第59話「やっぱり、社交シーズンに出るんじゃなかった!」
帝国の第六皇女ヴィクトリアが、今シーズンの夜会に出席することになったと噂を聞いて帝都は社交シーズンの華やぎを見せていた。
ヴィクトリアもアレクシスも頻繁に夜会に出席するようになったが、そこで一つの噂話が流れる。
「やはり、ヴィクトリア殿下には、もっと別の縁談がよいのではないだろうか?」
そんな内容のものだった。
半分以上は「あの黒騎士にはもったいない」というやっかみが根底にある。
――こうなると殿下には、やはりそれなりに別の国への王族との婚姻がふさわしいのではないのか?
――正直に言って、黒騎士とつり合いがとれていないではないか。
――かといって、貴殿の子息ではさらにつり合いはとれないがな。
――周辺の各国がグローリア殿下瓜二つのヴィクトリア殿下見たさに、今シーズン外務省につなぎを取り始めているそうだぞ。
――すでに、こちらへ来国している王族もいる。ここ数年よりも多い。
――婚約という形だが、正式な結婚がされたわけではないからな、そこをごり押ししてくる国もあるんじゃないのか?
――何しろグローリア殿下の時もそうだったではないか。サーハシャハルと帝国の軍を挙げての護衛で輿入れした記憶はまだ新しいぞ。
そんな噂話は最後に。
――だが一応フォルクヴァルツ閣下も、由緒正しい血統の伯爵家ではある。実績を持って、陛下が褒賞としての殿下の下賜だったのだから。おいそれとそれを翻すようなことはないだろう。
と締めくくられるものだった。
だがその噂話は次第にヴィクトリアとアレクシスも耳にするようになっていた。
「やっぱり、社交シーズンに出るんじゃなかった!」
声を大にして叫ぶのはヴィクトリアだ。
それというのも先ほどアレクシスから「殿下、各国の王侯関係者からダンスを申し込まられたら断らないでお受けした方がいいでしょう」と言われた為である。
国内の貴族は例の「ダンスは黒騎士様と踊るワルツだけ」が通るかもしれないが、各周辺諸国からの来賓相手ではそれは通らないだろうとアレクシスは思ったのだ。
しかしそれを伝えるとヴィクトリアは眉間に皺を寄せた。
「じゃあ、じゃあ、黒騎士様が他の女性からワルツを誘われたら、黒騎士様はそれをお受けするってことですよね!?」
「お断りします」
自分は帝国の一貴族に過ぎないのでと付け加えられた。
「黒騎士様だけずるい!! マルグリッド姉上、もう夜会に出ないでもいいですよね!?」
皇城のヴィクトリアの私室にて、侍女達に着替えをされてるヴィクトリアは傍にいるマルグリッドにそう言い募った。
「フォルクヴァルツ卿はお仕事もあるみたいだから、まだしばらく帝都に通ってもわらないとダメじゃないかしら~?」
「あああああっ! 情報の速い伝達手段は欲しかったけれど、転移魔方陣、今となってはいらなーいっ!!」
ヴィクトリアの細い指が夜会用に飾られセットされた髪に食い込む。
「ああっ! いけません! 姫様! せっかく髪をセットしたのに、掻きむしらないでくださいませ!」
ヴィクトリアが別室で着替えているその喧噪は、アレクシスにも聞こえている。
「フォルクヴァルツ卿も災難だな」
今回の護衛がヒルデガルドの第三師団なので、ヒルデガルドも控えていたのだが、別室にいても聞こえてくるヴィクトリアのご機嫌斜めな様子を目の当たりにして同情の声をかけた。
「まあ……だいたいは覚悟してました」
こういうことになるだろうことも、アレクシスにはわかっていた。
いままで漠然と考えていたこと。
自分に殿下はもったいなさすぎるということ。
夜会に参加したら、それを第三者達から囁かれるだろうことも。
「まあ今回乗り切れば次回は言われなくなる」
一生言われそうだとアレクシスは思う。その思いがヒルデガルドにもわかったらしく、ヒルデガルドがクスクス笑う。
「だって結婚してしまえば、簡単に離縁とかできんだろ? さっさと結婚して子供でもできてしまえば問題ない」
はたしてそこに行きつくまでの自信がない。
貴族達が囁くように、「まだ結婚していないのだから殿下にとって更なる良縁があればそちらへ変えても」と言われればアレクシスは何も言えない。
もともと過分すぎる褒賞だった。
辺境伯爵という爵位以上に、ヴィクトリアとの婚約が。
「殿下にとって……そちらの方が良いのかもと、思うことはありますが……」
アレクシスの言葉にヒルデガルドが片眉だけを器用に上げて見せる。
「ヒルデガルド殿下は噂の意見に賛同されると思ってましたが、相手が私では特にそう思われていたのでは?」
「はっ、わたしはどんな男でもヴィクトリアを嫁に出すのは反対だ。可愛い妹だからな。だが、ヴィクトリア自身が素直に感情のままに振る舞えるのは、私達姉妹と卿の前でだけだと思っている」
「……」
「それとフォルクヴァルツ卿、今は絶対にヴィクトリアにそれは言うな。あの癇癪じゃすまなくなるからな」
ヴィクトリアがいつものように夜会の支度を終えてドアを開けてもらい、待っていたアレクシスとヒルデガルドを見ると、また小さく唇を尖らせた。
「……ヒルダ姉上……」
「どうした、トリア、ご機嫌斜めだな」
「更に噂のヒルダ姉上がいるからっ!」
「は? 何が噂?」
「ご存知ないのですね……そっちの噂は」
ヒルデガルドは何か知っているのか? と目線でアレクシスに尋ねるがアレクシスは当然知る由もなく無表情のままだった。
マルグリッドが扇を口元にあてて含み笑いを隠している。
「マーゴは何か知っているの?」
妹二人の対応にヒルデガルドは首を傾げた。
「もちろん。実はね、ヒルダお姉さまとフォルクヴァルツ閣下がお似合いだって噂話をトリアちゃんが小耳にはさんだらしいのよ~」
「はあああぁ!?」
ヒルデガルドがソファから立ち上がりマルグリッドとヴィクトリアの前に歩み寄る。
「な、なんだ、その話はっ!?」
ヴィクトリアは唇を尖らせたままヒルデガルドを見上げてそっぽを向く。
その仕草だけは、小さかった頃のヴィクトリアのようだ。
マルグリッドがいうには一部の若い貴族の令嬢達の間で囁かれていた話だったという。 ヴィクトリアが社交をこなしている時、特に若い令嬢と話をしている時に、黒騎士様は遠くからヴィクトリアを見守っている。
ヴィクトリア単体になるのはその場面に限定されていて、その様子を見守ってる間に黒騎士様は軍上層部の人間と話をしている。
ヒルデガルド殿下と並んでそんなヴィクトリア殿下を見ていた場面を若い令嬢達が目ざとく観察していたらしいのだ。
――あ、あの、ここだけのお話にしてくださらない? ヒルダ殿下が永遠の王子様ポジションというのは重々承知しておりますわ、わたしくも憧れます。女性なんですけれど、王子様なんです。
――もちろん、それは同意しますわ。
――夜会シーズンに控えめな令嬢を誘って踊ってくださるところも、本当にお優しくて、素敵で、殿方でないのが残念なぐらいよ。
――どんなに可愛らしい令嬢でも、ヒルダ殿下とお似合いの令嬢とかは見当たらないと思うの。
軍服を着ているものの、一応、ヒルデガルドは女性。
男装の麗人という認識は貴族の誰もが認めるところだ。
若い貴族の令嬢に、理想の男性のタイプは? と尋ねれば10人中7人は「ヒルデガルド殿下」と答えるだろう。
質問は『理想の男性』なのに、ヒルデガルドの名前を挙げているところでいろいろ間違っている。
だが、この発言をした令嬢二人は更に間違っていた。
別の方向に。
――ええ……殿方でなくてとても残念だと思いますの……。
令嬢がちらっと視線を飛ばした先は、憂い顔でヴィクトリアを見守る黒騎士の傍にいて、何かを話しかけているヒルデガルド。その二人の姿を見て呟いた。
――……わかりますわ。密かな同好の志として、黒騎士様とヒルダ殿下のツーショットを見るとヒルダ殿下が殿方でなくてとても残念ですわ……。
不毛な妄想を繰り広げていた令嬢達の「黒騎士様とヒルダ殿下もお似合いかもしれない」発言を、ところどころ耳にしていた別の男性貴族が「別にヴィクトリア殿下でなくても褒賞としての皇女降嫁ならヒルデガルド殿下でもよいのでは?」という男性貴族達の願望を含んだの囁きに変化するのにさほど時間がかからなかったようなのだ。
そしてもちろん、ヴィクトリアが耳にしたのは政略的な結婚ならば別にヴィクトリア殿下と黒騎士でなくてもいいという部分なのである。
「なんだ、それは……」
その話を耳にしたヒルデガルドが呆れたように呟く。
アレクシスもこめかみに指をあてて眉間に深い皺をよせていた。
そう言い捨てて、ヴィクトリアはアレクシスの腕にしがみつく。
「姉上は大好きだけど、わたしが黒騎士様のお嫁さんになるの! 譲れませんから!」
だから離さないでというように、ヴィクトリアはアレクシスの腕をぎゅっと抱え込む。 鼻息荒くそう宣言する妹を、両腕を組んで呆れ顔で見つめて「いらんわ」とヒルデガルドが瞬時に言い切る。
「それに、それに、最近黒騎士様モテモテなの!」
その発言を聞いて、そんなことあるのか? とヒルデガルドがマルグリッドに視線を向け、アレクシスは自分の腕を抱えているヴィクトリアに何を言っているのだろうという表情をしている。
「怖いって今まで言われていたのに、そうじゃないかもって意見があるみたいなんだもん、黒騎士様がカッコイイって、今更言ってる言葉があちこちから聞こえてくるし! わたしなんて最初っから言ってるのに! ひどくないですか!?」
ヴィクトリアの発言に「そうなのか?」とヒルデガルドがマルグリッドに視線だけで問いただしている。
これも夜会で、ヴィクトリアが貴族の令嬢達に囲まれている場面を少し離れて見守っているアレクシスの様子を見ていた令嬢達が噂の主導のようだ。「顔は怖いけれど、でも、ヴィクトリア殿下を見る目は優しい」「ちゃんと敬意を払って殿下の傍にいるし、自分達がヴィクトリアと話すときはさりげなくその場を離れている」「若い男性貴族があの『ダンスは黒騎士様とだけ』と宣言されたにもかかわらず、ダンスに誘ってくる時に、周囲の人たちから止めてこいとせかされてるのが可愛い」等々、今現在、夜会においてこの婚約者達の動向の注目を集めているのがマルグリッドの耳には入ってきている。
「……わたし、黒騎士様とお出かけでデートみたいだって思ったけど、なんだか思っていたのと違う気がする! これなら、ウィンター・ローゼでロッテ姉上が列車作ってるのみたり、街をもう少しにぎやかにさせたり、春から本格的に始まる学園都市の設計をコンラートさんと相談したり、他の村に視察に行ったりしてた方がいいような気がしてきましたよ!」
ヒルデガルドはマルグリッドを見ると、「わー……気が付いてしまったのね……」とマルグリッドが小さく呟いているのを耳にした。
「エリザベート姉上だって今現在は、元ハルトマン伯爵領にいて領地再興して、夜会に参加してないではないですか!! あーエリザベート姉上はずーるーい!!」
帝都にいない一番上の姉にも八つ当たりの叫びをあげる。
しかし夜会に出席しないで元ハルトマン伯爵領にいる一番上の姉は姉で、過去にこういった夜会の試練も潜り抜けている。
貴族達の勝手な憶測や噂をさんざん受けてきて、現在の立ち位置を確立してきたのだ。
「夜会デビューした皇族の宿命だ、甘んじて受けろ」
ヒルデガルドの言葉にヴィクトリアは頬を膨らませるのだった。
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