです。飲食店の者も、こういったところで食材を手にするとか」
二人が市場の中央通りを歩くたびに、人々の声が聞こえる。
「プレシアパークに行く前に、腹ごしらえはどうだー」
「鮮度は抜群だよ、アイテムボックスで運んだんだ! 採れたて時間そのままの野菜だよ!」
「いらっしゃいー!」
「ありがとうございましたー!」
そんな声を聴きながら、ヴィクトリアは笑顔をアレクシスに向ける。
「黒騎士様、やっぱりわかってらっしゃるのね。わたしがこういうの見たかったの」
そう、この帝都の繁栄ぶり、市井の人々の活気溢れる姿が、ヴィクトリアの目指す辺境の街に欲しいものだと、アレクシスはもう十分すぎるほど理解していたのだった。
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