第36話「ヴィクトリアが通常の16歳と違う体格だということに、今まで不思議だとは思わなかった?



 ヴィクトリアは地面に蹲るようにして倒れたまま微動だにしなかった。

 羽ペンと通信機も手から離れている。

 「殿下っ!?」

 「姫様!」

 アレクシスとアメリアがヴィクトリアの傍に走り寄る。

 アレクシスがヴィクトリアを抱き上げ、アメリアはヴィクトリアの手首をつかみ、額に手を乗せる。

 「お熱が……でも、さっきまで普通でした、朝もご容態が優れないご様子は見当たりませんでした」

 アメリアは羽ペンと通信機を回収する。

 『どうした、トリア』

 通信機からエリザベートの声が漏れ聞こえる。

 「エリザベート殿下」

 『アメリアか?』

 「はい、姫様が魔術を展開させた後、お倒れになりました!」

 『……倒れた……そうか、いまのが引き金になったか……わかった、館に戻って休ませてやれ。そこにいるロッテに代わってくれないか?』

 アメリアはシャルロッテの姿を探すが、アメリアの背後から、アメリアの手にしている通信機が取られた。

 取り上げたのはシャルロッテだった。

 いつも少しふざけいるような雰囲気を持つシャルロッテが、真剣な顔をして通信機に耳を当てる。

 「代わりました、わたしです……、はい多分そうだと思います。経過は知らせます……はい、了解しました」

 自分の姉と話しているのに、いつもの親し気な口調も改まっていた。

 「アメリア殿、しばらく殿下は寝込まれるだろう」

 アメリアに対しても、改まった口調になっていた。

 「お医者様は……手紙でご典医をお呼びしますか?」

 「呼んだとしても……手は尽くせないと思う。殿下の症状は特殊な症例だから」

 「特殊……」

 「領主館の別館、一室借り受ける。鎮痛剤を作成する」

 それでもヴィクトリアがこれから受ける身体の痛みは緩和されるか怪しいところだが、とはシャルロッテは口にしなかった。


 


 そしてヴィクトリアが倒れて一週間経過した。

 元気で明るくこの領地をよくしようと領民に声をかけ、建設局スタッフに声をかけていた彼女が倒れたという話は、シュワルツ・レーヴェ内に一気に広まる。


 ――大規模な魔術を展開した直後に姫様が倒れたらしいべ。

 ――なんかすごい橋がかかってたべ、あれさこさえた後らしいだよ。

 ――あの姫様が……収穫祭の時は無邪気にお声をかけてもろうたんだが……。

 ――もう一週間、領主館からお出になられないとかいう話だべ。

 ――黒騎士様……領主様はいつもどおりというか……姫様の分までいろいろ仕事されてるらしいで、心配だな、領主様も倒れたらと思うと。

 ――わしらで、なんぞできることがあればいいんだがのう。

 ――領主様や姫様はここの冬ははじめてだで、その様子さ子供たちが書き記したお手紙を送っただ。

 ――まあ冬はなんもすることがねえべ、姫様、あったかくさして、お休みさせてあげたらいいんだべ。

 

 領民たちは口を開けば、ヴィクトリアを案じている言葉が発せられていた。

 そして領主館にいるアメリアがそんなヴィクトリアの世話を必死でしていた。

 「痛い……! 痛い!! アメリア、痛い!!」

 「姫様」

 意識が戻ったのは、倒れたその日の真夜中だった。

 ヴィクトリアを襲う、吐き気と身体全体の痛み、ベッドに横になっていてもそれは続く。最初こそ、アメリアも涙目で世話をしていたが、泣いてる場合ではないと専属侍女らしく甲斐甲斐しく世話をした。

 「気持ち悪い、吐く……」

 さっと洗面器を用意して、もうほとんど胃液しかでない状態にもかかわらず、嘔吐する。

 「お口を濯いでください、そのまま洗面器に」

 「ごめん……アメリア」

 「何をおっしゃいます、お辛いのは姫様ですのに」

 いつもキラキラとした菫色の瞳が涙でぬれていた。

 アメリアは蒸しタオルでヴィクトリアの顔を拭う。

 「全身……きつい…骨がきしむ……頭痛い……おなかも痛い……」

 「ロッテ殿下が、作ってくださったこれだけでもお口に入れてください」

 「……水……?」

 「補水液です、咽喉が乾いてますでしょう?」

 コップではなく吸い飲みでヴィクトリアに進めるが中身の半分も飲めずに、それを離すと意識を失う。

 その繰り返しだ。

 アメリアはヴィクトリアの寝室につきっきりで、汚れ物やその他は別の侍女を呼んで片づけてもらう。

 アレクシスはその様子をドア越しで見ているしかできなかった。

 倒れた初日、真夜中に一度、激痛に襲われたヴィクトリアが「痛い」と叫んだ。

 アメリアと共に、寝室に入ろうとしたら、「黒騎士様は来ちゃダメ」と言われたのだ。

 ヴィクトリアはもしかして自分が病にかかり、それがアレクシスに感染するものかと危惧したのだが、アメリアと別館に滞在しているシャルロッテから、「成長痛だから」と言われているので、多分、現在それは認識しているはずだ。

 でも、頑なに「黒騎士様は来ちゃダメ」と言うのだ。

 ヴィクトリアからしたら、みっともないところを見せたくない乙女心なのかもしれないが、アレクシスにしてみれば、もう心配でたまらない。

 一度はドアを蹴破ろうかともしたが、背後に立っていたシャルロッテに止められた。

 「いやいやいや、ドア蹴破らないでよ、黒騎士様」

 「どうして私はお会いできないのですか!」

 シャルロッテはポンポンとアレクシスの肩を叩く。

 「だって、年頃のオトメが嘔吐してる様子は見せたくないでしょ」

 「エリザベート殿下が案ずるな、成長期だとおっしゃいましたが、成長期とは」

 「だからトリアは特別なんだって」

 ロッテは肩をすくめる。

 「まあ実際、こんなにひどいとは予想外だったけど」

 「ひどい? 成長期……? あんなに叫んで、痛がって、泣いているのに! 命の保障は!? 一番最悪なことにはならないという保障はあるのか!?」

 シャルロッテに食ってかかるのは筋違いだと、頭の奥ではわかっている。

 しかし、ドアの向こうで泣き喚いて痛がって、そして体力がつきてまた意識を失っていそうなヴィクトリアを思うと、彼女が、その痛みのあまりに亡くなってしまうのではという不安がアレクシスを襲う。


 ――わたし、黒騎士様の花嫁になるのです。


 そう言った彼女が。

 いつも笑顔で元気いっぱいで、自分に手を差し伸べる彼女が。

 もしも儚くなったらと思うと居ても立っても居られない。

 隔てるドアを蹴破って、ずっと傍にいたいと思う。

 「ねえ、ヴィクトリアが通常の16歳と違う体格だということに、今まで不思議だとは思わなかった?」

 成長の遅い幼い小さなヴィクトリア。

 貴族たちがささやく、成長の遅い、魔力のない、あどけない姫君。

 何故、そんなにも普通より幼いのか……。

 「ヴィクトリアは、あれだけの魔力をずっと隠していたんだ。そのため無意識に彼女自身の身体的な成長も緩やかなものになっていた。あの体格でもう4、5年はすごしてきてたんじゃないかな……なら今、どうしていきなりこうやって成長しはじめたのか……隠していた魔力をここにきて開放したからだ。魔力の開放に伴い身体の成長も併せて伸び始めたんだよ」

 「……魔力の……解放」

 「街道作製や温泉掘削、農地開墾に線路作製、こんな大掛かりな広域範囲魔術、半年内にガンガンやれば、そりゃー器としての身体が小さいのも慌てて成長もするって。黒騎士様にも、成長痛があったでしょ、そんだけ体格よければ」

 「……」

 「それと同じ、ただちょーっとそれが一気に起きて、女の子だからホルモン系のバランスもとるのが大変ってところなんじゃないかな。だから皇妃陛下も言ったんだ……魔力の使いすぎには気を付けるようにって……、わたしも言ったんだけどねえ……」

 「でも、これではあまりにも殿下がお辛いだけではないですか」

 「うん。それを軽減させるために、わたしもこうして来ているわけですよ……鎮痛剤完成でーす」

 ぱんぱかぱーんと、ファンファーレの口真似をするシャルロッテ。

 「これ痛みは軽減するから……黒騎士様?」

 「シャルロッテ殿下それを早くヴィクトリア殿下に……」

 シャルロッテはひらひらと手を振って、ドアの中へと入っていく。

 

 ――トリア、やっぱり大事にされてんじゃん。


 シャルロッテはベッドで意識を失っているヴィクトリアの傍に座る。

 反対側にはアメリアがいる。


 「ロッテ殿下……」

 「鎮痛剤できた、これで痛みは軽減される……起きたら飲ませよう」

 ベッドに眠るヴィクトリアを覗き込む。

 「黒騎士様は、どんなにヴィクトリアが変わってしまっても、想ってくれるといいね」

 面差しの変わったヴィクトリアを見てシャルロッテはそう呟いた。

 シャルロッテの作った鎮痛剤が効いたのか、痛みで泣き叫ぶことはなくなった。

 「ロッテ殿下……医術の心得もあったのですか?」

 「まあ、これも神様のくれたおまけなのかな……」

 吐き戻しの酷いヴィクトリアに、シャルロッテは点滴を施した。

 「経口で栄養取れないならこうするしかないデショ」

 こんな状態は黒騎士には見せられないなとシャルロッテは思う。

 「早く元気になって……トリア……お前が待ってた雪が降り始めてるんだよ」

 シャルロッテはそう呟く。

 ヴィクトリアが倒れて二週間が経過していた……。

 その間にシュワルツ・レーヴェに雪が降り始めていたのだった……。



 

 哨戒から戻ってきた第七師団のヘンドリックスが街門を守る衛兵に、殿下の意識は戻ったのかと尋ねるが、門番は首を横に振る。

 「ヘンドリックス少佐、あの、その大きな魔獣みたいな狼は……」

 「ああ、オルセ村の守り神だよ、シロとクロ、そしてその子供のアッシュ」

 子犬のような狼の子がアンアンと鳴いてタタタっと門の中に入っていく。

 「あっアッシュ、こら待て!」

 ヘンドリックスがアッシュに語り掛けるとアッシュはアンと鳴いてタタタっと領主館の方へ走っていく。

 「殿下が心配なんだって、行かせてあげて、ヘンドリックス」

 ニーナがそうヘンドリックスに言う。

 「殿下に会いたいから、悪さもしないし、いい子でいるって言ってる」

 「じゃあ、領主館にいけばいいか……えーとあと君たち二人は……」

 シロの背中に乗ってるのは、鉱山で働いているテオとテオを監督しているエドガーだった。二人はシロの背中から降りる。

 「自分たちも領主館にいきます」

 「送ってくれてありがとうございました、ニーナさん」

 テオはペコリと頭を下げる。

 「あたしも、殿下のお見舞いに行きたい……けど……」

 「うん、クロとシロをここに置いておけないから、オルセ村に戻ってて」

 ヘンドリックスの言葉にニーナは頷く。

 「ヘンドリックス、お願いだから、殿下のことは鳩で知らせて、鳩のポポはあたしの伝書鳩の中でも一番早いし頭いいからすぐ来てくれるわ」

 「うん、こまめにしらせる。ポポは大変かもしれないけれど、天候のいい日に飛ばすよ」

 「オルセ村のみんなも、ニコル村の人たちからも、殿下が早く治りますように祈ってるって、領主様にもお伝えしてね。じゃあ明日、また、二人をこの時間に迎えに来るから

 「うん、クロ、シロ。ニーナを頼むよ、気を付けて戻るんだよ」

 シロがヘンドリックスの手のひらに鼻をつける。

 わかったと挨拶したように見えた。

 領主館の門前には、入れ替わり立ち替わりで、ヴィクトリアの見舞いとして人々が訪れる。

 ただ、館には入ることはできない。

 門前に設置した簡易テーブルにお見舞いの手紙や品を置いていくのだ。

 警備をしている者も第七師団の団員で交代制だ。

 「ヘンドリックス戻ったのか」

 ヘンドリックスが敬礼すると担当していたクラウスも敬礼する。

 「あれ、アッシュだろ」

 アッシュは門の隙間を潜り抜けて、正面玄関のドア前を前足でトントンしている。

 「鉱山のエドガー氏からテオが珍しい鉱石を掘り当てて、それを殿下の見舞いにしたいといってたので、シロとクロにつれてきてもらったんだが、アッシュもついてきた」

 「ああ。鉱山の……その包みを置いていった。今頃はテオの姉のところじゃないか? 顔を出すそうだ」

 「殿下はまだ枕が上がらない状態なのか……お倒れになられて、そろそろ一月だが……閣下はどうされている」

 「仕事は領主館に持ち込まれている状態だ、軍官舎には訪れていない。フォルストナー中将が代行でいろいろ動いて下さってる」

 「そうか……。早く本復されるといいのだが……」

 「みんな、明日にはきっと殿下がご快復にむかってるという知らせがあると、信じてるようだ」

 「うん……」

 「閣下も……魔獣や悪漢ならば、殿下をお守りできるだろうが、病だからな」

 「歯がゆいだろうな……」

 テーブルの上にはグラッツェル伯爵が教えている子供たちの絵や手紙が、そしてクリスタル・パレスを管理するトマスからそこで育てて実を成した南国の果実がお見舞いの品として置かれていた。

 殿下はこれを見たら感激してくれるだろうか。

 「アッシュ、また明日こよう、おいで」

 ヘンドリックスが手を広げるとアッシュはなんども振り返りながらヘンドリックスの元へ戻ってきた。

 「いい子だ、殿下はたくさんたくさん、この領地の為に動いてくださったから、お疲れになったんだよ。大丈夫、また元気になられる……」

 アッシュがクウウンと鼻を鳴らす。

 そのアッシュの鼻にまるで返事をするかのように白い雪が落ち始めた。



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