第60話「黒騎士様、わたしが大人しくしてるのですから、ご褒美下さい」
さんざん姉達に八つ当たりしていたヴィクトリアだが、ヒルデガルドの言葉に従ってしぶしぶ夜会に出ることにしたようだ。
シュワルツ・レーヴェの特産品の広報活動を怠らないのも仕事と思っているのか、とアレクシスは思う。
だが、ヴィクトリアの内心は、とにかく今日も気合を入れてお洒落をしたのだから、黒騎士様に可愛いとか綺麗とか褒められてみたいという純粋な乙女心しかない。
「ところで、黒騎士様は、ヒルダ姉上と何をお話していたのですか?」
夜会の会場につくと、ヴィクトリアはそんなことを訊ねてきた。
この夜会に出席する前に、ヴィクトリアが支度をしている隣室で、アレクシスはヒルデガルドと共に、部下からの報告を受けていた。
今シーズン、帝都社交界において騒がれている一連の事件の事についてだった。
「ターゲットとされるのは、観劇に行った令嬢や、商業地区に買い物に出かけている令嬢達が最初だった……ということか」
帝都に残留している第七師団の団員からの報告を聞いて、アレクシスは呟く。
「はい、社交シーズンに入ってからは、夜会に出席している令嬢達も含まれます。行方不明者は主に今年デビューした若い令嬢達で、既婚者は含まれません」
その報告をヒルデガルドも聞いている。
「夜会の時にレストルームに入る時が狙われやすいために、最近は複数人で令嬢達はそちらへ移動するよう、夜会主催者の方から通達を入れているようです」
報告者の言葉を引き継ぐようにアレクシスが呟く。
「そこで、今夜は第三師団の団員に協力をしてもらうと……」
「この事件があってから、ここのところ、夜会にご令嬢を参加させていない家も増えてきている。マルグリッドが持ってきたここ数日の参加リストを見て普段と同様にする為、第三師団の団員達を紛れ込ませておく。貴族家出身の者もいるので、一見普通の夜会参加者にしか見えないだろう」
ヒルデガルドは自分の部下である第三師団の団員ならば、今回帝都で起きている令嬢の行方不明事件の真相を掴めるのではと踏んだのだった。
「仕事の話です」
夜会の会場に入ると、社交用の笑顔を張り付けたままだが、アレクシスにはなんとなくわかる。もちろんヴィクトリアだって、姉であるヒルデガルドと黒騎士様が話をしていたら、ほぼ仕事の話なのは理解している。
「わたしとだって領地のお話が半分以上なのに、姉上とお仕事以外のお話をされていたら悔しいです」
「……」
そうだろうか? とアレクシスは記憶を反芻する。
だがしかし、自分の腕を組んで拗ねてるヴィクトリアを見下ろして、そんなことはないと宥めすかす言葉が浮かばない。普通の恋人同士や婚約者や、夫婦なら、そういうやり取りも自然にできるだろう。つくづく口下手な自分が恨めしい。
だけどこうして傍にいて、素直にやきもちを焼いてる彼女を見ているだけでも、可愛いなと思ってしまう。
「せっかく成長したのに、いつも子供扱い」
「……」
そうやって拗ねているところが、子供と思われているのかもと、ヴィクトリアはアレクシスをそーっと見上げると、アレクシスの腕にぴたっと頭をくっつける。
「殿下?」
「子供扱いするから、甘えてます」
そんな様子を見ていた主に独身の男性貴族たちから、ギリギリと歯ぎしりの音が聞こえそうな表情と視線をアレクシスは感じていた。
その視線に気づいてはいる。ここでアレクシスがヴィクトリアから視線を外し、自分に投げかける視線の方へ顔を向けたら、一斉にその視線は散るだろうと想像できた。
そしてこの場の淑女達の視線は、会場の中央で一人の令嬢とワルツを踊るヒルデガルドに注目していた。
ヴィクトリアは姉の方に視線を向ける。
「あれ……軍服着ていないけれど……ヒルダ姉上と踊っている令嬢って、確か……ペトラさん?」
「よくわかりますね」
「ペトラさんは辺境へ行くときに、護衛についてくださった方だから覚えてます」
「最近帝都で、若い令嬢が行方不明になっているお話は、ご存じですか?」
アレクシスが声を潜める。
ヴィクトリアはコクリと首を縦に振る。
「……ペトラさん……囮ですか?」
全てを説明しなくとも、それだけで、ヴィクトリアは把握したようだった。
「第三師団は女性で編成されてますから……こんなお話を殿下がお耳にしたら、自分も協力すると言い出しかねないとヒルデガルド殿下は危惧しておいででした」
夜会の本来のことよりも、好奇心旺盛で行動的なヴィクトリアなら「協力します!」と言い出しかねないとヒルデガルドとアレクシスは思っていた。
ヴィクトリア自身も、アレクシスからその話を聞けば、普通に夜会に出るよりも、むしろそっちの方が楽しそうと思う。
「そうですね……確かに。姉上や黒騎士様のお手伝いしたい気持ちがありますし、わたしなら、髪も瞳の色も魔法で変えられます。マルグリッド姉上からチャームのコントロールもいま教えていただいてますし……黒騎士様が止めてもやりたいって言い出しかねない。黒騎士様が心配されるお気持ち、わかります」
自分のことを冷静に分析して他人事のように言うヴィクトリアに、アレクシスは首をかしげる。
「でも、そんなことを言いだしたらヒルダ姉上とマルグリッド姉上からお説教されてしまいます。マルグリッド姉上なら絶対にわたしが断念するようにしむけてきます」
自分だけではなく他の姉達の性格も把握している様子だ。
「例えば?」
「わたしの弱味を的確に突いてきます」
表情は変わらないものの、その先を訊きたいとアレクシスが思っているとヴィクトリアにはわかった。
ヴィクトリアは少し悔しさと照れくささを混ぜた表情になる。
「マルグリッド姉上だったらきっと……『うーん、トリアちゃんなら、確かに魔法で姿を変えてしまえるでしょうけれどーそうしたら黒騎士様はどうなるのかしらー』って絶対に言ってくるに決まってますよ」
マルグリッドの口調を真似ながらヴィクトリアは言う。
「……私が……?」
ヴィクトリアはコクコクと首を縦に振る。そしてマルグリッドの口調を真似ながら話を続ける。
「そうです。『姿を変えても、囮なんて危険なことを、と、黒騎士様ならエスコートをしてくれるでしょう? そうしたら、周囲はなんて思うかしらー、ヴィクトリア殿下という婚約者を差し置いて、ほかの若い淑女のエスコートをしていると目にしたら、この婚約はやはりなかったことにしてもいいのでは? 幸い社交シーズンだから他国の王侯貴族もいつもより多く帝国にきているし、殿下につなぎをとれるかも……なーんて、言いだされるかもしれないわあ』とか言われてしまいます。それでもって『そうならないためには、ヒルダお姉様にエスコートしてもらう形になるわねえ』ぐらいは言ってきます」
「……可能性は高いですね」
「せっかくお洒落しておでかけなのに黒騎士様ではなく姉上のエスコートとか、それはどうなの? って感じですよね。わーそんなのダメダメ、大人しくしてます。でも、黒騎士様、わたしが大人しくしてるのですから、ご褒美下さい」
「……ご褒美……ですか?」
果たして自分が彼女にしてあげられることなどあるのだろうかと、アレクシスは考え込む。
「帝都の商業地区を一緒に見て回りたいです!」
「……」
「黒騎士様が、先にシュワルツ・レーヴェに赴いてしまって、帝都で準備してた時にフォルストナー中将が護衛として一緒に回ってくださいました。そういう視察っぽいのもいいのですけど。でもできれば、観劇に行ったり、人気のカフェにいってみたり、いろんな商店を見てみたり、普通の貴族位のない女の子がしているような、そういうデートっぽいの、してみたいの」
普通の庶民の恋人同士がするデートをしてみたいというのが、ヴィクトリアのおねだりだった。
菫色の瞳が、シャンデリアの光に反射して煌めいている。
上目遣いで見上げられれば、さすがの堅物と言われているアレクシスも無意識に頷いていた。
嬉しそうに破顔するヴィクトリアを見て、正気に返る。
うっかりと頷いてしまったが、いまの帝都の状況でそんなこと危険すぎる! チャームを制御できるようになってきたと彼女は言っていたが、この威力は恐ろしい。
しかし、自分の腕につかまって普段よりもご機嫌で社交をこなしている彼女に、やっぱり危険だから止めませんかとはもう言えないのだった。
「美少女とデートとか、くっそ羨ましい。帝国の持てない独身男子達に呪われるぞ。惚気を聞かされに伺ったんでしょうかね。オレは」
翌日、執務室に足を運んだのはルーカスだった。昨夜のヴィクトリアのお願いをルーカスに語ると彼はそう毒づいた。
だが、ルーカスは、なぜ自分が呼ばれたのか、なんとなく察した。
「殿下は庶民の女性達がするような外出を希望しているが、俺の想像の範疇を超える」
デスクに肘をたてて両手を組み、そこに額を載せて視線をデスクに向けている黒騎士を見て、いつもなら冷やかしの言葉を更に続けるところだが、ルーカスはニヤニヤするだけにとどめる。
もちろん、視線が自分に向いてないからこそ、そんな表情になっているのだが……。
「それに今現在、帝都は若い女性の失踪事件が多発していて危険な状態……」
アレクシスの発言を途中で遮るようにルーカスが尋ねた。
「上官と部下じゃなくて、友人として訊くがアレクシス、お前は殿下とデートしたいの? したくないの? どっちなの? 帝都の状態が危険だからそんな城下町デートはやはり取りやめたいと説得を協力してくれといいたいの? それともデートするから城下町で女子受けしそうなデートコースを聞きたいの? まずはそこからじゃね?」
「……」
「オレだったら、一も二もなくデートする。女の子からデートに行こうって言われてやっぱり危ないからやめようとかねーわ。そんなこたぁわかってるんだよ、殿下だって。普通の女の子なら、危ないからねで納得するだろうけど、あの魔術チート姫様ならどんな危険なところだって行けるだろ。しかもお前ならどんな危険からでも守れるだろ?」
ルーカスの言うように、夜会の会場で密やかに流れる風評をどうこうするより、悪漢から物理的にヴィクトリアを守る方がアレクシスにとっては楽勝だ。
「だいたい「デートに行こうよ」という言葉を女子から言わせてしまったお前は、どうなのよって話。殿下がどうこうじゃなくて、お前自身が殿下のことをどう思ってるんだっつーの。いい加減、オレにぐらい本音言え」
「……なんでお前に本音を言わなければならない」
視線を合わせず、組んだ両手に額を載せたままアレクシスが呟くが、うつむいてるアレクシスの耳が真っ赤だったのをルーカスは見て半眼でため息をつく。
いつから、とか、どれぐらい、とか、尋ねなくても、これだけで十分、アレクシスの気持ちはわかる。
いままで女性から敬遠されてて、モテの言葉から帝国でも最も遠い男だ。
色恋系からは程遠く、気の利いたことも言えずに、これまでやってきた。
だけど彼には、特別な特別な宝物のような存在が現れた。
そんな彼女から「デートしたい」って言われれば、叶えてやりたいだろう。
ルーカスの実家であるフォルストナー家は豪商ではあるものの、貴族位はない。実家の繁盛ぶりや世間の評判からも、皇帝より貴族位を賜るのも時間の問題だが、帝都城下町の商業地区の情報は適格に把握している。
軍籍しているルーカスも、休暇に実家の手伝いをさせられて商業地区には詳しい。
「いいぜ、メモれよ。メモらなくてもその自慢の頭脳に叩き込め。視察用と完璧デートコース両方レクチャーしてやる。ただし条件がある」
アレクシスが顔を上げる。
「オレには言わなくても、本音はいつか殿下に伝えてやれよ」
黒騎士の悪友は笑顔で彼にそう伝えるのだった。
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