第21話「皇族とはいえ、全能ではないのです、殿下……」
ヴィクトリアがシュワルツ・レーヴェ領の新しい街に入った知らせを聞いて、デビューの時に誘っていた人材がウィンター・ローゼに続々と入ってきていた。
そこでとにかく頑張ったのは工務省建設局の面々と第七師団である。
まずイセル村とウィンター・ローゼの中間にある建物、今後学園都市となる場所にヴィクトリアがたてた建物を宿兼事務所にした。
扉や窓もつけ、中の建具も設置し、家具も配置。
領民の一家族がそこに管理人として料理や清掃などを請け負うと言ってくれた。
第七師団は交代で魔獣対策のため哨戒に回る。
そして温泉を街に引く作業も進めている。
先日ヴィクトリアが言い出してきた温室も建て始めていた。
建設局の事務所でヴィクトリアは恐縮したように言う。
「ごめんなさい、コンラートさん、お仕事いっぱいで」
「いやいや、仕事は好きだからいいのです」
「働き者じゃの」
ふいにそんな声が部屋の後ろから聞こえてきた。
その場にいる全員が、部屋のドアにたたずむ老紳士に視線を移す。
「グラッツェル先生!」
ヴィクトリアの家庭教師をし、帝都の学園で理事職をしているグラッツェル伯爵だった。
「お早いおつきではないですか!」
「殿下の街を早くみたくての」
「道中ご無事でなによりです! あの時、誘ってみたはいいけれど、ここは本当に魔獣も多いので、そこは心配してました」
老伯爵はうんうんと頷く。
「イセル村からは、第七師団が護衛に回ってくれて問題もなくここまでつきましたぞ」
ヴィクトリアは安堵のため息をついた。
「学園都市の場所も見れた。完成まではまだ時間もかかるだろうて、それまではここの学校で教鞭をとってもいいですかな?」
「もちろんです! 街をご案内します」
老伯爵を始め、元官僚系の人材の一団に街を案内するヴィクトリア。
街の行政機関を担当してくれる人材は、これから人口が増えるので、早く来てもらえて助かったと内心思う。
第一陣は行政区よりの居住地に家を決めてもらって、荷物はそこへ。
その中で一人、若い男が声をかけてきた。
しかし、ヴィクトリアの周りには第七師団が常に護衛としてついている。
その護衛の顔を一人一人見て、若い男は首を傾げる。
誰かを探しているような視線の動き。
「あー初めまして、殿下。僕はケヴィン・フォルストナーといいます」
「ケヴィン……フォルストナー……さん……というと………」
「はい、第七師団ルーカス・フォルストナーの弟です。兄がお世話になっております」
若い男はそう言って頭を下げた。
「なんでお前が、ここにきてんだよ?」
ケヴィン・フォルストナーを軍官舎の方へ案内すると、ルーカスの第一声がそれだった。
帝都きっての大商会であるフォルストナー家が新しいこの地に三男坊を送って寄こしてきたのだ。
これは思ってもないことだった。
フォルストナー商会は帝国に広い販売経路をもっている。
そこがこの辺境にやってきた。
このシュワルツ・レーヴェ領でそこが店を構える。
「ひどいな。ルーカス兄さんも連絡ぐらい偶にはくれてもいいじゃん。父さんも母さんもオスカー兄さんも心配してたよ、あと、ミリアとヴァネッサとー」
女性名が羅列始めたところでルーカスはガタっと椅子から立ち上がり、ケヴィンの口を塞ぐ。
ヴィクトリアはルーカスに不審の眼差しを送る。
専属侍女のアメリアとルーカスは、ヴィクトリアがこのウィンター・ローゼにはいる道中よく話をしていたように記憶している。
帝都で護衛してくれていた時も二人は話が合っていたようにも思う。
しかし、いまの状態、もしかしてルーカスは女性に対して多情ではないかと疑問を抱くに十分だった。
そんなヴィクトリアの視線を察したのか、ルーカスは弟に言う。
「帰れ!」
「やだよ! これは父さんからの厳命だし。ここでフォルストナー商会の仕事しろって言われてきたんだよ」
わあわあと兄弟喧嘩がはじまりそうな気配だ。
「フォルストナー商会はここにお店を持つのですか?」
ヴィクトリアの問いに、ケヴィンは振り返る。
「はい。帝都移住の第一弾に名乗りを上げました。もともと、この北部の食料は少ないながらも質がいいし、帝都でも人気があるんです。それに、ヴィクトリア殿下なら、もっと面白そうなこと、たくさん企画してるんでしょ? 一枚かませてください」
「……面白そうな……」
ケヴィンは茶色の瞳を輝かせる。
「だって、温泉とか学園都市とか、それにさっき案内された建築予定の巨大な温室とか、この何もない土地で、そんなもの建てようとしてるんですよ? うちの流通経路でバーンとこの新領地で作った製品を扱わせてくださいよ!」
「フォルストナー商会……」
「はい、うちはそこそこデカい商会です。跡取りは長男のオスカー兄さんと決まってます。次男のルーカス兄さんは、軍属してしまったから、ボクがここでフォルストナー商会の支部をまかせてくれとお願いしたんです」
ヴィクトリアはルーカスを見る。
「……『門前の小僧習わぬ経を読む』って言葉が遠い東の島国にありましてね……まあ普段からそういう場にいると、影響を受けるって意味なんですが……。歩き始めたころから親父にくっついてまわっていたこいつは商売の勘はいいですよ」
ケヴィンは『もっとボクを推して』という表情でルーカスを見上げる。
まだ何も特産とするものはできてはいないが、フォルストナー商会がこのシュワルツ・レーヴェにくることは願ってもないことだった。
「よろしくお願いします。ケヴィンさん」
「はいっ! 頑張ります!!」
ガシッとケヴィンはヴィクトリアの手を握る。
「よかった~、ヴィクトリア殿下が独自で商会起こす前で~」
護衛についていた第七師団とルーカスはヴィクトリアを見る。
確かに、ヴィクトリアならどこからか人材を見つけて独自で商会立ててもおかしくはない。それ見越して第一陣でやってきたフォルストナー商会はやはり帝国きっての商売人のようだ。
「それに、殿下めちゃくちゃ、可愛い~」
その一言を耳にした第七師団の護衛がヴィクトリアからケヴィンを引き離す。
あまりの動作の速さに、ケヴィンは驚く。
「な、なに!?」
黒い軍服を着た数人に壁をつくられていた。
社交辞令だろうと、相手が自分たちの上官の弟だろうと、ヴィクトリアの手を握ったままそんなことをいう男の傍になど近づけさせないと、護衛達の気持ちは一つだった。
「殿下、領主館にお戻りにならないと、官僚の方々との面会が」
「あ、はい」
ヴィクトリアは素直に頷く。
「じゃ、ケヴィンさん、これからよろしくお願いします」
ヴィクトリアがそう言うが、ヴィクトリアの視界も黒い軍服の第七師団に囲まれた状態になっており「さ、殿下お早く」と促される。
ここにきて、いろいろ自由にしてきたけれど、移住者第一弾がきたからには街はもっと街らしくなる。
第七師団の護衛を任された人も、そこは気を引き締めてくれてるのだとヴィクトリアは思って領主館に戻るために、軍官舎を後にした。
領主館に戻ると、第一陣できた行政担当者と領主であるアレクシスが打ち合わせを行っていたようで、ヴィクトリアと入れ違いで担当者は辞去したようだ。
執務室のドアをノックしてアレクシスが「どうぞ」と答える。
「黒騎士様……ご苦労様です。ごめんなさい、ご一緒に第一陣の官僚の方とのお話に間に合わなかったようですね……」
「殿下でしたか」
「ただいまもどりました。お茶でもいかがですか?」
「ありがとうございます」
アメリアが心得たように、お茶の用意をしてくる。
ワゴンに乗せられてきたティーセットでヴィクトリアが自らお茶を淹れてみた。
それをアレクシスのデスクに運ぶ。
「殿下にお手紙がきていました」
「お手紙……」
ヴィクトリアは黒騎士から白い封筒を受け取る。
蜜蝋で封されたその印は見覚えのある印だった。
この手紙は普通に配達されたものではなく、執務室のデスクに設置した魔法陣から送られてきたものだとわかる。
ペーパーナイフで封を開け、綺麗な筆跡で書かれていた文字をざっと読む。
いつものキラキラした、無邪気な彼女の表情ではなく、どこか固いものだった。
「いかがされましたか? 殿下……」
ヴィクトリアがソファに座って、一通り便せんに目を通して、肩を落とす。
「あまり、いいお知らせではありませんでした」
便せんを封に収めなおして、アレクシスに渡す。
「私が読んでも?」
ヴィクトリアはこくりと頷く。
封から今一度便せんを取り出して、アレクシスはそれに目を通す。
手紙の主は、エリザベート殿下からのものだった。
ハルトマン伯爵領の一件、そして伯爵の事、そこがつぶさに記載されていた。
「エリザベート姉上なら、領地の経済力を復活させるのには、申し分ない方です。でも……領民の気持ちは……なかなか癒えないと思うのです。ハルトマン伯爵も、領民からの非難を受けお怪我をされているようで……」
「……」
「わたしは癒しの魔術を使えますが、死者蘇生まではできないのです」
この小さな殿下はもしそれがかなうなら、その地へ赴いてその魔術を展開させるだろうとアレクシスは思う。
「子供を無くしたり、親を無くしたり、それが貴族の領主がしたことが原因。その貴族として上に立つ皇族のわたし達は、戦争以外にそんな思いをさせてしまって……」
ヴィクトリアは唇を噛みしめて俯く。
俯いたデスクの天板に小さなしずくが落ちる。
「殿下……」
アレクシスはヴィクトリアをひょいと抱き上げて、自分の膝の上に乗せる。
ヴィクトリアは驚いて目を見開く。
アレクシスは黙って、ヴィクトリアの頭をいつものように軽く手のひらでぽんと叩く。 まさかアレクシスがこんな風にヴィクトリアをなだめるとは思いもよらなかった。
でも、魔獣が現れて、怖くて泣き出しそうな時は、こうして腕を伸ばしてくれてヴィクトリアを抱き上げてくれていた。
アレクシスからしてみれば、小さな女の子が泣いていれば普通に抱き上げて、そんなに泣くことはないと不安を取り除いてあげたかったのに、その風貌のせいで余計大泣きされてた過去がある。
ヴィクトリアは自分が抱き上げても逃げずにいつも嬉しそうにしてくれていた。
しかし、今日はこうしてなだめていても逃げ出したりしないもののヴィクトリアの表情は晴れない。
ヴィクトリアの瞳から、また涙が流れ落ちる。
いまこうして自分を膝の上にのせてくれてる彼がいなくなったらと思うと。
例えば、自分を歓迎してくれたイセル村の人が、このウィンター・ローゼにきてくれたナナル村の人がそうなったら……。
それを考えると涙がとまらなくなる。
「わたしは、この領地がここの領民が……そうならないように努めることしかできない……」
「殿下」
「どうして、神様は……わたしに、死者蘇生の力をくれなかったのかな……」
「……」
「どうしたら……テオのいたハルトマン伯爵領の領民の気持ちを……癒せるのかな……」
「皇族とはいえ、全能ではないのです、殿下……」
「……」
「どんなに手をつくしても、傷の癒えない者はかならずいます。貴族が招いた圧政が領民を苦しめたのは、もう消せない事実です。起きてしまったことです」
「……」
「だから彼等領民のために尽力することは大事です。皇帝陛下もきっとそうお考えで、第一皇女殿下にハルトマン伯爵領をお任せされたのですよ」
「姉上は……わかってるかな……」
「殿下の姉上ですから、領民の気持ちに沿ってくださると信じましょう」
「……うん……わたしもお手伝いします……残った人の傷が……癒せるように……」
アレクシスの膝に横座りしていたヴィクトリアの瞳が何かを決意したように見えた。
その瞳に溜めていた涙が止まる。
大人しく膝の上でしょんぼりと落ち込んでいた彼女が立ち上がる。
いつものように元気をとりもどしたとはいえないし、表情は硬いままだ。
「殿下?」
「明日、帝都に戻ります」
「帝都に?」
「まだ、救わなければならない傷を持つ人がそこにいるのなら、この地でわたしが償います……黒騎士様はお忙しいと思うので、フォルストナー中将を護衛にお借りしてもよろしいでしょうか?」
「ルーカスを?」
「はい」
ヴィクトリアは力強く頷いた。
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