第29話「おやすみなさい、殿下」
「それで、結婚式はいつですか?」
わくわくした様子でヴィクトリアは尋ねた。
「まだ具体的には……」
ヘンドリックスとニーナは照れながらそんなことを言う。
「そう、ほら、殿下と領主様のお式もまだだし! ね? ヘンドリックス」
ニーナがそういうと、ヘンドリックスも頷く。
ヴィクトリアはアレクシスを見上げる。
「殿下と閣下の結婚式は政略だから、いろいろ期限も決められてるが、お前らそうじゃないだろーが」
ルーカスが言うと、うんうんとヴィクトリアは頷く。
「ん~一か月後なんかどうだか?」
村長のアランが提案した。
「一か月後?」
「オルセ村では、だいたい後一か月後ぐらいで収穫祭するですだ、それで一緒に結婚式したらいいべな」
「そだな! 収穫祭はにぎやかだし、結婚式もみんながだいたい揃ってる時がいいべ?」
「んだんだ」
「素敵……収穫祭とかあるんですね……」
ヴィクトリアは指を組み合わせた。
「そりゃーありますだよ、ここは北部辺境だで、豊穣の女神様の加護に毎年感謝するだ。そんで、次の年もまた加護を受けられますように祈るだよ」
「えーじゃあ、それウィンター・ローゼでもできる?」
「ナナル村のもんもしたで、やりたいゆーでねーのか?」
「えー楽しみー」
「今年は豊作だで、結婚式も盛大にやるだ」
盛大な結婚式。
ヴィクトリアは思い出す。
三年前のグローリアの結婚式を。
サーハシャハル王国での挙式を。
南国の花が一斉に咲いてその花吹雪の中、国民に祝われて、数多の国から求婚を受けていた姉の花嫁姿を。
そしてマルグリッドの結婚式を。
厳かな教会の祭壇の前に立つ、花嫁衣裳を着たあの姉達の姿を。
「どうされました? 殿下」
アレクシスにそう言われて、ヴィクトリアははっと顔を上げる。
「……はい?」
そのヴィクトリアの顔を見て、アレクシスは慌てて彼女を抱き上げる。
「お疲れになったのでは?」
アレクシスはそう言って、ぽんぽんと背を軽くたたく、そのしぐさをしながら、アレクシスはヴィクトリアにしか聞こえない声で囁く。
「殿下、そのままお顔をわたしの肩に伏せてください」
「?」
「泣いておられると、皆も心配します」
そう言われて、ヴィクトリアは自分が泣いていることに気が付いた。
「殿下、どうなすっただ?」
「お疲れのご様子だ」
「ほんなちっさな身体で、よーくここまできなすったから、疲れたんだべさ、うちの村さ商隊さ使うてる宿があるで、そこでお休みなすった方がええべ」
「ああ、その方がいいだろう」
村長アランの案内で、アレクシスに片腕で抱き上げられたまま、宿に入ると宿屋の女将があわただしく部屋を用意する。
「姫様、大丈夫だか」
「この辺境の村は皆仲が良いからな……帝都の皇城にいる両陛下を思い出されたのかもしれない」
アレクシス自身、何故彼女がいきなり泣き出したのかわからなかった。
素直で感激屋だから、何か彼女の琴線に触れるものがあったのだろうとは思う。
しかしそれは聞いてみないとわからないし、村人に心配させないよう、もっともらしい理由を告げる。
「そだったか~まだお小さいものな~」
お小さいと言われても、彼女は16歳なのだがと、アレクシスは否定はしなかった。
ヴィクトリアが聞いたらいつものように、「これでも16歳ですから」と否定するだろうが。
実際、世間一般で成人として見られる16歳の容姿をしていたとしても、アレクシスからして見れば、一回り幼いといえば幼いのだ。
アメリアがヴィクトリアの身支度を整えたようで、部屋からでてくる。
「殿下はやはりお疲れのご様子でした」
「お会いしても問題ないだろうか?」
アレクシスの言葉に、アメリアは頷いた。
「女将、殿下の食事はスープだけでよいとおっしゃってました」
「そうだか。他の軍人さんたちは普通のでええだか?」
「はい」
そんな女将とアメリアの会話を背に、アレクシスは部屋に入ると、ヴィクトリアはベッドに伏せていた。
「大丈夫ですか? 殿下」
アレクシスがそう呼びかけると、ウトウトしていたのか、ぼんやりと瞳をあけた。
「黒騎士様……ごめんなさい……駄々をこねて視察についてきたのに」
「私の方こそ……もっと殿下を気遣うべきでした。この辺境にきてから、殿下はいろいろなことを一気に推し進めてきたから……」
そう言われて、ヴィクトリアは首を静かに振り、じっと、アレクシスを見つめる。
女子供が苦手なと言われている彼は……。
女子供が泣いたり騒いだりするのは苦手だろうし、ヴィクトリアが言葉にする想いは、多分軽くいなされてしまうだろうと予想がついた。
「どうされました?」
だから、やはりこのことは告げずに置こうとヴィクトリアは思う。
「黒騎士様の……そういう優しいところ、わたしは大好きです」
――わたしは、好きな人と結婚できる。でも、その人はわたしを好きではないかもしれない。わたしが彼を想うほどには。父上の勅命、彼の怪我を治したその恩義、皇族への忠誠。それだけ。
ニーナとヘンドリックスの二人が、村のみんなや第七師団の団員達に、冷やかされながらも、照れくさそうに嬉しそうに、幸せそうに……結婚式の話をしている様子が、酷く羨ましくなったのだった。
そんな様子を見て、思い出したのは、姉達の結婚式。
眩しいぐらいに輝いて、政略ではあれど、自分の好きな相手を伴侶とした姉達の花嫁姿を。
――わたしが、黒騎士様をずっとずっと好きでいれば、黒騎士様に想われたい分も、わたしがもっともっと好きでいればって想ってた。だって、好きな人とは結婚できるのだからって……でも、ここにきて意外と、自分が欲張りだったのに気が付いてしまった……好きな人に同じぐらい好きになってほしいなんて……。
「黒騎士様は、お疲れではありませんか?」
――わたしが婚約者で、お疲れではありませんか?
そう尋ねたいのに、言葉出てこなかった。
そしてまた、ヴィクトリアの持ち合わせている冷静な部分が、何故、こんなに情緒不安定になるのだろうと、自分を問いただそうとした。
言葉を何か会話をつなげようと、ヴィクトリアはアレクシスに話しかける。
「明日は鉱山にいけると思います、明日……は……元気に……」
しかし、ベッドに横になっているせいなのか、全身のだるさと心細さで、ヴィクトリアは瞳を閉じて、眠りに誘われてしまった。
「……殿下……」
いつも元気で、明るくて、生き生きしていて、アレクシスの傍にいて「黒騎士様」と声をかけてくる彼女が心もとない感じで眠ってしまった。
――大丈夫だろうか。
視察を取りやめて、ウィンター・ローゼにすぐさま戻るべきか。
アレクシスは手袋を外して、ヴィクトリアの頬に手を当てる。
――熱はないようだ……ただの疲れならばいいが……。
もしも……。
もしも何かの病の兆候だとしたら?
風邪ならば、ここはやはり視察は取りやめて一度ウィンター・ローゼに引き返そうとアレクシスは思う。
どれぐらい、そうしてヴィクトリアを見つめていたのだろうか。
ためらいがちにドアノックがされ、アメリアが顔をのぞかせる。
「アメリア殿……」
「姫様、まだお休みですか?」
「ああ、よく眠られている。熱はなさそうだが……体調がすぐれないようならば、一度ウィンター・ローゼにもどることも考えている」
「……」
アメリアはアレクシスとは反対側のベッドの傍に回り、ヴィクトリアの顔を覗き込む。 顔色を見て、アメリアはほっとしたようだ。
「アメリア殿、殿下はお身体は丈夫な方だったのだろうか」
「……なぜです?」
「もしかして、今まで無理をされていたのでは?」
「お身体は丈夫です」
――でも、情緒不安定な感じがする。うちの姫様に限って突然泣き出したり、食事はいらないとか言い出すなんて……。今日はそんなに魔力を使ってないのに……。
「馬車の中でも、思ったのですが……閣下は、姫様のことちゃんと婚約者として向き合おうとされているようにお見受けします」
「……」
「安心したのですが、殿下には通じておられないのが残念です」
アメリアは思いきって踏み込んだ発言をした。
多分アメリアが何を言っても、この目の前の男は答えはしないだろうと思っていた。
だが、彼は言う。
「……そうか……そのままできれば、お伝えしないままでいてくれ」
この小さな姫に、忠誠や義務ではない気持ちがあることを、彼は否定しなかった。
否定はしなかったが、それを告げるなという。
「……かしこまりました」
アメリアは一礼して、お食事をお持ちしますと告げ退室する。
――これは……もしかして……黒騎士様、姫様がまさかの初恋とかじゃないの?
ドアを閉めて、アメリアは独り言をつぶやく。
「今度チャラ男に聞いてみよう……」
「だからさ、誰がチャラ男だっつーの」
アメリアが振り返ると、ルーカスが立っている。
「……失礼、中将」
「殿下のご様子はどうなんだ?」
「眠っておられます」
「アレクシスの奴が付きっきりか」
アメリアは頷く。
「中将は閣下と士官学校時代からのお付き合いですよね」
「そうだけど?」
「……閣下の初恋とかご存知ですか?」
「知らね」
「チッ、使えない男ですね」
「おい、今、舌打ちしただろ、侍女はしちゃいけないんだよ!?」
「うるさいですよ、中将。わたしがそんなことをするはずがありません」
シレっと言い放つアメリアは歩みを止めない。
「よくコイツを侍女にしたな……殿下……いや殿下だからできるのか……まあ、それはさておき、アレクシスの初恋が殿下かもとか思ってる?」
「違うのですか? 外れたか……」
「あいつの初恋云々なんて、あいつが自分で言うわけねーだろ」
「ああいうタイプは、中身が結構乙女なので中将にご相談されている可能性があるかと思ったのです」
「……もうやだ、この人怖い……でも、あいつにとって殿下は特別だろ」
「恩義と忠誠以外でも特別?」
「特別でしょう。だってさあ、あいつに今まで、あんなに好き好き言ってくれる子なんていないだろーよ、男っていうのは結構チョロイもんなの、ちょっと優しくされちゃうと、好きになっちゃうぐらいチョロイわけ」
「……」
「割と最初から、あいつは殿下に惚れてたんだと思うぞ、殿下の見た目が幼いから自覚したくないだけで」
――でもそれを告げるな……か……拗らせておられる……。
「だって普通に惚れるだろ、可愛いし素直だし、頭いいし、魔力あるし、成長したらめっちゃ美人になるだろ、俺でも惚れてまうわ。今の状態でも合法ロリ……」
ルーカスが最後まで言い終わらないうちに、アメリアはルーカスの足を踏みつけた。
「閣下にお伝えしましょうか?」
「ヤメテ、オネガイ……殺サレル……」
アメリアがスープをもって、ヴィクトリアの部屋を訪れた。
ヴィクトリアはまだ眠っていたが、ドアノックで今度は目を覚ましたようだ。
アレクシスがドアを開けて、小さなワゴンを押すアメリアを部屋に入れたら、ベッドから自力で上半身を起こしていた。
「殿下お目覚めになりましたか」
「なんか、すっごく疲れていたのかしら? 眠ったらスッキリしてるの」
いつもの様子でケロっとした感じでヴィクトリアはそんなことを言う。
ベッドの上にはいるものの、上半身を起こしていて、背にクッションを重ねてあてている。
「自分でもおかしいとは思うのよ、こんなことなかったのに。でも、ほら元気なの」
両腕をパタパタと鳥の翼のように上げ下げする。
「だから平気です、黒騎士様。このまま明日はテオたちのいる鉱山に行きましょう」
アレクシスは返答をしない。
「お願い。だって鉱山は、姉上からも詳細を知らせてほしいってお手紙がきていたんですもの」
指を組み合わせて、アレクシスを見上げる。
「姉上様?」
「エリザベート姉上です。ハルトマン伯爵領は土壌がよくなくて農業での税収を行わない方向に決めたそうなんです」
「でも、いま、カールは領地にいるはずですが……」
「ええ、でも、それだとまた伯爵が長期にわたって、領地不在になったら最初からやり直しです」
確かに、カールの魔力頼みで行われる農業政策は不安しかない。
彼が倒れたら元の木阿弥だ。
「エリザベート殿下は、あの領で何をされるおつもりです」
「……黒騎士様、これは内緒ですよ? 姉上はフェルステンベルク領とシュワルツ・レーヴェ領で収穫される作物だけではなく、ほかの産出物から何かを生産し、それを流通させるおつもりなのです」
「二次産業と仲卸ですか」
「フォルストナー商会あたりは痛いでしょうが、でも領地で生産するから、商会より大規模で行いますし、流通においてはそういった商会にも旨味はあるでしょ?」
「……で、ここの鉱山で産出される物資を検討すると」
「この目で見て、これだと思うもの、姉上にいいお値段で買い付けてもらえるものを、一緒に考えてほしいのです」
「……わかりました。では、今回はアルル村とエセル村への視察は取りやめます」
ヴィクトリアのまだ行ったことのない村も今回の視察には予定していたが、それを取りやめるという。
こうして会話をしていると、あの不安定な感じはもうないが、やはり心配する。
「その二つの村への視察は、また今度の楽しみにとっておきます。連れて行ってくださいますか?」
アメリアからトレーを受け取って、ヴィクトリアの傍に置く。
この村では木のスプーンを使っていない。
今はウィンター・ローゼにいるゲイツが、こういった金属製のカトラリーをこの村で作っていた名残りだろう。
アレクシスは黙ったまま、スプーンで、スープを掬って、ヴィクトリアの前に差し出す。
「え……?」
ヴィクトリアは目を瞬く。
そして差し出されたスプーンを口に咥えた。
アレクシスが持っているスプーンの端をヴィクトリアが自分の手で持ちなおす。
「黒騎士様、わたし、赤ちゃんじゃないです」
いつものように、子供扱いされたと思って、ヴィクトリアは頬を膨らます。
「病人あつかいのつもりですが」
「もう、病人でもないです」
ぷんぷんとしながら、自分でスープを食していく。
そんな彼女をアレクシスは黙って見つめている。
そうなると、照れてしまって、ヴィクトリアはなかなか手を動かしづらい感じになるが、ここで残したらまた『視察を切り上げましょう』と言い出されるかもしれないので、なんとか完食する。
「ご馳走様でした」
アメリアは安心したようにトレーを下げる。
「ありがとうアメリア、明日は普通に食べられます」
「かしこまりました、女将にそのように伝えます」
「ね、黒騎士様、お願い。いつかアルル村とエセル村にも連れてってください」
「わかりました」
「よかった!」
ぽんとヴィクトリアは両手を合わせる。
アメリアが、ヴィクトリアの背のクッションをとり、彼女を寝かしつける。
「閣下も、お食事をとられたほうがよろしいかと」
「殿下がお休みなったらそうしよう」
心得たようにアメリアは頷き、ワゴンを押して退室する。
「黒騎士様もちゃんと召し上がってくださいね」
「殿下が早くお休みなられたら、そうします」
ヴィクトリアはむうとふくれる。
しかし、アメリアやアレクシスが心配する要素は、自分でも自覚があった。
どうしてこうなるのか、いろいろ思考を巡らせるが思い当たらない。
――ヘンドリックスさんたちの結婚式の話から、姉上たちの結婚式を連想して、思いっきり情緒不安定になったのよね……確かにわたしも早く結婚したーいとか思ったけれど、やだ、わたし、そんなに結婚にこだわってた? 確かに結婚したいけども。でも、それであんなに情緒不安定になるものなの? 今はこうして反芻しても平気だし、少し眠ったから、クリアな感じで鉱山のことやニコル村のことも考えられるし、収穫祭とかも楽しみだなって思うし、どんな催しにしようかわくわくするぐらいだし……。
目を閉じて、いろいろと思考を巡らせる。
「殿下? お休みになられました?」
アレクシスの声がして、ヴィクトリアははっとするが、目を閉じたままにしようと思った。
――あ、早く寝ないと、黒騎士様、夕食おくれちゃう……。このまま黙っていろいろ考えておこう。眠ったと思われるよね? それにしても収穫祭か……ウィンター・ローゼでも、賑やかにやりたいな。一か月後か……。
目を閉じて、そのまま思考の巡らせを続けていると、額に柔らかい感触が当たった。
「おやすみなさい、殿下」
アレクシスの気配がベッドから離れて、ドアの方へ向かい、部屋を出ていく。
ヴィクトリアはバチっと目を見開いて、自分の額に指を当てた。
――え……今の……黒騎士様……今の……。ええ~~!! 起きてるときにやって欲しかった!!
ヴィクトリアは悔しそうに眼をギュッとつむり、唇を噛みしめたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます