第37話「え……わからないの……? やっぱり……わたしだって……」



 その日の朝、ヴィクトリアは寒いという感覚で目が覚めた。

 そして自分の腕に何かついているのに気が付いた。


 ――なにこれ。


 自分の腕の点滴を見つめてそう思う。

 アメリアが心配そうに自分を見つめているのを見てまっすぐに見つめ返す。


 「アメリア……寒くない?」

 「姫様!」


 そう呟くとアメリアは泣き出しそうだった。

 でもどこか嬉し気でもある。

 それもそのはず、ヴィクトリアが倒れてから、まともに話しかけているのだ。

 痛みで意識が遠のいて、痛みで意識が覚まされて、それを繰り返していたヴィクトリアだったから……。

 

 「お寒いですか? シュワルツ・レーヴェにはもう冬がきているのです」

 寝室の暖炉に火をくべているが、もう少し室内の温度をあげようと暖炉横にある温度調節をアメリアが施す。

 これもシャルロッテが工務省と一緒に作った。

 この領主館の為に。

 冬の長いこの辺境には必要だろうと。

 「ねえ……これ、何……? 動かすとチクチクする」

 「点滴です。姫様、お食事もまともにできなくて、吐き戻して、少しでも栄養をと、ロッテ殿下が施されました」

 そう言って、アメリアがまたヴィクトリアの傍に戻る。

 「……ロッテ姉上……」

 ゆっくりと上半身を起こして室内を見る。

 いつもの寝室ならカーテンを開けていても、光がさすのにほの暗い。

 室内の燭台や、明かりをアメリアがつけていく。


 「姉上……どこ……」

 「ロッテ殿下、姫様が、お目覚めに」

 「おや、起きた、トリア具合どう?」


 窓際にたたずんで外を見ていたシャルロッテがヴィクトリアの傍にきた。


 「うん、顔色もいい」


 シャルロッテはそう言いながら、てきぱきと点滴を外す。

 アルコール綿で針の後を拭い、ガーゼをあてた。


 「黒騎士様……は……?」

 「お会いになりますか? 姫様が来ちゃダメと言って、黒騎士様はずいぶんご心配されてました」

 

 ヴィクトリアはぼんやりとしてアメリアとロッテを見つめていたが、だんだんとその菫色の瞳に、かつての光が戻る。

 

 「アメリア、今、冬!?」

 「はい」

 「いつの間に!?」

 「姫様がお倒れになって一か月と3日になります」

 「え……」

 「ロング・レールウェイ・クリエイトを発動した直後に倒れたんだ、覚えている?」


 シャルロッテの言葉にヴィクトリアも記憶がだんだん戻ってきて頷く。

 そう、倒れた後から体にかかる苦痛だけの記憶だったが……確か最初自分はへんな病気になったのかもと思って、黒騎士を自分の傍に近づけないようにと、告げたことも覚えている。


 「身体がいきなり変わったからね、通常どおりに動けるようになるまで時間はかかるだろうけど」

 「身体が……変わった……」

 

 確かに、『点滴』を施された自分の手は、以前よりも大きくなってる。

 子供のような手が大人の手に……。

 

 「魔力の使いすぎには注意っていったでしょ……あの魔力を使うのに、あの身体じゃ間に合わないんだよ。ちゃんと成長してないと」

 「……ちゃんと成長……」

 「一番ベストじゃないかな、その体格が、ちゃんと16歳に見えるよ。鏡、見る?」

 シャルロッテがそういうと、ヴィクトリアはベッドから這い出て、裸足で床に足をつける。

 床が温かい。

 これも温泉を引くと言ったヴィクトリアの言葉を聞いたシャルロッテが建築の際にその熱を利用したものに設計を用いていたのだ。

 アメリアが室内履きを用意しようとしたが、まさか今起き上がって立ち上がろうとするとは思わなかったので慌てる。

 そしてまた、かつて使用していたその室内履きのサイズが微妙に小さいので今の彼女には合わない。

 ちなみに着用している就寝服は、シャルロッテがウィンター・ローゼの商業地区に出向いて買い求めた既製品だ。

 ヴィクトリアが寝込んで倒れているときに、アメリアが着替えさせているので、服のサイズが小さくて身体がきつい感じがしないのはそのせいだった。

 シャルロッテとアメリアに支えられながらゆっくりと立ち上がる。

 目線が違うとヴィクトリアは思う。

 今までアメリアもシャルロッテも、自分は下から見上げていた。それが立ち上がって二人を見るとそんなに視線を上げなくても目線が合う。

 アメリアが姿見にかかっているカバーを外す。

 そこに映し出されたのは……。

 「……え?」

 何度瞬きしても、その人物は自分と同じように瞬きをする。

 そして手を伸ばして鏡の表面に手をつけた。

 ヴィクトリアの身体をシャルロッテに任せて、アメリアは寝室から出ていく。

 一番心配してた彼に、姫様が起きたと、意識がはっきりとしたと知らせるために、急ぎ足で執務室へと向かう。

 ドアノックすると、ドアを開けたのはルーカスだった。

 デスクにはアレクシスが座って、多分ヴィクトリアが元気だったら執り行ってるいるだろう書類仕事をこなしていた。

 「侍女殿……殿下に何か……」


 「閣下……、中将……姫様が……目を覚まされました!」


 アメリアが最後まで言い終わらないうちにアレクシスは椅子から立ち上がりアメリアの横をすり抜けて、一直線にヴィクトリアの寝室の方へ向かう。

 ルーカスもアメリアもアレクシスの後を追う。

 一度は蹴破ろうとした寝室のドアをノックもせずに開けると、そこにいたのはシャルロッテと……。


 「殿下……?」


 シャルロッテの手を握って、姿見を見つめていたのは……。

 小さな末姫の姿じゃなかった。

 ルーカスもアメリアも室内に入る。

 

 「黒騎士様っ!!」


 ヴィクトリアがそう叫んでシャルロッテと姿見から手を放して、アレクシスに両手を伸ばす。

 歩こうとして足を踏み出すが、バランスを崩してその場に倒れそうになる。 

 アレクシスが慌ててヴィクトリアを抱きとめる。


 「ヴィクトリア殿下……」


 「よかった……黒騎士様には……わたしだって、認識されるのですよね!? わたし、間違いなくわたしですよね? 鏡に映った自分を見て、自分でも信じられなかったの! だって、だって、そっくりなんだもの!」

 

 ルーカスもぱかーんと口を開けている。

 アメリアがその顎をガツっと押し上げて閉じさせる。

 「そりゃ……そうだ……姉妹だからな……っけど……」

 ルーカスはそのショックで正気に返ったらしい。

 「まじかよ……」

 


 「黒騎士様、わかる? わたしだって、わかってくださる? この顔、姉上に……グローリア姉上にそっくりだけど、わたし……ヴィクトリアだって……!」



 アレクシスが抱きとめたのは、絶世の美女。

 リーデルシュタイン帝国一……大陸一の美姫と謳われた、リーデルシュタイン帝国第五皇女グローリアによく似た面差しの美少女がそこにいる……。

 小さな幼い姿の時から顔立ちは整っていた。

 帝国の皇族の姫君たちはみなそれぞれタイプは違えど美形である。

 だが……ヴィクトリアは幼くて、御成長すればさぞや美しい姫君になるであろうとは、想像はできたものの……。

 その中でも一番他国からも自国からも求婚者が絶えなかった第五皇女殿下に似ていた。 違うのは髪と瞳の色だけ。

 「……だめだ。黒騎士様固まってる」

 シャルロッテが呆れたように呟く。

 ヴィクトリアはそう言ったシャルロッテと自分を抱きとめてくれているアレクシスを交互に見る。

 「……ヘタレが……」

 ぼそりとアメリアが呟く。

 「侍女殿……ヘタレと言わないでやって……あれじゃ俺でも無理だって」

  意外そうにアメリアはルーカスを見る。

 男なら美少女に抱きつかれて、(いまのは抱きとめたのだが体勢的には同じである)無理とはなんだと言いたいのだろう。

 「めっちゃ美少女に抱きつかれて男としては喜ぶところでは?」

 「喜べるのは、自分を知らない図々しい野郎だけだ。俺もアレクシスも身の程を知っている。綺麗すぎるだろ。恐れ多い。遠くから眺めるだけで精一杯だ」

 あの式典……戦勝の式典で、小さなヴィクトリアが婚約者と名乗ってくれてたのは、ある意味幸いだったのだとルーカスは思う。

 あの時からいままでのヴィクトリアは幼女よりの美少女だった。

 ところが今は美女よりの美少女だ。

 そんな美少女から婚約者と名乗り上げられたら、アレクシスは腰が引けてこのお話、私にはもったいなくと辞退しただろう。

 そしてまたグローリア殿下争奪戦の時のような騒ぎが大陸に広がった可能性が高い。


 「え……わからないの……? やっぱり……わたしだって……」


 ヴィクトリアの瞳に涙があふれてくる。


 「わたし、黒騎士様の……お嫁さんになれないの……? 大きくなったのに……嫌われたの?」


 アレクシスとヴィクトリアを除く三人は微妙な顔をする。

 「姫様は小さいままでいた方が、閣下にとってよかったということですか中将」

 「ああ……ハードルが低いのが幸いだった……むしろ本物のロリ……」

 ルーカスの言葉に、アレクシスの裏拳が額に当たる。

 そこの反応は素晴らしいとアメリアは思った。

 「否定すんなら、ちゃんと声かけてやれよ!」

 額をなでながらルーカスは叫ぶ。

 「黒騎士様、ヴィクトリアをベッドに戻してあげて、まだ身体はつらいはずだから」

 シャルロッテがそういうと、はっとして腕にいるヴィクトリアを見下ろす。

 その視線の当たる位置も以前よりも近い。

 以前なら片腕で抱き上げられた。

 アレクシスなら今もそれはできるが、それをされたらいきなり成長したヴィクトリアにはバランスのとりづらい体勢になるだろう。

 それよりも、こうして抱きとめていても、触れるだけでも、壊れてしまうのではないかと思ってしまう。

 以前は何のためらいもなく彼女を抱き上げることもできたのに……。

 「黒騎士様……?」

 ヴィクトリアの声に、意を決して膝裏に腕を回して、両腕で抱き上げる。

 アメリアはべッドの傍に戻り支度を整えているので、そのままベッドへ運ぼうとするが、ヴィクトリアははっとする。


 「ダメ! そっちじゃないの! 窓! 窓の外見たいの! ウィンター・ローゼに雪が降っているんですよね!?」

 

 そう言ったヴィクトリアをアレクシスはまじまじと見つめる。

 ここでその発言が出るあたり、この腕に抱き上げているのはまぎれもなく、ヴィクトリア。

 彼女ならではの言葉だった。


 ――雪も楽しみです、たくさん降っているの見たことないもの。


 この辺境の視察前に、皇城の庭園で彼女が言った言葉。

 「雪、見たい!」

 「やっぱり殿下だ……」

 アレクシスの言葉にヴィクトリアは素早く反応する。

 「やっぱりって……、疑ってたんですね? わたしじゃないって思ってたんですね!? ひどい!!」

 ヴィクトリアがわーわー言ってる間に、アレクシスは窓の傍にまで近づく、そしてそっとヴィクトリアを降ろす。

 ヴィクトリアは窓が近づくとそっちの方に気取られて、黙って窓の外に視線を向ける。

 

 「……雪だわ……」


 窓辺に立って、ペタリと手を窓ガラスにつける。

 そんな幼さが残る仕草も、ヴィクトリアらしい。


 「真っ白……すごい……」

 

 領主館の庭、そして門扉の向こうに広がるのはウィンター・ローゼの雪景色だった。

 ヴィクトリアはそのまま窓を開けようとするが、アレクシスががっちりと窓を抑える。 

 「な、ちょっと窓を開けてみてもいいじゃないですか」

 「ダメです! ここで風邪でもひいたら領民がまたがっかりするでしょう!!」

 「ケチ! 黒騎士様のケチ!」

 ヴィクトリアが頬を膨らませる。

 そんな仕草も、ヴィクトリアのままだ。

 そんな二人のやり取りをみていたシャルロッテが声をかける。

 「あーまー黒騎士様の言うとおりだね、見るだけね、まだまだ雪は降るだろうから、後の楽しみにとっておきな」

 「……わかりました」

 しゅんとうなだれるヴィクトリアだが、ハタっとまた別の何かに気が付いたらしい。

 「じゃあ、黒騎士様、今度こそトリアをベッドへ連れてってあげて」

 「ダメ!」

 「はい?」

 「やだ、もうすっかり忘れてた! わたし、臭いかも! 一か月もお風呂入ってないし! やだ! ダメ! だからさっき黒騎士様抱っこしてくれるまで躊躇ってたんですよね? 抱っこされたら恥ずかしくて死ぬかも!」


 アレクシスが抱き上げようとしたら、そんなことを叫ぶ。

 この発言にはさすがにアレクシスも笑わずにはいられなかった。

 顔を背けて口元を手で押さえて肩を震わせている。


 「さっき声をかけて下さらなかったのは、そういうことよね!?」


 決して自分が絶世の美姫になったからではなく、そういう身だしなみのところがダメだったのだと思い至ったらしい。

 この切り返しもヴィクトリアだ。

 アレクシスはほっとした。

 見た目はどうあれ、やはりヴィクトリアはヴィクトリアなのだとようやく理解したようで、彼女を抱き上げる。


 「ほんとうにもう……絶世の残念美少女だよ、キミは」

 シャルロッテはそう呟いて苦笑した。



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