第51話 「姉上のバカッ!」
ヴィクトリアの顔が人形のように固まった。
いつも感情豊かで、笑顔が絶えない感じの彼女がそんな風に表情を消すことはあまり見ない。
ヴェルトもゲイツもそんなヴィクトリアを見てぎょっとする。
人間のことには疎いさすがのヴェルトも、もしかして今のは言ってはいけないことだったのだと理解したらしい。
しかし、シャルロッテは食後のお茶をアメリアに淹れてもらいながら、いつもの飄々とした感じでヴェルトとゲイツを見ている。
「まーヴェルトは人間じゃないから、そういうのわかるのかもね。ここに長逗留していればいずれはバレるんだろうけど……でもまだ公式にはしたくないなあ、お父様もそう思っているし。トリアちゃーん、美人が固まると人形みたいだよー。ゲイツさん、このことは内緒ね? その内に公式に発表があるまでは内緒にしておきたいんだー」
「……いいのですか? ゲイツ氏には言って」
アレクシスが尋ねると、シャルロッテは頷く。
「うん。だって開発局特別チームのメンバーは知ってるから」
人形のような顔をそのままヴィクトリアはシャルロッテに向ける。
「ごめ、ごめんなさい、おれ、おれ、内緒のことだって知らなくて!」
失言したヴェルトも見ずに、視線はシャルロッテに向けたままだ。
「うん。ヴェルトは悪くないよ。ほいほいと、ヴェルトのことを知らずに眷属にしちゃったトリアちゃんが悪い」
「姉上のバカッ!」
ヴィクトリアはそう叫んでガタッと席を立ちあがり、食堂を出ていく。
その様子を見て、アレクシスはその巨体にもかかわらず、音もなく立ち上がる。黒い影のような存在感にゲイツは彼を見る。
アレクシスは、ヴィクトリアが出て行った食堂のドアへと向かう。
「ごめんねえ、黒騎士様~でも、役得ですな」
癇癪を起した美しい婚約者を宥めるのが、とでもいいたいのだろう。
全然悪いと思っていないシャルロッテにアレクシスは一瞥を向ける。
「皇妃陛下から手紙が届いておりましたが、このことに関することでしょうか?」
「うんにゃ、多分トリアちゃんのことだと思う」
「……」
「わたしの病弱な第四皇女っていう公式設定は、多分まだまだ数年は覆らないと思う」 「……」
「いざとなったら病死扱いにして普通に魔導開発局特別顧問で生きる道だってあるし」 ヴェルトは会話の中身がわからずキョロキョロするが、ゲイツは帝国の機密情報を知り動きが固まっている。
「それはヴィクトリア殿下を始め、他の皇女殿下方がお許しにならないかと思われます」
アレクシスの言葉にシャルロッテはカップのお茶に視線を移したまま苦笑する。
「なんでうちの姉妹のことわかっちゃうかなー……」
そう呟いた声を後ろに、アレクシスは扉を開けてヴィクトリアが逃げ出しそうな場所を探し始めた。
多分、あの第六皇女殿下が向かったのは私室でも執務室でもない。
アレクシスはある部屋のドア前に立つ。
そこは初めてこの館にきて、彼女が食事をとったコンサバトリーである。
返事はないが、ドア越しでも人の気配がするのがわかる。
ノックをしてそっとドアを開ける。
ガラス張りの温室。温泉の熱を利用して真冬にもかかわらずに暖かなその部屋には、剪定された植物が緑の葉を持ったまま茂っている。
ガラス張りの部屋から見る夜空には星と月が瞬いていた。
部屋の隅にある長椅子に座って星を眺めているヴィクトリアを見つけると、アレクシスはその横に並んで腰を下ろした。
「わかってます、多分……姉上は、わたしを心配してくれていたんだということ」
勝手にドワーフを眷属にして、もし、その身に、その魔力に、何か起きるかなんて考えていないのではないのかと、あえて口にはしなかったけれど、多分シャルロッテがそう思っていたこと……。
「それに……ヴェルトのこともよく考えないで……でも、名前をつけたら眷属になるなんて……わからなかったし……」
「この辺境は小国家群に隣接しています。国境の向こうは種族の違う者もおります。殿下はこの帝国の皇族です。御身は大事にされたほうがよいと、シャルロッテ殿下はご心配されたのですよ。雪崩の救助に自ら向かうのも、本来ならば無謀です」
――だって……それなら、わたしがここにいる意味がない。
魔力があるのに、それを民の為に使うのに……。
ヴィクトリアはギュっとその瞳を閉じる。ヴィクトリアは項垂れる。
項垂れたその頭に、アレクシスの大きな掌がぽんと乗る。
「殿下は……婚約発表の折、仰いました。『命は大事なのです、貴方が為すべきことを為すためには命は大事なのです。だから、貴方自身の命も大事してください』と……そう私に仰ったのは殿下なのですから……」
アレクシスに諭されて、一瞬、頭を上げて彼を見上げる。
――じゃあ、そんなわたしの傍にいてください、黒騎士様!
一瞬そう言葉にしたかった。
そうしたら彼は言うだろう、「もちろん、おります」と。そしてこう続けるに違いない。「貴女はこのリーデルシュタイン帝国の第六皇女殿下で、わたしの守るべき君主ですから」と。
けして「愛する貴女を守ります」とは言ってくれそうもないことを、何となくヴィクトリアは感じた。姉であるヒルデガルドがかつて呟いた言葉を思い出す。
――あの男は、国の為や自分の親や部下には尽くしても、自分は大切にしない男だ。自分自身を愛せない男だ。そんな男が社交界にいる人妻に懸想なんかするもんか。
かつて、彼が親友の人妻に懸想をしていると噂されていた時があった。
それは単純に噂話で、事実ではないことに安堵はした。
だが今はどうだろう。
ヴィクトリアは黒騎士に対して隠さずに好意を伝えているつもりだ、そして彼はとても優しい。この国で誰もが恐れると言われるその風貌を持つ彼の性格は、見た目に反して穏やかであり冷静で大人だった。
皇帝より下賜されたのがヴィクトリアでなくても、彼の優しさは変わらないはずだ。
そう、皇帝より下賜されたのがシャルロッテだったとしても……エリザベートでもヒルデガルドでも同じかもしれない。
「殿下……?」
アレクシス自身は彼女を窘めたら、打てば響くように返事を返すものだと思っていた。彼女自身がその魔力を奮う為にここにいるのだと、そう言い返すと思っていた。しかし、彼女は押し黙って、別のことを思い巡らせているようだ。
そして幾分気落ちした様子で返事をした。
「……うん……気を付けます……ヴェルトにも悪いことしちゃったな……後でヴェルトにちゃんと話しておきます」
「シャルロッテ殿下にもですよ、心配されておいでだったのでしょうから」
「……」
「私には兄弟がおりませんが、タイミングを外すと、いつものように甘えられなくなりますよ」
「え、わ、わたし、そんなに甘えん坊ではありませんよ!! ……でも、姉上にもお話しておきます」
アレクシスが頷くとヴィクトリアはいつものように笑顔を見せる。
「アメリア殿から伺っているかと思われますが」
「?」
「皇妃陛下から、お便りがきています」
アレクシスは先ほど開封した封書をヴィクトリアに渡す。
宛名はアレクシス宛だったので、ヴィクトリアは躊躇う。
「わたしが読んでも大丈夫ですか?」
アレクシスが頷く。
内容は簡素なものだ。時候の挨拶とヴィクトリアと共に、帝都皇城に戻るようにとのことだった。
アレクシスは、もしかしたら何か他の内容が手紙隠されているのかとも思い、ヴィクトリアに渡したのだが、その細く美しい指で便せんに触れても別に何かを読み取っている様子もなかった。
「皇妃陛下からのお手紙でしたので、ヴィクトリア殿下に何かお伝えしたいことでもあるのかと思ったのですが……」
「ええ、ただの手紙です。魔力を感じられませんから……黒騎士様宛なのですから、魔術を施すような凝った手紙にはしないと思います……黒騎士様は明日からのご予定はありますか?」
「そうですね、ルーカスとフランシス大佐がいるならば、そちらに仕事を回してもらうようにします。救助から領主館に戻ったばかりで、お疲れでしょうが、帝都皇城までお付き合い願えますか?」
ヴィクトリアは頷いた。
「しかし、何故、皇妃陛下は殿下ではなく私にこの手紙をよこしたのでしょうか?」
転移魔法陣は皇族のみしか使用できない。シャルロッテがそういう作りにしたのだと、かつて聞いたことがある。直接ヴィクトリア宛てならば、わかるのだが……。
アレクシスが首傾げているのを見て、ヴィクトリアはほほ笑む。
「それは、わたしが黒騎士様の花嫁だからです」
「……?」
リーデルシュタイン帝国の皇妃の末娘という立場ではないと、皇妃である母の意向があるからなのではとヴィクトリアは思う。まだ婚約という形ではあるものの、末娘はすでに黒騎士様に嫁した者、その主人の許しを得たいと思われたのだろう。
しかし、彼にその自覚はないのだ。
ヴィクトリアこそが、君主で守るべき者。帝都の皇帝皇妃からの誘いは自分ではなくヴィクトリアが受けるべきだと……。
こんな時、自分がただの貴族の令嬢だったらよかったのかなとヴィクトリアは思う。
――わたしは、貴方のものだから、母上が、あなたに了解をとるのです。
きっとそう伝えたら、彼は表情には現さないものの困惑するだろうと予想できた。
――嫌われてないのだから、よしとしなくては……ずっとそう思っていたけど……。
いつだって、彼はヴィクトリアに一線を引いている。
近づいた瞬間が凄く嬉しくてたまらないのに、それはほんの一瞬。
――わたし、我儘なのかな……?
「黒騎士様」
「はい」
ヴィクトリアが差し出す手をアレクシスはまるで宝物を扱うように、恭しく手にとる。
――こうして手を差し伸べれば、ちゃんと手をとってくれる……。
「ヴェルトとロッテ姉上にお話します。お付き合いください」
「仰せのままに殿下」
――わたしが黒騎士様を好きなくらいに、黒騎士様もわたしのこと好きになって欲しいのにな。たった一言、好きっていってほしいのにな。そしたら安心するのに……。
ヴィクトリア自身がそう詰め寄ったら、彼は戸惑いながらもその言葉をくれる気がした。だけど、それは彼自身がヴィクトリアに気持ちを動かされたからではないのは、ヴィクトリア自身がよくわかっていた。
甘えん坊と思われてもいいから、他に今誰もいないから……ヴィクトリアはそう思って、黒騎士の腕をキュと掴んで自身の身体の重さを傾けるのだった。
そして廊下を歩いていると、アメリアに先導されたシャルロッテとヴェルトとゲイツに会う。
「……姫様、ごめん、ごめんなさいっ!」
ヴェルトはヴィクトリアを見ると半泣き状態でヴィクトリアの傍に走り寄る。
「ヴェルト……わたしこそ、ごめんなさい。最初に言っておくべきだったのに、言わなかったわたしが悪いのです」
「姫様のことは秘密にするから、名前を取り上げないで、まだここにいさせて」
「取り上げたりなんかしないわ、大丈夫、ヴェルトはここにいて、ロッテ姉上とゲイツさんと一緒に列車を作ってほしいもの」
「本当?」
「ええ」
「ロッテ姉上も……ごめんなさい……」
ヴィクトリアがシャルロッテに抱き着く。まるで小さな身体の時のように。
抱き着かれたロッテは相好を崩す。
「ロッテ様……思いっきりお顔がデレてます……」
アメリアが呆れたように呟くが、ロッテはニヤニヤしっぱなしだ。
「え~だって可愛い妹が可愛く謝ってくれたんだもの~デレちゃうわ~」
「あと、ゲイツさん、このことは、ロッテ姉上が第四皇女っていうことは内密にお願いします」
「もちろんです。殿下」
そんな機密情報をばらした日には命はないと、ゲイツは思う。それに、この風変りの発明家である彼女から、いろいろと学びたい気持ちが大きい。
「それと姉上、わたし明日、黒騎士様とおでかけします」
アメリアはヴィクトリアがシャルロッテに話し出すのを見て、さりげなくゲイツとヴェルトを客室のある別棟に先に案内していく。
その姿を確認して、ヴィクトリアはシャルロッテに伝える。
「母上からお呼びがありましたので」
「……お母様から? トリアちゃんと黒騎士様に?」
「はい」
シャルロッテは宙に視線を飛ばしていろいろと思考を巡らしたが、ヴィクトリアの顔に視線を戻す。
「うん、わかった。行っておいで、トリアちゃん。黒騎士様、トリアちゃんをよろしくね。皇城はそんなに危険があるわけじゃないんだけど……いま社交シーズンじゃない? 官僚以外の貴族の出入りも多いし……それに……」
シャルロッテはヴィクトリアを見る。
アレクシスはシャルロッテの意を酌んで頷く。
大陸中を騒がせた輝ける黄金の美姫である第五皇女殿下の面差しとそっくりになったヴィクトリアを見て、他の貴族が黙っているはずがない。
アレクシスもそれは想定内だ。
「ずるい! なんで二人で目線で会話されてるの?」
二人の心配をよそに、ヴィクトリアはシャルロッテとアレクシスに詰め寄るのだった。
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