第23話「ただ、貴女をお守りしたいだけなのです」
「殿下、この件、アレクシスは知っているのですか?」
皇城に戻る馬車の中でルーカスはヴィクトリアに尋ねた。
ヴィクトリアは馬車の窓の外を見ている。
「殿下」
窘めるようなルーカスの言葉に、ヴィクトリアはしぶしぶ返答する。
「……黒騎士様にはお話してません」
「まじで独断かよ……」
「黒騎士様には、あまり関わって欲しくないという私的な感情があったことは認めます」
「アレクシスだって、この件は殿下の手で進めさせたくないだろーよ」
お姫様自ら娼館に乗り込んで、街にそれを建てて人材を集めるなんて。
「侍女殿は知ってたんだろ!? なんで止めなかったんだよ!」
アメリアに矛先が向けられるが、アメリアの表情は硬い。
「わたしが姫様の気持ちを優先して、黒騎士様に何もお伝えしなかったことは否定しません。ですが。これは取り組まなければならない事案の一つです。本職の人を呼ばないと、一般市民が犯罪に走りかねないし、被害を受ける市民もでましょう。姫様の言葉を聞いて概ね同意です。黒騎士様は清廉な方、他の誰にお任せすると?」
「せめて相談しろよ、いつだって、姫様は相談してきただろーが」
「相談したら、中将のように止めに入るでしょうね」
ルーカスは頭を抱える。
あのアレクシスに相談したら、絶対ヴィクトリアを止める。
そしてアメリアがいうように、アレクシスがやるよりもヴィクトリアならそつなく事を運ぶだろう実際そうだ。
しかし、ルーカスの言いたいのはそういうことじゃないのだ。
皇族の姫が関わる種類のことではない。
ましてヴィクトリアは16才だ。
デビューし、成人したとはいえ、見た目が幼いのでルーカス個人の倫理観的に、肯定できないものがあるのだ。
「ハルトマン伯爵領の圧政の為に売られた領民です。皇族として責任はあります。ましてハルトマン伯爵領を国の管理下に置き、皇族の手で再建を図るならなおのこと彼女たちにも補償をしたかったのです」
彼女たちの返答、補償の受け入れは拒否だった。
その逞しさは、シュワルツ・レーヴェ領にいる領民の気質に近い。
「最初はその補償の交渉をしようと思ったのです。だから敢えて黒騎士様にお伝えはしませんでした。ただ彼女たちがわたしの想像よりも逞しかったので、あえて、方向を切り替えてこの話にもっていきました。補償をするより、彼女たちの希望を汲みました」
ヴィクトリアが欲しかった人材と一致するならば、彼女たちに任せてみようと。
「そこじゃねえんだよ、そこじゃ。嫁入り前の娘のすることじゃねーだろって話なんだよ」
ヴィクトリアも、ルーカスが言いたいことはわかっている。
「……だって……、黒騎士様に任せたくなかった……わたし……」
ヴィクトリアは俯いて拳を握りしめる。
「だって、結婚したって、わたし、多分このままかもしれないから、男の人は結婚するしないにかかわらず、そういう衝動に駆られるって聞いてるし」
――そうだけどさあ、誰だよ、この小さい姫にそんなことを吹き込んだのは。
まさかお前じゃないよなと、ルーカスはアメリアを見る。
「黒騎士様も、中将も大人だから、ああいう場には行ったこともお世話になったこともあるでしょう?」
ヴィクトリアの言葉に、ルーカスの視線を受けていたアメリアの切り返してくる視線が険を含んでいるようにも見える。
――だからなんでそういうことを突っ込んでくるの、この姫様。ていうか、侍女殿、『お前いまここで説教しても、どーせ使うんだろう?』的な視線送るのヤメテ。
「だったら、わたしが選んで好印象の人ならお任せしてもいいかと」
「俺、アレクシスにチクるよ?」
ヴィクトリアは唇を噛みしめる。
アメリアは理解してくれている。ヴィクトリアのこの一面を。
ルーカスもこの一件で、はっきりと認識しただろう。
自分に、こんな一面があることを、アレクシスに知られる。
幼くあどけなく無邪気なという形容詞から程遠い、ヴィクトリアのこの本質を。
――嫌われるかな……。
いつものように、目をすがめて微かに笑ってくれなくなるかもしれない。
一緒に朝食をとってくれなくなるかもしれない。
ここに来る前に、第四皇女シャルロッテから言われた言葉を思い出す。
――最初っから、無理無理な政略結婚なんだから、
――まだ、どーんとぶつかってもいないのに、ヴィクトリアはそんなに臆病だったか。
眉間に皺を寄せて、閉じていた瞳をあける。
「どうぞ」
ルーカスは内心舌打ちした。
「事後報告はしようと思っていましたので」
要は、もう終わったこと。
アレクシスにはヴィクトリアを抑止することができなかったからいいという判断なのだろうかとルーカスは思う。
――嫌われても、わたし自身が黒騎士様のことを好きでいるのは、変わらない。
「必要だと思うことをしたまでです」
ルーカスは肩を落として、はああと息を吐いた。
転移魔法陣でウィンター・ローゼに戻ると、ルーカスは憮然としたまま、領主館を出ていこうとした。
アレクシスは不在。多分、軍官舎か工務省の事務所か、街にでているようだ。
アメリアは、ルーカスを送るがてら、他の侍女や執事に戻った旨を伝える。
「殿下は普通の令嬢とは違うと、まだ認識されておられなかったのですか?」
帰り際、アメリアが背を向けて玄関のドアを手にしたルーカスに投げかける。
「してるよ、十分してるよ、だけどコレはダメだ。俺がダメなだけかもしれない。へんなところで頭の固いチャラ男で悪かったな」
「でも、結局利用するんですよね?」
「可愛い彼女か、嫁でも紹介してくれ、それとも――」
ルーカスはアメリアの手をぐっと引いて、扉に押しやり、腕で突き出す。
「侍女殿が彼女になってくれるわけ?」
アメリアは硬い表情のまま微動だにしない。
が、次の瞬間、押さえつけている扉が開き、ルーカスの額に黒い剣の鞘がゴツっと音をたてて当たる。
「人の家で殿下の侍女殿に何、不埒なことをしようとしてる」
アメリアは振り返る。
扉を開けたのはアレクシスで、剣の鞘もアレクシスのものだった。
「お帰りなさいませ、閣下」
「そちらも意外と早いお帰りでしたな、アメリア殿」
アメリアの前で額を抑えて蹲るルーカスを見る。
「不埒はお前の殿下のほうだよ、なんだよ、今回の任務受けなきゃよかったよ、チクショウ……」
ルーカスの呟きにアレクシスは首を傾げた。
「娼館!?」
不穏な発言をしたルーカスを、執務室ではなくシガールームに連れて行き、報告を促した。
ヴィクトリアに宣言したように、ルーカスはありのままをアレクシスに伝える。
「お前がついていながら、どうして殿下を止めなかった!」
「止められるかよ? いきなり転移魔法陣で帝都へ飛んだかと思えば馬車にのせられてついたら花街なんだぞ!?」
先日、ハルトマン伯爵領が帝国の直轄領になったという手紙を受け、疲弊し、傷ついた領民を思い、心を痛めて泣き出す彼女にアレクシスは上手く言葉をかけられなくて歯がゆく思った。
膝の上にのせてなだめていた彼女は、傷ついた領民を救うために帝都に行くとは言ってたが、それが花街に売られた娘たちの救済でそのために彼女自らそこに足を運ぶとは想像もできなかった。
しかも、この領地に赴く前に、娼館を建てる企画をしていたことも。
娼館を建てるに至ったヴィクトリアの考え方は、確かに理解はできるものの……アレクシスもルーカスと同じ気持ちだ。
それはヴィクトリア本人が行うべきことではなく、別の人物に任せておけばよかったのではないか。
アレクシスはグっと拳を握りしめてシガールームを出ていく。
「ちょ、ちょっと待って、お前、その顔で殿下に説教かます気じゃねーだろーな!?」
アレクシスが眉間に皺を寄せ、部屋を出ていくのをルーカスは慌てて後を追う。
この新領地に来て、いや、ヴィクトリアとの婚約から、アレクシスの雰囲気は変わった。
以前はアレクシスを理解する部下たちに理解されてはいたが、仕事の時も普段の時も常に厳しい感じで威圧感があった。
しかし、ヴィクトリアとの婚約から、アレクシスの表情はそこまでの威圧感はあまり感じなくなっていた。
しかし今のアレクシスは厳しい表情をしたままだ。
軍属してない若い貴族が恐れ、他師団の新人も恐れる彼の硬質な空気。
荒々しくドアを開ける。
ヴィクトリアは執務室の椅子に座って、くるりとドアに背を向ける。
「殿下」
ヴィクトリアはアレクシスに背を向けたまま俯く。
周りの人々が、黒騎士は怖いというから恐れているのとは違う。
大好きな黒騎士と、自分が言い争いをする事に恐れていた。
そのことで嫌われることに恐れていた。
「どうして相談してくださらなかったのです」
いつだってヴィクトリアはアレクシスに意見を求めてきた。
彼女のひらめく考案がどんなに素晴らしいもので、周囲が認めても、アレクシスがいいと言わなければ代案を出す、それぐらいはする。
今回のような独断は決してしなかった。
「直接会ってお話したかったのです、人伝では誠意がないと思ったのです」
アレクシスは深いため息を吐き出す。
これが部下なら怒鳴り散らしていたかもしれない。
「どんな危険な場所がご存じないわけではないはずです」
「だから中将に護衛を頼みました」
「私の方が戦力的に上なのは、ご理解してますよね?」
「黒騎士様はダメ!」
「はあ!?」
即座に返答したヴィクトリアにアレクシスも素で尋ね返す。
ヴィクトリアは弾かれた様に椅子から立ち上り、アレクシスの脇をすり抜けて執務室のドアを開けようとしたが、アレクシスに片腕で胴回りをホールドされて、いつものように片腕で抱き上げられた。
「殿下」
ヴィクトリアはアレクシスと視線を合わせず、アレクシスの肩口に顔を埋める。
「だって……あそこは……綺麗な大人の女性がたくさんいるんです……。わ、わたしは黒騎士様の婚約者だけど、子供だから、比較されたらかなわないのです……」
「……」
「やきもちなんです……」
観念したようにヴィクトリアは呟いた。
腕の中のこの小さな姫に、自分が好かれているのかと、アレクシスは驚いた。
自分にとって、忠誠をささげる対象から、そんな風に想われて躊躇った。
だけど……。
嬉しいと彼は思ったのだ。
「……殿下」
アレクシスはヴィクトリアを諭すように、呼びかける。
「でも、危険なことを、貴女はしたんですよ?」
「……」
「あそこは、大人の女性だけではない、貴女のその見た目の容姿と変わらない少女だって、まったく同じ仕事をする場所なのです」
「……」
「ルーカスが護衛についていたからって、あいつだって数でかかられたら守る手がでません」
「……はい……」
「あなたがそんな場所に行って、心無い者に攫われたらと想像したら、心臓が縮む思いですよ」
「……ごめんなさい」
反省してるように見えた。
しかしアレクシスの顔を見ない。
「殿下」
諭す口調から、もう少し強い口調に切り替わる。
「貴女はまだ関わる気でいるでしょう? 危険だと今言ったばかりなのに!」
「だって、だって」
「だっても、でもも、ない!」
はっきりと言い切られて、ヴィクトリアは肩口に埋めていた顔を上げてアレクシスを見る。
「やだ! だって領地の収益に関わるんです! 帝都と違う経営の持っていき方、考えついたんです!」
「……」
コンラートは先日「殿下の発想力は底なしですな」と感心していたが、よもや娼館にまで彼女は一体何を仕掛けるというのだ。
……関わらせたくないし、諦めさせたいが、頭から反対しても、きっとヴィクトリアはまた今日みたいな危険をおかすだろう。
どう言えば、この小さな君主は自分を頼ってくれるだろうか。
「一人で考えないで、相談してくださるはずではないのですか?」
ヴィクトリアは深い蒼いアレクシスの瞳を見つめる。
「わたしに、殿下をお守りさせてはくださらないのですか?」
ヴィクトリアは目をギュっとつむる。
「黒騎士様にそう言われたら、わたしが、『はい』っていうしかないの、もうわかってるでしょう?」
しぶしぶヴィクトリアがそんなことを言うのが、とても可愛くて、愛しくて……。
「ただ、貴女をお守りしたいだけなのです」
そう言ってアレクシスは破顔した。
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