第3話「何もないところに、なんでもしていいのよ? わくわくしない?」
皇帝陛下の勅使から、皇城への出仕を促され、帝都にあるフォルクヴァルツの館をでようとした時、母親のビアンカに呼び止められる。
今回の婚儀の件を聞き及び、領地から帝都の館へ出向いているのだった。
「姫様にお会いするなら、手土産も用意するべきですよ、アレクシス」
「は?」
この母はナニを言ってるのだという目でアレクシスは母親に一瞥をむけた。
陛下の元に参じるだけなのに、なぜそこで姫様という言葉がでるのだと、アレクシスは眉間に皺をよせる。
やはりこの息子はわかってないと、母親はため息をつき、小さく頭を振る。
「皇城に参じ、陛下にお会いするだけと思ってますね」
「出仕を促されましたから」
「軍務一辺倒の朴念仁であるお前には、やはり気づかいという言葉はないのですか、城にはお前の未来の奥方がいるのですよ。親から結婚の許可を得たヴィクトリア姫が。陛下のお呼びに参じるだけで、姫にはお会いしないというのは結婚が決まった者のすることではありません。普通の貴族の結婚だって、婚約者の家に参じる時、例え親に会うだけだろうと、婚約者には気づかいを示すものです」
「そんなものですか……」
皇女殿下に忠誠は誓えど、婚約者とか未来の奥方とか、そういった認識よりどちらかといえば、未来の主君といったものだ。
しかしそれを言葉にしたら、この母は目を剥いて説教をするだろう。
「当たり前のことです」
母親の言葉に、家令もメイドもうんうんと首を縦に振っている。
自分の立ち位置の説明をしたところで、この母も家令やメイド達も納得しない、そんなことをすれば確実に出仕の時間が遅れる。
「……考えるだけで、時間内の出仕に間に合わなさそうです。参考までに伺います。どのようなものを用意すべきなのですか?」
「そうですね、特別、高価なものを用意しろなどとはいいません、人気のお菓子や花などが、最初の贈り物としては無難でしょう」
「わかりました」
確かに消え物はいい。
渡した方も渡された方も大して気を使わない。
迎えに寄こされた馬車の御者に少し城下街に寄ってほしい旨を告げて、アレクシスは馬車に乗り込んだ。
「おはようございます、姫様」
「おはよう、アメリア」
今日のヴィクトリアは早起きしてたらしい。そして随分とご機嫌だ。
ガウンを羽織って、デスクの上でいろいろ書類に目をとおしている。
着替えの為に、ヴィクトリアを促しデスクの書類に目を向ける。
帝国北部の地図や資料だった。
「……これは……」
「気が早いかしら、でも、今日は黒騎士様が出仕されるのでしょ? 父上はこの件でお話しされると思うの、私でも何かできるかもしれないし」
「というか……いろいろ手を入れたいのですね」
「差し出がましいと思われるかしら? 黒騎士様のお考えがあるならもちろん優先だけど」
「大丈夫でしょ、むしろ頼られるのでは?」
「本当!?」
アメリアの言葉にヴィクトリアは嬉しそうに、ぱあっと顔を輝かせる。
「さ。今日は黒騎士様が出仕なさるのだから、おめかししましょう」
「お、おめかし……」
「そのままでも姫は十分可愛らしいのですが」
可愛いという言葉に、ヴィクトリアはほんの少し不満気な表情をする。
「もっとこんな感じで」
アメリアが選んだ春色の淡いピンクのドレスを見て、さらに不服そうな表情をする。
身に着けるドレスについて、今まであれがいやだとかこれがいやだとか注文をつけたことのないヴィクトリアだったのにこの渋りよう……アメリアは首を傾げる。
「おいやですか? このドレス……姫様の可愛さが引き立つと思ったのですが」
「アメリアは、そういうふわふわしたドレスが、わたしには似合うと思うのね……」
「だって、姫様は可愛いですもの」
「……可愛い……その形容詞って汎用性が広くて素敵よね」
「全然ステキとか思ってない感じですね」
「だって……」
釣り合わない……。
せめて上の姉達のように、年相応に見えていれば問題ないのに、16にしては幼すぎるという言葉をヴィクトリア自身も耳にしていた。
アメリアの選んだ淡いピンクのドレスは、あの黒騎士に並んで、釣り合うような見た目ではないのがさらに強調されるようで、気分が沈むのだ。
「……子供っぽすぎじゃないか……な……とか……」
アメリアは片手で口元を抑える。
――黒騎士様に相手にしてもらえるように、大人に見せたい~とか、そういうやつ? うちの姫様が?
「いい、もう、笑わないでくれる? それ着るから」
自分の考えをアメリアに読まれたのを察して、ふてくされたように言う。
アメリアはにやにや笑いを止めて、表情を引き締めヴィクトリアに告げる。
「姫様、『可愛い』でよいのです、それは正義です。人間というのは、自分が持ち合わせないものに惹かれたりするものです」
トリアのガウンをとり、その下に身に着けている就寝着をとって、ドレスのインナーを着せ始める。その流れるような素早い作業をしながらもアメリアの口は止まらない。
「可愛くてふわふわしてて、何が何でも守ってあげなきゃっていう騎士道精神をたきつけてやるのです」
ふわっと春色の淡いピンクのドレスを着せる。
「……アメリア?……」
ドレスを着つけると、ヴィクトリアを化粧台の前に座らせてケープをつけ、蒸しタオルをヴィクトリアの顔にあててから、化粧水をつけ始める。
「自分に近い~なんてあの黒騎士様が思うような女性なんていてたまるもんですか、男に自分と近い~なんて共感させさたって、ロクな結果になりませんよ。共感させたとしても、一瞬距離は近づくかもしれませんが、それ、一瞬ですから。一生はないですから」
「な、なんで?」
鏡越しに自分にメイクをほどこしていくアメリアを見る。
「だって自分に近いなら、守ってやろうなんて絶対思わないんですよ奴らは。下手をすると『お前は強いから、俺がいなくても大丈夫だよな、でもあの女性は俺がいないとダメなんだ、守ってやらなきゃいけないんだ、お前はいい友達だ』とかぬかすんですよ! そこでおしまいなんですよっ!!」
アメリアの迫力にヴィクトリアは一瞬沈黙する。
「け、経験談なの?」
「姫様と年の変わらないわたしがそんな経験するわけないじゃないですか~。でもこれ、真理でしょ。だ・か・ら」
ナチュラルメイクをヴィクトリアに施したアメリアは仕上がりを確認するようにうんうんと頷く。
「姫様は、愛らしく可愛い、それで正解なのです」
「可愛いは正義……」
「イエス! ジャスティス!!」
「じゃ、続きを……」
書類に向かおうとするヴィクトリアを、アメリアは引き留める。
「髪結いが終わってません」
「えー……」
(ただ、頭良すぎるのも、男が引く条件……というのは黙っておこう……この有能さは新領地の件で姫様の皇族としての立場ならありですもの)
そう思いながら、アメリアはヴィクトリアのプラチナブロンドの髪に櫛を通し始めた。
アレクシスが陛下の執務室を尋ねると、陛下の傍にいる第六皇女殿下が顔を上げて、アレクシスに向かって微笑んだ。
一瞬春の女神の小さな使いがいるのかと思ったほどだ。
まさかこの場に皇女殿下までいるとは思っていなかったアレクシスは一礼する。
「フォルクヴァルツ卿、今日来てもらったのは他でもない、褒賞として与えた新領地のことだ」
「は」
ソファに座るように陛下に促され、陛下と対面する。
「先々代の皇帝が北の領域を広げてから、いままで国境線で他国からの侵入や、魔物の被害が多い。卿の新領地としてそこを配したのも北の領域の平定を託したいのでな」
「第七師団丸ごと、新領地に配するおつもりで?」
「うむ、伝令のために残す人材を除き、移動してもらう。辺境領の領軍のくくりだ。最初の三年は領民が少ないと見込み、税は納めずともよいが、三年後から税を国に納めてもらう。とりあえず、領地館、軍宿舎の建設はすでに取り掛かっている」
「そこを基盤として町をつくるのですね」
ヴィクトリアが口を挟む。
菫色の瞳がキラキラしている。
「うむ。フォルクヴァルツ卿は、領地経営について爵位を譲られたフリード殿が未だ管理しているときく。フォルクヴァルツ伯爵領はそのままフリード殿に任せ、卿は新領地経営に力をいれてくれればよい」
「軍事一辺倒で領地経営には関わりをもったことがありません、父のようにはたしてうまくいきますかどうか……」
「案ずるな。そこはこのトリアが卿を助けるだろう」
皇帝は末娘に視線を投げる。
「昨年は戦時につき行わなかったデビュタントを来月催す。トリアと卿の婚約披露も兼ねてな。早めに婚約をしたいのは、新領地の件があるためだ。人材は用意するが、卿だけでは手に余るだろう、婚約者であれば新領地に関わることにも問題はない、挙式は一年後、早いと思われるだろうが、了承してくれ」
これはやはり褒賞返還の否は聞き入れない構えだと察し、アレクシスは「御意」というしかない。
「トリア、お前の婚約者がきてくれたのだ、少し、庭でも二人で散策したらどうだ」
「はい、父上! 参りましょう、黒騎士様」
嬉しそうにアレクシスを促し、二人で執務室を出る。
執務室の前にいる近衛が、戸惑ったように手にしている白い小さなバラの花束とアレクシスを交互に見ていた。
アレクシスは近衛に手を差し出して、白いそのバラの花束を受け取る。
この花束は母ビアンカの言いつけに従い、街の花屋に寄って買ったものだ。
「殿下……よろしければ……」
アレクシスから差し出される小さな花束を、ヴィクトリアは笑顔で受け取る。
「これをわたしに? 嬉しい! ありがとう黒騎士様!! 見て、アメリア、黒騎士様から頂いたのよ?」
専属侍女に受け取った花束を見せる。
自分と一緒にいて、こんな嬉しそうな表情を出す少女は今まで会ったことがない。
常に怯え泣き出されるだけだ。
そもそも、一回り年下の少女の好む話題などアレクシスには見当もつかないので手土産を渡し、そちらに注目を集められたのは幸いだと思った。
母親の言い分もきいてみるものだと。
その後は黙って、護衛騎士よろしくヴィクトリアに付き従う。
ヴィクトリアのすぐ後ろに、専用侍女のアメリアもいる。
庭園にでると、春の日差しが芝を照らし、噴水の飛沫が光をはじいている。
沈黙を守ってるアレクシスを見上げて、ヴィクトリアが切り出す。
「姉上が所属している第三師団の方で北部の出身の方がいて、いろいろ情報をまとめてみました」
淡い春色のドレスを着たヴィクトリアは噴水を背に、まっすぐにその菫色の瞳をむける。
この幼い殿下の会話の切り出しが新領地のことだったので、驚くとともに、安堵もしていた。
陛下の意向によって決められた自分の婚約者。
ただでさえ、女性と会話はあまり交わしたことがない。
年は16だが、見た目は更に幼く見える為、一体どういった会話をすればいいのかさっぱり見当もつかなかったアレクシスだったが、彼女の発言は、そんなアレクシスの困惑を取り払う。
「いい領地ですよ、黒騎士様。山は鉱山もあるようですし、海も魚がよく獲れるそうです。それとリンゴの木をよく見たそうです。春になると白くて小さい花をたくさん咲かせるんですって」
「リンゴのパイが作り放題ですね、姫様」
「アメリア、お菓子だけじゃないわ、お酒も造れるわ」
「あ……確かに……」
「先代の皇帝の時から麦の品種改良とか行われてるから麦も作れます、あとは芋も、意外と土壌は農地に向いてるかもしれませんね。ただ冬は厳しいそうです。雪がかなり積もるとか」
「確かに。私もこの度の戦役で北部におりました。降雪量はかなりのものです。殿下……冬は帝都で過ごされた方がよいのでは? 」
「雪も楽しみです。たくさん降っているの見たことないもの」
「しかし、北部に住む領民はだいたい冬の期間は外にでないものと……」
「けど、もともと住んでる人も少ないけどいるんだもの、過ごし方は昔からいろいろ工夫されてると思うの」
だが帝都育ちの姫に、あの自然環境は耐えがたいと、アレクシスは思う。
「……それに、雪は見たいのよね……雪のよさ……雪は固まるのよね……ねえ、冬の期間に雪像たくさんつくって観光の催しを開いてみたらどう?」
「ふおおお、さっぽろゆきまつり~」
侍女の言葉に、アレクシスとヴィクトリアは小首をかしげる。
興奮を隠さない侍女に苦笑しながら、ヴィクトリアはアレクシスに視線を戻す。
「わたしみたいに、雪を見たことがない国民に、北部の領土らしい冬の景色と特産品を紹介するの」
「姫様、すごいです! 遠い国でも似たようなことをしていると聞いたことがありますわ! 屋台いっぱい出して、自国からも他国からも観光客引っ張ってお金を落とさせるんですね!」
アメリアが勢い込んで言う。
「雪で農作業ができなくても、観光という仕事もあれば、領地はそれなりに活性化すると思うの。雪まつりいい響きよね、そのまま使っても問題ないかしら?」
ヴィクトリアがアメリアに問うと、アメリアはうんうんと頷く。
「問題ないでしょう」
「観光にはあと一押し欲しいところ……」
「じゃあ、じゃあ、姫様、作ってください!!」
アメリアはぐっと両手を握りしめて、ヴィクトリアに願い出る。
「何を?」
「温泉!!」
「は? 温泉!?」
アレクシスの問いにアメリアは頷く。
ヴィクトリアもそうだが、アメリアもアレクシスに怯える様子はない。
この姫に対してこの侍女ありといったところか。
それにしてもこの侍女ナニを言い出すのだと思っていると、ヴィクトリアはその容姿に似合わない大人びた考え深げな瞳でその唇に指をあててる。
「温泉……掘って出るって確証があるかな……出たらいいんだけど……でも掘ってみましょうか……」
こともなげに、「掘ってみましょうか」というヴィクトリアに、海岸の砂浜で遊ぶのとはわけが違うんですよ殿下と心の中でアレクシスは思う。
そんなアレクシスの内心を見透かしたように、ヴィクトリアはその瞳をきらめかせて言った。
「予算のこととかご心配されなくても大丈夫。私、土魔法使えます。ちょっと掘削すればいいのです。あとはそれを引っ張るのは公務省にまかせれば、掘削の費用はないですよ」
「は?」
「うちの姫様、魔術全属性持ちですから」
アメリアも得意顔でいう。
「農地の開墾作業だって、街道整備だって、漁村の子供がやってる砂遊びに等しいです」
「温泉……温泉なら年間に渡って観光の目玉として成り立つ……アメリアの意見は取り入れてみる価値ありね」
「温泉~~!!」
「うちの師団に地学に詳しい者がおります調査させます」
「え、ほんとですか? 当てずっぽうで掘りたくないので助かります!」
「陛下から受けた時、領地の調査はやろうと思っておりましたので」
「頼みます、黒騎士様……でも、わたしも領地に行ってみたい」
「町ができる前に温泉堀りにいきましょうよ、姫様」
「温泉の為だけに行きたいのね、アメリア。わたしは、海も山も見てみたいわ。ねえ、リンゴの実から香りだけ抽出して石鹸つくるの、温泉なら石鹸必要よ? 帝都にだってないわ」
「リンゴの石鹸~素敵~フルーツフレグランスソープ~」
「アメリア、またわかんない言葉を……でも響きがカッコいいわ!」
「いろいろ考えつく姫様が天才です!」
「ね? 私、言ったでしょ? 何もないところに、なんでもしていいのよ? わくわくしない?」
「わくわくします!」
「ああ、やっぱり、今すぐにでも行ってみたい、どんなところなんだろう、何があるんだろ。そう思うと楽しくなってきたでしょ? 黒騎士様もいきなり見も知らない領地を渡されて、戸惑われてるかもしれませんが、単純に簡単に考えていいと思うのです!」
「単純……ですか?」
小さな両腕をいっぱいに広げて、彼女は言った。
「そう! だって自分がそこに住むんですもの。自分も、そこで暮らす人も、楽しく幸せになるように、どうすればいいかを考えるの! ね? わくわくしてきたでしょ? だから黒騎士様も考えてください。何をしたいのかを。何もないところですよ、なんでも作れるのです! 失敗したって成功するまで挑戦できるの! すごくないですか!?」
輝く日の光が、彼女のプラチナブロンドの髪を照らす。
噴水の飛沫は光をとばしながら、彼女の持つ白いバラの花束にかかる。
式典の時……自分の目の傷を癒してくれた時も、彼女は眩しかった。
幼く可憐で可愛い第六皇女殿下。
皇族の末姫。
肩書と見た目だけで彼女を評価する貴族は多いに違いない。
だがそんな評価をする貴族たちの中で、一体何人が彼女のこの本質を知るだろう……。
この方は、幼く可愛らしいただの姫君ではない。
自分が生涯の忠誠を誓うに値する為政者なのだとアレクシスは思った。
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