第六皇女殿下は黒騎士様の花嫁様

翠川稜

第1話「アメリア、わたし、結婚するそうよ」


 北の他国側からの開戦で始まった戦争は、一年で決着がついた。

 他諸国から見ても、この戦争の決着は、このリーデルシュタイン帝国の勝利だろうという予想通りの結果となった。

 ヴィクトリアもこの戦果の成り行きは予想していた。

 戦争が開始されるので、留学していた隣国から帰国していたヴィクトリアはこのリーデルシュタイン帝国の第六皇女である。


「被害が少なく、思ったよりも短期で終結したのが、なによりね」

「第七師団が先陣を切った作戦がよかったのだとお噂」


 プラチナブロンドに抜けるように白い肌、大きな瞳は菫色、形の整った少しばかり薄い唇は紅をささずとも桃のような淡い色をしており、大国の美姫に相応しい容姿をしてはいるが、年齢よりも幼く見えるのが欠点といえば欠点の彼女である。


「姫様は留学先へ戻られるのでしょうか」


 侍女のアメリアが彼女の髪を結い上げ終えて、鏡で確認しながら発言する。


「さあ……呼び出した父上に訊いてみないことにはなんとも言えません。単位は取得済みだし、留学切り上げるのになんの問題もないけれど」


 アメリアの一礼で自らの支度が整ったと確認し、護衛の近衛兵に挟まれながら皇帝の執務室に足を運ぶ。

 近衛が侍従に取次をし、ヴィクトリアは父親である皇帝の執務室に足を踏み入れた。


 


「おお。トリア、元気そうでなによりじゃ、其方を呼んだのは他でもない、大事な話があるのだ」


 執務室の机から離れ、末娘の姿を見ると、彼女をソファに促し、侍従に目配せすると心得たように茶の用意をする。

 茶の用意がなされたら、侍従はじめ、護衛達も室内から出ていく。


「父上?」

「トリア……その……」

「何か?」


 幼い末娘を見て、ひとりの父親に戻っている皇帝は何か歯切れが悪い。


「其方、年は16になったのだな」

「はい、この度の戦争時に」

「本来ならもう少し、自由にしてやりたかったのだが……実はの、其方に縁談を考えている」 


 ヴィクトリアは目を見開く。

 皇帝も末娘の結婚を考えたとき、16歳だからまあ妥当ではあると思ったのだが、実物の彼女を改めて近くで見ると、見た目は12、13歳ぐらいに見えてしまう。

 貴族の結婚は早い。

 16ともなれば立派な淑女。

 その時はそう思ったのだが。

 いざ当人を目の前にすると、末娘は16歳という年齢よりも、どこか幼く子供の容姿なのだった。

 それ故、皇帝として決定事項だと言い切れないほど、あまりにも子供子供したその容姿に躊躇いが生まれた。

 しかし躊躇う皇帝よりも、目の前にいる末娘は、年相応、いやむしろ達観した様子で尋ねてくる。


「お相手は?」

「うむ……此度の戦争で武勲を上げたアレクシス・フォン・フォルクヴァルツ伯爵」


 ヴィクトリアは頭の中にある貴族名鑑からその名前を検索する。

 第七師団を有し、今回の戦争に功績をあげたのは知っていた。

 そして……実は面識がある。

 お互いに名乗りはしなかったが、凱旋時にその姿を目に止めたのは記憶に新しい。


「褒賞として、伯爵から辺境伯爵への陞爵、そしてお前をと思ってるんだが」


 ヴィクトリアは留学を切り上げられ自国に戻る時点で、この戦争が終わるころには、結婚の話がでてはくるだろうとは思っていた。

 戦争が長引いて内証が荒れれば、遠方への輿入れはあるだろうと。

 しかし、父親である皇帝は、自国の貴族、武勇の褒賞としての降嫁をヴィクトリアに提案してきている。

 提案とは皇帝の物言いでそう感じるだけであって、これは多分決定事項なのだと、ヴィクトリアは察した。



 そこへ慌ただしくバンとドアが開け放たれられ、その扉の前に立つのは、皇妃とヴィクトリアの姉たちだった。

 近衛や侍従に家族会議ですと皇妃は冷ややかに言い放ち、3番目の姉が扉を閉める。

 その迫力に皇帝も後ずさる。

「貴方! ナニ勝手にトリアの結婚話を進めてるんです!」

「ヴィクトリアはデビュタントもまだじゃないの!」

「トリア!」

「母上……姉上も……」

「フォルクヴァルツ伯爵は、トリアよりも12も年上だし、仕事はできるけど、女の扱いは苦手らしいっていうし、それに、滅茶苦茶コワモテで、女子供はもちろん世間知らずの貴族のぼっちゃんですら、泣いて逃げ出すって話は事実だし。そのくせ幼馴染の妻に長年懸想してると社交界じゃもっぱらの噂ですよ!」


 軍属している2番目の姉ヒルデガルドが目を吊り上げる。


「女性の受けは悪いのは確かね~男性には人気ですけどね~でもなにより、あんな強面、目の前にしたら、トリアが泣き出すと思うのよ~」

 次期宰相の公爵子息に嫁いだ3番目の姉マルグリッドが言う。

「そんなことはどうでもいいの、相手が誰であろうと、トリアはまだまだ幼いではないですか留学切り上げて帰国してるのに、それはどうする気ですか」


 皇帝が帝位を退けば、この国を治める未来の女帝である1番上の姉エリザベートがヴィクトリアの隣に座り、小さな手をとる。

 この国は第一子が帝位の継承権がある。

 男子でなくてはならないという法はない。

 単位は修得してるので、留学は別に続けなくても……というヴィクトリアの呟きは聞こえないようだ。


「御覧なさいな、この小さな手、まだ子供ではありませんか」

「姉上」

「だめ、トリアはしばらく私たちの癒しになってもらわなければ」

 エリザベートにがばっと抱き着かれた。 

「そーよ、結婚はまだ早いわ」


 姉たちや母を見つめ、視線を皇帝である父親に移す。


「決定事項なのでしょ? 戦争の褒賞で伯爵から辺境伯爵へ陞爵するには周囲を納得させるためにも、皇族である者を降嫁させるおつもりなのですね? 確かにこの国の北部国境の向こう側は小国がひしめきあって、魔物も多い。今回の戦役もその隣接する小国が此方に攻め入ったのがきっかけですよね。軍部でも戦力として力ある第七師団をそこに領軍として配したいお心積もりですか?」

 一番下の妹であるヴィクトリアはそんな彼女たちよりも冷静で、大人びた表情で皇帝に言う

 姉のエリザベートがほんの少し、表情を変える。

「わたしが留学の折も今回のような戦役はなされないものの、小競り合いが多々あったと聞き及んでおります。姉上が次代を継ぐ前に、そこを平定しておきたいのですよ、父上は」


 無邪気で愛らしいその容貌とはかけ離れた政治的な発言をする妹の顔を、まじまじと見つめる。


「トリア……お前、わたしの代わりに、次代の帝位を継ぐ気ないかしら?」

「姉上のようには無理です。わたしは領地を配された場合、そこを何とかするぐらいしかできないと思います」

「だけど何とかできるのですか~さすがトリア~うちの旦那様みたい~」

「皇帝の跡継ぎは姫ばかりで次代が不安だとかこぼしてる口さがないぼんくら貴族どもに、この発言聞かせてやりたい」

「でもトリア、お前はまだ16なのよ」

 それはわかっている。

 1番目の姉も2番目の姉も独身だ。

「あー……父上、もしかして姉上たちに縁談を回した方がよかったのでは?」

 1番目の姉は貴族の令嬢としては結婚適齢期をすぎており、いくら次期女帝とはいえ、配偶者選びはもうそろそろ本格的にうごいてるだろうが、2番目の姉、ヒルデガルドなんかは軍属だ、実は職場で何度か会って、いいなと思っていたのではないかとヴィクトリアは思う。

「違うから! 末娘のトリアのほうに先に結婚話があがったからって、わたしが焦ってるわけではなくてよ!! わたしはほらこの国の帝位につくから相手はゆっくり吟味するからいいのよ、現在何人か候補があがってるし!」

「見た目あんな強面は職場でお腹いっぱいっていうか、わたしの理想はもっとこう儚げ紳士で、いやいやそんなことはどうでもよくて、父上が私たちを結構自由にしてくれてるのに、お前に自由がないのはどうかって話なわけで!」

エリザベートとヒルデガルドが言い募る。

 その発言でヴィクトリアの心配は杞憂に終わった。

「ですが、遠い他国に嫁いだ5番目のグローリア姉上の例もありましたので、政略結婚は覚悟しておりました」

 その一言に姉たちは動きを固める。

「ううう、グローリアのことを出されると納得しそうな……」

「自国の出世頭に降嫁なら、いつでも会えるというそこは魅力的な……」

 上の姉二人は頭を抱えて呻く。

「お話は以上でしょうか父上」

「うむ、了承してくれるか?」

「考える時間をくださるのですか?」

「できれば前向きに」

「……わかりました、前向きに考えます。では失礼します」

「ちょ、前向きに考えるって、意味わかってるの!? トリア!!」

「トリア!」


 わあわあとわめく末の妹に対する愛情過多な姉たちの絶叫を背に、ヴィクトリアは執務室を出る。


 ――あ、しまった、防音の魔術かけてなかった。


 部屋を出て近衛と侍従、そして専用侍女の顔を見る。

 会話、もしかしてこの場にいる者にも漏れ聞こえた可能性がある。


 ――まあいいか。


 専用侍女のアメリアと近衛を引き連れて、自室に戻り、ヴィクトリアは防音の魔法をかけた。


「アメリア、わたし、結婚するそうよ」

「姫様!?」

「防音してなかったから、多分聞こえたでしょ、エリザベート姉上もヒルダ姉上も声が大きいから」


 未来の女帝としての発言の為や軍属している為などで、二人の姉は声が大きい。

「そ、それで相手は?」

「あ、そこは聞こえなかったのね」

「はい」

「アレクシス・フォン・フォルクヴァルツ伯爵」


「え――……アレクシス・フォン・フォルクヴァルツ伯爵といえば、第七師団の師団長。軍務省の出世頭の超エリート、ドラゴンすら屠ると言われる剣聖。若き元帥閣下。黒騎士様ですか!」 


 修飾の多い言葉が彼にはついているらしい。


「……この戦争で褒賞として伯爵から辺境伯爵へ陞爵、我が国の北部を平定させたいようよ。伯爵から侯爵ではなく辺境伯というのは北部国境の防衛の意味が強いのでしょ? 父上は私を帝国の北に配しておきたいのよね。グローリア姉上が南の国へ降嫁されたから、南はしばらく安定してるもの」

「は~……でもフォルクヴァルツ伯爵はなんていうか、貴族っていうより生粋の武人って感じで……確かに独身ではありますが……殿下とは年齢離れてるし、見た目がそのう……怖いといいますか。美姫に野獣的な……しかも、伯爵領地経営、引退してる実父のフリード様に丸投げで、めっちゃ脳筋なイメージが……」

「まるなげ? めっちゃのうきん?」

「いえいえ、こちらの事で」

「領地経営が苦手であれば、私が手を出してもいいし」

「姫様、それできるのですか?」

「できるかどうかわからないけど、何をしてもいい土地って、わくわくしない?」

「わくわくしないって……」

「でも……問題は黒騎士様ご本人よね。社交界では、いろいろ噂があるんでしょ? マルグリッド姉上が呟いてた」

「はい、黒騎士様は幼馴染の友人カール・フォン・ハルトマン伯爵の奥方、イザベラ様に長い片想いをされて、それで独身を通してるとかいないとか。でもそれだいぶ昔の話でございますよ? けどほら、この間凱旋されたおりに、またその噂がそこかしこで流れているとかいないとか……」

「そう……もしかしたら真実かもしれないわね……結構好みだったんだけどな……残念」

「えっ!? 殿下の好みってああいうタイプでしたの? 老け専!? えー私的には姫様が留学してた隣国のギルベルト王子の方が、姫様の見た目とお似合いなのですがー」

「アメリアの語彙は時々面白いけど、ふけせんって何?」

「いえ、失礼しました。でも、殿下、ああいった軍務の方にお目通りしたことありました? ……ん……あの時ですか」


 アメリアに尋ねられるとビクトリアは普段の彼女らしくもなく、はにかむように俯いて、その時のことを思い出していた。



 実は先日。

 ヒルデガルドの第三師団と共に、第七師団も城に凱旋した。姉の無事を確かめたくて、部隊が控えている庭園に足を運んだのだ。

 第三師団と第七師団の上層部、そしてその他作戦で別行動をとっていた第五師団と第二師団の上層部、軍務省の高官達がその場にいた。




「ヒルダ姉上」

 ヒルデガルドはトリアの姿を見ると、走り寄る。

「トリア!」

「ご無事のようで何よりでした、姉上」

「いやー短期決戦だったからねー、わざわざお出迎えにきてくれたのトリア」

「はい、皆様もご無事でなによりです」

「これはこれは、ヴィクトリア皇女殿下」

 軍務省のお偉方がヴィクトリアを囲む。

「バルリング提督、エルスター元帥もよくご無事でご帰還されました、姉上にと思ってもってきたのですが」

「おやおや」

「本来なら、戦地で戦う皆様に振舞うべき御酒でしたが、わたしはまだそこまで力及ばず」

 アメリアを初めとする侍女数人が、幕僚たちにグラスとワインを配って回っている。

「陛下からきちんとした労いの場がご用意されるとは思いますので差し出がましいとは思ったのですが」

「いやいや、幼ないながらもさすが、皇女殿下」

「わたしの妹は可愛いだけではなく、気づかいも素晴らしいのですよ、提督」

 そんな言葉を後押しせずとも、差し入れをもって、顔を出した小さな姫に、年嵩の将軍たちはまるで孫を見るように、ヴィクトリアを見つめ声をかける。

 が、ヴィクトリア自身は、その輪の外側にいる一際大きな体躯をし、黒い軍服に身を包んだ人物に目が惹かれた。

 その人物はヴィクトリアとは別に、若い兵士たちに囲まれていた。

 体格のいい兵士たちよりも、さらに頭一つ分飛びぬけて長身のその人は、眼帯をしていた。

 この戦で負傷したのだろうかとヴィクトリアは思う。

 戦場に立てば、相手は多分その威圧だけで逃げ出すであろうという印象。

 鎧もまとっていないのに、その体躯そのものが鎧のようだった。

 敵だけではない、もしこの場にそこそこの貴族の令嬢や、ちいさな子供がいれば、彼を遠目にみただけでも泣き出すだろう風貌だ。

 そんな彼と、ふと視線があったのだ。


 一瞬だけ。


 彼は、ヴィクトリアを見て、目を細めて笑ったような気がした。



「あの時ですかー、他の侍女たちは第七師団が怖くて近づけず、かといってわたし一人ではあの差し入れをお配りできなかったのですが、第七師団の幕僚の方々が、侍女たちの様子を察して、自ら配ってくださいました」

「……あの目の傷はこの度の戦でなったのかしら……」

「……姫様……」

「見てるだけで、なんていうか、こう胸が苦しいような気がしたのよね」


 紺碧の澄んだ瞳だった。

 隻眼になって、この国に勝利を導いた英雄。


「アレクシス・フォン・フォルクヴァルツ元帥閣下……黒騎士様……」


 そんなヴィクトリアの様子を見て、アメリアは額に指をあてて苦悶する。

 専用侍女として3年、この第六皇女に仕えてきたが、この姫の様子だと……。


 ――恋しちゃってるかもしれない!?


 魔力も、魔術も皇族のどの姫よりも秀でて、頭脳明晰、容姿端麗……あ、まあ容姿はその年齢よりも幼く見えてしまうのが惜しいところだけど、それはあと3年もしたら、さすがに見た目の幼さはぬけるだろうし、その才も、その気質も、生涯仕えても後悔しないぐらいの姫様が……。


 武勇は高けれど、強面で12も年上で他所の女にヘタレな片想いをしているって噂の黒騎士に? 


 このご時世で貴族なら、政略結婚は当たり前、女は好きでもない初めてあった男のところへ嫁ぐもの。しかし今回政略とはいえ、姫が好きな男と結婚できるのはいいのだが……。


「アメリア……伯爵は……黒騎士様は……この話、受けてくださると思う?」

「……逆に受けないと、また妙な噂が蔓延るかと」

「ああ……例えば、『皇帝の褒賞を受けずにいると国の為に戦ったのに、褒美も蹴る、この国を離れ、謀反の画策でもしてるのか』……とか? 軍部に伯爵の人気があるため武力を以て下克上とか思われるわね」

「そういった政治的背景より、黒騎士様ご本人のお気持ちがお気にかかるのでしょ?」


 アメリアの言葉に、ヴィクトリアは両手で頬を押さえて俯く。

 その愛らしいしぐさに、アメリアはもしかしてこれはすでに姫様は一目惚れされたのかもと思わずにはいられなかった。


 

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