第19話「人は独りでは生きていけないのだよ」
馬車が一台、帝都からその領地へと入った。
荒れた土地。
覇気のない人々の表情がうつろで、最初はその馬車に視線さえもくれなかった。
領地館の周りはかろうじてなんとか形は保ってはいたけれど、どこかうらぶれた雰囲気が漂っていた。
「降りる」
「伯爵様」
「実際近くで見てみたい……これが……先代から譲り受けた領地だとは……僕が……」
結婚する前の村の様子は、もっと穏やかで、領民もいきいきしていた。
行きかう人々の他愛無い笑い声と会話があった。
「僕が……こんな風に……してしまった……」
馬車が停まって、御者がドアをあけようと御者台から降りると、村の者が遠巻きにこの馬車に視線を集め、そしてその村人の数が増え、それは馬車を半分取り囲むように半円になっていく。
村人の様子にただならぬ気配を察して、御者はドアの前に立ったままで開けようとはしなかった。
「どうした……?」
馬車の中から御者に尋ねると、御者は囁く。
「だめです、伯爵様、危険です」
御者はそう言って再び御者台に戻るが、目の前に、村人が壁になって進路をふさいでいた。
「おい、その馬車に乗ってるのはハルトマン伯爵なんだろ?」
「……」
「どうなんだよ!」
「だとしたら……どうだというんだ?」
明らかな殺気だった。
「伯爵なら、どうする気なんだ」
村人が石を御者に当てる。
石は御者の額にあたり、血がでる。
「今さら戻ってきて、どうするつもりだ!」
「うちの爺さんは飢えて死んでいったんだ!」
「あたしの赤ちゃんもよ!」
「娘は帝都に売られて行ったっ!」
「あんな馬鹿高い税を搾り取って、帝都でずっとお楽しみだったんだろ!」
怨嗟の怒号が、馬車を包む。
「何とか言ったらどうなんだ!」
「出てきやがれっ!!」
執事の制止を振り切り、ハルトマン伯爵はドアを開ける。
「あの、女はどうした!」
「そうだ! あの女の贅沢でこうなったんだろ!」
「いいや、亭主のくせに、女房のことを抑えなかった、こいつが悪いんだ!」
そういうと、石が伯爵に向けて投げられて、それが当たる。
「殺せ! やっちまえ!!」
その言葉を合図に、村人がハルトマン伯爵の乗っていた馬車に襲い掛かる。
「伯爵、馬車の中にお早く!」
執事の言葉を遮り、ハルトマン伯爵カールがドアを閉めて御者に叫ぶ。
「ヘルマン、馬車をだせ、中のパウルは逃してやれ、お前も逃げろ!!」
「伯爵様!?」
御者も執事も躊躇いの表情をして声をあげるが、怒りに染まった領民の一人が叫ぶ。
「いい度胸だぜ、伯爵様よおっ!」
村人の男の拳がカールの腹部に入る。
その衝撃に前のめりになったカールの頬に今度は拳が入る。
「こいつのせいで! こいつのせいでっ!」
村人の女たちが、麺棒を振り上げてカールの身体に振り下ろした。
「そこまでだ!」
凛とした声が響く。
白馬に跨った、深紅の軍服を着た貴公子が叫ぶ。
その後ろから隊をなして騎乗した深紅の軍服を着た一団がやってきて馬車を取り囲んでいる村人を引き離した。
制止の声をあげた貴公子と思しき人物は、貴公子ではなかった。
第三師団を率いるヒルデガルドだった。
「第三師団だ……」
「赤い軍服……」
「クリムゾン・ナイツ……」
「ヒルデガルド殿下だ……」
白馬に騎乗したまま、カールと村人の間にヒルデガルドが入る。
「……」
殴られて打撲と裂傷で意識を失っているカールと、怒りの収まらない村人をヒルデガルドは交互に見つめる。
馬車のドアを剣の鞘先で軽くたたき、中にいる執事にカールを馬車に回収させた。
「お前たちの憤り、これでこの男もわかっただろう。これぐらいにしておけ。わたしも悪政に苦しめられたうえに領主殺しとしてお前たちの中の何人かを牢にぶち込むことはしたくないからな」
ヒルデガルドのその言葉に、村人たちは振り上げていた農具や棒を下げる。
「告知が行き届いてないかもしれないのでここで伝えるが、このハルトマン領は帝国直轄領となり、第一皇女エリザベート殿下の管理下におかれる。この男もだ」
ヒルデガルドが馬上から降り、村人と同じ目線に立つ。
「だって、俺たち……俺の……親父が……」
男が涙ぐみはじめる。
ヒルデガルドはその男の肩に手を置く。
「お前たちのまだ残ってるその力、この地に来る私の姉上に貸してはくれないか?」
「殿下……」
「姉上は、必ず、この地を元通りに、いや元よりもさらによくしてくれるはずだ。このリーデルシュタイン帝国次期女帝になる彼女を……信じてほしい」
「うっ……」
「うう……」
その場にいる村人の誰もが、涙を流しやり場のなくなった怒りをこらえているようだった。
村人に襲撃されたカールをのせた馬車は、第三師団の一団に警護されて、ゆっくりと領主館へと進んでいく。
「あの男も……ハルトマン伯爵も、お前たちへの贖罪と思って、この場に踏みとどまろうとしていた。領主として間違ったと本人の自覚があるうちは、まだ、更生の余地があると思ってくれないか? 赦すのはすぐでなくてもいいから。暴力はなしで」
「あの女は? あいつの女房はどうしたんですか?」
村人がいうのはハルトマン伯爵夫人イザベラのことだった。
「投獄されている。この地にはもどらないだろう」
「え?」
「何をやらかしたんで?」
「……バカすぎるにもほどがある理由でだ。そこは安心していいから」
「殿下」
「ここより北の領地には私の妹もいる。お前たちは、いままで通り、姉上の指示がでるまではなんとか日々を凌いでくれ。陛下の許可ももらっている。日に一度、各村で炊き出しを行うぞ」
村人たちはそれぞれ頷いて、自分たちの家に戻っていった。
「……戦争被災並みの状態だな」
村人の背中を見送りながら、ヒルデガルドは呟いた。
カールは激痛で目が覚めた。
身体に残る激痛で、自分はまだ生きているのだと察した。
領主館の自分の寝室だった。
窓際に、軍服を着た線の細い青年が立っているように見える。
「起きたのか」
ヒルデガルドが呆れたような表情でカールを見ていた。
カールが青年と見間違えていたのは彼女だったのだ。
「護衛をつけるというのを振り切って早々と領地に戻ってこのざまだな」
「ヒルデガルド殿下……」
「あのまま止めに入らなければ、撲殺されていたぞ」
「……そうですね」
「死んで償うつもりだったか? しかし、それは逃げだな」
「逃げ……」
「失敗したので責任とって辞任するとか、爵位を返上とか、死をもってつぐなうとか、それらを逃げだと姉上はよく言うのだ。生きて反省してその失敗を補うことこそ責任の取り方だと」
「……責任の……取り方……」
「伯爵の場合。私はどちらをとっても微妙だとは思う。しかし過去の実績があり、現状を把握できる理性も持っているなら、生きて償えというのが、陛下や姉上の意向なのだろうな」
「生きて……償う」
カールはそう呟いて、唇を閉ざす。
「まあ、ゆっくり休め。姉上がここへ来たら、ベッドの上では寝ることなどできないだろうからな」
ヒルデガルドは聞こえているか聞こえていないかわからないが、そうカールに呟いた。
数日後。
一台の馬車がハルトマン伯爵領に入るのを、領民たちは目にした。
白い軍服の第一師団がその馬車を取り囲んで領地館へと進んでいく様を……。
領地館へ進みつつも、各村へ立ち寄り、その様子を確認しているようだった。
「なるほどな……」
馬車の中から、村々の様子を見ていたエリザベートが呟く。
「ヒルダが、戦争被災地並みと手紙にしたためていたが……」
呆れたようにため息がこぼれた。
「治水がゆきとどいていないせいだな。どう思う? メルヒオール」
「農業での税収はあまり見込めないかと……よくこれで農業で税収できていたものだと……」
発言したのは、次期宰相、マルグリッドの夫であるメルヒオール・フォン・フュルステンベルクだ。
今回のハルトマン伯爵領再建のため、エリザベートの片腕として馬車に同乗していた。
「ハルトマン伯爵は親から爵位を継ぐ前は、環境庁自然保護局にいたようだ。荒れた地を農地にしていたのは、彼の力だろう」
「帝都にずっといては農地はもとの荒れ地にというわけですか……どうするおつもりですか? 殿下」
パチンパチンと扇を弄びながらエリザベートは言う。
「農業は、領民が食い凌ぐことができればよい。いまのところは。農業でなければ別の方法で税収を取れるように算段しよう」
エリザベートはパチンと扇を閉じる。
「道ができているからな」
「道ですか」
「そう道だ……ここは帝都に隣接したお前のフュルステンベルク領、そしてそのまま北部に通じている」
ポンポンと扇の先端を手で受けている。
「二つの領は幸運にも領土が広く、食糧事情もいい。そこの食料がここに集められる。そうするとだ。道がよくて食料が一気に手に入る場所を商人たちが黙っているかな?」
「仲卸の場とするのですね」
「もちろん。農業以外の生産物も見出す。せっかく商人たちがあつまるのだ、ここの領地で生産できれば一緒に流通されるであろう?」
「農業以外……ですか……」
「農業にこだわるならそれでもいいが、この荒れた地で、無理なく、しかも大量に生産性があるものが求められるぞ」
「農業以外ですと、その技術や機材が必要とされますよ?」
「先行投資として、わたしの私領から出そう。収益があがれば少しづつでも回収していけばよい」
「なるほど……」
「当面はな」
そう言ってまた窓の外へエリザベートは視線を投げる。
「まだ何か、お考えがおありのようですね。殿下」
彼女の「当面はな」の言葉に、メルヒオールはひっかかりを覚えた。
「……そのうち、話そう。次期フュルステンベルク公にも旨味がある話だぞ」
ニヤリと笑うエリザベート。
「そのうちですか」
「不服か? 仕方ないのだ。こればかりはな。私だけの力ではどうにもならないことがある。魔力を持つ貴族だけでは、どうにもならないことがあるのだ」
「殿下のお力でも?」
「人は独りでは生きていけないのだよ。メルヒオール」
「馬車を停めろ」
エリザベートは執事にそう伝える。執事は御者に馬車を停めるようにいう。
領地館のある村の中心で、第三師団が村人に炊き出しをおこなっているところを目にしたエリザベートは馬車から降り、そこへ近づく。
第一師団に囲まれて、炊き出しの場に現れたエリザベートに、領民たちは動きを止める。
エリザベートは鷹揚に畳んだ扇で、領民や第三師団の者にそのままでと指示を出す。
痩せた小さな村人の女の子がエリザベートの傍にきて「おひめさま……」と呟く。
小さな椀をかかえて、スープを飲んでいたのだろう。
口の周りに食べかすがついているが、エリザベートは構わず、その小さな女の子を抱き上げる。
「美味しいか?」
抱き上げられて、小さな女の子は頷く。
「ぐんのひとが、ごはんつくってくれて、さいきんごはんたべられるの」
「そうか、名前は?」
「アンナ……」
「アンナ、お前の両親もお前も、よくこの地でがんばってきたな。おまえたちが、そうやって食べられるように、私が尽力しよう」
小さな女の子を抱き上げて囁くように会話する様に、視線が集まる。
「アンナ、わたしはこのリーデルシュタイン帝国の第一皇女、エリザベートだ。この地にいる間はよろしくな」
小さな女の子はこくんと頷く。
「この地を豊かにするために、私はここへきた。だが、人は独りでは生きていけないように、わたしの力のみでなく、お前たち領民の力も借りることになる。疲弊したこの地での再生は難しいだろうが、手を貸してはくれないか?」
「エリザベート様……」
「第一皇女殿下……」
幼子を抱き上げる表情には慈愛があったが、領民に対しての発言は凛としていて、抗いがたい力を感じる。
いままでの状況を思い出す領民は、すぐに歓迎の歓声あげることができず、不安と困惑を抱え、エリザベートに頭を下げるだけだった……。
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