第55話 『ああ、ここ、自分の家なんだなって』
「魔道具開発局特別チーム、バルタザール様とウィルヘルム様です」
取次の侍女の後ろに魔導開発局の制服とローブを纏ったバルタザールとウィルヘルムがヴィクトリアの私室に通された。
バルタザールは一礼するが、横に並んでいるウィルヘルムの視線はヴィクトリアに釘付けで口をパカーンと開けて呆然としている。
バルタザールは横に立って一礼もしないウィルヘルムの頭を手の平で軽く叩く。それで正気に返ったのか、この私室には皇妃陛下もマルグリッド第三皇女殿下も、そして、そのヴィクトリアの傍にいるフォルクヴァルツ辺境伯の視線を受けて慌てて一礼する。
そんな様子を見て、ヴィクトリアはおかしそうにクスクス笑う。
「お呼びと伺い罷りこしました、フォルクヴァルツ閣下」
「第四皇女シャルロッテ殿下から、貴殿達を連れてきて欲しいと依頼をされたのでな」
アレクシスの声に、ウィルヘルムは心臓が縮む思いをした。
――やっべえー! 俺、ガン見しちゃったよ! 黒騎士様の隣にいるお姫様!! だってめっちゃ、キレイじゃん! 可愛いじゃん!! え? あれ、ヴィクトリア殿下? 待て待て、ヴィクトリア殿下って、もっとちっさくなかったか!?
シャルロッテの執務室兼開発室に、専属侍女を一人連れて、留学前に時折、遊びに来ていたのをウィルヘルムは記憶している。
留学して、戻ってきたとしても、そうそう年数は経っていない。
――女の子っていきなりこんなに急成長するもの? いやいや、そんなはずねーから!だけど、でも、このめっちゃキレイなお姫様は多分、第六皇女殿下ヴィクトリア様……。
そんなウィルヘルムの動揺を知るはずもなく、アレクシスは二人に告げる。
「現在、シュワルツ・レーヴェ辺境領では、魔導列車の制作を行っている。シャルロッテ殿下が、両名のサポートが必要だとの仰せだ」
「御意」
バルタザールは自分の隣で内心あわあわと葛藤しているウィルヘルムをスルーして、アレクシスの言葉に返事をする。
「はー、よかった。これでロッテ姉上もみんなも作業が進みますよね? 黒騎士様!」
ヴィクトリアは菫色の瞳をキラキラさせて、黒騎士を見上げている。
「シャルロッテ殿下のたってのご依頼ですから」
「では、帝都での用事は今日のところは済んだので、辺境領に帰ります。マルグリッド姉上も母上も、ロッテ姉上が設置してくれた魔法陣で、すぐだから、遊びに来てください! まだちょっと外は寒いかもしれませんが、工務省が頑張ってくれて、室内はどこも暖かいですから!」
「そうねえ~温泉は魅力的~メルヒオールが『マーゴだけずるい!』とか言いそう~」
「温泉だけでも入りに来て!! 母上も!!」
皇妃とマルグリッドを見てヴィクトリアはギュっと両手を握って二人に言い募る。
「はいはい」
ヴィクトリアが立ち上がって、魔法陣の方へ歩いていく。
バルタザールもウィルヘルムもその魔法陣に見覚えがある。明らかにシャルロッテの転移魔法陣だとわかる。
ヴィクトリアを護るように、アレクシスとアメリアが魔法陣に入る。
「バルタザールさんとウィルヘルムさんも! 魔法陣に早く!」
ヴィクトリアが早く早く! と二人を促す。
「トリアちゃんも黒騎士様も~。また、明日のこの時間にきてね~」
ヴィクトリアはマルグリッドに念をおされて、気が進まないという表情を姉に向ける。だが、アレクシスにぽんぽんと軽く頭に手を置かれて、その気が進まないといった表情から、ぱっと明るい顔に変わった。
皇妃もマルグリッドも、わかりやすいヴィクトリアの表情を見て、やれやれと思っているようだ。
「じゃあ、明日ね!」
ヴィクトリアがつま先で魔法陣の紋様を軽くトンと叩くと、転移は一瞬で行われた。
バルタザールもウィルヘルムもこの転移魔法陣での移動は慣れているようだった。
「おそれながら、閣下。この転移先は……」
「シュワルツ・レーヴェ辺境領、領主館執務室の一角だ」
アメリアが引き戸を引いて、ヴィクトリア達を魔法陣のある部屋から執務室へと促す。
「ようこそ、シュワルツ・レーヴェへ、そうそう、ご挨拶まだでした。わたしったら。わたしがリーデルシュタイン帝国第六皇女、ヴィクトリアです」
ヴィクトリアが優雅にカーテシーをすると、バルタザールとウィルヘルムは一礼する。
「いま、ロッテ姉上は、シュワルツ・レーヴェの工業地区にいらっしゃると思うのだけど……」
「そろそろ、御帰宅される頃合いです。姫様」
「じゃあ、別棟の客室の方へお二人をご案内して。ロッテ姉上が帰宅したらその旨をお二人にもお知らせしてください。それから、ケヴィンさんに連絡を。カリーナさんに急ぎで連絡をしたい件があると明日の朝でいいから領主館へ来てほしいと」
「ご衣裳の件ですね? かしこまりました」
アレクシスがルーカスとも繋ぎを取りたい旨を伝えると、委細承知というように頷いた。
領主館の主達がその日のうちに戻ってきたので、館のメイド達は慌ただしくもどこか嬉しそうに館の中を行き交う。
そうしていると、アメリアが言っていたように、シャルロッテの帰宅の知らせが、執務室にいるヴィクトリアとアレクシスに届いたのだった。
「早かったねー。もっとお母様とマルグリッド姉様に引き留められるものとばっかり思っていたんだけど」
二人の帰還をアメリアから聞いて、シャルロッテはエントランスでコートを脱ぎながら驚きの声をあげる。出迎える為に傍にいたメイドがシャルロッテのコートを恭しく預かる。
「でも、トリアちゃんが戻ってきてるってことは、バルタザールとウィルヘルムもこっちにきてるってこと?」
「はい、現在別棟へご案内しお休みされております」
シャルロッテの質問にアメリアはそつなく答える。
「さすがトリアちゃんと黒騎士様だね、仕事はやーい、二人は執務室?」
そう言いながらシャルロッテは足早に執務室へ向かう。
追従するアメリアよりも執務室に辿り着き、自らノックをすると返事を待たずに扉を開ける。
その行動に、アメリアは驚く。遠い東の国ではやってしまいがちな行動ではあるが、ここでそれはないだろうと思う。だが、シャルロッテはお構いなしだ。
「ロッテ様! 返事を待たずに扉を開けるのは失礼です!」
「えー、トリアちゃんと黒騎士様だから大丈夫だと思って」
アメリアは咳払いして、シャルロッテに耳打ちする程度の密やかな声で詰め寄る。
(もし、お二人がいい雰囲気だったら、どうするおつもりですか!)
アメリアの言葉にシャルロッテはニヤリと笑う。
(そこが面白いんじゃなーい。でも、絶対黒騎士様はそういうところは見せてくれないだろうけどね。気配でわかってるから~)
(姫様にまた怒られますよ?)
「ロッテ姉上とアメリアって仲良しよね、ずるーい」
ヴィクトリアは唇を尖らせる。
「波長が合うのよ、アメリアとは。いろいろと」
「姉上、ヴェルトは?」
一緒に朝いたドワーフの客人が一緒でないことにヴィクトリアはくびを傾げる。
「今日はゲイツさんのところにお泊りするって」
「あっという間に仲良しさんになったのですね」
「そうみたい。でも、まさか今日の今日でうちのスタッフを連れてきてくれるとは思わなかった~」
「帝都に転移魔法陣で通いますけれど、ちゃんとこちらに戻りますから!」
キリっと宣言するようにそう言ったヴィクトリアにシャルロッテはアメリアを見る。
「何かあったの?」
「社交シーズンだから、とりあえずは夜会にも出席しますけれど、絶対にここに戻るの!」
シャルロッテは、アレクシスに視線を向ける。彼は珍しく困惑しているようだ。
長逗留しているシャルロッテは、この帝国でもっとも恐れられている、表情の変化が乏しい強面のこの男がどんな思いでいるのかなんとなく察することができるようになっていた。
「殿下、夜会で紹介する領内で生産される商品を精査しますか?」
アレクシスにそう促されて、ヴィクトリアは首を縦に振る。
「姉上も相談に乗ってくださいね!!」
「いいよー」
姉があっさりと、承諾して仕事の話に加わってくれた。
帝都からその日の内になぜ戻ってきたのかと深く聞き出すようなことはせず、仕事について話し合ってくれる様子に、ヴィクトリアはいつものように、ぴたっとシャルロッテにくっついてくる。
それは小さな姿だった時の仕草のままで、シャルロッテは相好を崩す。
「あのね姉上、帝都にはいないでこっちに戻ってくるようになったのはね、多分姉上はだいたい察していたと思うけど、社交シーズンの夜会に出なくちゃならなくなって」
「うんうん」
「でも夜会とか黒騎士様、苦手ではないですか」
「そうだねえ。トリアちゃん単独で出席とかできればいいけど……エスコートは必須だろうし、いろいろ無理だねえ、黒騎士様が傍にいないと」
シャルロッテの示唆するところが、コントロールが効かないチャームの事なのだろうとヴィクトリアも思う。
「そうなの。それでね、今日こうやってこっちに戻ってきて、『ああ、ここ、自分の家なんだなって』思って……留学先から帝都の皇城に戻ってきた時と同じ気持ちになったんです」
ヴィクトリアの言葉に、シャルロッテが呟く。
「家かぁ……」
シャルロッテの呟きが、ひどくしみじみしたものに聞こえた。
別に長い旅行に出たわけでもない。確かに本来ならば馬車で五日の距離にはなるけれど、ヴィクトリアの魔力とシャルロッテの転移魔法陣で、帝都皇城まで一瞬で行ける。
ただ、ヴィクトリアが感じている「ここが、ウィンター・ローゼが家」という感覚は、傍にいるアレクシスも実は感じていた。
両親のいるフォルクヴァルツ領も、帝都の軍官舎も、タウンハウスも、馴染みのある場所のはずなのに、この領主館に戻ってきた時、どこか懐かしくて本来、自分がずっといるべき場所のようだと。
「黒騎士様も、そう思いませんでした?」
ヴィクトリアがそう尋ねる。
しかし、彼女は横に座っているシャルロッテに『可愛いなあ~』と言われながら、髪をくちゃくちゃにかき混ぜられて、はしゃいでいた。
せっかくアメリアにハーフアップにしてもらったのにと呟き、仕返しとばかりにシャルロッテの三つ編みを握りしめて、ゆらゆらと揺らして遊んでいる。
せっかく美少女になったのに、どこか無邪気な子供らしい仕草……相手が自分の姉だから甘えているだけかもしれない。
だけどそんな彼女の傍が、自分のいるべき場所だとアレクシスは思った。
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