3
魔力検査として、まずは総魔力量を測るための準備が行われた。
必要となる道具は甕のような巨大な壺で、大人でも屈めば身を隠せるほどの大きさであった。
壷からは紫色の煙がゆらゆらと立ち昇っており、生徒は中に腕を入れて底にある札を一枚取るように命じられた。
壷は合計で三口あり、生徒は三列となって順に並ぶ。
新入生は不安げな表情を見せながら腕を壷の中に入れ、底の見えない壷の奥を探るように手を滑らせた。そのうち何かしらの感触を得ると指でつまむように掴み、落とさぬよう慎重に目の前にまで持ち上げていく。
札は古紙のような褪せた色の短冊で、手にした者の魔力量によってその色合いを変容させた。
ローレンは中央列の中ほどに居て、横から顔を出して前方を見た。今しがた引いた生徒の札の色は緩やかな橙色で、それを目にした教員の表情に変化はない。
おそらく並、平々凡々としたものなのだろうと彼は推測した。左右の列の方にも目をやり、先を見ればそれぞれの教員の顔にも驚きはない。至って普通なのだろう。
ふふっ、とローレンは心の中で無邪気に笑う。彼らの驚く顔を目の当たりにする瞬間、自分はどう反応しようか? いや、ただの偶然ですよ。そのように平然を装うのが正しいだろうか? それとも、どうしました? とわざとらしく尋ねようか。そんなことを考えていると、前の方から失笑が聞こえた。
どうしたのかと再び列から顔を覗かせ、前方を見ると教員が苦笑している。生徒が手にしている札の色は白。真っ白だった。
教員はどうしたものか戸惑っているように見えた。その前で、キョトンとする生徒の横顔には見覚えがあった。しかし白は良くない結果なのだと思うと、ローレンの溜飲はずいぶんと下がった。慈悲のようなものさえ沸いてくるように感じられると、もはや彼に対する苛立ちは消えていた。
前方の二人に目を向け続ていると、騒動を見つけたようにギュドンが近づいて来る。少し距離を隔ていても彼の通りのいい声はよく聞こえ、教員がなにやら応答している。それから白の札を見てギュドンは目を細めた。
「ふむ……」
ギュドンは白札を持った生徒に何やら耳打ちし、それから彼は列を離れた。
その姿をローレンは目で追った。彼の横を通り過ぎる際にも目を向け続けていたが、向こうは気づいていないかのように一瞥くれることはなかった。
ようやくローレンの番になると、壷へ手を入れる前、彼は武者震いのように一度体を震わせた。それは緊張のせいでもあった。しかし確たる論拠もあり、何度も確認した計算式を提出するような自信と自部があった。実際、彼がこの壺の中に手を入れるのは初めてのことではない。
それでも湯に浸かるように右手を深く差し入れ、慎重に壷の底をさらった。不思議とこの壺には底がない。少なくとも、内からは底を触ることが出来ない。そのことを事前に知っていたのでいくら手を伸ばしても底に触れないことへの焦りはなく、ただじっくりと札を探した。指先が細々とした紙面の先端に触れると撫でるように手を滑らせ、指で掴んだ。頼むぞ、と念を込めながらゆっくり拾い上げてていく。壷の中から姿を見せた札は煤けたように真っ黒だった。
「まさかっ!!?」
目の前の教員がそれを見て、咄嗟に声を上げる。
ローレンは心の中でくくくと笑い、感情を出来るだけ抑えて「どうかしましたか?」と尋ねる。
「いや、まさか……ありえない!!」
教員はローレンの言葉を無視して呟き続け、ようやく目の前の生徒のことを思い出すと重々しく口を開く。
「すまないが……どうやら手違いのようだ。悪いが、もう一度引いてもらえるかな?」
いいですよ、とローレンは二つ返事で承諾する。
だが、再び引いても結果は同じだった。
「うーむ……」
教員はローレンの前で腕組みし、顔にあぶれ汗を搔いている。それから訝し気に唸った後、少し待っているようにと言い残してローレンの前から姿を消した。
ローレンは教員の行方を振り返って目で追い、ギュドンのもとへ駆けていくのを視認した。教員は何やら捲し立てるようにギュドンへ話している。彼はそれに対し、ただ無言で聞いていた。片がついたようにギュドンが一度頷くと、それで会話は終わり、学園長がこちらに歩いて来る。ローレンはすぐさま前に向きなおし、自分のもとに来るのを待った。
「君、名前は?」
はい? と声をかけられたところでようやく振り返り、ギュドンの顔を前に動揺した様子で「あ……ローレン、ローレン・ウィリアムと申します」と言った。
「ローレン君か。ではローレン君、もう一度だけこれを試してみて、それから私の学長室に来れるかね?」
「はい、もちろん大丈夫です。でも……どうして学長室に?」
「それはその時に話そう。とにかく、そういうわけでいいかな?」
はい、とローレンは従順に返事した。よろしい、とだけ言って学園長は離れていく。遠のくその姿を見ながらローレンは自らの勝利を確信した。それから神に感謝する。それは、前世では決して行われない行為だった。
学長室の前に立つと、流石のローレンもいささか緊張した。
一度深呼吸し、ドアをノックすると「入り給え」という低音の声が扉越しにも響いて聞こえた。
失礼します。そう言って仰々しく中に入ると、一人の生徒の後ろ姿が目に入る。ローレンは彼のことを知っていた。
学長は自らのデスクに腰かけており、その前にラング・エルンストが立っている。
ローレンはラングの姿を目にして動きを止め、しばらく動かずいたので「どうかしたのかね?」と学長から声をかけられるまでようやくハッとした。
「し、失礼します」と言ってローレンはようやくデスクの前にまで歩みを進めた。隣にはラング・エルンストがいる。決して目を向けまい、そう思いながらも反射的にチラリと彼のことを見てしまった。
「ローレン君といったかな。君は彼とは知り合いかい?」
「いえ。まぁ、その……一応」
ギュドンの質問にローレンは歯切れ悪く答えた。学長は一瞬、眉をしかめたものの気にせぬ様子で「まあいい」と独り言のようにいい、それからローレンとラングの二人に目を向けて口を開く。
「どうやら君たち二人は非常に稀有な存在のようだ。片や魔力がゼロで、片や魔力が膨大とは、ね」
魔力がゼロ。その言葉を耳にした瞬間、ローレンの表情は綻びかける。だが必死に堪えようと手の内に爪を喰い込ませ、笑うのを我慢した。
対称的に、ラングが気にする様子は全くない。
「しかし貴重という意味では同価値だろう。そう、君たちは同価値なのだよ」
その言葉を聞いた瞬間、ローレンの顔から血の気が引いた。
引き締まった表情でまじまじとギュドンを見つめ、「どういうことでしょうか?」と多少の怒気を込めて尋ねた。
ギュドンは血気盛んな若人を歓迎するような眼差しでローレンを見やり、「そのままの意味だ」と口元に笑みを加えて言った。
ローレンは息を飲み、僅かな冷静さを保って尋ねる。
「失礼ですが、先ほど言われた魔力ゼロというのは彼のことでは?」
ギュドンは頷く。
「では、もう一方、つまり僕は魔力が膨大にあるということですよね? なのにどうして、僕が彼と一緒だと仰るのですか!?」
「しかしね、彼は魔力がゼロなのにも関わらず、魔法が使えるんだ」
ギュドンは片肘をテーブルについて右手に顔をもたげ、リラックスした様子でそう答える。
「えっ!?」
道理の通らない言葉にローレンは混乱する。
「それは……いったい?」
「さあね。だからこそ、今こうしてそのことについて考えていたのだよ。ねぇ?」
そう言ってラングの方をちらりと向くが、ラングは相変わらず無表情だ。
ローレンは忌々しい情念を忘れて思わずラングを見た。
二人の視線に応えるように、ラングは口を開く。
「そのことについては、ぼくにもわかりません。ぼくには魔法という存在についてはよくわかりませんから。ただ、ぼくはことばを口にしているだけに過ぎません」
「ほお……」
ラングの言葉に学園長は分かり易く興味を示した。擡げた頭を持ち上げ、姿勢を正して座りなおすと、今度は両手を組み合わせて肘を目の前に着き、両手の指で水平を作るとそこに顎を乗せた。そのままラングを見つめ、「では君は――」と声に出して熟考するように言葉をいったん止めた。
「……それは”魔法”ではないと?」
「わかりません」
ラングは実直に答える。ギュドンは困惑した様子だ。
「とりあえず、君に関してはもうしばらく調査が必要だな」
そう言って今度は鋭い眼光をローレンに向けた。
「君の方は実に優秀らしいな」
「……恐縮です」
あまりに実直な称賛であったので、ローレンは委縮した。
「君に関しては、残りのテスト……魔力の適性や相性に関してはここで確認しようと思うのだが、異論はないね?」
はい、とローレンは頷いた。
「それと、ラング君。君はもう下がりなさい。あとは……そうだな。とりあえずビクターに従うように」
わかりました、とラングは答え、ギュドンに軽く頭を下げると退室した。
一人残されたローレンは勝利の余韻を味わい、身体が微かに震えていた。
「さて……」と学長が立ち上がる。威厳を呈するゆっくりした動きでローレンの前に行き、新入生に親しみを込めた笑みを向ける。
「君は非常に優秀な生徒のようだ。期待しているよ」
ローレンは未だ、喜びに震えていた。
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