第12話「遅れまして申し訳ございません。お迎えに参じました。ヴィクトリア殿下」



 その朝、工務省建設局街道工事担当者たちはいつもどおり現場に出向いた。

 手荷物は弁当のみ、街道工事に必要な道具は、昨日仕事の直後にその場に放置し、引き揚げてきた。

 辺境の地なので盗賊もいない。魔獣も第七師団が周囲を警戒しているので、道具は翌日仕事がしやすいよう、その場で放置していいだろうと責任者のコンラートの許可が出ていた。

 今日の仕事はどこまで進行できるかと、数名のチームメンバーと他愛無い話をしながら現場へ向かい、仕事道具を視界にとらえるが……。


 「……なんだ……これ……」

 「道が……」

 「出来てる……」


 道具はそれまで作った街道の場所に置いておいた。

 しかし、道具を置いたその先は平原のはずだった。

 だが。

 彼らの目の前には、機材の向こう側に一本の街道が地平線の向こう側まで伸びていた。

 「な……なんでだ!?」

 「俺たち昨日ここまでやったよな?」

 「左側にある雑木林の位置も同じだぞ?」

 

 戸惑う建設局街道担当者たちは、とにかく責任者に知らせようと建設中の街まで戻ろうとしたところ、巡回してた第七師団に鉢合わせる。


 「どうしたんだ?」

 「それが、仕事が……なくなったみたいで……」

 「この道、見てください」

 「普通の道だろ?」

 「あの道具があったところまではそうでした、昨日まで俺たちが街道整備担当していたんで」

 「道具の向こう側はまだ平原だったはずなんです。昨日までは」


 馬上に乗った団員は指で示された道具の方に目をやる。

 いま、建設局の者が言った言葉を理解した。

 地平線の先まで伸びきった街道。


 「街道が……できあがってる?」


 「そうなんですよ!」

 「たった一晩で!」

 「わかった、俺は馬できているから、すぐに街に戻って、建設局と担当者に知らせてくる!!」

 「お願いします!」


 各村に第七師団を分けて配し、村の状況、害獣や魔獣の被害についての報告書に目を通していたアレクシスのもとに、一人の兵士が伝令にきた。

 その伝令の傍には工務省のコンラートもいる。


 「どうした?」

 「街道工事の者達から連絡が」

 「うん?」

 「イセル村への道が完成したかもしれないと」

 「……工事はまだ続くはずではなかったか? 早くないか?」

 「それが……」

 「わたしは今から現場へ行きます。お忙しいでしょうが、閣下もご一緒いただければと思うのです」


 コンラートの困惑した顔を見て、アレクシスは席を立った。

 馬で現場まで到着すると、呆然としてた担当者は責任者であるコンラートと、領主となるアレクシスに近づく。

 最初に巡回してた団員に告げた内容と同じ旨を伝えるが、その言葉なくとも一目瞭然だ。

 アレクシスもデビュタント直後にこちらへ移動するさいの道筋は覚えている。

 こんな整備が行き届いた街道ではなかった。

 見渡す限り平原で、馬が一頭通れるかどうかの獣道だったはずだ。

 それが二頭引き馬車が行き交うほどの道幅が視界の遠くまで伸びきっている。


 「……殿下だ……」


 ――農地の開墾作業だって、街道整備だって、漁村の子供がやってる砂遊びに等しいです。


 ヴィクトリア殿下の専属侍女の言葉がアレクシスの頭によぎる。

 あの幼くあどけない殿下は、こんな長距離に渡って魔術を展開させられるのかと、実際に見て驚く。

 しかし、他に思いつかない。

 神がやったのでなければ、こんなことが成し遂げられるのはアレクシスが知る限り第六皇女殿下ヴィクトリアしか思い浮かばない。


 「は?」


 「第六皇女殿下がこの街道を作られた。一番帝都に近いイセル村までお越しのはずだ」

 「なんですと!?」

 「こんな神に近い魔術、皇族以外の誰ができる」

 そういわれてコンラートは納得する。

 「た、確かに、街道担当責任者のマルセル君いるか?」

 「はいっ!」

 「街のほうにもどって、商業地区建設の補助に回ってくれ、街道は今日で終了だ」

 「わかりました、おーい撤収だー街に戻るぞー」

 「草刈りと整備の道具も回収だ」

 「はいっ」

 コンラートが指示を出す傍で、アレクシスも部下に告げる。


 「殿下のお迎えに参じる」


 「了解しました、現在街にいる団員を急ぎ選別し、一個連隊を組みます」

 「頼んだ」

 そういうと、アレクシスは馬の腹を軽く蹴り、できたばかりの街道の中央を馬で駆けていく。

 「閣下! ご準備は!?」


 「剣はある! 問題ない!」


 その様子を見て、コンラート達は唖然とする。

 「え? もしかしてまさか……閣下は、このまま殿下のお迎えに?」

 第七師団の団員は頷く。

 「まあ……戦地でも閣下のこういった行動は偶にありますので、慣れてます……。魔獣とかちあっても、閣下ならあの大剣を一振りで終了です。コンラート氏も戻りましょう」

 「そうですな、とりあえず、戻らねば。殿下が近々見えるのだ、軍官舎と領主館は完成してるが、気は抜けないぞ!」

 コンラートの言葉にみんな気を引き締める思いで街の方に足を戻し始めた。




 「馬、大丈夫でしょうか」

 「何、奴等がつれてた馬は、弱ってるが、うちの隊の随行してくれる馬と繋げれば問題ないだろう。御者は第七師団の一人に任せてある。徒歩で連れまわしたいところだが、もう、ここまでくれば賊もいないだろうし、馬車一台手に入ったと思えば」

 昨日の夕方、ヴィクトリアを襲った若い盗賊たちが使っていた商隊を偽装していた馬車について、ヒルデガルドはそう言った。

 「盗賊の頭的な発言ですよ、姉上」

 「ひどいな。まだいうか」

 ヒルデガルドがヴィクトリアの頭を軽く小突く。

 出立の準備がそろそろ終わるころ、村人たちがヴィクトリアのところへ近づく。

 「姫様、準備できただか? これさ、もってけ」

 「なんですか?」

 「村で作った燻製肉と、野菜の酢漬けと、たれ漬けの肉だべ」

 一個半の連隊の人数、随行してるのは軍人だし、昨夜の食べっぷりを見越して けっこうな量を用意してくれた。

 「昼に食いなっせ」

 「いいのですか?」

 「村のじっさまもばっさまも、姫様の魔法で肩や腰が楽になったがらって」

 「ありがとう、大事にいただきます」

 ヴィクトリアはそれを例のバッグにしまうと、村人たちが驚く。

 「は~そったら小さいカバンにはいるだが~」

 「やっぱり姫様の魔法は違うの~」

 「作ってくれた人がすごいんです。みなさんの作ってくれたごはんもおいしかったです、ありがとうございます!」

 ヴィクトリアはそういって馬車に乗り込む。

 「きいつけて~」

 「またきてけろ~」


 口々にそう言ってくれる村人たちに、ヴィクトリアは視界からその姿が見えなくなるまで馬車の窓から身を乗り出して手を振った。


 「気持ちのいい村の人たちだったな」

 「はい。領地の村人があんな感じで、嬉しいです」

 「さて、どこまで進めるかな、賊よりもここからは魔獣や大型の害獣に警戒だ」

 ヒルデガルドは窓越しに、馬上に乗って随行してる第三師団の一人にそう告げる。

 「了解いたしました」

 「それで、トリア、本当の盗賊たちはどうする気だ?」

 「人手がありませんから、働いてもらいます。みたところ若い方ばかりですし、農作業でもいいし、畜産業でもいいし、海をみてないので、漁業とかでも? 鉱山でいろいろ掘ってもらうのもありですよね。でも、それも黒騎士様のご意見を聞いてからです」

 しかしこの盗賊たちは物取りでヴィクトリアの馬車を襲撃したのだ、この話を聞けばアレクシスが下す処罰は決して軽いものにはしないだろう。

 「あいつの意見ねえ……どう思う? フォルストナー中将」

 ヒルデガルドがルーカスに意見を求めると、ルーカスは答える。

 「斬首でしょう」

 「だよなあ」

 「黒騎士様はいきなりそんなことしません」

 ヴィクトリアはぷうっと頬を膨らます。

 「あの場にアレクシスがいたら、即時殲滅ですよ殿下」

 「え?」

 「アレクシスにとって、殿下は一番守らねばならない存在ですから。殿下を狙ったら相手が子供であろうと女だろうと容赦しませんよ。決断実行は素早いものです」

 ヴィクトリアは姉とルーカスを交互に見る。

 ルーカスの言葉に、ヴィクトリアはその白い頬をバラ色に染めて両手で覆う。

 「え……そ、そ、そうなの? えーでも、どうしよう……やだもう……黒騎士様に気持ちが伝わっていたなんて」

 片想い中の乙女そのものの反応を示しているヴィクトリアを見て、ヒルデガルドは、困ったように笑う。

 アメリアも、姫様それは勘違いですと首を横に振り呟く。

 「残念ですが殿下。アレクシスのやつは、それも自分の仕事とか言い張ってしまう男ですから、殿下のお気持ちとかは……伝わってないかと思われ……」

 「え……? どういうことですか? フォルストナー中将」

 「殿下がアレクシスのこと好きなのは、周りの者が見たらわかるんですが、当の本人は殿下に惚れられてるなんて思っていない。試しに一度「好き」って言ってみたらわかりますよ、鈍感系突発難聴を患います」

 「……なんか病気みたい……」

 「ええ、いままで異性にモテなかった者が可愛い女の子に告白されると罹る病です」

 「ほう……」

 ヒルデガルドは初めて聞いたというように声をあげ、ヴィクトリアも不安げに尋ねる。

 「……それはお医者様でも治せないのですか?」

 そんな二人の殿下の様子に、アメリアは慌てて発言する。

 「ヒルダ殿下、姫様、冗談ですから本気になさらないように。フォルストナー中将も何キリっと言ってのけてるんです」

 「俺も罹ってみたかった……鈍感系突発難聴……」

 中将はそう言って、遠い目をする。

 このフォルストナー中将は、可愛い女子からの告白は聞き逃さずにチャンスはものにするタイプの男に見えるから、その状態にはまず陥らないだろうとアメリアは思った。




 旅程は順当に進み、位置的には本当に先日宿泊したイセル村と新領地となる街との中間地点に差し掛かったところで、日が沈みだした。

 ヴィクトリアは完璧に日が沈む前に、そこに馬車を停車させるように言う。


 「じゃあ、やりますか……えーと、うーんと、構造的には……ああ、そう、こんな感じかな」


 ヴィクトリアは独り言をぶつぶつと呟く。


 「姉上、ちょっと砂とか土とか盛り上がるので、みんなをわたしから下がらせてください」


 「全員トリアよりも、後ろに――」


 ヒルダは随行者たちや自分の部下に向かって、そう指示をだした直後、岩が落石するような音が響いた。部下や随行してる者が呆気に取られてヴィクトリアの方を見ている。

 ヴィクトリアの目の前に、石造りの建物が出来上がっていた。


 「隣国に留学していた時の学生寮を摸してみました」


 ケロっとそんなことをヴィクトリアは言う。

 建物の隣にももう一つ大き目な厩舎が出来上がってる。

 馬車ごと収納が可能のようだ。


 「窓枠とか扉とかははめ込まないと無理だから、その部分は外とつながってるけど、枠は作ってます、寒さ対策として就寝前に、全部土魔法で開いてる部分を閉じておけば、野宿よりマシでしょう? 屋根もありますし」


 「……」

 「……」


 「人数が多いから寮をイメージしたのです。さ、みなさん入ってください。お風呂も作ってます、男女別で」


 「お風呂!?」


 ヴィクトリアの発言に食いついたのは、第三師団の女性隊員たちだ。


 「水魔法と魔石で温度調節可能です。厨房も水回りはそんな感じで作ってます」


 「ヴィクトリア様……」

 「第六皇女殿下……」


 第三師団の女性隊員たちが、一斉に小さなヴィクトリアの身体を持ち上げ胴上げを始める。


 「きゃー、何? なんですか?」

 「ヴィクトリア様万歳っ!」

 「第六皇女殿下万歳っ!!」

 「おいおい、お前たち、嬉しいのはわかるが、ちゃっちゃっと移動しろー」


 ヒルデガルドがあきれたようにヴィクトリアを胴上げしている一団に声をかけた。


 「まじで魔術チート……家建てるか普通……」


 唖然として呟いて、ルーカスは建物内を見渡す。


 「この中間地点は、おいおい、工務省建設局の方に来てもらい、『学園都市』を作るつもりなので、この建物はその事務所にでも使用できるでしょう」


 胴上げから解放されたヴィクトリアはそう説明する。


 「なるほどな、こっちのほうも長期で建設するから、その事務所はあってもいいというわけか」

 ヒルデガルドの言葉にヴィクトリアは頷く。

 「それに、これから新領地へ移動してきてくれる方にとっても宿代わりになるでしょ?」


 お風呂がついてて厨房もしっかりあって、家具はないが、野宿でテントよりいい。

 日が落ちても魔獣に襲われるようなことも、家屋にいればそうそう被害はないだろう。

 そう見越して土魔法で作ってみたのだが……。

 北部の魔獣の力はすごかったと、数時間後にヴィクトリアは思い知る。

 お風呂も食事も済んで、旅程の日程を再度確認してさあ就寝……といった時のことだ。厩舎の様子を見ていた御者があわてて扉(設置はされてない)の方から建物内に滑り込んできた。

 

 「魔獣がいます!! クレイジー・グリスリーが三頭!」


 そう叫んだ瞬間、建物の外側からズシンと壁に衝撃が走る。

 魔獣が体当たりをしてる振動だった。

 扉部分に前足を出して、滑り込んできた御者をとらえようとしてる。

 第七師団の一人が腰をぬかした御者をひっぱって、部屋の奥に入れた。


 「どいてくださいっ、そこの扉、閉めます!」


 ヴィクトリアは前足を建物内につきだしてる魔獣に向けて、火炎の魔法をぶつける。

 小さくてもスピードがあり、魔獣の足に当たった。

 痛みでグオウと魔獣が叫ぶ。前足をひっこめた瞬間、ドア部分を土魔法で壁同様に塞ぐ。

 獲物を捕らえそこねて、なおかつ傷を負わされた魔獣が怒り狂ったように、壁に体当たりして吠えた。

 壁に激突してくるその振動と咆哮に、城からついてきた侍女たちは「やだ、死にたくない怖い」と泣き喚く。

 今まで華やかな帝都にいて、こんな何もないような場所で魔獣の近くにきたのは生まれて初めてなのだ。

 

 「あなた達がそんな状態でどうするのです!」


 アメリアが一喝する。


 「姫様は御者の方を助けるために、魔術をつかって、魔獣と対峙したのです。わたしたちはここに何のためについてきたのです? 姫様をお守りする為ではないですか。気持ちをしっかり強くお持ちなさい!」


 ヴィクトリアはアメリアの手を握る。


 「ありがとう……アメリア……」


 アメリアはその手を見て驚く。

 

 ――姫様……震えてる……。


 重ねたヴィクトリアの手が僅かに震えているのがわかる。

 とっさに魔術を繰り出して、御者を助けたのだが、目の前に初めて魔獣と対峙したのはこのヴィクトリアだって同じだ。

 どんなに魔術を使えても、ヴィクトリアは16歳の少女だ。

 悪意のある人間の言葉に傷つきもすれば、好きな人のことを想ってくよくよ悩み、見たこともない魔獣に怯えもする。

 怖いものは、怖いのだ。

 例えばアメリアにもヴィクトリアのような魔力があったとして、目の前に魔獣が現れたら恐怖に心が折れて泣き喚くに違いない。

 でもヴィクトリアには魔力があるから、それを知っているから、一番肝心な時に何をしなければならないのかわかっているから、あの御者を直ぐに助けた。

 魔力を持つ皇族として、為すべきことを為さなければいけないと。



 「大丈夫、大丈夫よ、ここには姉上も第三師団も第七師団の方もいらっしゃいます。わたしも頑張りますから、心を強く持ってください」


 城からついてきた侍女や家令たちにそう告げるヴィクトリアを見て、泣き喚いていた侍女は顔をあげる。

 

 「姫様っ」


 ヴィクトリアは泣き喚ていた侍女の手をとって握りしめる。


 「わたしが……必ず守りますから」


 自分の手を取って握りしめたヴィクトリアの小さな手が震えていることに、泣き喚いてた侍女も気が付いてハッとする。


 「……取り乱して……申し訳ございません」

 「いいの……怖いのは……みんな同じです……でも、ほんの少しだけ勇気を出してほしいのです」

 「わたし、もう、泣きません……アメリア様のおっしゃる通りです。わたしは……私たちは姫様をお守りするために、ここまでついてきたのです。大事なことを忘れてました」

 「うん、ありがとう。その気持ちが嬉しい。だからわたしも、みなさんを絶対守ります。だから第三師団や第七師団の方たちの誘導に従ってほしいのです」

 

 城からついてきた者たちも、静かに首を縦に振った。

 ヴィクトリアはそれを見て、ヒルデガルドの隣に並ぶ。

 

 「おい、トリア、この建物強度はどうなんだ?」

 

 ヒルデガルドの言葉にヴィクトリアはそれなりに強くしてると答える。


 「……北部の魔獣、結構頭いいですね、3頭ともに、別々の方向から建物に体当たりしてたのに、今、一点集中してきてますよ姉上」

 建物の側面や背面からも振動があったが、今は、最初に魔獣が手を伸ばしてきた扉の部分に集中してる。

 「持つのか……?」

 「破られた場合、魔獣の動きを止めますので、姉上と皆さんで攻めてください」

 「止められるのか?」

 「向こうの動きが早いと全部とはいいきれません。非戦闘員を退避させる人も必要なのでお願いします」

 「よし、アーデル、突破されたら軍属以外の者を退避させる準備を」

 「はっ」


 振動が強くなり建物の一部にヒビが入り始め、全員に緊張が走る。

 その咽喉を鳴らし獲物を捕らえようとする咆哮が、一際大きく耳に聞こえる。

 この魔獣の鳴き声が、次の一撃で壁を突き破れと言っているようで、その場にいた全員が緊張した。


 だが、くると思っていた衝撃はこなかった。

 ヒビが広がり壁が突破されると思われる次の振動はやってこなかった。

 揺れもない。

 静かな状態が続く。

 さっきまでの魔獣の声がピタリと聞こえず、シンっと静まり返っている。

 耳に聞こえるのは羽虫の鳴き声ぐらいなものだった。

 第七師団の一人が壁に近づくと、コンと、壁から音がする。


 「……」


 魔獣の爪にしては遠慮がちな音だ。


 コンコン。

 

 また音がする。まるでドアノックのように。

 ヒルデガルドの背後からヴィクトリアは進み出る。


 「おい、トリア!」


 壁に近寄ると、聞き覚えのある声がした。


 「殿下?」


 壁の外から聞こえる声に、一番壁の傍にいた第七師団の一人、クラウスが顔をあげて、壁の外側に向かって声をかける。


 「閣下?」

 

 建物内にいる全員が静かになった壁に注目した。


 「そうだ、その声はクラウスか? 殿下はご無事なのか?」

 「いらっしゃいます! ご無事です! 殿下! 閣下が外に!」


 クラウスがそう言い終わるよりも早く、ヴィクトリアは塞いでいた扉部分を最初のドアをはめ込むだけの状態に戻す。

 外にはアレクシスが立っていた。

 建物内にいた全員が声をあげる。

 

 「黒騎士様!!」


 ヴィクトリアは外に立つアレクシスに向かって走り出す。


 「黒騎士様っ!!」

 

 アレクシスは片膝をつき騎士の礼をとる。


 「遅れまして申し訳ございません。お迎えに参じました。ヴィクトリア殿下」

 

 ヴィクトリアはアレクシスの首に縋り付いて、半泣き状態になる。

 アレクシスはその状態で一瞬目を見開く。

 アレクシスは泣き出す女子供は苦手だ。

 泣き出してしまった子供をなだめようとしても、差し伸べた手をいつも振り払われていた。

 だが、いまこうして、泣き出して縋ってくる皇女殿下は、自分が手を差し伸べても振り払わないのは確信できる。

 アレクシスは「ご無礼を」と呟いて、ヴィクトリアを片腕で抱き上げて立ち上がる。


 「怖い思いをされましたね、殿下」

 

 自分の目線よりも少し高くなったヴィクトリアにアレクシスはそう告げる。


 「大丈夫です、城からついてきてくれたみんなも、姉上も、第三師団の方も、第七師団の方もいらっしゃいました。でも、でも、黒騎士様が来てくれたから、わたしはもう何も怖くないです」


 菫色の瞳が、涙のせいでいつもよりキラキラしている。

 

 「ありがとう、黒騎士さま」



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