第70話「でもヴィクトリアが後継ぎを産んだら、国内だからいつでも会えるし、それまで我慢するわ」


 

「象……」

 

 ヴィクトリアは溜息と一緒にそう呟く。

 シュワルツ・レーヴェには害獣だけでなく魔獣もいる。

 熊の魔獣はこの辺境にくる前に遭遇したことがあった。だが、それはアレクシスが速やかに処分したが、その死骸はヴィクトリアも見ている。

 その時の大きさにも驚いたが、婚約の献上品として寄こされたこの象の大きさには敵わない。

 それでいて、船からでてきても、広い土地についたのに、興奮することもなく暴れださない様子は関心する。

 サーハシャハルではこの象が、時として、家畜同様に、人々の生活に欠かせない役割を担っている。

 そして騎馬ならず象団を有し、有事の際は戦争にも使役されるという話は聞いていた。 好奇心旺盛な彼女のことだから、むやみやたらに象に近づくことがないように、アレクシスはヴィクトリアの手をとる。

 ヴィクトリアはアレクシスを見上げた。

 彼からさりげなく手をとってくれたことが嬉しくて、自然と笑みがこぼれる。 


「やはりこの大きさには驚きます。よく船の中でも大人しくしていたものです」


 ヴィクトリアの言葉に、グローリアは頷いて答える。


「まだ子供だけど、一番大人しい子を選んだの。ただ、問題は温度なのよね、辺境領はサーハシャハルと違って寒いところだから……カサルにも伝えたのよ。でも、カサルが全権を持つ象団から是非ということもあって、トリアちゃんが辺境領にいるならば飼育できそうって私も思ったから、結局、この子を選んだの」


 そんな姉妹二人の傍にいたアレクシスは部下からメモを渡される。

「殿下、ニーナが到着したそうです」

「さすがクロとシロね、オルセ村からの移動だったのに早いわ。ニーナさんとクロとシロも一緒にこちらへ呼んでください」

 ヴィクトリアに似た面差しのグローリアが首を傾げる。

 とても一児の母には見えない華やかさだ。実際、まだ二十歳そこそこ。

 遠目から見ている者も、グローリアの仕草に目を奪われている。

「ニーナはオルセ村にいる魔獣使いなんです……」

 厳密には違うのだろうが、対外的に説明するならばその一言でまとめたヴィクトリア。

「魔獣使い? 魔獣を使役できるの?」

「魔獣という魔獣を全部を使役と言うわけではないそうです。ニーナに言わせると、意思疎通ができそうな魔獣とそうでない魔獣がいるようで、敵対する魔獣は魔石に込められてる魔素の濃度が濃いという報告がわたしに届いてます」


 第七師団の団員に付き添われてニーナがヴィトリアに近づいてるのを見てヴィクトリアは頷く。

 ニーナの傍にいる大きなオオカミ、クロとシロも大人しくニーナに付き従っている。


「ニーナ、よくきてくれました」


 ヴィクトリアの言葉に、ニーナは一礼をする。いつものように、ヴィクトリアだけではない場だった。

 帝国と経済的にも軍務的にも大陸一二を争うサーハシャハルからの要人達の出迎えなのだ。

 気さくに「ヴィクトリア殿下ー!」と声をあげて走り出してくることは憚られると空気を読んだのだろう。


「ニーナ、どうかしら、婚約祝いにサーハシャハルから頂いた象二頭です、学園都市での飼育を頼めますか?」


 ニーナは象の前に進み出る。

 長い鼻を揺らす象にそっと手を伸ばし鼻を撫でる。

 ニーナは何か象に語り掛けているようだ。


「大人しくて、臆病で、それなのにちょっと好奇心もあって……可愛いですね。殿下、この子たちは肉食ではないのでしょう? そんな感じがします」


 ヴィクトリアも姉であるグローリアに視線を向けると、グローリアは頷く。


「ちょっぴり寒いって言ってます」


 ニーナの言葉にグローリアとカサル王子は目を見開く。


「なるほど……意思疎通ができるというのは、こういうことなのね」


 グローリアは感心したように、呟く。


「殿下、この子たちの飼育担当の方はいらっしゃるのでしょうか? いろいろ詳しいことをお尋ねしておきたいです。ご婚約の贈り物なのですから、一生懸命お世話いたします」


 ニーナの言葉にヴィクトリアは頷く。彼女ならばこの象を管理飼育してくれるだろう。

 この夏に完成予定の学園都市に送る手配を薦め、ヴィクトリアは姉と義兄であるサーハシャハルの王太子と姉である王太子妃をウィンター・ローゼへと案内するのだった。



挙式の為に、足を運んだ参列者たちは、ウィンター・ローゼ街門をくぐると、収穫祭の時と同じように、街路樹に小さな領旗と国旗を交互に連ねた旗が飾られた様子が目に入る。屋台や商業地区の店先も領主の結婚式を前にお祭りムードだ。

何もなかった辺境の土地は、ヴィクトリアの目指す副帝都に近づいていた。

 街の宿の中でも最高級のホテルに第七師団とサーハシャハルの護衛の衛兵が王太子夫妻を囲むように入ると、支配人と思しき人物の横に、第三皇女マルグリッドが二人を出迎えグローリアは久しぶりに会う三番目の姉を見つめて破顔する。

 マルグリッドもメルヒオールと宰相であるフェルステンベルグ公爵夫妻とともにこのホテルに泊まることになっている。

 このウィンター・ローゼで海外の富裕層を招き入れるに相応しい宿となるのか、ヴィクトリアがマルグリッドに評価を依頼していたのだった。

 カサルとグローリアに挨拶をするマルグリッドは、グローリアの腕に抱かれている未来のサーハシャハル王国の王になるであろう赤子をのぞき込む。


「まあまあ、なんて可愛らしいのかしら!」

「抱っこしてくださいませ」

「いいの?」


 グローリアの腕からそっとその幼子を受け取る。


「可愛いわあ……どちらに似ているのかしら……こうして抱えられてるのが母親じゃないのに、目もぱっちりして、にこにこしてる」


 小さく囁くように子供をあやすマルグリッドを見て、グローリアは姉妹の中で一番母性が強いのがこの第三皇女なのを改めて感じる。

 帝国の皇女の中で一番早く結婚したのに、子供にまだ恵まれない彼女は赤子をあやしながら笑顔を浮かべている。


「ふふ、ヴィクトリアもこんなに小さかったのよ~。それが花嫁様ですもの」

「いきなり年相応に成長していて驚きました」

「ウェディングドレスも作り直しだったのよ~。あんなにいきなりな成長をするとは、みんな驚いていたわ……とにかくお二人とも遠路はるばるおつかれでしょう? ヴィクトリアが掘削した温泉にゆっくりつかるといいわ」

「はい」


 護衛に囲まれたカサル王太子とグローリアを見送ったマルグリッドの傍に、メルヒオールが立つ。

 このあとマルグリッドとメルヒオールはクリスタル・パレスへ赴く予定だ。

 皇族にも関わらず、大聖堂で挙式しないヴィクトリアの式場となる巨大温室庭園。

 末の妹の為に、式場のレイアウトの最終確認を買ってでている。

 一見、華やかでいつもの彼女の笑顔だが、メルヒオールにはわかっていた。


「羨ましい?」


 マルグリッドとメルヒオールの間に子供はいない。いつかはと願っていたが、結婚して8年になるが、その兆しはなくて、二人ともそれが少し寂しいとは思っていた。


「ほんの少し。でもヴィクトリアが後継ぎを産んだら、国内だからいつでも会えるし、それまで我慢するわ」

「……あーなんなら、この後の予定をキャンセルして、部屋に戻って頑張りますけど?」

 

 日が昇っている時間からそんな発言をする彼を見て、マルグリッドは苦笑した。


「もう、メルヒオールったら、だから貴方、私の姉妹達に『いつまでもやんちゃ坊主』とか言われてしまうのよ」


 もちろん、社交界でも指折りの貴公子に対して、そんな言葉をかけるのは、皇女達だけなのだが……。


「え? なんで? 半分本気なんですけど!?」

「だから、そういうことを言ってしまうところが、貴方は『子供』なのよ、そこが可愛いんですけれどね」


 そう言って、マルグリッドはメルヒオールの腕に腕を通した。

 いつもよりも彼女の身体が熱っぽいのを案じる。


「マルグリッド、部屋に戻ろう」

「はい?」

「キミ、熱があるだろう?」

「まあ、いつもよりは調子はよくないけれど」

「下見は僕がしてくるから、キミはお留守番だ」


 きっぱりと言い切るメルヒオールの言葉に、マルグリッドは意外にも素直に頷く。

 言葉の駆け引きをいつも楽しむはずの彼女が、相手のいうことをきくことは稀だ。

きっと、いつもならば「たいしたことはないわ」と言いそうなものだ。ただ、せっかくの妹の挙式を体調不良で欠席はしたくないのだろうとメルヒオールは思った。

 珍しく素直に甘える彼女を部屋に送り届け、医者の手配を侍女に言づけてメルヒオールは式場のレイアウトを確認しにクリスタル・パレスへ向かう。


 ガラス張りの城を模した北の辺境の街に春の色彩を放つクリスタル・パレス。

 一般公開はすでに中止になっており、関係者以外は立ち入り禁止だ。

 彼の義妹がマルグリッドのお抱えデザイナーを招聘して式場レイアウトを設置しているところだ。

 住民の中でも、領主と第六皇女殿下の挙式は街の活性化を促す最大のイベント、建設に携わった工務省のデザイン部の者もいる。

 挙式の座席は扇状に、中央の噴水はガラスの光を受け輝いて、祭壇の後ろは流水階段が見える。

 ヴィクトリア自身はマルグリッド姉上に比べ、わたしにはセンスがないと言うが、この式場は適材適所、使える人材を上手く使って、大聖堂の荘厳にはない華やかさがある。


「文句なしだな」


メルヒオールがそう呟くと、スタッフ達も嬉しそうな表情を浮かべる。

「このまま進めて大丈夫だろう。マルグリッドにも報告しておくよ」

「御意」

「うちの小さな義妹は、こういう企画力なら天才だな」

「それは、上の皇女殿下方の才を間近で見てきたお方ですから」


 その言葉にメルヒオールは頷いた。

 大人しく留守番をしているマルグリッドにいい報告ができそうだと、ホテルへ戻って行くメルヒオールだった。彼はホテルにもどり、最愛の妻に「式場の方は心配ないよと素晴らしい出来栄えだ」と伝えようとした。

 しかし、マルグリッドの顔を見ると、彼女は何か話したそうにしている。

 体調がよくない感じではあるのに、自分の報告がわかってるかのような……。


「メルヒオール、伝えないといけないことがあるの」


 彼女に報告をするのは自分であって、彼女はずっと留守番をしていたはずなのに。

 まあ、この第三皇女の人脈ならば、どこにいようがなにがしかの情報は集まるのだろうが、一体なんだろうと彼は思った。


「来年、フェルステンベルグ家に小さな天使がくるそうよ」


 その意味することを悟り、メルヒオールはマルグリッドを抱き上げてその場で何度もくるくると回る。


春――……すべての幸福がこの北の辺境から生まれてくるような、そんな気がした彼だった。



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