第38話「月光」
【5年前・東京都内のマンション】
小さな部屋に灯りが一つ。パソコンのモニターの画面が光り続ける。時計を見ると午前1時を回っていた。私は頭につけていた黒いヘッドホンを外して暗い天井を眺めた。このヘッドホンは私の去年の誕生日に姉が買ってくれたものだ。いつも夜勤があるのに、私の誕生日には必ず休暇をとって毎年祝ってくれている。そういえば、私は姉の誕生日を祝ったことがあったっけ?
「......ないや...」
そう思うと胸が苦しくなった。ますます自分が嫌になってくる。学校にも行かない。日頃の礼も言えない。ただ自分勝手に生きているだけ。私はどうすればいいのだろう?そう考えていると廊下の方からゴソゴソという音が聞こえてきた。姉が帰って来たんだ。耳を澄ませないと聞こえないような小さな生活音、私の邪魔にならないように音を立てないようにしているのか?ますます胸が苦しくなってきた。
姉は私のために自分の将来を捨てた。それなのに私は学校も行かずに昼夜逆転した1日を繰り返している。私は姉に誇れるような人間になりたい。いや、ならなくちゃいけない。変わらなければいけない。私は咄嗟に座っていたゲーミングチェアから立ち上がった。まず、何をしなければいけないかは分かっている。この重い一歩が私の運命の分岐点、変わるという決意だ。ゆっくりと自分の部屋のドアを開けて姉がいるリビングへ向かった。
「姉...さん。」
リビングに辿り着くと少し疲れた表情をした姉が洗濯物を畳んでいた。長い髪を白いシュシュで結んでいる。
「どうしたのヒナ?」
姉はいつものように優しく微笑むと洗濯物を畳む手を止めた。私は言わなくちゃいけない。口を開いたはいいが言葉が出てこない。息だけが口から溢れていく。
「わ...わた...」
不思議そうな顔で私を見つめる。私は姉さんが喜んでくれるような人間に変わりたいんだ!
「私...明日は学校に行く。」
「え、」
「これ以上、迷惑かけたくないから...」
言えた。震えながら言ったこの言葉を姉はどう受け取ったのだろう。目を開けた瞬間、姉は立ち上がって私を抱きしめた。
「姉...さん?」
「ヒナタ......」
少し苦しかったがそれ以上に温かかった。
「どうして急に抱きしめて...」
「......お姉ちゃんも分かんないや、でも...もう少しだけこのままでいさせて。」
「......うん。」
涙を少し流しながらそのまま抱きしめられ続けた。あんなに喜んだ顔を見たのはいつぶりだろう。まずは第一歩だ。今日は、早く寝ないといけない。
【午前7時・東京都内のマンション】
7時だ。こんなに早い時間に起きのはいつぶりだろう。まだ眠くて仕方ない。まぶたを擦りながら無理矢理起きあがった。クローゼットの奥で私と同じように眠っていた中学校の制服を取り出して着用した。ようやく自分が学生だという実感がでてきた。学校に行くのはいつぶりだ?確か夏休みを挟んだから4ヶ月ぶりぐらいだろうか。同じクラスの生徒達は私のことをどう思うのだろう。
(怖い。)
でも、姉の前で誓ったんだ。変わるって。バッグに教科書を詰め込んでリビングへと向かった。姉は朝6時から出勤しているため誰もいない。代わりにテーブルの上に朝食としてベーコンと目玉焼きと白ご飯が置かれていた。その横にお弁当箱もある。
学校がんばってね!今日は早く帰ってくるからね!
お弁当の上にはメモ用紙でそう書かれていた。
「朝忙しいのに...」
姉はどんな顔で朝食とお弁当を作ってくれたのだろうか。どんな顔でメモを書いてくれたのだろうか。想像するだけで涙が込み上げてくる。姉が私の背中を押してくれているようだった。私は椅子に座って手を合わせる。
「いただきます。」
【午後5時・東京都内の中学校】
私が通っている中学校は都内にある女子校だ。今日一日学校に行った感想は「意外と平気だった。」ただそれだけ。最初は教室入ってから1時間目までは緊張したが誰も絡んでこないのでほっとした。ただ、3時間目の授業でグループワークをした際はさすがに危機を感じた。「前回の授業で出した課題についてグループで話し合ってください。」と教師に言われた際は「終わった。」と思ったが、グループにいた生徒達が優しい人達で助かった。その際に「なんで学校お休みしてたの?」と聞かれたが、「身体が弱くて...」と咄嗟に答えた。実際、嘘ではない。あまり外に出てないせいで学校の階段を上るだけで息切れをした。足が産まれたての子鹿のようにプルプル震えている。もしかしたら明日は筋肉痛かもしれない。
明日も、明後日も、その次の日も、このまま続けていけば変われるかもしれない。続けていこう。そう胸に誓って帰路へ着いた。自宅のマンションへ向かう途中で住宅街の中に一つの建物を見つけた。真っ白い洋風な外装に窓から色とりどりのスイーツがいくつも見える。そう、ケーキ屋だ。
(ここって...)
覚えている。姉が毎年、私の誕生日にバースデーケーキを買ってくれたお店だ。幼少期に何回か二人で行ったことがある。
(たしか、姉さんはここのティラミスが好きだったな...)
私がティラミスを買ってきたら喜んでくれるだろうか。喜んだ顔を見てみたい、そう考えた瞬間に自宅に向かっていた足がケーキ屋の方へと向いた。ケーキ屋のドアを開けた瞬間に特有の色んなスイーツの匂いが混ざった甘い匂いが鼻の中を通ってきた。
「いらっしゃいませ!」
「あっあの...ティラミスを...」
「はい!ティラミスですね!」
若い女性の店員がショーケースの中に入ったティラミスを笑顔で取り出した。一つだけでいいのだろうか?一つしか頼まない客は変に見えるだろうか。普通こういうお店ではもう少し買った方がいい気がする。
「あと、チーズケーキを2つとフルーツタルトをください。以上で...」
「はい!合計で1543円です。」
「電子マネーって使えますか?」
「はい!」
私はスマートフォンを取り出した。決して姉からもらったお小遣いで買っているわけではない。自分のお金だ。パソコンを使って作業をしていると時々、SNSを通じて動画の編集やVtuberが使うLive2Dを頼まれることがある。その際に少しばかりか報酬をもらっているのだ。もちろん、姉には秘密にしている。
「ありがとうございました!」
ケーキが入った白い箱を片手にマンションまで帰ってきた。姉は今日も夜勤で遅いはずだ。姉が帰ってくるまでに今日の授業で出された宿題をやって帰ってきた姉に「おかえり」と言って、今まで恥ずかしくて言えなかったお礼とともにケーキを手渡す。きっと姉は喜んでくれるはずだ。もしかしたら泣いてしまうかもしれない。エレベーターから降りて、突き当たりにある部屋の前へと到着した。もう11月だからか日は落ちて、肌寒い風が吹き抜けていく。
ガチャ
「え...」
鍵が...開いている。確かに鍵は閉めたはずだ。ポケットにも三毛猫のキーホルダーがついた部屋の鍵を持っている。私はドアをゆっくりと開けた。電気をつけていないため真っ暗だ。いつも見慣れているはずの暗闇が今日だけ恐ろしく感じた。恐る恐る手探りで電気のスイッチを探して押す。
カチッ
電気をつけた瞬間に広がった光景に心臓の鼓動が徐々に早くなっていった。倒れた家具、壁中につけられた引っ掻き傷のような跡、割れた皿と床に付着した赤黒い液体。
「これって...血?」
どういうことだ?空き巣にでも襲われたのか?その場合、倒れた家具の他に血や引っ掻いた跡があることに納得がいかな...
今日は早く帰ってくるからね!
メモの内容を思い出した。
「姉さん...!!」
ケーキが入った白い箱をその場で落としてしまった。ケーキなんてどうでもいい。靴も脱がずに私は部屋中を探し始めた。どの部屋も玄関付近と同じ悲惨な状態だ。リビングのテーブルの上には姉が普段、働きに行く際に肌身離さず持っている白いバッグが置かれている。周りには造花のように紅い薔薇の花びらが血と一緒に散らばっていた。
(嘘だ...嘘だ嘘だ嘘だ!!)
どこかに隠れているに違いない。それかすぐに部屋から出ていって交番に向かったのかもしれない。最悪の事態なんて想像するものか。
(なんで?なんでなんでなんでなんで!!どうしてこんな事になったんだ!?)
私が学校に行くなんて言ったからか?あんなこと言わなければ姉は早く帰ってこなかったはずだ。嫌だ...嫌だ!!震える手で画面を操作して警察へと連絡した。部屋の中に十数人の警察官が入ってきて調査が始まった。警察に頼んで行方不明のチラシも作ってもらった。それから...それから......
その日以降、姉が帰ってくることは二度となかった。私はまた学校に行かなくなった。私が変わろうとしたせいで大切なものを全部失ってしまった。あれから何日が経ったんだっけ?ボロボロになった部屋で1人自室に籠り続けた。何も食べていない気がする。
(もう...いいや、このまま死んだほうがいいかもしれない)
「ごめん...姉さん...。」
ピンポーーン
部屋のインターホンが鳴った気がした。気のせいだろう。
ピンポーーン
気のせいじゃない。部屋から出てドアを開けた。もしかしたら姉が帰ってきたのかもしれない。わずかな希望が頭をよぎったが現実は違った。目の前には知らない黒いスーツを着た黒髪の女性が立っていた。
「誰...?」
「こんにちは、私の名前は佐久間 誉。レーテの東京支部長をしているものです。」
「...レーテ?」
聞いたことがある。なんだっけ...
「君のお姉さんについてだ。」
「あっ姉は見つかったんですか!」
「残念ながら、まだ見つかっていない。ただ、警察が調査した結果...レーテが君のお姉さんの調査を引き継ぐことになったんだ。」
佐久間という女性はスーツのポケットからスマートフォンを取り出して画面を私に見せてきた。
「お姉さんがいなくなった日のこの階に設置された防犯カメラの映像だ。」
その映像にはこの階のエレベーターの前付近が映し出されていた。エレベーターの扉が開いて1人の白いバッグを持った女性が出てきた。姉だ。
「姉...さん。」
「少し早送りするね。」
画面操作して早送りする。そして10秒ほどして急に画面が真っ暗になった。
「え?」
「どうやら防犯カメラが壊されたみたいだ。壊された寸前の映像を遅くしてみるね。」
壊れる寸前の映像をスローモーションで再生すると何か黒い人のような影がマンションの外側からよじ登って防犯カメラを破壊したように見えた。
「これって...」
「ここは12階だ。普通の人間はこんな高い場所まで登ることはできないと思うんだ。私達はメモリスによる犯罪だと思っている。」
「メモ...リス?」
聞いたことがある。ネットの掲示板やSNSで話題になる化け物の名前だ。人間ではなく化け物が私の姉さんを...じゃあ普通の法では裁くことができないってこと?嫌だ。絶対に、
「私はどうすれば...」
「...「復讐」がしたいのかい?」
「え、」
「私達レーテはメモリスを調査して倒すための組織だ。」
「メモリスを...倒す。」
「実は君のお姉さんの身元を調査していると面白いことが分かってね。君のお父様は「レーテの研究者」だったんだ。」
佐久間という女性は不敵な笑みを浮かべた。何を企んでいるのか分からない。だが、今の私にとって悪魔の甘い囁きのように感じた。
「君のお父様は生前、レーテの研究者としてメモリスを倒す技術の開発をしていたんだ。設計だけで終わったこの技術を君に引き継いでほしい。」
父は滅多に家に帰ってこなかったし何の仕事をしているかも私達姉妹には教えてはくれなかった。まさか、そんな研究をしていたなんて知る由もなかった。
「君ならできるはずだ。」
彼女はどこまで私のことを知っているのだろうか。もう既に全てを知っているのかもしれない。彼女が差し伸べてきた手は後ろから差してくる太陽の光も相まって神様の手のようだった。神様が私に復讐の機会をくれたのだ。もう、後戻りはできない。私は少し口角を上げてその手を握った。
メモリスによる犯罪件数は年間でおよそ2400件。被害者の数は1万人を超えることがある。1年間でこんなにも多くの人達がメモリスによって自身や大切な人の命を危険にさらされている。姉さんもその被害者の1人だ。もうこれ以上、被害者を増やしてたまるものか。悪魔に魂を売っても構わない。部屋に残された「紅い薔薇の花びら」を調べたところ、普通の薔薇とは異なる細胞でできているらしい。姉さんを襲ったメモリスの身体の一部だ。
私がこの手で「薔薇のメモリス」を殺す。メモリスは私が全員ぶっ潰す。そのために私はここまで来たんだ。一歩進んだらもう、後戻りはできない。
一人歩く砂浜で
星はいくつと 指差し数える
決して 決して
残した跡を 数えぬように
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