第18話「そうです、わたし、黒騎士様の花嫁になるのです!」



 コンラートをはじめとする工務省の面々が緊張した面持ちでヴィクトリアを見つめた。 第七師団の3個連隊と工務省のスタッフが街の街門をぬけて、掘削予定地まで全員馬で移動する。

 温泉掘削予定地に入るとヴィクトリアはアレクシスに馬から降ろしてもらう。

 予定地にしゃがみ込み、地面に手をつける。


 「……うん……水脈は感じるかな……」

 

 アイテムボックスからスクロールを取り出す。

 それを街道を作った時と同様に、地面にばっと広げる。

 僅かに光をはなつ羽ペンを取り出して手にする。  

 工務省スタッフも、第七師団も息をのむ。


 「掘削の魔術、展開します。みなさん危ないので下がっててください」


 ヴィクトリアの指示する距離までその場にいる全員が離れる。


 ヴィクトリアは丁寧に魔法陣をトレースする。

 この北の辺境の地で逞しくいきていた領民を思いながら。

 己の力で幸せをつかむと想っている彼らを、もっと幸せにしたいと。


 「神に授かりし、この力、民の為のもの」

 

 ――豊かに、幸せに、人が生きるために。


 タタタッと魔法陣から距離を置く。

 そして羽ペンをしまい。大地に手のひらを翳す。


 「魔術式展開!」


 緑の淡い光が魔法陣に沿って輝きだす。




 「この大地に揺蕩う人を癒すその水を掘り起こさん、大・地・掘・削っグラウンド・エクスカーベーション!」




 その魔法陣が大地上で淡く光って縁取って、光の柱が天へと延びる。

 地震のような衝撃のあと、その大地から、勢いよく水が噴射する。


 「……水……」


 その勢いよく噴出した水は、蒸気を帯び始める。

 水の柱は光を浴びて虹をつくる。

 それはアレクシスにかつて皇城の庭園で彼女と対面したあの場面を思い出させた。




 ――わくわくします!


 その菫色の瞳をキラキラさせて言ったあの日を。


 ――そう! だって自分がそこに住むんですもの。

 ――自分も、そこで暮らす人も、楽しく幸せになるように、どうすればいいかを考えるの! 

 ――ね? わくわくしてきたでしょ?




 「温泉だ……」

 「温泉っ!」

 

 工務省は歓声をあげ、第七師団は沈黙を守って、その水柱を見上げていた。

 吹き上がる温泉の向こうにたたずむ小さな彼女の表情は、水柱でよく見えない。

 だが……。


 「殿下……」


 アレクシスはヴィクトリアの後ろの方向に立ち上がる土煙を目にする。

 街とは反対側の、寂寥とした荒野と、遠くにある森の方向に視線を向ける。

 ルーカスは双眼鏡を持って、アレクシスの視線の方向を覗き込む。


 「だめだ、アレクシス、間に合わねえぞ、カッツェ! 工務省のスタッフの退避! 全員馬にのれ!」


 鳥形の魔獣が羽ばたきながらこちらへ向かってくる。

 グラウンド・バードだ……。

 鳥の翼をもつのに、その翼で飛ばず爪と鋭利な嘴で獲物を捕らえ捕食する。

 

 「中将! 閣下! グラウンド・バードの向こうにいる奴のほうが厄介です!」


 ヘンドリックスが叫ぶ。

 

 「……コカトリスだ……」

 「フロレンツ、クラウスを始め、弓を使える奴を選別して馬で移動しろ、グラウンド・バードを先に始末する。ルーカスも人員選別のちに工務省と殿下をお守りしろ!」


 距離はあるが、グラウンド・バードは羽ばたき飛ばない分、足は速い。

 狼や熊型の魔獣から逃げるためと言われている。


 「テリトリー争いなのか、単純に捕食なのか」


 「殿下っ!」


 アレクシスが愛馬で水柱から回り込んで、ヴィクトリアをさらうように抱き上げる。


 「黒騎士様?」

 いきなり馬上から腕を伸ばされて、そのまま地面から馬に乗りあげられたので、ヴィクトリアは驚く。

 「ルーカスの馬にお乗りください。そしてお逃げください」


 アレクシスの視線の向こうに、ヴィクトリアもそれとなく向ける。

 暴れまわる二種類の魔獣を目にする。

 アレクシスに馬上に上げられたヴィクトリアはその魔獣の影に小さな身体を硬直させる。

 ここにウィンター・ローゼに来るまでに襲撃された魔獣を思い出したのだと、アレクシスは察した。


 「魔獣……黒騎士様は?」

 「殲滅します」

 「殿下がいらっしゃると、アレクシスは心配で本領発揮できないらしいので、こちらに」


 こんな非常事態なのに、茶目っ気たっぷりにルーカスはそんなことを言う。

 馬上でヴィクトリアはアレクシスの前からルーカスの前の方に移る。


 「殿下は、工務省の方々をお守りください」


 アレクシスはヴィクトリアにそう言った。

 ただ御身が危ないので逃げろと言われたわけではない、その事実がヴィクトリアの気持ちを奮い立たせる。


 「わたしは、黒騎士様のお荷物ではないのですね? 頼ってくださるのですね?」


 「もちろんです」

 アレクシスの指示を受けた第七師団は速やかに移動を開始していく。

 その様子を見ながら、ヴィクトリアは頷く。

 「わかりました、ご武運を!」

 アレクシスはヴィクトリアの頭に片手の手の平でそっと包んで、その場から離れていった。

 父や姉がそういうことをヴィクトリアにすると、「子供あつかいされた」と内心がっくりくる。

 でも……。


 ――頭……黒騎士様に……ぽんってされた。


 ルーカスは工務省たちの一団の方へ馬を走らせる。

 そんなルーカスの身体の向こう側にいるアレクシスを見ようと、ヴィクトリアは身体の向きを変えようとする。


 「ご案じ召さるな、殿下。アレクシスにとってアレ程度は朝稽古のようなものですから」

 「中将……」

 「殿下を迎えに来た時の魔獣のほうが質は悪かったです。数も多かった。グラウンド・バードはアレクシスが出るまでもない。クラウスなら急所一撃ですから、あいつはめっちゃくちゃ目がいいし」

 「クラウスさんは狙撃手なのですね」

 「第七師団が少人数精鋭と言われてたのは、各個人の能力が突出してるからなんですよ」 


 ――殿下は、工務省の方々をお守りください。


 アレクシスからの言葉に、そして、さきほどの頭をぽんとされた仕草に、気分が高揚しているのを自覚しながら、ヴィクトリアは体の向きを街の方へ向け、先に先導されていた工務省のコンラートに声をかける。



 「コンラートさん、今日はわたしの掘削だけでしたけど、明日から、みなさんで源泉を街まで引く作業をお願いしますね!?」

 「はははは、もちろんですとも! 魔獣から逃げながら温泉街作成、生きててこんな冒険ができるとは思ってませんでしたよ!」

 「わたしもです!」


 ヴィクトリアとコンラートの会話を聞いてた工務省のスタッフが声をたてて笑いだす。

 スタッフを護衛する第七師団も声を立てずともほほ笑む。

 

 「確かに! 冒険者の物語より冒険してる!」

 

 工務省の人間は、元々帝都に居を構えていたものが多い。

 そこから各地を訪れて、仕事をしてきた。

 ほかの領地はそれなりに魔獣の出現が限られているし、位置もここまで辺境ではなかった。ようは元は都会者だ。

 だからここに仕事に来て、こんなに魔獣の出現率が高くて、冬になると豪雪になるこの環境に驚いた。

 今も、確かに遠くに見える魔獣の影には、誰もが恐怖を感じる。

 しかし、この辺境の地に最初から生きてきた人々はそれをなんとか凌いできたのだ。

 同じ人間がそうやって生きてきた。

 自分たちだって、できる。

 そんな気持ちが各々の胸に湧き上がっていた。




 「クラウス、いけるか?」


 弓部隊を引き連れたフロレンツがクラウスに問いかける。


 まだリーデルシュタイン帝国には銃が出回っていない。

 魔導開発局が現在、極秘に開発している最中だ。

 開発されたら、多分早くに支給されるのはこの第七師団だと開発局のスタッフは思っている。

 コカトリスの死角に回り、弓部隊がグラウンド・バードに標準を合わせ弓を構える。


 「距離、風向き、問題ありません」

 「よし、クラウスが初手の一撃をいれたら一斉にクロスボウ連射!」

 「了解であります」

 「カウント、開始、3、2、1、0、撃て!!」


 カウント0でクラウスは大きな弓を引いた。

 風に乗って勢いよくクラウスの引いた弓がグラウンド・バードの脳天を直撃する。

 ギャアアアアという鳴き声の後、また風に乗ってクロスボウの矢がグラウンド・バードの身体につきささり、鳴き声も上げられずに、その巨体を地面に転がした。

 倒れたグラウンド・バードの様子を見て、野生の勘で脅威を感じたのか、コカトリスは身体の向きを弓部隊のほうへ向ける。


 「フロレンツ少将、コカトリス、こちらへ来ます!」


 第二弾を既にクラウスは準備していた。

 大きさも、鳥類型の魔獣という類似はあるが、コカトリスは石化してくる。

 その場にいる全員石化の効果範囲より距離はとっているものの、狙うべき場所は一つだった。


 「コカトリスの右目を狙います」

 「よし! クロスボウは、クラウスの一撃が決まったら左目に連射、カウント、3、2、1、0撃て!!」

 

 クラウスの一撃が右目に直撃する。

 この北部に移動してから、弓部隊の命中の精度はあがっていた。

 ギャアアと鳴き声を上げるものの、連射したクロスボウの矢を羽根で防いだ。

 羽根は飛び散るものの、その肉や骨までは届いていないようだ。

 だが、クラウスの放った矢は、確実に右目を射抜いていた。


 「チッ、ここの魔獣は頭もいいが、タフすぎるんだよ!」


 クラウスが舌打ちをして三射目をつがえる。

 



 「いいや、よくやった、クラウス」




 そう呟いたのはアレクシスだった。

 愛馬でそのまま暴れまくるコカトリスの横から入っていく。

 黒い風が、コカトリスを横切る。

 そう見えた。

 

 ――石化を無効化にした。それだけで上等だ。


 アレクシスの愛馬が最速でコカトリスの前を横切った瞬間、コカトリスは声も上げず巨体をドンと音をたてて横たわり、土煙を上げる。

 その土煙の後にもう一度、また小岩が落ちるようなズシンという音と、小さな土煙があがった。

 コカトリスの首だった。

 二体の魔獣の羽根が土煙の中で舞う。


 「すげえ……横一線で一刀両断だ……さすが閣下……」

 

 クラウスが呟く。

 

 「ハルバード隊が出る幕ないですね」


 双眼鏡でフロレンツ少将が魔獣の生存を確認する。


 「これぐらいなら、弓だけでもいけるな。魔獣の死骸を始末をして、撤収する」 


 冷静なフロレンツの言葉に、部隊は速やかに魔獣の死骸へと移動を始める。

 先に魔獣の死骸を始末している部隊と合流した時に、クラウスはアレクシスに声をかけられた。


 「クラウス」

 「は」

 「精度があがってるな。よく一撃を入れた」

 「ありがとうございます。やはり、ここにきて、自分でもそう思います。これはやはりこの土地に住む人々の影響かと。彼等はこんな魔獣のいる地で生きてきたと思うと、なんというか自分も全力を出さなければと思うのです。職務として標的を射るのは戦争と変わらないのに……違った感じです……」

 「……そうか……」


 生死が分かれる仕事は一緒のはずなのに……。

 アレクシスの視線は、森とは反対側のウィンター・ローゼに視線を向けた。


 

 

 アレクシスたちがウィンター・ローゼに戻ると、街にいる人々が笑顔で出迎えてくれた。

 

 「黒騎士様っ!」

 

 人々の真ん中にいたヴィクトリアが、真っ直ぐにアレクシスに走り寄る。


 「皆さんもご無事で、よかった!」

 

 アレクシスの前に立って、両手を組み合わせて、魔獣の討伐に参加していた第七師団の部隊にも視線を向ける。

 アレクシスは「ご無礼をお許しください」と呟いて、いつぞやのように、片腕でヴィクトリアを抱きかかえる。

 視線が高くなったヴィクトリアは帰還した第七師団の全員がいるか確かめる。


 「本当に……全員ご無事でよかった……」

 「殿下、工務省の方々をお守りくださって、ありがとうございました」

 「いいえ、黒騎士様が、みなさんを守ってくださったのです。だからこうして戻ってこれました。ありがとうございます」

 

 ヴィクトリアは小さなキスをアレクシスの頬にする。

 周りが冷やかしの声を一斉に上げる。

 アレクシスは、あまり表情が変わらないが、ヴィクトリアは顔を真っ赤にして言う。


 「わ、わたしは、黒騎士様の婚約者だし、お嫁さんになるのですから、だから、だから……その、感謝のキスなのです、おかえりなさいのキスなのです」


 いままで、こうして、アレクシスが抱き上げて守ろうとした子供は、泣き出して逃げ出した。

 戦地で命がけで守ってきた人々も、同様に。

 こんな風に、一度も、感謝のキスなんて、贈られたこともなく。

 無表情をよそわないと、歓喜の表情が漏れて、収拾がつかなくなりそうだった。


 「……婚約者……」


 アレクシスは呟く。

 彼女は、幼くあどけなく、為政者の資質を持ち、君主として思った彼女は……。


 「花嫁様……」


 ヴィクトリアは頷く。


 「そうです、わたし、黒騎士様の花嫁になるのです! いまは、まだ無理でも、絶対、早く大きくなりますから! だから、黒騎士様、待っててくださいね?」


 アレクシスには、はいとも、恐れ多いとも、何も言葉が出てこなかった。

 

 「あー、ひどいっ! 黒騎士様、そこは、はいって言ってください!!」


 頬を膨らませて、拗ねる彼女を抱えて、アレクシスは歩き出す。


 「はい、殿下」

 「あー、そんな棒読みーひどいです!」


 そんな二人の様子を、第七師団も工務省のスタッフも数少ない街の者も、微笑ましく見つめていた。

 


 「わたし、絶対早く大きくなって、黒騎士様の花嫁になるんだから――!」



 そんなヴィクトリアの可愛らしい宣言に、みんな声を立てて笑い出し、アレクシスも肩を震わせて笑っている。

 ヴィクトリアも頬を膨らませていたものの、つられて笑顔になった。



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