第17話「俺たち平民の幸せは『己の力でつかみ取るもの』でもあるのです」
「おい、なんでお前が、ここで朝飯食ってんだよ」
軍官舎の食堂にて、ルーカスがアレクシスを見て発した第一声だった。
「朝の訓練の後だ、ここで食べたほうが手間がない」
「そこは領主館に戻って食えよ。殿下お一人で朝のお食事とか、かわいそうじゃねーか」
アレクシスにしてみれば、長い旅程の殿下はお疲れだろう、いつ起きるかわからない。
一仕事と朝の鍛錬をしてから館に戻るつもりだった。
しかし、ルーカスの「殿下お一人で朝のお食事とか、かわいそう」と言われれば、そうかもしれないと思う。
帝都の皇城で両親や姉たちと一緒だった彼女が、この辺境の地についてきたのは専属侍女を始めとする使用人たちのみだ。
「館を出る時はお休みだった。食ったら戻る」
「そーしろよ。ていうか食事はもう領主館でしろ、お前一応、領主なんだから」
「ここでとった方が手間がないかと」
「領主館の使用人の仕事をなくしてどうすんだよ」
「……そうか……そうだな」
「帝都からここまで来る間、殿下はみんなと気さくに一緒に食事をとってて、皇城と違って楽しいとかおっしゃってたぞ、それなのに、領地についた翌朝は婚約者はすぐに領主館を出てきて、ぽつんと一人でお食事とか、お前さあ」
ルーカスの言葉に、それは確かに考えが足りなかったと思ったようだ。
「わかった」
「……お前、ちゃんと、殿下と会話しろよ?」
「は?」
「話の中身はこの際どうでもいいよ、領地経営だろうが、軍関連だろうが、あの殿下なら何の話を振っても、そつなく答えるぞ。ドレスとお菓子と宝飾品にしか興味のない貴族の令嬢とは違うのは、お前が一番わかってないと」
「それはわかってる」
「そうしろ。話題が広がって、殿下の事を知れるいい機会だろ、結婚するのに相手の想ってることわからないなんて、普通の貴族の政略結婚ならありだけど、ここ。辺境だからな。普通と環境が違うんだから。なあ?」
ルーカスは一緒に帝都からついてきたカッツェとクラウスに同意を求めると、二人はうんうんと頷く。
「……確かに、ルーカスの言う通りだ。浅慮だった。今後そうする」
アレクシスが席を立ちその場を去っていく。
その後ろ姿を見送って、ルーカスもクラウスもカッツェも、グっと親指をたてる。
「朝からいい仕事したよな? 俺」
ルーカスの言葉に二人は頷く。
「閣下のこと惚れてくれる女なんか絶対いないと思ってましたが、ヴィクトリア殿下は閣下のことめちゃくちゃ好きですよね?」
クラウスがルーカスに問いかける。
ルーカスはうんうんと頷く。
「式典の時、殿下はお見えにならないと誰もが思っていたのに、怖がりもせずにアレクシスの目を癒して言ったんだ……」
――わたしが、貴方の婚約者です。末永く、よろしくお願いしますね、黒騎士様。
両手を広げ、彼に微笑みかける彼女をルーカスは思い出す。
彼女がまるで天使のように見えたあの日を。
そう、あの時は思ってた。
天使のようだと。
しかし、ヴィクトリアの人となりを知る今となっては、見た目に騙されてはいけないと自分自身に言い聞かせる日々だが。
「殿下は頭もいいし、魔力もあるが……万能ではない」
「……万能ではない?」
「為政者として領地を管理する者だって人間だ。感情に左右されることも時にはあるだろう。そしてそれ故に、間違った道に進んでしまう者もいる……ここに着くまで立ち寄ったハルトマン領がいい例だ」
カッツェは頷く。
「あそこはひどかった。イセル村の方が自然環境は厳しいし、村人も高齢の者が多いはずなのにな、活気があった」
「為政者次第なんだよ。ハルトマン伯爵だって伯爵位を継いだ時は、普通だった。結婚して変わったんだ。我々は領軍としてここの領民や、殿下の御身もお守りすることが陛下より賜ったご下命ではあるが。このまま真っ直ぐ殿下がご成長されるのも、見守らなければと思う。そしてその民もだ。多分アレクシスはそう思ってる」
「なるほどな……無能な上官に仕えて隊が壊滅してた例もある……それと同じか」
カッツェは元々別の師団にいたが、隊が壊滅し、一人生き延びてきたことがある。
ルーカスもクラウスもそれを知っており、カッツェが過去の体験談からの言葉だと察した。
「そういうことだ」
ヴィクトリアは、目が覚めた後、アメリアに身支度を整えてもらい、温室(オランジェリー)を見て、朝食を終えたあと、コンサバトリーでお茶を飲んでいた。
昨夜コンラートが館内を案内した時に造園業者が気合を入れたと言っていたので、この二つの場所を明るい陽射しが入ってるときに見ておきたいと思ったからである。
「素敵な造り、ガラスをこんなにたくさん使ってるなんて……設置されてる植物もみんな青々としてて元気よさそう」
「街の造りもそうですが、この館は貴族の館の最新のデザインと思われますね」
「アメリアもそう思う?」
「はい、ロッテ様……魔導具開発局顧問が考えそうなデザインかと」
「そうなのよ! ものすごーく新しい感じがするのはそこなの。工務省の上層部と魔導具開発局顧問の方は懇意にしているかもしれないわ。感謝しないと」
「殿下」
声をかけられて、ヴィクトリアは慌てて振り返る。
第七師団の軍服を纏っているアレクシスがコンサバトリーの入り口に立っていた。
ヴィクトリアは席を立ちアレクシスの傍に近づく。
「おはようございます。黒騎士様、いま、アメリアにお茶を淹れてもらっていました。ご一緒にどうですか?」
「はい」
ヴィクトリアは嬉しそうにほほ笑む。
二人は椅子に座って、アメリアからお茶を淹れてもらう。
「朝からお仕事お疲れ様です。昨日、コンラートさんが温室とコンサバトリーは造園業者が気合を入れていたとおっしゃっていたので、ここでお茶をしていました。ここ、すごいです。ガラスがたくさん使われてて、陽射しの入りがいいです。これから真夏は熱いかもしれませんが冬はいいかもしれません」
「そうですね、わたしもこのコンサバトリーには今初めて入りました」
「えー、もったいないです! ……でも、お仕事忙しいですものね……」
「殿下……明日はここで朝食をとりましょう」
「え?」
「殿下さえよろしければ、ご一緒に」
「本当ですか? 朝食を一緒に?」
「ご迷惑でなければ」
「何をおっしゃっているのです、黒騎士様。わたし、黒騎士様の婚約者です! 迷惑なんかじゃありません。嬉しい!!」
――黒騎士様から、朝食を一緒にって誘ってもらえた、アメリア、聞いた? 聞いた?
そんなヴィクトリアのぱああっと効果音すら聞こえそうな明るい表情から、声にしないものの言葉がダダ漏れである。
アメリアは冷静にほほ笑み返すだけだ。
しかし、アレクシスはそんなヴィクトリアを見て……。
――やはり親である両陛下や姉上様方と離れたのがお寂しかったのだな。
そんなことを思っていた。
「領主様、殿下、工務省の方がお見えです」
――せっかく、黒騎士様とお茶できたのに……。
唇をすぼめて、ヴィクトリアは残念そうに言う。
「お仕事開始ですね、黒騎士様」
「殿下、お疲れではないですか?」
「ありがとうございます。でも明日の朝食の為に頑張ります」
アレクシスは、微かに笑う。
もちろん、ヴィクトリア的には大好きな黒騎士様と一緒にとれる明日の朝食の時間の為に、今日の仕事を頑張るといったつもりだったのだが、アレクシスから見れば、貴族の、しかも皇族の皇女が、市井の民と同じように「明日の食料の糧の為に働くか」と呟いたように受け取ったので、おかしかったのである。
コンラートが領主館にヴィクトリアを迎えにきた。
昨日は到着したばかりで、街の中をそんなに視察することができなかったが、日の出た明るい日中に、詳しく案内をするとともに、ヴィクトリアがこの街の観光目的となる温泉を掘削するためである。
最初に工業地区を視察。
帝都から輸送されるものもあるが、街を完成させるために、ここでの自給自足を行い、必要なものを生産している。
「ゲイツ技師長を呼んでくれ」
コンラートが工業地区の中で一番大きな工場にはいり、若手の者にそう伝えた。
コンラートの後ろにいるのが黒騎士と小さな貴族の女の子なのを見ると、はっとして、奥へと引っ込んだ。
しばらくすると声をかけた若者を付き従えて、痩せた小柄な男がコンラートの前に進み出た。
「コンラートさんか、どうした……?」
「彼がここの工場長のゲイツ・バーナー氏です。もともとナナル村にいた鍛冶屋の方なのですが、今回の街づくりのために、ここへ移住してくれました」
紹介されてヴィクトリアはカーテシーをとる。
「はじめまして、リーデルシュタイン帝国、第六皇女ヴィクトリアです」
幼くあどけない顔を見せて、優雅な一礼をとる。
紹介されたゲイツはあわてて頭に巻いていた布をとった。
「これはこれは……遠路はるばる……え? 第六皇女殿下……って……黒騎士様の……」
「はい、婚約者です!」
頬をバラ色に染めて、でも元気よく答えた。
表情を変えない黒騎士と、目の前の可愛らしい小さな姫を見比べて、ゲイツは一瞬黙った。
「いや、この街が黒騎士様の領になるのはわかっていたし……皇族の姫が降嫁するのも知ってはいたが、聞くのと見るのとでは……」
「見た目は幼く見られがちですが、わたしは、今年17になります」
「うそだろ……」
ゲイツの呟きにヴィクトリアは憤慨することなく、笑顔を浮かべる。
「殿下……ナナル村は春になる前に、魔獣の被害で村が半壊状態になりました」
アレクシスの言葉にヴィクトリアは目を見開く。
そしてゲイツとアレクシスを見比べる。
「村が……半壊?」
「先の戦役の影響で、魔獣がナナル村を襲ったのです」
「そんな……」
「ナナル村の人々は、オセル村に移住を始めて、オセル村からこの新しい街ウィンター・ローゼに移住してきました」
ゲイツは口を開く。
「殿下、ここの北部の辺境に住む帝国の領民は、魔獣の被害と厳しい自然環境の中で生きてきた」
「はい……」
「でも、それを不幸だと思ったことはない。住めば都といいます」
ヴィクトリアは目頭が熱くなるのを感じた。
「ゲイツさん。わたしは、この北部の人たちは優しい人たちばかりと思ってました。でも、それは間違いというか、『優しくて、強い』人たちなんですね。だから、黒騎士様が治める地になるんですね」
「殿下……」
「わたしは全力でお手伝いします。初代リーデルシュタイン皇帝は、『神から授けられた魔力は民の為のもの』そう言われました」
「立国宣言の一説ですな」
「はい。『民の幸せの為に、この力、使うことなり』です。この地を幸せにします」
「殿下……」
ゲイツは苦笑する。
「はい」
「俺たち平民の幸せは『己の力でつかみ取るもの』でもあるのです」
ヴィクトリアは息をのむ。
そして、ゆっくりと吐き出す。
魔力のない普通の領民が、そうやって日々を生きている。
そこにヴィクトリアがきて、その魔力で手助けをして、それが幸せかと、言外に問いかけるようでもあった。
「そうです。強大な魔力を持つ三代目リーデルシュタイン皇帝となったアウグストがこの国を破滅に追い込んだ歴史もあります。この魔力による独裁です。でも、弟である第四代皇帝が、この国は皇帝皇族貴族の為だけのものではないと証明したのです」
三代目皇帝の悪政を討ったのは四代皇帝であった。
「彼は自分の力だけではなく、民の力を借りた。私たちは民の力で生きていることを忘れてはならないと言われたのです。わたしもそう思ってます。ですから、力を貸していただきたいのです」
「……黒騎士様の花嫁様は、見た目は幼いがしっかりした方だ」
ゲイツにそう言われて、ヴィクトリアは顔を両手で押さえる。
「この街の名前が、ウィンター・ローゼとなったとあちこちで聞こえてます。殿下の住まう街に相応しい名前です。ご案内します。ウィンター・ローゼ工業地区にようこそおいでくださいましたヴィクトリア殿下。非才の身なれど、この地の為に尽力します。ご案内申し上げます」
ゲイツ・バーナーの祖父は国境沿いに住まう小国家の出身だった。小競り合いの戦役のどさくさにまぎれ帝国の辺境地に流れ着いたらしい。
辺境で魔獣も多く、自然環境も厳しいこの地だが、彼の祖父にしてみれば、ここは安住の地だったそうで、ゲイツはその言葉を受け継ぎ、祖父の技術力を村の為につかってきたそうだ。
「俺の祖父はドワーフの血が入ってたそうです。だから父親も俺も小器用でね、鍛冶屋をやってました」
帝国の言葉を必死で覚えた祖父から、習ったものだという彼の言葉遣いには訛りはなかった。
彼が標準男性の身長よりも低いのは、その血もあるせいだと語る。
工業地帯の人々は、皆一生懸命に働いていた。
この街で唯一現在きちんとした仕事場は、ここと商業地区の建設現場ぐらいだ。
特にナナル村から流れてきた村人たちは、皆、一生懸命、だけど、楽しそうに働いていた。
ヴィクトリアは小さな胸を熱くする。
視察場所を移動する際に、そこで働く人々と握手する。
それはイセル村を訪れ、立ち去る時の気持ちと同じものだった。
コンラートはヴィクトリアを建設中の商業地区に案内する。
ウィンター・ローゼの収益の要、貴族用の宿を中心に、そこからランクをつけるように宿が連なる。食事処や、お土産を購入できる店舗なども順次、仕上がる予定のようだ。
「うん、ステキ、いい感じ。間に貴族でなくてもちょっと内証が豊かな方も泊まれるような宿から、商隊の人も利用できたり、近くの村の人が泊まれる感じの宿とかもあって、そっちから街商業エリアの中心になってて。人が入ったら賑わいそう」
「間に公園を挟む形です」
「公園……ほかの地区にも公園つくるスペースありますか?」
「防災対策ですな、ありますよ」
「不満ですか?」
「ううん、全然、だけど、なんていうのかしらこう……こう……」
「何か工夫をされたいのですね?」
「そうです!」
菫色の瞳をキラキラさせてヴィクトリアは街の様子を見る。
「わかりました。殿下のご要望を合わせてデザインするように、デザイン部の者にも伝えましょう」
「不満とかではなくて、もう少しでこうここで形になりそうなのに! 言葉にでてこないのがもどかしいのです……でも! ここ素敵な商業地です、みんなが楽しめそう!」
小さな頭を両手で押さえて、一生懸命アイデアを絞りだそうとしている様子が微笑ましくて、コンラートは頷く。
「ありがとうございます、我々も殿下にそう言っていただけて、張り合いがあります」
そう声をかけられて、ヴィクトリアはくるりと、コンラートに振り返る。
案内をしてもらって、無邪気にすごいと感嘆の声をかけていた様子とは少し違って見える。
それもそのはずだった。
「じゃ、始めましょうか、温泉掘削」
ヴィクトリアの言葉に、コンラートと傍にいる工務省の面々は緊張の面持ちで頷いた。
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