シュガー (3/4)


 翌朝、教室にたどりついたわたしに、何人かのクラスメイトが声をかけてきました。内容はすべてタロット占いにまつわるもので、占いができるのかとか、わたしも占ってほしいとか、そんなようなものでした。突然のことに、わたしはかなり面食らって、うまく反応ができません。たぶん仁科さんが広めたのか、それとも結果的に広まってしまったのか、それはさだかではありませんが、とにかく、人と話すのがあまり得意ではないわたしにとっては、なかなか消耗する展開でした。


 実際、わたしはまたタロットを持ってきていたので、何人かに頼まれて、昨日と同じように本を読みながら(いくらか昨日よりは真面目に)占いをやってみました。だいたいみんな納得したような顔で頷いてくれるので、やっぱり確証バイアスというやつなのでしょう。


「大人気だったみたいだね」


 と、遅れてやってきた茉莉花が声をかけてくる頃には、わたしの周囲もようやく落ち着いていました。


「不本意ながら」


 苦笑しながら、わたしはタロットを整えて箱の中にしまいました。


「本を読みあげてるだけなのに、みんな意外と真面目に聞くものだね」


「まあ、そういうものじゃない?」


 茉莉花の返事は、答えになっているようないないような、なんとも微妙な塩梅でした。


 そこで、


「ちょっといい?」


 と声をかけられました。


 顔をあげると、知らない男子生徒が立っています。見覚えがあるような気もしますが、思い出せません。とにかくその男子はわたしの顔をまっすぐ見ています。なので、わたしに声をかけたのでしょう、おそらく。


「はい」


 とっさに返した返事に、その人は少し驚いたような顔をしました。急なことに緊張して、少し声が大きくなってしまったのかもしれません。


「それ、タロットだよね」


「はい」


「占ってほしいの?」


 訊いたのはわたしではなく茉莉花でした。男の子は、また驚いた顔をします。


「占い?」


「違うの?」


 と返事をしたのも、やはり茉莉花でした。こういう場面では、わたしはいつも口数が少なくなります。


「違う。ちょっと見せてほしいだけ」


「カードを?」


「うん」


 茉莉花が黙ったままのわたしに視線をよこしました。そうです。これはわたしのカードなので、茉莉花が返事をするタイミングではないのでした。


 わたしは慌てて箱を持ち直して、おそるおそるその男の子に差し出しました。彼は、わたしがあまりにもおどおどしていたせいでしょうか、少し気後れした様子でカードを受け取りました。


「……おお」


 と、彼は感嘆のような声をあげました。わたしはてっきり、男の子というのはこういうものに興味を示さないんだろうな、と思っていたので、少し意外に思いました。


「……あの、興味あるんですか?」


「え?」


「タロット」


「……なんで敬語?」


「あ、ええと……」


「突っ込むのは野暮だぞ」


 茉莉花がかばうようにそう言ってくれて、助かったような、そうでもないような、という気持ちになりました。初対面の相手に敬語を使ってしまうのは、以前からいろいろな人に何度も指摘されているわたしの癖のようなものです。なかんずく男の子が相手となると、普段あまり接さないこともあって、どういうふうに振る舞うのが正解なのかもわからないのです。


「まあいいや。べつにタロット自体に興味があるわけじゃないけど」


 彼は箱からタロットを取り出して、しげしげと眺め始めました。


「えっと、それじゃあどうして?」

 

「いや。昨日他のやつに話を聞いて、もしかしたらって思って見てみたかったんだけど、イラスト描いてる人が気になって」


 描いてる人。


「やっぱり当たってた。これ、たしか数量限定でしか作られなかった奴だろ」


「そうなんですか?」


「うん。よく持ってるな、こんなの。好きなの? 上村佳奈子」


「あ、えっと……」


 好きか好きじゃないかで言ったら好きですが……。どう説明したものか、と悩んでいるうちに、茉莉花が口を開きました。


「うえむら?」


「上村佳奈子。知ってるの?」


「上村まことなら知ってる」


「誰?」


 茉莉花はわたしを指差しました。男の子は、示された方向を見て、ぽかんとした顔をします。


「……はあ、なるほど」


 それから少し間を置いて、


「……上村?」


 と、ぽつりと呟きました。わたしはどう答えればいいかわかりません。こういうことは、言ってしまっていいものなんでしょうか。何も答えられないでいると、彼は急に前かがみになって、わたしのすぐそばに(というよりほぼ胸元近くに)顔を寄せました。


「ちょ」


「上村……」


「近いです」


「字も同じ」


「近いです!」


 わたしは思わず彼の額のあたりに手を当ててぐっと押し返しました。何をされるのかと思いましたが、どうやらネームを確認したかっただけのようです。


「変態だ」


 傍で見ていた茉莉花のつぶやきに、なぜだかわたしの方が恥ずかしくなりました。


「……いや、悪い」


 ぽりぽりと頭をかきながら、彼は申し訳無さそうな顔になります。


「ちょっと驚いて。でも、べつに、そうだよな。珍しい苗字でもないし、関係者でもないだろうし」


「……」


「ごめん」


「関係者といえば、関係者ですけど……」


「え?」


「この絵を描いた上村佳奈子は、わたしの叔母なので」


「おば?」


「はい。このカード、本人にもらったんです」


「……」


 彼はかなり驚いた顔をしていました。

 

「え、ほんとに?」


「ほんとに」


 尚も信じられないという顔をされたので、わたしはちょっとむっとしました。





 長峰、と彼は名乗りました。


 背が高く少し目つきの鋭い印象の彼は、わたしと同じ学年で、美術部に所属しているのだと言います。長峰くんは仁科さんとの面識はないらしいのですが、たまたま友達から、「タロットカードの占い通りに告白して上手くいったやつがいる」という話を聞いたのだそうです。たぶん、このクラスの男子生徒なのでしょう。そういうところから噂になっているのだと考えると、知らない間に尾ひれがつきそうで、あんまりうれしくはありません。長峰くんいわく、佳奈子ちゃんのタロットカードは数量限定で生産されたものであるがゆえに、佳奈子ちゃんのファンの中ではなかなか有名なものらしく、一時期はプレミアもついて、ネットオークションなどでそこそこの値段でやりとりされたのだとか。長峰くんは以前からそのタロットを一度見てみたいと思っていたらしく、その噂を聞いたときも、「まさか」とは思いながらも、一応確認するつもりになったそうです。


「まさか姪とはな」


「姪です」


 と繰り返しながら、なんとなく後ろめたくなりました。仕方のないことですが、彼にとっては目の前にいるわたしの叔母が佳奈子ちゃんなのではなく、イラストレーター上村佳奈子の姪がわたし、という理解になるのでしょう。そう考えると、あんまりおもしろくはありませんでした。


 そうこうしているうちに予鈴がなりました。彼は慌てた様子でタロットを箱にしまいながら、


「あとでまた見に来てもいい?」


 と訊ねてきました。わたしはちょっと視線をうろうろさせながら、とりあえず頷きを返します。


「じゃあ……あとで!」


 それだけ言って、長峰くんは早歩きで教室を去っていきます。


 茉莉花はその背中をぼんやり見送りながら、


「変わった子だねえ」


 と呟いて、飴玉をひとつ頬張りました。


 

 昼休みになると、また噂を聞きつけた人たちがやってきました。タロットカードというのはそこまで物珍しいものなんだろうか、と思いましたが、よく考えてみれば、単にタロットカードに興味がある人たちというわけではなく、「当たったという噂だから」とか、そういうことなのでしょう。付け加えれば、噂の発端となった仁科さんはそこそこの人気者です。彼女が言うのなら、という人も少なくはないのでしょう。


 今度は面白がったクラスの男子の何人かがやってきたりもしました。わたしが適当にカードを出して、適当に意味を読み上げて、あとは勝手に男子たちが盛り上がっているという感じでした。もはやここまでくると、わたしは人間ではなく彼らを盛り上げるための舞台装置になったような気分がしました。

 それが終わると、今度は別の女子たちがやってきて、タロットカードを見せてほしいと言ってきました。たぶん、他のクラスの女の子たちでしょう。


「タロットなんてやってるの初めてみた。ほんとにやってる人いるんだー」


「ね。でもさ、こういうのやってる人って陰気なイメージあるよね」


「たしかに」


「でもいいじゃん、たまにだったらこういうのも面白いしね」


 訳:あなたは陰気っぽいです。みんなきっとすぐに飽きますよ。

 

「上村さんってこういうの好きなタイプなんだね、意外」


「よかったね、みんな楽しそうだったしね」


 訳:タロットカードを好きな日陰者が少し注目を浴びたからといって調子に乗らないことです。


 というふうに受け取ってしまうのは、わたしの被害妄想かもしれませんが。


 副音声と声色に悪意がありそうなのが、なんだか胃のあたりにどんよりと重い痛みをもたらしました。


 とりあえず直接的に何かを言われたわけでもないので、苦笑いをしながら相槌を打ちました。茉莉花は間の悪いことに飲み物を買いにいってしまっています。というより、もしかしたら彼女たちも、茉莉花のいないタイミングを狙ったのかもしれません。それも穿ち過ぎでしょうか。


「でもこの絵、どっかで見たことない?」


「わかんない、よくあるでしょ、こんな絵」


 訳:もはや何でもいいのでケチをつけさせてください。


「まあ、どこにでもありそうだよね」


「たしかに」


 よくある? よくあるってなんだ。

 どこにでもありそうってなんだ。

 

 こんな絵って、なんだ。どういう意味だ。


 けらけらけらと女の子たちは笑いました。

 わたしはなんだか泣き出したい気分になりましたが、表情筋は意に反して笑顔の形を作ろうとするようでした。頬の筋肉がひきつったような気がします。


 なに笑おうとしてるんだ。


 言い返せ。


 べつにタロットカードが趣味の人間を馬鹿にされたっていい(人の趣味を馬鹿にするのはどうかと思うけれど!)。

 わたしが陰気ってことでもいい(たしかに人見知りの内弁慶ではあるわけだし!)。

 タロットカードが好きだと誤解されたままでもかまわない(これは事実に反するけれど!)。


 そんなときに苦笑いでやり過ごしたってべつにかまわない。でも、佳奈子ちゃんの絵を馬鹿にされて、へらへら笑ってるわけにはいかない。

 言い返せ。


「それ貸して」


「えっ」


 不意に、後ろから長峰くんが現れて、彼女たちの手からタロットカードを取り上げました。

 

「ちょっと! なに?」


「見たいならあとにしてくれ。俺が先に約束してたんだ」


「……あんたもタロットなんか興味あるの?」


「ねえよ。……“なんか”? あんたらもタロットには興味ないの? やっぱ上村佳奈子?」


「誰それ?」


「知らないの? じゃあ何見てたの?」


「……べつに見てねえよ!」


 とだけ言って、彼女たちは教室を出ていきました。なんとなくあとが怖いような気もしますが、わたしはとりあえずほっとします。それと同時に、自分がものすごく情けなくて、身勝手で、罪深い人間のような気がしました。


 長峰くんは平然と、タロットのイラストをまた眺めています。


「あ、あの……ありがとう」


「……なにが?」


 きょとんとした顔をされました。ひょっとしたら、何も気付いていなかったのかもしれません。そのとき、急に涙がぽろぽろとこぼれてきました。


「え、なぜ泣く」


 泣くな、泣くな、とわたしは自分に言い聞かせますが、かえって混乱が増すばかりでした。

 

「ただいまー」


 そのタイミングで茉莉花がアップルジュースを片手に戻ってきて、わたしはそれでまたほっとして、余計に抑えがきかなくなります。


「まりか」


 座ろうとした茉莉花の制服の裾を掴んで引き寄せ、わたしは彼女の腰のあたりに顔をうずめました。


「まりかー」


「ど、どしたの。え、泣いてる? 長峰くんいじめたの?」


「え、いじめてねえよ俺は。上村、どうした。腹痛いのか?」


「どうしたの、なにかあった?」


「腹痛いのか? 薬飲むか?」


 ……長峰くんはお腹が痛いときしか泣かないのでしょうか。

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