第58話「ごめんなさい。わたし、夜会のダンスは黒騎士様と踊るワルツだけと決めてます」
辺境領はまだ雪に閉ざされているはずだと、夜会に参加している貴族達は思った。
ハルトマン伯爵領――現在はエリザベートが再建している帝都第二直轄領と辺境領を繋ぐ鉄道の建設がされるらしいとの噂は耳にしている者もいる。
だが現在繋がったとは発表を受けていない。もし繋がっていたら自分達の懇意にしている商人達からその旨は通達されるだろう。
そこも気になるところだが、貴族の若い令嬢ならば泣いて逃げ出すと言われたアレクシスの隣にいるヴィクトリアに注目せずにはいられなかった。
アレクシスとヴィクトリアが主催のバルリング軍務尚書に挨拶する為、会場を横切ると男性貴族達の視線がそのまま二人を追う。そしてその傍にいる淑女達もヴィクトリアの方に視線を向ける。
バルリング公爵はアレクシスが近づいてきたのを見て、両手を広げてアレクシスを迎えた。バルリング公爵にとって、アレクシスは最も気にかけている部下の内の一人といっていい。仕事ぶりは悪くないものの、その容貌で人が近づかず軍務内でも孤立しがちなアレクシスのことが心配でならなかった。いつか無茶をしてその命を落とすかもしれないと一番気にかけていたのもこの人物だった。
「よく来たな! アレクシス!! 辺境はまだ雪だろうに!!」
「ご無沙汰しております」
かつての上司は嬉しさを隠さずに、アレクシスを歓待する。
そしてその隣にいるヴィクトリアを見て礼をとる。
「そして、よくお越しくださいました、ヴィクトリア殿下」
「お招きありがとうございます。バルリング公爵」
昨年の戦勝の式典の折に、姿を見せていたヴィクトリアだが、その時と比べれば著しく成長したものの、カーテシーをとる様子もその笑顔も、成長前のヴィクトリアの印象を残している。
「辺境領はどうですかな、人口も少ないでしょうし、魔獣も多いのでは?」
バルリング公爵の質問にヴィクトリアはアレクシスを見上げる。自分が答えてもいいのかなという表情をしている。アレクシスが頷いたのを見て、ヴィクトリアは答えた。
「はい、でも、街には温泉もありますし、冬は室内も暖かいです。工務省がそのように設計してくれてます。領民も元気です。自然が豊かなので、公爵も一度是非お越しください。今夜は辺境領、シュワルツ・レーヴェ産のシードルを持参しました。今夜の夜会でご賞味ください」
シードルはすでに会場に運ばれて、紹介商品の一つに連なっていた。
アレクシスとヴィクトリアのやり取りに、バルリング公爵は微笑ましく彼女を見て、からかうようにアレクシスに視線を戻す。
かつての上司が何を想っているのか、なんとなくアレクシスは察したがもちろん彼の表情にはでてこない。
バルリング公爵はアレクシスに降りかかる羨望の視線に笑いを堪えている様子だった。 貴族の若い令嬢たちから泣いて恐れられる男の腕に手を添えてニコニコと笑っているそんなヴィクトリア殿下を間近で拝見したい、声をかけたい話してみたいという、特に男性達からの雰囲気。しかし、下心満載で近づいたらば、殿下の傍にいる帝国でも一番の強面で圧倒的な武力を持つ黒騎士に、その場で殴り殺されるかもしれない。そんな怖気づく様子も混ざっている。
そんな中で、ヴィクトリアから声をかけてもらえた幸運な人物がいた、バルリング公爵の孫娘のクララである。
バルリング公爵の傍に近づいたら、ヴィクトリアから「ごきげんよう」と声をかけてもらい、彼女は嬉しそうに笑顔を輝かせる。
「ヴィクトリア殿下、お元気そうで!」
「よかったー、クララ様はわかってくれて! ちゃんとわたしがヴィクトリアだってわかってくれますよね?」
「もちろんです!」
彼女は、ヴィクトリアが留学する前に、帝都の学園で一緒に学んだ同級生だ。
帝国の皇女として、常に視線を浴びる事はあったヴィクトリア、しかし今回の夜会では、今まで受けていた視線の感じが違うことに当然気が付いていた。
そんな中で、クララはヴィクトリアが成長する前から、敬意を払い慕ってくれていた人物である。
その貴族位は低く大人しく控えめな性格だ。学園に在学中、社交デビュー前の生徒たち主に貴族の令嬢達ならば、家柄を誇示する者も少なくなかった。そんな中で、祖父が軍務尚書であることをひけらかすことはなかったという事実も、ヴィクトリアがクララに対して好印象を抱いている部分である。
「姉上そっくりになってしまって、わたしもちょっと驚いているの」
そんなヴィクトリアの言葉に、クララはうんうんと頷く。
「大変ではありませんでしたか? いきなりのご成長で」
「もう、死ぬかと思ったわ! すっごく痛かったのよ!? 痛覚無効とか効かないし!」
ヴィクトリアがそうクララに語っている様子を傍で見ていて、他の貴族の令嬢達も傍に近づく。
ヴィクトリア殿下に声をかけてもらいたい、話をしてみたいのは、どうやら男性貴族だけではないようだ。
クララ嬢と同じ年ごろの令嬢達もヴィクトリアと話をしてみたいと思っている様子だった。
そんな彼女達の為に、アレクシスが少しだけヴィクトリアの傍を離れて、彼女達が近づきやすいように距離をとる。
ヴィクトリアが一瞬アレクシスが距離をとったのを戸惑うようにしていたが、彼を見上げると、アレクシスが頷くので、ヴィクトリアは彼女達に向き合って話を続ける。
「辺境で作ったシードルを今回こちらに持ってきているの! 皆様試飲してみてください。辺境領は何もないとか言われてましたが、その時から実はリンゴが名産でした」
「私、さきほど、頂きました。すごく香りがよくて、味もリンゴの甘味と酸味のバランスがとても上品でしたわ」
令嬢の一人がそうシードルの感想を述べると、ヴィクトリアは顔を輝かせる。
「そうでしょ!? 実はエリザベート姉上もお気に入りなの!! 本当はね、エールにしようか迷っていたのだけど、女性にはこちらの方が、口当たりもよくて気に入っていただけるかなって」
少しだけ離れたヴィクトリアの言葉を耳にした、バルリング公爵がアレクシスに視線を向ける。
「エールは持ってこなかったのか?」
公爵の言葉にアレクシスは頷く。
実はこう見えて、公爵はエールが好きだ。この地位になる前、アレクシスの直属だった第一師団の師団長だった時、戦争や災害魔獣退治などでの仕事が終わると、部下と一緒に打ち上げと称してエールを飲んでいた。
ちょっと残念そうな表情をする公爵を見て、アレクシスは「後日お持ちします」と伝えると、彼は嬉しそうに笑う。
「ウィンター・ローゼでよく出回ってるのは領地内のオルセ村で作られてるエールです。視察しましたが、領地内で作られる各村のエールはそれぞれ味が異なってて、公爵は楽しめるかと。ウィスキーも悪くないです、ドワーフのお墨付きなので」
「そうなのか!?」
「一番は……温泉を楽しんだ後に飲まれるのが格別かと」
「……お前、さりげなく宣伝してるな……」
「殿下に倣っているだけです」
表情は変わらないものの、こうして話をしてくれること自体、彼が直属の部下だった時にはなかったことだ。
「辺境は食料事情が意外にもいいんだな」
「自然だけは豊かなので。ただ、人口が少ないので生産数もそんなには出ません、希少価値で帝都には流れるかと」
「軍港の方はどうだ」
「積雪前までにだいたいは形になっていると報告が上がっております。雪解けが始まると、造船所の方を着工するそうです」
「雪解けしたら一度、訪れることにしよう」
公爵の言葉にアレクシスは頷くと、アレクシスは背後から軽く背を叩たかれる。
振り向く前に、背の高いアレクシスの肩に手をかけ並び立ったのは、グリーンの軍服を身に纏った壮年の男性だった。
「なんだ、なんだ、こんなところで仕事の話か、昔の上司に今の婚約者をつれてきて惚気でも聞かせているのかと思ったのに、本当にお前は堅いヤツだよな!」
アレクシスの背を豪快に叩いて、会話に割って入ってきたのは、第四師団の師団長であるヴァルタースハウゼン伯爵だった。
「ヴァルタースハウゼン閣下……」
「お前自身がこういった夜会の場に入ってきたのも驚きだが、殿下のご成長には度肝を抜かされたぞ。少しぐらい連絡をよこせよ、って言っても、あの雪じゃあ無理か。俺の部下でもこの時期に辺境には飛ばせないからな」
第四師団は時空魔法と空間魔法を主軸としている部隊で編制されており、部下を飛ばすというのは、その魔法で転移することを意味している。
「閣下ご自身ならば、可能でしょう。いつでもお越しください」
アレクシスの言葉に、ヴァルタースハウゼンは目を見開く。
この男がこんなことを言うとは思わなかった。困惑した様子で沈黙するのが常だった。しかも、それが傍目には困惑しているようには見えないので、ヴァルタースハウゼン閣下の言葉を不承不承耳にしているという図になってしまっている。
もちろんヴァルタースハウゼンに限ったことではなく誰に対してもそういう印象を与えるのが黒騎士だった。
「聞いたか? バルリング卿! 何も成長しているのは殿下の見た目だけではなさそうだぞ!」
「……もうそれぐらいにしてやれ」
バルリング公爵の言葉にヴァルタースハウゼン伯爵は片手を振る。
「何を言っている、俺は此奴が殿下を連れてこの場に来た時の、招待客の唖然とした表情を見て、今回の社交シーズンは退屈しないと思ったぞ」
ヴァルタースハウゼンはその時の招待客、主に男性陣の視線と表情がおかしくてたまらなかった。
ヴィクトリアに視線が釘付けになった男達の連れは、明らかにその瞬間だけ、ほったらかされてしまったようなものだ。しかもその人物たちは軍属していない貴族達で、以前事あるごとに「卿は軍人だからな、女性の機微には疎いのは仕方ないだろう」などとしたり顔で言っていた連中だった。
彼らがそんな状態だったという事に、ヴァルタースハウゼンは留飲が下がったと思ったのだ。お前等、人の事は言えないだろうと。
しかし問題が別にある。
――しかし……あれだけの美女になってしまったら、他の男が放っておかないぞ。エスコートが黒騎士だっていうのを頭の端から忘れてしまっているだろう、今、ほんの少し離れただけなのに、もう砂糖に群がる蟻のように男共が寄ってきてるじゃないか。
ヴァルタースハウゼンはアレクシスの横顔を見るが、その表情は変わらない。
ヴィクトリアは若い貴族令嬢に囲まれているのに、それをとりまくように、若い男性達がヴィクトリアに話しかけたそうにしている。
領地経営についてとなると、若い令嬢よりも青年貴族の方が話題に事欠かない。話をうまく引き付けて、ダンスの申し込む勇者が出てきた。
バルリングもヴァルタースハウゼンもアレクシスを見るが、アレクシスは微動だにしない。
「おい、お前、なんとかしないか」
ヴァルタースハウゼンが声を潜めてアレクシスに声をかける。
アレクシスは何を? と尋ねるような視線を彼に向ける。
――自信か!? 自信なのか!? 殿下の気持ちはそんなことでは他の男に移らないという自信なのか!?
――社交辞令は身に着けたようだが、恋愛方面はまったくなのか!?
二人の上官はアイコンタクトを交わすが、もちろんアレクシスには伝わらない。
「普通はな、ファーストダンスはこういう夜会に参加したパートナーと踊るものなのは、お前も理解しているよな」
「ダンスは苦手なので」
「お前……ワルツだぞ? 他の男と密着するんだぞ? いいのか!?」
いいわけがない。アレクシスもそう思っている。
しかし、夜会とはそういう事も含まれているのも承知している。
社交シーズン夜会の出席、他の貴族とのダンスは淑女の仕事の一環だ。
アレクシスは頑なにそう思っているし、そう思い込まなければ……この場には立てないと思う。魔獣退治とか災害救助とかの方がメンタル的な負担がないと改めて思う。
アレクシスはヴィクトリアが、ダンスを申し込まれれば、その手を取るだろうと思っていた。
踊りながらでも、領地経営や特産品開設や観光地として雪解けの夏シーズンへの勧誘もするだろうと思っていた。
ヴィクトリアはアレクシスを見る。
――あれは、お前に引き留めて欲しいって! そう思ってるって!!
――俺なら止める!!
年甲斐もなく元上司二人が心の中で叫んでいるが、ヴィクトリアは、ダンスを誘った男性をまっすぐ見つめた。
「ごめんなさい。わたし、夜会のダンスは黒騎士様と踊るワルツだけと決めてます、だって、わたしが社交デビューした時に黒騎士様が仰ってくださったんですもの、ダンスはわたしと踊るワルツだけって」
ヴィクトリアがものすごくいい笑顔で言い切ると、上司二人は同時に背を叩く。「お前はとっとと、殿下と踊れ」と無言で彼を追いやるのだった……。
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