第15話「おやすみの……キスは……してくださらないのですか?」



 ビジネスディナーのような夕食の後。コンラートはヴィクトリアに領主館の中を案内する。一階のホール。パーティー用の大広間、応接室、居間、今夜、食事をしたダイニングこれは晩餐会用としての広さがとられており、シガールーム、食事中に日が沈んでしまってはいるものの、日中では明るさがみてとれるコンサバトリー。書斎。

 この館の別棟は来客用となっている客室と、使用人用の部屋。

 地下が厨房や洗濯室。そして使用人たちのダイニング。屋根裏は侍女たちの部屋。

 二階が完全にプライベート空間。

 浴室、ドレッシングルーム、主寝室をはじめとするいくつかの寝室、そして執務室。


 執務室に入ると、ヴィクトリアは部屋の奥にある扉を開ける。


 「殿下からお知らせがあったため、この執務室につくりました、建具のない、窓も何もない指定された空間の部屋を執務室内に設置とのご依頼でしたので」

 「……そうです。ありがとうございます。これでいいです」


 執事の為の部屋なのかと連絡を受けた時にコンラートは思った。

 一見それとわからない引き戸タイプにしたといい、不思議だった。


 「ありがとうコンラートさん、素敵な館をつくってくれて」

 「はは、日が沈んでよく見えませんでしたが、コンサバトリーも、温室も造園業者が気合を入れてましたよ」

 「楽しみです。では、明日。予定地にて温泉の掘削作業にはいりましょう」


 コンラートは一礼して、執事に送られて部屋を辞した。

 ヴィクトリアはそれを見送ると、傍にいたヒルデガルドに言う。


 「姉上。第三師団の方を」 

 「今やるのか?」

 「はい」

 「わかった」

 そいうと、ヒルデガルドは執務室を出ていく。


 「何をされるのですか? 殿下」


 黒騎士の問いに、ヴィクトリアはにっこりと笑う。

 「黒騎士様ならいいですよ、その扉から見てても。でも内緒ですよ、そしてわたしがいいですよっていうまで、入ってきてはダメです」

 「?」

 ヴィクトリアはその何もない部屋へ入る。

 アイテムボックスからスクロールを取り出して、それを床に敷く。そしてまたアイテムボックスから羽ペンを取り出して、広げたスクロールの魔法陣をなぞる。青白い光が魔法陣の形で浮き上がり、床に文様が定着した。

 「できたわ。さすが……ロッ……じゃなくて、魔導具開発顧問……」

 嬉しそうに、床に手をついて羽ペンを持ったまま、ヴィクトリアはそう呟いてアレクシスを見上げる。 

 「?」

 「まだ発動させません」

 「何をなさるおつもりですか? 殿下」

 黒騎士がそう問いかけると、執務室のドアが開いて、ヒルデガルドをはじめとする第三師団の団員たちが入室してくる。

 「連れてきたぞ、トリア」

 「こちらも準備できました」

 「はやいな……魔法陣のトレース」

 「えーとじゃあ、6人ずつこの部屋に入ってください」

 言われたとおりに、6人ずつに分かれ、初めの6人が部屋に入る。

 「じゃ、姉上、扉閉めてー」

 「はいはい」

 ヒルデガルドが引き戸を引き、扉を閉めると扉が一瞬青白く光る。

 「いいですよー次の6人の方どうぞー」

 引き戸を引いた空間にはヴィクトリアしかいなかった。

 黒騎士は目を見開く。

 いまその部屋に6人の団員が入室したはずなのだ。それなのに、その団員達の姿はなくヴィクトリアだけがそこにいる。

 3回ほど繰り返すとさすがに黒騎士も声をかける。

 「ヒルデガルド殿下……これは一体……」

 「団員を帝都に送り返してる」

 「は?」

 「あの魔法陣は転移魔法陣だ。帝都皇城のヴィクトリアの部屋とつながってる」

 「転移……魔法……陣……」

 「皇族の血を引くものじゃないと発動しない。そういう仕様だ、フォルクヴァルツ卿これは極秘だ」

 固唾を呑み込んでその様子を見つめる。

 「こんなに連続で何回も使えるのは、トリアの魔力がそれだけ多いからだ……だが……」

 ヒルデガルドにしては浮かない表情で扉を見つめる。

 「フォルクヴァルツ卿……トリアに何かあれば知らせてほしい。この人間を運ぶ転移術はつかえずとも、そのデスクに設置される手紙の転移はフォルクヴァルツ卿の魔力でもできるだろう。この領地に入ってからトリアは一気に魔力を使いすぎだ。出先にあれほど、魔力の使いすぎは気をつけろと言われたのに……」

 「殿下の御身に何かあるのでしょうか?」

 「……これから、何かが起きるだろう……多分……私たち姉妹は……いや、皇帝陛下も皇妃陛下も……それを案じている」

 そんなヒルデガルドの呟きをかき消すように、ヴィクトリアの明るい声が聞こえてくる。

 「姉上、姉上が最後です、黒騎士様もいいですよ」

 扉を開けて、ヴィクトリアは無邪気にそう声をかける。

 ヒルデガルドとアレクシスはヴィクトリアのいうままに、扉の中に入る。


 「じゃ、行きます」


 紋様の中央をヴィクトリアがつま先で踏みつけると床にある魔法陣が光を放つ。

 そして、光が消えると、ヒルデガルドもアレクシスも別の空間に移動していた。

 目の前には転移魔法で先に移動した第三師団がいる。


 「こ……ここは……?」


 アレクシスが一度入ったことのある部屋だった。

 そうデビュタントの時に、ヴィクトリアのエスコートをするために。


 「5日の道をあっという間に、移動だ」


 ヒルデガルドが呆れたように呟く。

 「とんでもない妹だよ、お前は」

 「違うわ、これは魔導具開発局顧問の作った魔法陣のおかげなのです」

 ああ、そっちも同じ妹だよといいたげな、ヒルデガルドの視線にヴィクトリアは首をすくめる。

 「第三師団の方々、本当にありがとうございました。無事にウィンター・ローゼにつくことができたので、これを発動させることも可能になりました」

 ヴィクトリアの言葉に、先に送られてきていた第三師団は全員敬礼する。

 「このことはしばらく極秘だ。いいな」

 ヒルデガルドの言葉に、再度敬礼をし直す。

 「じゃ、姉上、わたしもどりますね」

 姉が魔法陣から離れたのを確認して、ヴィクトリアはアレクシスの手を引いて、魔法陣の中央に入る。


 「姉上、みなさん、ありがとう!」


 そう言って、トンとつま先でまた魔法陣の中央を踏むと光が二人を包んで、ウィンター・ローゼの領主館、できたばかりの執務室の空間に戻った。

 引き戸が自動的に開けられた。

 部屋の外にはアメリアが控えていたのだ。


 「終わりました?」

 「ええ、無事みなさん帝都に戻られました。黒騎士様、これは極秘なので、明日、ここの皆さんには朝早く第三師団は帝都に戻られた。そういうことにしておいてください」

 「わかりました」

 「それとーデスクに……」

 またアイテムボックスから魔法陣を取り出す。

 先ほど、同じように机の端に小さなスクロールを広げる。

 そしてまた羽ペンで魔法陣をなぞる。

 あの部屋の床と同じように、机に移された魔法陣が紋様を刻み、青白く光を放った。

 「これでよし!」


 ヴィクトリアは満足気にほほ笑む。


 「アメリア、姉上達にはこれで連絡がつきますからね」

 「かしこまりました。さ、姫様、湯あみなさって、お休みください」

 あまりにも平常運転のアメリアの対応にヴィクトリアは唇をすぼめる。

 「……あの……もう少し感動してくれてもいいのでは? 黒騎士様はすごーく驚いてくれたのに……」

 ヴィクトリアは黒騎士を見上げる。


 ――一気に魔力を使いすぎだ。出先にあれほど、魔力の使いすぎは気をつけろと言われたのに……。


 あのヒルデガルドにそんな言葉がでてくるとは、ヴィクトリアの魔力の使い方に何がおきるのだろう。

 そうでなくても、彼女は明日、温泉を掘削する気なのだ。


 「殿下、侍女殿の言う通り、お休みください」

 「黒騎士様」

 

 ヴィクトリアの魔力、その魔術の展開に驚き感動もするが、この小さな姫の身に、何かが起きるというなら、それは防ぎたいとアレクシスは思う。

 ヒルデガルドの言い残した言葉が、わけもない不安を呼び込んでくる。

 

 「侍女殿の言う通りになさってください、殿下」

 「黒騎士様……?」


 あまり表情がない、厳つくて怖いと評される黒騎士ではあるが、ヴィクトリアには、彼の表情はわかる。

 自分のことを心配してくれているのだと、なんとなく察した。

 姉が多分、魔力を使いすぎだとか、そんなことを彼にこぼしたのかもしれないと。


 「わかりました。おやすみなさい、黒騎士様。また、明日ね!」

 「はい、おやすみなさいませ、殿下」


 そう言うものの、ヴィクトリアはもじもじしている。

 

 「何か?」


 「その……おやすみの……キスは……してくださらないのですか?」


 「……」


 ヴィクトリアは赤くなった顔を俯かせて組み合わせた両手の指をそわそわさせている。

 ――あ、黒騎士様、固まった。


 アメリアは瞬間的にそう思った。

 まさかヴィクトリアがおやすみのキスがほしいなんてねだるとは、夢にも思わなかったのがまるわかりである。

 しかし、それは一瞬で、黒騎士はその場で跪いて、組み合わせてもじもじさせていたヴィクトリアの手をとり、その手の甲にキスを落とす。


 「おやすみなさいませ、殿下。よい夢を」

 「……はい」

 

 普段、厳つく威圧感がバリバリの彼が、小さな姫の願いを叶えると、ヴィクトリアは嬉しそうに笑う。

 しかし、第三者のアメリアからしてみれば……。


 ――うっわ……黒騎士様、ガード固っ。そして姫様チョロイ……!


 アメリアは心の中でそうつぶやく。

 ヴィクトリアはそのまま執務室を出ていくのでアメリアは付き従う。

 廊下を歩きながら、ヴィクトリアは小さな声でアメリアに言う。


 「アメリア……やっぱり手は洗わないでおこうかな」

 「いえ、洗ってください」

 「はしたなかったかしら? おやすみのキスをねだるなんて淑女じゃない? 自分で言っておいて……も~やだ~どうしよう~」

 「大丈夫だと思いますよ?」

 「え?」

 「姉のヒルデガルド殿下が帰られたので、いきなり心細くおなりになったのだな、ぐらいしか思わないかと……」

 「……こ……子供あつかい……」

 「効果的です」

 「効果的って、何?」

 「魔導具開発局顧問がおっしゃっていた、殿下のその子供の容姿を逆手にとって、黒騎士様との距離を縮めることがです」

 「……アメリアと魔導具開発局顧問って……戦略的よね……時々……」

 

 ――姫様やエリザベート殿下が、本当の意味で戦略的なのに、なぜこういうところでそれを発揮されないのか残念でなりません。


 と、心の中で思ったが、アメリアは口に出さなかった。


 


 ヒルデガルドは第三師団と共にヴィクトリアの部屋を出る。

 第三師団はそのまま帝都の官舎に向かい、ヒルデガルドは一人で皇城内にあるリーデルシュタイン帝国皇帝の執務室へ歩みを進めた。

 執務室前に控えている近衛は5日前にヴィクトリアの護衛として帝都を出たヒルデガルドが執務室前に現れたので、一瞬驚きの表情を出す。

 しかしそれを言葉にすることはなく皇帝へ取り次いだ。

 彼女が部屋に入る時にはいつもの状態で一瞬の驚きを隠しているのはさすがだ。

 そうでなければここの近衛は務まらない。


 「戻ったか、ヒルデガルド」

 「はい」


 入室して執務室のデスクにいた皇帝はヒルデガルドにソファを勧め、侍従が二人分のお茶を用意し部屋を辞した。

 人払いの後、防音の魔術と扉に誰も入らないように魔術を施す。


 「無事で何より。予想よりも早いな、道中何事もなかったか」

 「賊に襲われましたよ」

 「魔獣に襲われるのはある程度想定はしていたが……」

 「魔獣にも襲われましたよ、野営しなかったのが幸いでした。いいなー第七師団……戦争おきたら最前線にトリアにちょっとした砦作ってもらえそう」

 「……ああ、学園都市予定地に家でもたてたか」

 「学生寮を摸したと本人は言ってましたが。その中にいたので魔獣の襲撃での被害はありませんでした。そこにいたらトリアを迎えにきた黒騎士……フォルクヴァルツ卿が魔獣を一気に片づけたので……」

 「ふむ……」

 「トリアのことだから、新領地シュワルツ・レーヴェにいる、工務省の面々は仕事が増えそうだな」

 「シュワルツ・レーヴェ?」

 「新領地の名前です。フォルクヴァルツ伯爵領が二つだと書類上問題もおきるとトリアが言って、それになりました」


 皇帝とヒルデガルドはやれやれといった感じで肩をすくめる。


 「しかし……賊か……トリアが辺境北部へ向かうのは国内の誰もが知るところだが、それを襲うとは……」


 ヴィクトリアが北部へ向かう道中、帝都を出てすぐに入るのは宰相のフュルステンベルク領だ。ヴィクトリアの移動の際に不備がないか細心の注意を払い、領地内を管理監督するために一時宰相自らが領地内に戻っていた。

 もちろん現在は帝都にて職務を行っている。

 そのフュルステンベルク領に隣接しているのがハルトマン伯爵領だ。

 

 「襲ってきたのは北部に隣接するハルトマン伯爵領の者で、まだ子供でした」

 「ハルトマン伯爵か……彼は帝国に謀反を起こすほどの野心や気概のあるような男ではないのはわかっておるが」

 「ハルトマン伯爵領の領地は荒れてました。伯爵の領地管理が問題かと」

 「ふむ……マルグリッドが言うには、伯爵本人よりも奥方に問題があるとか」 

 「奥方に振り回されて身を持ち崩してる真っ最中といったところでしょうね。捕らえた賊が言うには、伯爵は領地に戻らずに帝都にいる状態が続いてるそうです」

 「ふむ……」

 「どうします? ハルトマン伯爵領をそのままそっくり北部へ領地権限を移します?」

 「それをするとトリアに負担がかかろう。北部の発展のみに力をそそいでもらいたいところだ。自然環境が厳しいところ故、冬が来る前に街だけはなんとかさせたい。ハルトマン伯爵は責任をとって領地に蟄居謹慎。ハルトマン伯爵領の領地は帝国直轄領としてエリザベートの管理下におく」

 「……ああ、姉上。私領はだいたいうまく回してるから、一つ増えても問題ないし、もともと北部はエリザベート姉上にお任せしようかともお考えでしたね」


 「北部と隣接してるからな、ちょうどいいだろう」

 「そうですね……あ……父上、何かお考えで?」


 ヒルデガルドは「ちょうどいいだろう」と呟いた皇帝が、含みある笑いを見せたのに気が付いたが、皇帝は娘を見つめて頷きながら笑みを深くするだけだった。



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