第53話「綺麗だ」



 扉を開けて小走りにアレクシスの傍に来たヴィクトリアを見た時、彼女は白いサテン地の仮縫い中のドレスのままだった。

 頭にはトレーン見本のレースまでついている。

 貴族の女性のドレスについて、そんなに詳しくないアレクシスだったが、ぱっと見だと本当に花嫁衣裳を身にまとっているようだ。

 小さな身体だった時にお嫁さんになるの! と無邪気に発言していたヴィクトリアだが、本当に花嫁に見える。そしてその花嫁は自分の嫁になる予定だ。

 娼館の為に娼婦のマリアを呼び寄せた時、やきもちを焼いてアレクシスの前に立って両手を広げ、わたしの黒騎士様なのと言って、アレクシスの首に縋り付いた時のようにヴィクトリアはアレクシスと皇妃の前に立ちふさがって、母親である皇妃を軽く睨みつけて、アレクシスの首に縋り付く。


「ちょっと、トリアちゃん仮縫い中!」


 マルグリッドも慌てて扉から出てきたが、衣装を作りに来た仕立ての女性陣は、「あの黒騎士」の傍にいくのも恐ろしくてドアの影からそっと覗くのが精いっぱいのようだ。

 しかし、彼女達の恐れる黒騎士を前に、ヴィクトリアは小さな子供の様に駄々を捏ねるようにいやいやと首を振る。


「やだやだ、帰りましょう、黒騎士様! 花嫁衣裳だって、ウィンター・ローゼでも作れるし、夜会なんて出なくてもいいですよ、黒騎士様にとって、苦痛以外の何物でもないじゃないですか!」


 アレクシスは縋り付いてくるヴィクトリアのプラチナブロンドの髪に乗せられた、レースに触れる。

 そのヴィクトリアの顔を見つめて、アレクシスは自然と手が動いていた。すぐそばに、彼女の母親である皇妃と姉殿下がいるのに、彼女が小さい身体をしていた時と同じように自分の膝の上に乗せていた。

 いつだって彼女を小さな時のように抱き上げたいけれど我慢していたが、今こうしている彼女をもっと傍に置いておきたい気持ちが自制できなかった。

 白いドレスを着たヴィクトリアにはアレクシスのそんな自制も消し飛ばすほどに、抗いがたい魅力を持っている。

 もちろん、ヴィクトリア自身はアレクシスが伸ばした手を拒まないし、素直にちょこんと彼の膝に横座りする。

「黒騎士様?」

 こんなに綺麗で可愛いのに、頭の中は辺境をどう発展させるかがたくさん詰まってる。小さい時はさすがに意識しなかったけれど、見た目も一人の女性として成長した彼女が……こうして花嫁衣裳を纏って自分のものになるのかと思うと、夢を見ているのかもしれないと彼は思う。


「綺麗だ」


 面と向かっていままでヴィクトリアにそんなことを言ったことのない彼が、そう言葉に出した事に驚いて、そのキラキラする菫色の瞳を見開いてアレクシスを見つめる。

 ロング・レールウェイ・クリエイトを発動させて倒れて、ヴィクトリアが帝国の国民を夢中にさせたグローリアそっくりに成長しても、そんな言葉は言ってくれなかったのに……。

「……くろきしさま……?」

 アレクシスの視線にどきどきして、たどたどしく彼に呼びかける。

 好きな人に褒められれば嬉しい、滅多にそんな誉め言葉を面と向かって言わないなら猶更だ。

「殿下……」

「はい!」

 アレクシスに呼びかけられ、小さかった頃のように脊髄反射のように返事を返す。

「確かに夜会は苦手ではありますが、ウィンター・ローゼを知ってもらう機会が社交シーズンの夜会です。それは殿下が社交デビューの際にも言われていたことです」

「そうですけど!」

「ならば仕事の一環です」

 だから自分の感情は考えるなと、彼が言外に言っているのだとヴィクトリアは悟った。

「でも、でも……わたしは、黒騎士様に嫌な思いさせたくない!」


 婚約が決まる前まで、彼がこの帝都でどのように過ごしていたかはヴィクトリアは知らないが、辺境に配されてそこで一緒に暮らしてきた自分には、帝都にいるよりも、辺境領シュワルツ・レーヴェにいる方が、彼は心安らかではないのかと想像できる。

 父親から爵位を継いでも彼は夜会になどは出席しなかったはずだ。実際に戦勝の式典も出席したくないと零していたとルーカスから聞いたこともある。

「殿下のお気遣いだけで十分です。私のような男では、他の貴族に領地のことを伝えることは出来ないでしょう。殿下でなければできないこと。その殿下をお守りすることが私の仕事であり、栄誉です」

「黒騎士様……」

 今自分が手を添えて膝の上にのせている彼女は、社交デビューの夜会の時のように、仮縫いとはいえ、白いドレスを身にまとっている。

 

「それと、個人的な意見ですが、殿下は白い衣装をお召しになった時が一番綺麗だ」


 アレクシスが婚約が決まってこの皇城に参内した時に彼女に贈った白いバラのようだ。 二回も綺麗って言われて、ヴィクトリアは自分の耳まで血がのぼって赤くなっていると自覚できていた。

「その衣装を準備してくださったのは殿下の母上である皇妃陛下と、姉上であるマルグリッド殿下のお気持ちです。それをなかったことにしてはいけません」

 ヴィクトリアは母親のエルネスティ―ネと姉のマルグリッドに視線を移す。

「……はい……」

 その様子を扉の影から見守っていた衣装を仕立てる女性陣達が、フォルクヴァルツ元帥は確かに強面だけど、性格と容姿は異なるのかもしれないと一同思い始めていた。

 ヴィクトリアはそんな彼をじっと見つめる。

「黒騎士様……」

「?」


「お願いだから、さっきの言葉もう一回! できれば、殿下じゃなくて名前で呼んで! 白いドレスを着たヴィクトリアが好きって言いなおして! お願い!」


 ヴィクトリアがそう言うと、アレクシスは空いている手で自分の額を抑える。

 その様子を見て皇妃がアレクシスに同情の視線を向ける。

 マルグリッドも畳んだ扇を額にあてて、ヴィクトリアの今の発言がなければ、連れてきた仕立て屋の女性陣も黒騎士様は意外と怖い方ではないかもしれないと思っていたところだったに違いない……。

 アメリアだけが「ああやっぱり」と呟いていた。


「ごめんなさいね……フォルクヴァルク卿、こんな娘で」


「……」

 皇妃の言葉にアレクシスは頭を片手で抱えたままだ。

 そんな流れにヴィクトリアだけが反論する。

「どうして!? わたし、黒騎士様の花嫁になるのよ!? 黒騎士様はわたしに好きって言ってくれてもいいと思うの!」

 マルグリッドは扉の影に隠れている女性陣達を見て、ヴィクトリアの発言にがっかりしている表情を浮かべているなと思う。

「だって、だって、わたしは、母上やマルグリッド姉上みたいに社交上手じゃないもの! 好きって言ってもらえたら頑張るから~黒騎士様、お願い~もう一回~」

 社交上手じゃないと言いつつ、いざその場に立ったら、思いっきり辺境領の宣伝をして夜会に参加している貴族達の興味を惹くだろうとアレクシスは想像できる。

「殿下……そういうことは何度も言わないものです」

 ヴィクトリアは頬を膨らませる。

「黒騎士様は言わなさすぎなの! もう! めったに褒めてくれないから今がチャンスなのに~!」

 めったに褒めないと彼女は言うけれど、いつだって、彼女はすごいと思っているし、綺麗だし可愛いし、アレクシスにとって大事な大事な宝物のような人だと思っている。

 この婚約は陛下の意向で決められたし、彼女自身も幼い容姿をしていたし白い結婚になるだろうと、個人の感情は必要ないと最初は思っていたのだが……。

 期待を込めてキラキラする菫色の瞳を向けられて、アレクシスは戸惑う。

 ただでさえ勢いにまかせて、皇妃や第三皇女がいる前で、ヴィクトリアを膝の上にのせてしまっている状況。ここでヴィクトリアの言う様に「好き」なんて言ったらどんな公開処刑だろうと正気に返る。

 タイミングよく、扉のドアがノックされるのに気が付いて、アレクシスはヴィクトリアを立たせ、自分も立ち上がる。

「アメリア殿、殿下をそちらの別室へ」

 アメリアは心得たように、ヴィクトリアを促す。

「さ、姫様、ちゃんと仮縫いを」

「だって~」


「閣下は白いドレスをお召しになられた姫様が好きなのですから、皇妃陛下とマルグリッド殿下がお呼びくださった仕立ての方々に素敵な衣装を作ってもらわないと」


 アメリアは諭すようにヴィクトリアに語り掛ける。

 さすが専属侍女というべきか、アレクシスが言った綺麗と言う言葉を、好きと言う言葉にすり替える。


「綺麗って言われたの、好きって言われてない!」

 

 もちろん、ヴィクトリアもそこで騙されるほど子供ではないつもりだと、目で訴えている。


「同義語です」

「え?」

「あの閣下が、そうそう好きなんて仰いません、でも綺麗って出た言葉は自然と発せられたものですし、ならば脳内ですり替えても問題ありません」

「脳内で……すり替える」

「仮縫いのドレスをお召しになられた姫様を見てその言葉です。姫様が一番綺麗なドレスをお召しになられたら、もう綺麗って言葉じゃなくてダイレクトに好きって仰っていただけるものと」

 そうかしら? とヴィクトリアは小首を傾げる。

「それに、姫様、さっき綺麗って言われてどうでした? 嬉しくありませんでした?」

「嬉しかったの! すごく!」

 アメリアはうんうんと頷く。

「姫様が強請って閣下に好きと言わせても、きっと嬉しさは半減されるものと、このアメリアは想像いたします」

 ヴィクトリアはじっとアレクシスを見つめ、アメリアに向き直る。

「……そうかもしれない」

「先ほどのように、閣下が自ら姫様を膝の上にお乗せされたように、花嫁衣裳を纏った姫様をギューして『もう俺の嫁チョー可愛いし、誰にも見せたくないし、どこにもやらん』ぐらい仰るかもしれません」

 アレクシスの表情には出てはいないものの、アメリアのいう「姫様を膝の上にお乗せされたように」の下りで、頼むからそこは忘れて欲しいと思っていたのに、その後の言葉もそうとうインパクトがあったようで、片手で顔を抑えている。

 しかし、そんな彼を見ることなくヴィクトリアは真剣にアメリアの言葉に耳を傾けている。

「わかったわ! アメリア! せっかく母上と姉上が準備してくれたんですもの! ステキな花嫁衣裳をつくってもらう!!」

「ではこちらで、皆様も、先ほどの続きをお願いします」

 アメリアはヴィクトリアを促すとヴィクトリアは部屋に入っていく。

 そして徐に扉を閉めると、その場にいる皇妃とマルグリッドがアメリアを見て声をかける。


「さすがアメリアちゃん~トリアちゃんの扱いわかってる~」

「アメリア、よくやってくれました」

 

 皇妃とマルグリッドにそう言われて、アメリアは一礼する。


「恐れながら、陛下、マルグリッド殿下、社交シーズンの夜会への出席は避けて通れない事案ではありますが、この帝都皇城に滞在するよりは殿下の魔法陣でシュワルツ・レーヴェにその日その日でお戻りなられる方がよろしいかと」

「え~」

「姫様の安全の為にもです。自制のある閣下ですら、姫様を膝の上にお乗せになられるのです」


 アメリアのその言葉に、アレクシスはその場を遁走したい気持ちに駆られるが辛うじて堪える。


「他の貴族が夜会に出た姫様をこの皇城まで追いかけてこないとも限りません、皇城の警備は万全とも思われますが、グローリア殿下の例もありますれば……」


 最後の方はまともな進言だったので、アレクシスも耳にすることができた。



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