第6話「黒騎士様、最初のダンスだけです。ワルツですから大丈夫」
戦勝後のデビューと第六皇女と黒騎士の婚約発表ということで、宮廷の大広間は華やかな賑わいを見せていた。
この夜会を催す皇帝の言葉が終わるとファーストダンスがある。
アレクシスにとって夜会は警備としての出席しかしてないため、ダンスのステップなど記憶の彼方だ。
皇帝の挨拶の時、ひっそりとヴィクトリアはアレクシスに呟く。
「黒騎士様、最初のダンスだけです。ワルツですから大丈夫」
ヴィクトリアの言葉にアレクシスは目を見張る。
「苦手なことをお伝えしてたでしょうか?」
「いいえ、でも、多分苦手でしょ?」
「苦手です」
「実はわたしもです。でもワルツって、子供の頃に一番最初に習うダンスですよね。意外と体が記憶してるものなのです」
「……」
「それに、軍に在籍してる方はだいたい体格がいいので、きちんとステップを踏まなくても相手が動いてるだけで様になります」
曲が流れ始めるとヴィクトリアはアレクシスの手を取る。
「大丈夫、足元を見なくていいです。視線を遠くに、ヒルダ姉上がステップを踏んでるのが見える位置までいきます」
皇族の跡継ぎは姫ばかり、しかしヒルデガルドは式典用軍服で出席。
ダンスもデビューした貴族の令嬢を相手に、男性のステップでパートナー役を務めている。
物語の王子様然としたヒルデガルドは、社交デビューした令嬢たちから、ぜひ自分と一曲踊ってほしいと熱いまなざしを受けていた。
繰り返す曲の前奏のタイミングを見て、ヴィクトリアがアレクシスを誘導する。
その身の軽さで、ステップを踏み、アレクシスに笑顔を向ける。
「そうそう、私が引いたら進んで、それの繰り返し」
たどたどしいステップを踏んでいるのがバレたのではないのかと思うほどに、出席している貴族たちの視線が、アレクシスとヴィクトリアに集中してるのがいやでもわかる。
しかし、その視線の先をよく見ると、アレクシスではなく、ヴィクトリアが視線を集めているのがわかった。
――微笑ましいが第六皇女殿下は、幼いから政略結婚の意味がわかってないのだろう。
――でなければ、黒騎士のようないかつい強面の男と一緒に踊るなど。
――あの男も、気の毒に。新領地だけ欲しいと進言したかったのではないか?
――ああ、確かハルトマン伯爵夫人に懸想してると噂があったな。
――妖艶な人妻とは真逆の幼い殿下との政略結婚か。陛下の勅命ならばしかたないのだろうな。
その囁きが聞こえてるだろう。しかし、小さく幼い天使のような彼女の笑顔が、軽やかにステップを踏むたびに、周囲の視線をさらっていく。
わざとヴィクトリア自身が、そうしているのだ。
視線を自分に集めて、アレクシスに向かないように。
ダンスのステップがおぼつかないと気にする彼の為に。
――俺を前に、怯えたり泣き出したりしない胆力のある方だとは思っていたが……。
「我慢してくださいね、あともう少しで終わります」
曲の最後のワンフレーズが奏で終わり、ヴィクトリアが、可愛らしく自分たちを見ていた貴族たちに向かってカーテシーで挨拶をすると、広間は拍手でつつまれる。
アレクシスはその時になって、自分達が広間の中央で踊っていたのだとようやく気がついた。
「すごいです黒騎士様。苦手だとかいってたのに。私の体格は普通の女性より小さくて動きが取りづらいでしょうに、最後の方はリードしてくださってありがとうございました」
「いいえ、殿下のおかげです。私の方が感謝を……」
今夜社交デビューしたばかりの令嬢がここまでできるだろうか、しかもアレクシスよりも一回り年下の少女が。
――いくら皇族の姫といっても、この方は傑物すぎる。
「殿下。ダンスが苦手だとおっしゃたのは方便だったのですね」
「いいえ、苦手です。だって、わたし、この身体ですもの」
ヴィクトリアの輝くような瞳に一瞬の影が差す。
ヴィクトリア自身がアレクシスに伝えた「実はダンスが苦手」という言葉は、真実だ。
優雅に踊る姉たちの姿は、ヴィクトリアの憧れであり、その姿を羨望の眼差しで見つめていた。
だが、皇族の姫として自分がダンスのレッスンを始めた時に、パートナーを務める講師との身長差に躊躇った。
レッスンの成果があって、ヴィクトリア自身はどんな体格差の相手とでも踊ることはできたのだが、ヴィクトリアのパートナーを務めようとする貴族の子弟達は、貴族の令嬢として幼すぎる体格差に、戸惑う者が大半だった。
その戸惑いや躊躇う様子が至近距離で感じられるダンスを、ヴィクトリア自身が倦厭していくのは自然の流れだった。
「でも、これでわたし達はこの夜会の一番の難関を突破しました。あとは……挨拶回りですね……黒騎士様、あの、お願いがあるのですが」
そわそわと小さな令嬢らしい仕草でアレクシスを見上げる。
「なんでしょう殿下」
「今日は、いらしてるのでしょ? 黒騎士様のご両親に、まずご挨拶がしたいのです」
「ご配慮、ありがとうございます」
アレクシスがヴィクトリアを伴って、両親の元へ足を運ぶ。
「初めまして、お会いできるのを楽しみにしていました。ヴィクトリアです」
「初めまして、殿下。アレクシスの父フリード・フォン・フォルクヴァルツと申します。そして妻のビアンカです」
紹介されたアレクシスの両親は、アレクシスに似ておらず、穏やかな初老の紳士と淑女の印象が強かった。
ヴィクトリアはもじもじしながら切り出す。
「お義父様 お義母様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
小首をかしげて、アレクシスの両親にそう尋ねるヴィクトリアに、ビアンカが感激の為に涙ぐむ。
「わたしのことはヴィクトリアとお呼びください」
「アレクシスがこんなに可愛らしい姫を頂くなんて……お嫁さんがきてくれるだけでも嬉しいのに……」
「ビアンカ……」
「夢のようです……息子をよろしくお願いします。アレクシス、殿下を生涯大事になさいね」
「命に代えましても、お守りするつもりです」
ヴィクトリアは夜会が始まる前に、ヒルデガルドが言っていた言葉を思い出す。
――あの男は、国の為や自分の親や部下には尽くしても、自分は大切にしない男だ。
「だめです」
「?」
ヴィクトリアはアレクシスを見上げる。
「命は大事なのです。貴方が為すべきことを為すためには命は大事なのです。だから、貴方自身の命も大事にしてください。黒騎士様」
その言葉に、アレクシスが一瞬息をのむ。
息子の動揺をみて、フリードが穏やかに語り掛ける。
「アレクシス、殿下の……ヴィクトリア様のいうとおりだよ。ヴィクトリア様……ぜひ、わたくし達の領地にも遊びにきてくださいませ」
「はい、かならず。お義父様もお義母様も、黒騎士様の新領地に来てください。領地経営のご指導をいただければ嬉しいです。帝都のお館にもお邪魔してもいいですか? お義母さまとも一緒にお出かけしたいです」
ビアンカが嬉しそうに何度もうなずいた。
その後は、軍務省のお偉方がアレクシスとヴィクトリアを囲みお祝いを述べる。
年配のお偉方は、またもヴィクトリアを孫扱いし、アレクシスはその様子を微笑ましくみつめているのだが、それがわかるのは、付き合いの長い軍関係者のみで、今回の夜会でデビューした貴族の令嬢や子息、その付き添いの家族などは、やはりアレクシスという表情のない強面の男の傍にいる子供のようなヴィクトリアに同情の視線を投げるばかりだった。
「アレクシス様」
そんな中、アレクシスに声をかけたのはハルトマン伯爵夫人だった。
女性のラインを強調するビスチェタイプのドレスデザインはそのスタイルの良さを際立たせ、デコルテに大振りのダイヤのネックレスを身に着け、ブロンドの髪を結いあげている。
「イザベラ殿……」
その名前を耳にしたヴィクトリアは、アレクシスが懸想しているという噂の伯爵夫人であると把握した。
「ご無事のご帰還、何よりですわ。ご婚約おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「本当に、可愛らしい婚約者様ですわ」
しかし、ヴィクトリアを見る目に、微かな嘲笑が浮かぶ。
「でも、まだご成長途中のようで、陛下の勅命とは言え、無理矢理な感じで殿下もアレクシス様も、戸惑われることも多いでしょう、わたくしでよければ、いつでも相談にのりましてよ? ねえ、せっかくですもの、一曲お相手願えませんか? アレクシス様はこういった夜会には参加されていなかったのに、先ほどのファーストダンスのリードは素晴らしかったですわ」
艶やかで女性的で色香が漂うこの女性にこんな誘われ方をして、断るような男がいるはずがないとヴィクトリアは思う。
この二人が踊れば、それこそ、絵物語の一幕だろう。
ヴィクトリア自身が憧れた、マルグリッドやグローリアのように……。
「ハルトマン伯爵夫人、大変光栄なお誘いではありますが、ダンスはヴィクトリア殿下とのワルツだけと決めております」
そのアレクシスの言葉に、ヴィクトリアは彼を見上げる。
その顔に表情はなかった。
ヴィクトリアの頬がバラ色に染まる。
しかし、顔色がかわったのは、ヴィクトリアだけではなく、アレクシスを誘ったハルトマン伯爵夫人イザベラもだ。
ただし、ヴィクトリアとは逆に、白く表情が抜け落ちるように。
自らこうして誘って断りを入れた男など、彼女にはいなかったのだろう。
そう想像させるぐらいに彼女は動揺していた。
「ま……、まあ……殿下、勅命の政略結婚とはいえ、これだけ大事にされていてよろしいですわね、でも、殿下自身がアレクシス様にそう命令されたのですか?」
最後の方はさすがに動揺が現れたのか言葉も口調もきついものだった。
あからさまな彼女の出方に、社交界慣れのしていないヴィクトリアは躊躇う。
外交や政務や軍務の話にはいくらでもついてはいけるものの、男性を挟んでの大人の女性との駆け引きはこれが初めてなのだ。
「これはこれは! ハルトマン伯爵夫人ではないですか」
注目を集める中、ハルトマン伯爵夫人とアレクシスの間に割って入ってきたのは、第二皇女ヒルデガルドだった。
「まるで、今宵の月のような美しさ」
「ヒルデガルド殿下……アレクシス様とのダンスをヴィクトリア殿下が……」
「おやおや、このような無粋で面白味のない男を、貴女のような淑女から誘うなどそんな滑稽なことをなさるなんてありえない。貴族の紳士としての令嬢への心配りも情緒も戦地に置き忘れた男です。そんな男に誘いを? まさか。貴女を誘いたい紳士が指をかんで悔しがるだろう。そんな申し込み一つもできない男共にしらしめたいね。最高のレディは眺めるだけでは近づけないことを。ぜひ今宵の社交界一の花と踊るその名誉、この私に与えてはいただけないだろうか」
立て板に水の美辞麗句に加え、爽やかな王子スマイルをハルトマン伯爵夫人に向けると、デビューしたばかりの令嬢の嫉妬と羨望が、一気にハルトマン伯爵夫人に降り注ぐ。
この夜会が始まった中で、一番の誘い文句と、令嬢たちの羨まし気な注目に溜飲が下がったのか、ハルトマン伯爵夫人は態度を軟化させる。
「殿下はお上手ですわ」
「口だけではないことを、証明いたしますよ」
優雅に手を差し伸べるヒルデガルドの手を彼女は受け取り、舞踏の輪の中へ向かっていく。
その後ろ姿を見送って、アレクシスはうっかり素で呟く。
「すごいな……」
「……やりすぎです……ヒルダ姉上……」
「でも、中身は女性なのよねえ……ヒルダ姉さまは~ほんとに残念~」
二人の呟きの後にかかる言葉に、アレクシスとヴィクトリアは振り返る。
「マルグリッド姉上……」
扇を少し開いて口元を隠し、二人の背後に立っていたのは第三皇女のマルグリッドだった。
「おめでとう、ヴィクトリアにフォルクヴァルツ閣下」
祝辞の言葉はキリっとしたものだった。
「ありがとうございます」
「ありがとう姉上」
「そして噂の火の元も発見~」
「え?」
「ハルトマン伯爵夫人が自ら流した噂ってところかしらね~」
「何が……」
「閣下があの彼女に懸想してて独身をとおしてるって噂ですわ~」
アレクシスがルーカスから聞いた話を思い出す。
「なんでそんな噂を……彼女は人妻だろうに」
「世の中には~一人の女性で満足できない男性がいるように~一人の男性で満足できない女性もいるという見本ですわ~」
「はあ……」
「あなた方には~理解できない種類の人間ということです~」
「マルグリッド姉上は、そういう方とどうやって渡り合うのですか?」
マルグリッドは扇で口元を隠し、くすくす笑うだけだ。
「方法はいろいろありますけど~そういうのは、グローリアのほうがお上手でした」
「そうですか……」
「それより、トリア。新領土でいろいろ作るなら、試供品としてわたしのもとへ必ず送りなさいね」
パチンと扇を閉じ、再び口調も改まる。
「閣下、新領地は貴方に拝された土地ではありますが、この子の力は多分、エリザベート姉様すら凌ぐでしょう。領土に留まらず国を潤します。あの北部の寂寥とした地を豊かにするでしょう。互いに支えあえば大丈夫。うまくいきます」
「御意」
――うちの国の姫君方は、傑物ばかりだな……。
アレクシスは心の中でそう呟いた。
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