第5話「ヴィクトリア殿下、今宵の随伴の栄誉をこの私にお与えください」



 アレクシスから新領地視察の三通目の報告書が届くころには、すでに第七師団の精鋭の視察部隊は帝都に戻ってきていたらしい。

 なのに、戻ってきてから、全然、ヴィクトリアの方に会いに来ることはなかった。

 その事実にヴィクトリアは気落ちしていた。


「姫様、そんな浮かない顔をして……」

「だって……帝都に戻ってきてくれたのに、全然来てくれなかった……」


 ヴィクトリアは侍女たちの手によって、デビュタント用の白いドレスをまとい小さなティアラを乗せている。


「いやでも今日はお会いできます。デビューと婚約式なんですから。黒騎士様も、軍の一個師団を纏める方なのですから、留守中の業務の把握とかいろいろとお忙しいと思います」

「わかってます……」


 ヴィクトリアは愛らしい唇をすぼめて、俯く。

 見た目が幼いため、そんな仕草が可愛らしくて、アメリアは思わずギューっと抱きしめてしまいたくなるが、他の侍女もいるし、専属侍女としてヴィクトリアの支度に不備がないか確認する。


「殿下、ヒルデガルド様がお見えです」


 ドアの向こう側にいる侍女が先触れを伝える。

 通してもらうように伝えるとヒルダが入室してくる。

 彼女は軍の式典用の制服に身を包んでいた。 

 式典用の軍服。

 どの師団も式典用の服はその色を薄いものにして白に近づけており、第三師団の軍服は赤なので、自然、薄い花のような女性らしい色合いの服となるのだが、ヒルデガルドが着ると、華やかな凛々しさが増してくる。

 皇女というよりも絵物語に出てくるようなその貴公子然とした佇まいに、アメリア以外の侍女達が浮足立つのが見てとれた。


「トリア、綺麗だよーさすが私の妹!」

「姉上」


 ヴィクトリアをギューと抱きしめると、侍女たちの「姫様、それ代わってほしい」的な視線をうける。


「あの男との婚約式だと思うと腹もたつけど、でも、トリアの成人の日だもんね、おめでとう」

「ありがとうございます。姉上」

「会場には、私がエスコートするよ」


 貴族の令嬢に人気のある第二皇女のエスコートの申し出は嬉しい。

 だが、今日はデビュタントと同時に婚約式。

 婚約が決まっていれば、その相手がエスコートするものと、この国ではその決まりなのだが……。


「……黒騎士様は……?」

「遅れるそうだよ、いっそこなければいいのに」

「……やっぱり……いくら成人とはいえ、こんなに容姿が幼い女との婚約は……恥ずかしいのでしょうか……」

「……アイツが言ったの?」


 見た目は子供であれ、皇帝陛下から下賜された皇女を相手に、もちろんそのようなことを彼が言うはずもない。


「この間、デビューの打ち合わせにきたマルグリッド姉上から、社交界での噂をいろいろ」

「マーゴのところにくる噂話は、確かに社交界において貴族の誰もが耳にするらしい話だけど……噂は噂で真実じゃないよ、自分の利益になったらいいなとか思って流される話が半分ぐらいと思っていいんだから」

「……」

「トリア?」

「でも、噂って……火のないところに煙は立たぬとか言いますよね」


 マルグリットが、例のほわわんとした口調で社交界の噂話をきかせてくれた。

 黒騎士はハルトマン伯爵夫人にいまだ懸想しているが、彼女はすでに人妻。

 陛下の勅命と傷の恩もあり、子供のような第六皇女との婚約を仕方なく了承したのだと。

 あまり夜会に出席しないヴィクトリアに、貴族の淑女たちのいなしかたを伝授するためにきた折に、「そんな話とか耳にしても、だいたいにっこり笑ってればトリアなら勝手に相手が黙ってくれるから。でもあとでわたくしにいいなさいね~トリアにそんなこと言えばどうなるか~わたくしが教えて差し上げておきますから~」と、口調とは逆に過激なことを言い残したのだ。


 「ねえ、トリアはあの男のどこがいいの? ものすっごく意外なんだけど、この結婚話を打診された時からわりと乗り気だったよね? 面識なんてないでしょ」

「……姉上、これは、政略的な結婚なのです、いい悪い、好き嫌いは別物なのです」

「グローリアは、それなりに相手を好ましいと思っていたよ、政略だけどね」

「はい」

「トリアもそう見えるから、聞いてみたんだけどね」


「……それは……わかりません……自分でも……」


 ヴィクトリアが憂い顔のまま目を伏せるのをヒルデガルドは見つめていた。

 この末の妹の相手は黒騎士なのだ。

 確かに武勇を誇る国の英雄だが、貴族の淑女が憧れるようなタイプではない。

 実際、若い頃の彼に縁談の話を持ち掛けられた娘を持つ貴族が二の足を踏み、打診されたどの娘たちも口をそろえて「どうしてもあの恐ろしい悪鬼のような顔の男とは結婚したくない」と泣いて懇願されたほどの男だ。

 彼自身それをわかってて、親が早くに引退し領地を継承したにもかかわらず、軍に入り、国に尽くしてきた。

 常に国が開戦する戦地の最先端に赴いて行き、勝ちを上げてきたが、『自分を犠牲にするような戦い方をする男だ』と当時の軍の上層部は思ったという話をヒルデガルドも耳にしている。

 軍務尚書もそれをわかっているから、枷をあの男につけたのだ。

 第七師団、師団長という立場を。

 国の為という名目で戦地で彼自身が勝手に命を散らさないようにするために。


「あの男の社交界の噂は、嘘っぱちだと私は思ってる」

「姉上?」

「社交界での恋愛話を主食にし、自分の……もしくは嫁ぎ先の、家柄や地位や財産を常に誇示し権勢をふるいたいタイプの女と、あの男とは住む世界が違う。あの男は、国の為や自分の親や部下には尽くしても、自分は大切にしない男だ。自分自身を愛せない男だ。そんな男が社交界にいる人妻に懸想なんかするもんか」


「自分自身を……愛せない……」


「そういう男は、お前には難しいと思ったんだよ」


 忠誠を生涯に渡って誓っても、この妹を愛さないのかもしれないと。

 この妹に、君主としての素質があるだけに。

 この妹が一途に想いを注いでも、同じだけの想いを、あの男は忠誠でしか返さないのではないだろうかと。

 それに気づいたときに、妹が悲しむのではないかと。


「姫様」


 アメリアの声にヴィクトリアは顔を上げる。


「黒騎士様……フォルクヴァルツ卿がお見えになりましたとの事です」


 その言葉を聞いたヴィクトリアが目を見開き、嬉しそうな表情を一瞬浮かべたのをヒルデガルドは見た。


 ――ダメだこりゃ、手遅れだ。本当にどこがいいのだ。


 ヒルデガルドは内心舌打ちする。

 戦勝の式典と同じ、薄いグレーの制服を着た黒騎士が先導されて室内に入る。

 周りは侍女たちとヒルデガルドも女性にしては大柄だが、それよりもさらに、上背のある黒騎士が室内に入るとその長身が際立つようだ。

 侍女たちよりもさらに小柄なヴィクトリアを前に、アレクシスは膝をつく。


「黒騎士様、来てくださったのですね!」

「遅れまして申し訳ございません、ヴィクトリア殿下」

「姉上、エスコートは黒騎士様にお願いしてもいいでしょう? こうして来てくださったのですもの」


 ヒルデガルドは肩をすくめ「はいはい」と呟く。

 ヴィクトリアはアレクシスに手を差し伸べて立つように促す。

 アレクシスはその手に引かれるように立ち上がる。


「新領地はどうでした?」

「はい、広大な自然に囲まれて新領地の民となる領民たちはみな長閑で大らかな気質の者が多く、殿下のお越しをお待ちしております。そしてこれを」


 小さな箱を渡される。


 「殿下の成人のお祝いです」


 綺麗な包装をされたそれを受け取り、ヴィクトリアはそわそわする。


 「いいの? 開けてみてもいい?」


 アレクシスが頷くので、アメリアが箱を手にして丁寧に包装を剥がし、箱をヴィクトリアに渡す。

 箱の蓋をあけると、赤いビロードの生地が見えた。

 ジュエリーボックスのそれだとわかる。

 ボックスの蓋をあけると、そこには白い小さな不透明な丸い石があり、それを中央に小さなダイヤが取り巻いていた。台座と鎖は金で出来ている。

 ネックレスだ。

 ヒルデガルドもアメリアも、ヴィクトリアの肩越しにそのジュエリーボックスの中央に鎮座している宝飾品を覗き込む。


「綺麗……この白いのは? なんの石なのですか?」

「真珠です」

「え!!」

「新領地視察の折に、漁村にて漁を手伝った時、偶然に拾ったものですが……」

「普通もっとあたたかな海でとれるんですよね?」


 それこそ南国サーハシャハル王国で産出される希少な宝飾品の一つだ。

 新領地の漁村、ニコル村でどういった漁をしているのか、どんな魚が捕れるのかを視察し、ついでに、漁を手伝ってみた。

 ちなみに、アレクシスの父親も、自分の領地で領民と共に、畑作にでることもあり、領民には慕われている。

 それを見ていたから自分も倣ってみようと手をだしたのだ。

 そうすることにより、漁村の民たちも強面ではあるが新領地の領主に悪い印象はないようで、忌憚ない意見や感想ももらえた。

 その時の漁で、網に引っ掛かってる貝殻を手にしたら、ルーカスが「その貝捨てるなよ!」と叫び、貝をこじ開けるとそこにあったのがこの真珠だった。

 さすが裕福な商家の次男坊だけあるなと、アレクシスは思ったものだ。

 ヴィクトリアのいうように、南国の海で産出されるが、海流に流れて、たまにとれるらしい。

 帝都に帰還後、母親の意見に従って、宝飾店に加工を頼んだのだった。

 アレクシスではその手のことにはトンと疎いので、母親に丸投げしたが、その母親が「息子の婚約者に贈ります」と店の者に伝えると、フォルクヴァルツ家の婚約者といえば、第六皇女殿下とさすがに知られており、店の者が気合を入れて加工したようで、仕上がりに時間を要し、アレクシスはこの夜会に遅れる覚悟だった。


「素敵……これ、今日つけたい!」


 アメリアが箱をうやうやしくうけとり、ヴィクトリアの身に着けさせようとしたが、ふと動きを止める。


「フォルクヴァルツ卿、お願いします」

「なっ」


 アメリアは平然と言ってのけた。 


「婚約者に贈る品なのですから」


 アメリアの目が「これは職務放棄じゃないのよ、姫様の為なのよ」と訴えてる。

 ヒルデガルドもうんうんと頷く。

 アレクシスは躊躇う。


「……俺……いや私は壊しそうなので」


 いきなりな提案に、思わず素がでそうになるアレクシス。

 小さな細工ものというだけで、壊しそうな気がしてならないのだ。


「うだうだ言わず!! さっさとしろっ!!」


 ヒルデガルドの容赦ない言葉にアレクシスは観念し、箱から取り出してヴィクトリアの首にそのネックレスをつける。

 アメリアがプラチナブロンドの髪を鎖が通りやすいようにもちあげて、アレクシスは恐る恐るその首にネックレスを通す。

 はっとするような肌の白さと首の細さだった。

 男ばかりの軍にいて、貴族の子女とこんなに近づいたことがないので、これが同じ人間なのかと改めて驚く。

 そのネックレスを嵌め終えると、慌てて一歩、ヴィクトリアから下がる。

 ヴィクトリアが振り向いて、アレクシスを見上げる。

 

「どうかな、似合いますか?」


 デコルテ部分にネックレスが煌めく。

 でも、それよりも、ヴィクトリアのその瞳はいつにも増してキラキラして眩しいほどだ。


「はい」


 簡素な返事なのに、ヴィクトリアは嬉しそうに笑う。


(――そこは貴女の美しさには及ばないとかそういう言葉がでてこないものか)

(さすがヒルダ殿下、女性の心を鷲掴みにする言葉がスルっとでてきますね)


 ヴィクトリアの背後にいるアメリアとヒルデガルドがコソコソと呟きあうが、もちろん当の本人たちには届いてない。


(口の上手すぎる男もどうかと思うが、口下手すぎるのも問題ありだ)

(厳しいですね。しかし、うちの姫様は鋭く本質を見抜く方、黒騎士様がそんなことを言いそうにない御仁だということはご理解されているはず)


 アレクシスが再び片膝をつき、臣下の礼をとる。


「ヴィクトリア殿下、今宵の随伴の栄誉をこの私にお与えください」


 いかつく強面の体格だけはいい黒騎士が申し出る簡素なエスコートの申し込み。

 しかし、どんなに飾っても幼さだけはそのままのヴィクトリアに対し、その真摯さと実直さで彼女に対して淑女として敬意を表している。


 他の貴族の男がそれをしたなら、野暮ったい、洗練されてないの意見が出てきそうだが、不思議とアレクシスだとそれが様になる。

 まるで、紳士として最上位のレディへのエスコートの申し込みのようだ。


 「はい、黒騎士様」


 アレクシスが入室してきたとき、体格のいい強面のこの男の存在に、少し緊張していたアメリア以外の侍女たちも、この姫と騎士のやりとりは、まるで物語のようだと羨望のため息をつく。


(今、いいとこ持っていったな、あいつ)

(あの方、意外と所々ポイント抑えてますよ、うちの姫様限定ですが)

(あたりまえだ、他の女にやったら私が赦さん)


「ヴィクトリア殿下、お時間です」


 先触れの取次をする侍女の言葉に、ヴィクトリアは頷く。

 アレクシスの腕をとり、部屋を出ていく。

 ヒルデガルドはその二人を見守るように、後を追う。


 来年の今頃も、二人がこうして並んで歩いて、妹が幸せそうに笑っていればいいなとヒルデガルドは思った。




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