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学期が始まると、ローレンが注目されるのも無理からぬことだった。
魔法実技の授業では天へと昇る炎柱を見せ、精度を向上させるための実技においては圧縮させた水玉を飛ばし樹齢数十年の大木を倒木させては教師を唖然とさせた。
誰にも勝る魔法の才があるのは一目瞭然で、喧伝は学園の間で瞬く間に広がった。
当然それに対して良い印象を抱かない生徒も存在していた。彼らはローレンに目をつけ、女生徒がローレンのことで楽しそうに談笑しているのを目にすると舌打ちし、苛立ちを隠さず「うるせぇなぁ!」と声をかけた。彼女たちは彼らを睨み、応えるように男たちはニヤリと笑って口を開く。
「あんなやつはインチキだ」
彼女たちの顔が嫌悪に染まろうと、それが勝利であるように彼らは満足した。
ローレン本人も、自分が幾ばくかの人間から疎まれているというのは理解していた。それは認められたことの証左であり、それも彼は理解していた。悪い心地ではない。相応の実力を兼ね備えているという実感が伴う場合には猶更だった。ローレンは自らの内から溢れである力を感じる。齢十二にしてこの状況だ。俺は本当に昇り詰めることができるかもしれない。国王の座でも目指すか? 一時本気で考え、ローレンは苦笑した。政治には興味がない。そんな些末なことは今、どうでもいい。俺はただ認められたい。当初はそれだけを求め、それがいとも容易く実現するとローレンは暫し夢午後地となった。だがその状態が恒常化すると次の我欲が芽を出し、新たな矛先はすぐに定まっていた。
教室での座学の際、彼は肩肘をつき退屈さを見せつけるように授業を受けた。顔を上げ、視線を教師から離すと一人の女生徒に目を向ける。焦点は迷うことなくミレイアに行き着いた。ミレイア。ローレンは彼女のことを入学式の時から目をつけていた。大人びていたので同学年と知ってローレンは驚き、同じクラスであることを知ると神に感謝した。彼女は美しい。ローレンは見惚れるように彼女を見つめた。今の自分なら彼女にだって相応しいだろう。前世では考えられないようなことを自然と考えることに違和感は覚えなくなりつつあった。ローレンは彼女に告白し、彼女が頷く様を想像する。表情は綻びかけ、ニヤニヤしていると不意にミレイアが振り返った。彼女の目は真っ直ぐローレンに向かい、目が合った。彼は慌てて目を逸らし、教科書に目を落とす。そして激しい動悸を落ち着かせようと自問する。何を焦っているんだ俺は? 溜息まじりの深呼吸を一度。鼻から新鮮な空気を吸い込むことで落ち着きを取り戻し、右手を教科書に戻してページを捲った。一時授業に集中しようとする。しかしページを捲る手をすぐに止め、自身の右手の甲を眺めた。ゆっくり右手を翻し、掌をまじまじと見つめる。細かい線がいくつも張り巡らされ、手相など気にしなことはないし見方も分からないがきっと幸運を示すものだろうとローレンは独りでに思う。それから爪の大きさほどの微小な炎を掌の中に浮かばせ、焚火を見つめるような心地でじっと眺める。恍惚とした表情が照らされ、人生を、生きることを称えたい気持ちで満たされる。これからも、万事上手くいくだろう。ローレンは楽観的にそう感じる。自分の内に篭っていると「――君、ここの問題を答えてもらえるかな?」という教師の声が聞こえ、顔を上げると一人の男子生徒が立ち上がっている。彼は答えが分からないようで、困惑したまま回りに目を配る。ローレンは拳を握って掌の炎を消すと、今度こそ授業に集中することにした。
昼食時になるとローレンは一人で食事をしていた。周りはそんな彼の姿を好奇な目で見つめる。彼は確かに注目されていたが、誰それからすぐ親し気に話しかけられることはなかった。本当に彼の友人となっていいのか? だってあいつはウィリアム家だろ? あの没落貴族の。彼のことを好意的に思う生徒の間においてもそう言った会話が交わされ、ローレンに対しての警戒心も相まって未だ一線を引かれているのが実情だった。
まあいいさ。俺はおまえたちとは違う。突出した存在にとっては孤独が友人のようなものだ。ローレンはそう思いながら、一人での食事を淡々とこなしていた。
すると「なぁ、ここいいか?」と声をかけられ、ローレンは瞳を輝かせて顔を上げる。目の前には薄ら笑いを浮かべた男子生徒が立っている。その顔には見覚えがあり、同じクラスの男だった。名前は確かボルツとかだったような……とローレンは記憶を手繰り寄せ、直接話したことはこれが初めてでは? と思った。ボルツは同い年だがローレンより身長はずいぶん高く、体格も良い。
「いいよ」ローレンがそう答えるとボルツは立ったまま歯をみせてニヤつき、料理の乗ったプレートを左手のみで持つ。開いた右手を振り上げると、テーブルの上にあるものを薙ぎ払った。ローレンのプレート、食べかけの料理が乗ったそのプレートが床に払われ、不快に感じる大きな音を立てた。
ボルツは自分のプレートをテーブルに置き、顔をローレンの耳元に寄せ「どけよ」と声をかけた。そして俯くローレンの顔を覗き込もうとする。
ボルツは泣き出しそうなローレンの顔を期待した。しかしローレンが顔を上げ、見せた表情は真逆だった。口元は弛み、愉快そうに目尻を曲げている。それは泣き出しそうというより、くすぐられて必死に我慢する子供の顔だった。
薄気味悪く笑うその顔に驚きながら、小馬鹿にされていると気付いてボルツは憎しみを込めて手を上げる。振り上げられた右腕の拳は、ローレンの鼻と接触することはない。ローレンはぶつぶつと表情を変えずに詠唱していた。
大気の聖霊よ、我に力を与え給え。
ボルツがつぶやきを聞き取れた時、彼は自分に何が起こっているのか分からなかった。圧縮した空気がローレンの右手に集い、ボルツの脇腹近くを摘まむように手を伸ばした。そっと手を添えるように掌を当てる。ボルツは吹き飛ぶ直前、彼の掌を見た。そこには空気の流体があった。視認できる空気の流体。それは球体に見えた。
ボルツの身体に触れると針に当てられた風船のように空気の球がはじけ、その反動でボルツは吹き飛んだ。振り上げた拳は下ろされることがないままに。ボルツは自分に何が起こったのかまるで分らなかった。
壁にぶつかることでようやく動きを止め、背中を強打したことで「ぐふっ」と呻き、意識を失う前にぼやけた食堂を見た。瞬く間に暗闇が広がり、目を閉じた。
食堂は静まり返り、静謐な時間が僅かに訪れた。
次の瞬間、怒号のような歓声が沸き上がる。
それはローレンへの和解の印でもあった。
「あいつのこと、生意気で気に食わなかったんだよ」「あー、スカッとした」「やっぱりあいつすげぇな…」「キャー! ローレン君かっこいい!!」
喧噪の渦中に佇む男は下を向いて表情を変えず、テーブルの下では腿を指でつねっていた。ここで冷静さを欠いて調子に乗れば、そういう人間に見られてしまうだろう。ここは冷静なふりをしよう。さっきのようなことは自分にとっては別に何でもないことで、ほんの些細なことに過ぎない。俺の実力はそんなものじゃないから。そういった風情を見せようとローレンは唇を噛む。クールさを演出しようと無表情を必死で保ち続けた。
そのときちょうど食堂の戸口にはミレイアが立っていた。彼女はこの騒ぎの一部始終を見ていた。その視線に気づくとローレンは戸口の方を見た。ミレイアと目が合う。彼女は屈託のない笑みを見せた。ローレンはドキッとした。心の弾む音が聞こえる。我慢できず、彼女に微笑み返した。
何事も順調で上手くいっている。ローレンはそのことを信じて疑わない。実際自分は努力してきたのだ。この新たな世界に降り立った時から、俺は人一倍努力して過ごしてきた。赤子から成長し、自力で動けるようになると俺はすぐに魔法の鍛錬を始めた。この身体は自分でも驚くほど魔法に対する適性があった。一度でも成功すれば、次からその魔法をやすやすと用いることが出来た。頭の出来だって前とは違う。一度詠唱すれば、次からは余裕で詠唱を諳んじることが出来た。呼び出した魔法は自在に操ることが可能で、詠唱の度に練度を増していく。魔法は俺の意志に呼応するように働き、いつだって俺の期待に応えてくれた。
ローレンは、赤木猛は人生で初めて確たる自信というものを手に入れていた。
あのとき行商が見せた類の顔を、もう二度と俺には向けさせない。
ローレンには今、世界が輝いて見えていた。
二人の転生者 夏蜜柑 @murabitosan
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