第2話「この身は殿下の剣となり盾となり」



「戦が短期決戦で、終了したのはいいが、うちの第七師団は武器や防具の損傷が激しいからなーそれでもまだ他の師団の兵数と比較すると少ないから、助かるわけで」


 書類に目を通しながら、呟いたのは第七師団の幕僚の一人、ルーカス・フォルストナー中将だ。

 アレクシスの同期で、貴族ではないものの、豪商の出自で、実家は長男が継いだため軍に入隊した男だった。


「そうだな、褒賞、うちの軍の整備で十分なんだが」

「……いや、それ軍事費範囲だから、元帥閣下のその目の犠牲にはそんなもんじゃきかないだろ」

「……これはそのうち慣れるだろう」


 焦点を合わせようと眉間に皺を寄せるアレクシスを見て、この場にいるのが自分だけなのが救いだとルーカスは思う。

 もうそれだけで、他師団の兵はぶるってしまうだろう。


「あーでも周りは慣れねえだろ、ただでさえオッカナイご面相がさらに隻眼ですよ。元帥閣下の威圧が+3にはなってんだろ、うちの師団の新兵ですら、お前がすれ違っただけで、がくがくブルブルしてるっつーの」

「……」

「明日の式典、そんなにいやか、そりゃー気鬱にもなろうってもんだよなー辺境伯爵への陞爵に皇女殿下降嫁、周囲がうるさそー」


 第一皇女のエリザベートは帝位継承第一位だし、その配偶者はもっと政治的な相手が望ましい、第二皇女ヒルデガルドは同じ軍属だけど、そうなると軍の中でパワーバランスが偏る。第三皇女のマルグリッドはすでに帝国の宰相の長男に嫁しており、第四皇女のシャルロッテは病弱なため公務もままならない。第五皇女グローリアは3年前に南国の王室へとお輿入れ、残ったのは第六皇女ヴィクトリアなのだ。


「断れないだろうか……辺境伯っていうのは、俺とこの第七師団が北部にいけば、ちょっとは安定するだろうっていうのはわかる。でも……皇女殿下の降嫁は……」

「無理だろ、辺境伯として受けるけど、姫はいらないとかいったら、それこそ謀反の疑いありとか思われるぞ。そのために皇族がお前に姫を差し出すんだろ。言葉をぶっちゃければ人質」

「人質……」

「うーわー、すげえーオッカナイ顔の男がなまじ武力をもってるから、北部に配して国を裏切ることが無いよう時の皇帝は泣く泣く姫を娶とらせる。なんかオペラの脚本家が喜びそうなネタだよなあ」


 机に両肘をたてて指を組み合わせ額をあててため息をつく。


「俺にあの殿下を降嫁なんて、犯罪だろ」

「確かに16にしては幼い。いえす、ロリータ、のー、タッチだな」

「お前のその言葉どこの国の言葉だ」

「いいじゃんどこの国の言葉でも、アレクシスが思ってる言葉ってことで、あー、ほら、皇女殿下ヴィクトリア様は気さくな人柄ぽくて、軍務省のお偉方にも人気があったみたいだし」

 

 そうだった。

 先日、本城の庭園でその姿を現したヴィクトリアはまるで、天使のようだった。

 軍務省の上層部に在籍する彼らは、自称父代わり祖父代わり、娘大事、孫大事、そんなオーラで彼女を取り囲む状態だった……。

 なので若手少人数精鋭を誇る第七師団は、なるだけ近づかずに、その姿を遠目で見るだけだった。

 愛らしく可憐なその姿は内側から光り輝くようだったと記憶に新しい。


「あ、でも、アレクシスはハルトマン伯爵夫人のほうがタイプ?」

「なんでその名前がでてくる」

「黒騎士様は、幼馴染の奥方に長い間懸想してるって、独身なのはそのせいだって」

「どこの噂だ」

「社交界」

「……」

「オレ等が凱旋したらその噂また復活してたぜ?」

「誰が流してるんだか……事実無根だ……片想いしてて結婚しないって……なんだそれは、俺の嫁になりたくない女しかいないから独身なだけで……」


 アレクシスだってこれでも伯爵家の嫡男だ。

 貴族の結婚は早い。アレクシスにもそういう話はなかったわけではない。

 だが、打診したそばからお断り、否、打診の話をもってこうとする時点ですでにお断りの状態を、実父のフリードと実母のビアンカが頭を抱えて悩んでいた。

 なのでアレクシスは無理することはないと、逆に両親を諭していた。「俺が娘でなかったからそこは救いでしょう、いつかいいお話はくるでしょう」と気休めを言って。

 言った本人はこの状態を見て「多分一生独身だ」とは思っていたのだ。


「え……そうなの?」

「当たり前だ。なんだその話。カールの奥方は確かに明るくて快活で、物おじしない人柄だが、俺は節度をもってしか対応してない。俺と対面しても泣き出さないところは評価するが、それだけだ。カールと共にしか会ったことがない」

「イザベラ様はモテるらしいからなー、オレの実家の競合してる商家の跡取りはイザベラ様に心酔してるらしいぜ。想いの報われない女に肩入れして身代潰さなきゃいーけどなって兄貴がぼやいてた、まあ潰れたら兄貴が乗っ取っちゃう絶好の機会だってわくわくしてたけど」

「カールの奥方に数多の求婚者がいたのは知ってるが、だがしかし俺はその一人ではないし、何より貴族に限らず女性は苦手だ。すぐに泣く。奥方も泣き出しはしないもののそれは表面的なものだろう」

「……まじか……」

「だから皇女殿下なんて普通に泣き出すだろ」


 その場で泣かないにしても、この内示を伝えた時点で、皇帝にお願いだからお嫁になんて行かせないでとか、すでに泣いて懇願してるに違いない。

 いくら女性の機微に疎いアレクシスも想像できる。

 過去の経験からしてそうだと思う。


「まあ、しかし、そんな噂があったんじゃ、陛下もこの話、考え直してくれないものかな」

「……それは……無理じゃね? うちの陛下ほわほわして見えて、アレで十分策略家というか合理主義というか、でなきゃ娘を一夫多妻の南国の王室に嫁がせねーだろ」

 

 娘は可愛いが、国を治める皇帝として私情は挟まない例を挙げられて、アレクシスはガックリと肩を落とした。




 そして翌日。

 式典に出席したアレクシスは眉間に皺を寄せて本城の謁見室に向かう。

 いまだ隻眼の状態が視界を不安にするためだ。

 その姿を見て、付き従ってたルーカスは腹を抱えて笑い出したいのを堪えるため、アレクシス同様わざと厳しい表情をしていた。

 他の者よりも頭一つ分長身で鎧のような体躯を式典用の軍服で包み、歩くアレクシスの姿はまさに戦神。

 回廊にたむろしている貴族たちは、アレクシスの姿を遠目にみるやいなや、端により、道を開ける。

 この式典に出席している貴族たちにも、今回の褒賞の件は知れ渡っている。




 ――この恐ろしい男に、第六皇女殿下ヴィクトリア様の降嫁。


 ――愛らしく美しい幼い哀れな末姫。


 ――式典には顔を見せるはずもないだろう。


 ――あまりのショックで寝込んでいるのではないだろうか。




 聞こえないようにしながらも、流れてくる囁きに、アレクシスはますます眉間に皺を寄せていく。

 そんなことは、誰が言わずとも、己が一番よくわかっている。

 大々的なこの場では皇帝の顔をたてて、褒賞を受けても、あとで返還すればいい。

 アレクシスは腹を決めた。

 これだったら謀反の疑いのほうがまだましだと。




 皇帝を始め、皇妃、そして世継ぎのエリザベートが謁見室の上座に姿を現す。

 第二皇女は軍属の列に、第三皇女は宰相の席の並びに、第四皇女は例にもれず欠席、第五皇女の姿は自国の式典ごときに御身を運ぶことは輿入れ先からかなわぬようだ。

 第六皇女の姿はない。

 姿を現さない皇女はやはり、この黒騎士への降嫁は納得していないのだなと、出席した貴族の大半が思っていた。

 粛々と式典は続き、褒賞の読み上げの段になった。


「アレクシス・フォン・フォルクヴァルツ元帥」


 アレクシスは玉座の正面に進み片膝をつく。


「卿はすでに伯爵位を持っているが、今回の武勲により、辺境伯爵に叙するともに、娘、第六皇女ヴィクトリアを降嫁するものとする」


 頭を垂れ、その読み上げを耳にしていたアレクシスだったが、自分の返事よりも前に、ざわつく会場が気になり、ふと、頭を上げた。

 ほんの一瞬だが、確実に、呼吸が止まった。

 玉座の端のほうから淡い青いドレスを纏った、ヴィクトリアが姿を現し、アレクシスの前に立ち、両手を差し出す。


「殿……下……」


 彼女は物おじせずに、アレクシスの両の頬に小さな手を差し伸べて包む。

 掌がほの明るく光り、額から頬にかけての傷が消えていた。


「アレクシス様、傷ついた目は見えますか?」


 可愛らしいのにどこか落ち着いた声だった。

 

「この……眼帯を外してもよろしいですか? 殿下」

「是非」


 眼帯を外した視界は、傷を負う前と変わらないものだった。

 無事だった、右目を掌で隠しても、傷を負ったはずの左目の視界ははっきりとしたものだった。

 いまこの小さな姫は無詠唱で癒しの力を使ったのだ。

 癒しの魔術を使用できる者は少ない。

 魔物の討伐や戦争ではポーションが必須ではあるが、研究中であり、その効果はここまでの傷の復元はできないものだ。

 この戦役で第七師団が用意したポーションも即効的な痛み止めのようなもので、この傷を負ったとき、当然アレクシスもそれを使用した。

 痛みはすぐ消え、指示も出せたし、戦闘にも参戦できたが……傷は残ったのだ。


「差し出がましいとは思いましたが、あまりにも痛々しいので」


 悪鬼のようだと言われる自分を前に、恐れずに佇む第六皇女殿下。

 そしてざわつきの収まらない謁見の間。

 そんな周囲を認識されてるはずなのに、天使のような微笑みを浮かべて彼女は言ったのだ。



「わたしが、貴方の婚約者です。末永く、よろしくお願いしますね、黒騎士様」



 ざわめきがどよめきに。

 他の貴族たちが囁くように、彼女は降嫁を嫌がって、この場に現れることはないと思ってた。

 しかし、いまここに、彼女はいる。

 恐れずに近づき、その奇跡の力でアレクシスを癒した。

 傷を癒したのだから、それをこの度の褒賞とし、この結婚を白紙に、そう言われて当然だと思っていたのに。

 彼女は自らアレクシスの婚約者だと名乗り、末永くよろしくと言ったのだ。

 だからつい……。



「この身は殿下の剣となり盾となり、殿下の御身を生涯お守り致します」



 皇女殿下が現れる前まで、謀反の疑いを掛けられても、この話を蹴ろうとしていたアレクシスだったのに。

 なのに、あろうことか騎士としての誓いをし、これではまるで、皇女殿下降嫁を受けたようなものではないだろうか。 

 しかし、御傍にいなければ、お守りすることはかなわない。 

 この皇女の姉たちの驚きの表情は見えなかった。

 ざわつく貴族たちの声も聞こえなかった。

 アレクシスの前に立つ、小さな姫の微笑みだけが、アレクシスを縛り付けていた。  




 翌日、第七師団の執務室のデスクで両手を組み、そこに額をあてて苦悶するアレクシスがいた。


「どうしてこうなった……」


 式典に出席する前と、何ら変わらない上官のポーズにかまうことなくルーカスは書類をさばいている。


「お前が受けたんだろうが」

「謀反と取られても、褒賞返還を申し出る気でいたんだ」


 ルーカスは手を止めアレクシスを見る。

 幾ら、第七師団の師団長。軍務省の出世頭の超エリート、ドラゴンすら屠ると言われる剣聖。若き元帥閣下の黒騎士様と呼ばれようが、あの状態で褒賞を受ける勇気はなかったらしいという。

 実はこの男も普通に人の子だったのだと、改めて感じ入る。


「でも、騎士として忠誠の誓いはしっかりしちゃったもんな。確かにアレは言わざるを得ないっていうか、オレでも言うわ。ヴィクトリア殿下は、帝位継承第一位のエリザベート殿下に比肩するぐらいには肝が据わってそうーじゃね?」


 皇帝はそれを見越してヴィクトリア殿下を辺境伯爵領に据え置いたのかもしれないとアレクシスは思う。

 帝位の継承権争いが浮き出る前に。


「そういうことか」


「何が?」

「帝位の派閥争いをさせないために、第六皇女殿下を辺境に置くんだ」


 現在、帝位第一継承権を持つエリザベート殿下の下には5人の妹がいる。

 そのうち、すぐ下のヒルデガルドは軍属、皇位継承を降りている。3番目のマルグリッドはすでに宰相の息子と結婚、4番目シャルロッテは病弱なため滅多に姿を現さない。5番目のグローリアは三年前に南国へ嫁いだ。この帝国の帝位の権力にあやかろうと狙う者が継承権のある皇女に近づくとしたら、残った第六皇女ヴィクトリアを狙うだろう。


「……あー……ヒルデガルド殿下は皇族の籍を抜いて軍属されているが爵位はある。第三師団の師団長だし黒騎士様との政略結婚なんてさせたら帝都の武力が一気に偏り、第二皇女と第一皇女の派閥争いが生じるな。そこの争いがないよう現在、陛下も宰相も目を光らせてるわけなんだし。だが放置されてる第六皇女ヴィクトリア様は派閥争いの神輿にうってつけというわけか」


 式典が終わった現在も褒賞を返還しようかと思い悩んでいたが、そう予測すると下手にそれも言い出せない。

 希少な癒しの魔術を持ち、悪鬼のような男を前にしても怯まない胆力もある。

 そんな第六皇女殿下はそういった派閥争いをしたい貴族連中のいい駒だ。

 なら国外の王室へ輿入れさせればいいと、一瞬は思ったが、アレクシスの傷を一瞬で直したのだ、無詠唱で。

 そんな稀少な魔術持ちは外交理由で自国から放出できない。


「国外の政略にも使いたくない人材だよなー、だから、そこでお前なわけだ」

「……」

「それはそうと、新領地はどうなるわけ? オレは軍属だから第七師団については財務管理なり人材管理なり、仕事だからこなすけど、領地経営どーすんだ」

「……父に相談するしかなさそうだ……」

 

 伯爵位を息子に譲り、領地にて余生を過ごしているアレクシスの父親は、息子が軍に在籍してるため、領地経営のほうをのんびりとこなしている。

 新領地の人材はそこから少しは出してもらえるだろうと考えていた。


「しかし、一生独身と思ってたお前が、結婚かあ……人生わからねーもんだな」

「……」


「相手は、めっちゃ若くて」

  

――若すぎる。


「おまけに美人で」

 

――否定しない。


「しかも優しそうで」

 

――臣下に惜しげもなく癒しの魔術を施すぐらいには。


「本当に、お前が結婚するとは思わなかったーでも、お前のことだからな」

「なんだ……何が言いたい」



「結婚っていっても、白い結婚っていうオチがお前らしいっていうか……おい、やめろ、大事なことじゃん! おい!! 剣を握るな、っていうか抜刀すんな!! 書類が飛ぶからああっ」



 ルーカスの絶叫が執務室に響いた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る