第36話「嫌な過去ほど鮮明に」

【3ヶ月前・六本木スタジオ】


「今日はお疲れ様でした。」


「お疲れコイジちゃん。晴れのち、ひより大好評よ!」


「良かったです。あの...パインのオーディションの結果は来てますか?」


「それがまだ届かないのよ。もうすぐ届くはずなんだけどね...」


2週間前に行った舞台「海賊パインの大冒険!囚われの姫と海の宝石!」のオーディション。私は主人公のパインのオーディションを受けたのだがまだ結果が届かない。結果を待つこの期間がどうしても苦手だ。


「ねぇコイジちゃん。本当に1人で帰って大丈夫なの?」


女性マネージャーの山下さんが心配そうな目で私を見つめる。ここ数週間、帰り道を誰かに見られているような気がして仕方がない。正直1人で帰ることは怖いが私の気のせいかもしれないから事務所の人には迷惑をかけたくない。


「大丈夫ですって!六本木駅のタクシー乗り場まで行くだけですよ?それにマスクとメガネも持ってますから。」


私はそう言うとバッグから黒いマスクとメガネを取り出して顔につけた。お芝居中はコンタクトをつけているけど日常生活では2年間使っているこの銀縁の丸メガネを手放せないでいる。


「分かったわ。でも、何かあったらすぐに連絡してね。」


「はい。」


私はマネージャーの山下さんに手を振って帰路についた。スマートフォンの電源をつけて画面を見ると10時32分と表示された。もう10時なのか、だがこの街は決して眠ることはない。いつどんな時間でも必ずどこかのビルの窓から灯りがついている。私が生まれた田舎の街とは大違いだ。スマートフォンを眺めながら駅に向かって歩いているとSNSのニュースで気になるワードがトレンドに入っていた。


(ヒーロー?)


気になって検索してみるとどうやら東京でまた怪物が現れたらしい。怪物が突然現れてレーテの隊員が倒す。いつもの日常だ。でも、これが日常になりつつあるのが嫌だ。SNSをスクロールしていると一枚の写真が目に入った。ピントがズレたぼやけた写真だがピンク色の子供の頃に見たような変身ヒーローのスーツを着た何かが怪物と戦っている姿が写っている。


(なにこれ...何かのフェイク写真?)


この写真のことが気になってSNSで検索を続けた。




なんだアイツ!かっけぇな!化け物をどんどん倒してるぜ!


あれ?突然ヒーローショーが始まったw


次のヒーロー番組の主人公は...彼で決まりだ。


あのヒーローって男性なの?


私この時現場で見たよ!びっくり!女の子が変身してたの!




(女の子?)


検索しているとどうやらあのヒーローは私と同い年くらいの女の子が変身しているらしい。女の子がヒーローに変身?いや、変身ヒーローが男性だというのは時代遅れな発想なのだろう。多様性の時代だ。そうだ。人に迷惑をかけないうちはその人がどうなりたいかなんて個人の自由なんだ。



コイジちゃん。クジで当たったけど本当にパインの役をやるの?


女の子が男の子の役をやるのは変だよ。


(やめて)


今からでも私たちと一緒にお姫様の役をやろうよ。


(嫌だ)


パインは男の子だよ?なんで女の子がやるの?◯◯くんに代わってもらった方がいいよ。


(嫌だ)


コイジちゃん、ごめんなさい。先生からもお願い。今から◯◯くんに役を譲ってもらえないかな?


(嫌だ!!)




嫌な過去を思い出してしまった。どうして人間は嫌な過去ほどつい思い出してしまうものなのだろう。しかも、楽しい過去と違っておぼろげでなく鮮明にだ。あの時のことを思い出すたびに胸が締め付けられて吐きそうになってしまう。やめよう、今日は早く家に帰って休もう。そう思って私は時々使う近道を使うことにした。近道っていうは大通りではなく狭い路地の方だ。街頭もない。灯りは行く先にある別の通りが漏れる光だけだ。


「ねぇ、コイジちゃんだよね?」


その瞬間に心臓が一瞬大きく鼓動した。背後から男性の声、振り返らない方がいい。今すぐ走って逃げろ。それなのに足が動かない。


「...なんですか?」


返事をしている場合か。人気のない路地裏で話しかけてきた時点で普通のファンではないことくらい分かっているはずだろ。


「ぼく君のファンなんだ。いつも使う路地裏なら話しかけられるかなって。」


「あっありがとうございます。」


この発言の時点でもう普通のファンとして接することができなくなった。背後にいる男性が今まで感じていた視線の正体だ。逃げろ。逃げろ。この場にいたら何をされるか分からない!頭で必死に身体に訴えてようやく一歩歩き出したその瞬間だ。


「どこに行くの!!」


男性の叫び声とともに私は走り出そうとしたが強い力で右腕を掴まれてしまう。どうやらかなり近い距離まで接近されていたらしい。そして掴まれた状態で男性がいる方へ向かれてしまった。男性の顔は暗くて見えないが私を掴んだ手とは別の手で何かを持っている。ナイフかもしれない。


「い...嫌......」


男性は手で持った何かを勢いよく振り下ろす。私は恐怖のあまり目を閉じてしまった。コツンと頭に何かが当たる。次の瞬間に目を閉じていても分かるほどの光が辺りを覆い尽くした。


「なっなんだ!?」


「なっなに......」


光が収まってから私は目をゆっくりと開けた。目を開けると目の前に人ではない何かが立っている。2メートルほどの身長の化け物が私の前にいた。


「え?」


次の瞬間、その化け物は両腰につけた剣状の武器を男性に向かって振り回し始めた。


「なっなんだよ!?化け物は解放したやつの言うことをなんでも聞くんじゃねぇのかよ!?!」


「誰がオ前なんカの言うコと聞クか。次ハ首をハねる!」


「ひっ!!」


男性はそのまま怯えた様子で逃げてしまった。助かったの?目の前に立つ化け物は男性が逃げたことを確認すると私の方へと振り返った。青い瞳で私のことを見下ろす。


「ひっ!」


この化け物はきっとテレビやSNSでよく話題になる人を襲う化け物だ。男性の次はきっと私だろう。早く逃げないといけない。すると化け物はキョロキョロと見下ろしながら頭を動かしている。何をしているんだ?私を見下ろしているというより地面から何かを探しているように見える。


「アッた!」


化け物は地面から何かを拾い上げるとそれを私に突き出した。武器か何かを拾ったのかと思ったが違った。本のような何か、いいや違う。あれは私が持っていた海賊パインの台本だ。どうやら男性に掴まれた際に肩にかけていたバッグから落ちたらしい。


「パインの台本...」


「パイんの台本大事!」


「知ってるの?海賊パインのこと。」


「俺、全部見テた。コイジの中カラ。」


私の中から全部を見ていた?何を言っているのか分からない。だがどうやら敵意はないようだ。そんな気がする。少し落ち着いて息を整えていると私のズボンのポケットに入れていたスマートフォンのバイブレーションが鳴り始めた。画面を見るとマネージャーの山下さんからだ。


ピッ


「はい!もしもし!」


「あ、コイジちゃん?今オーディションの結果が届いたの!」


「どっどうでしたか!?」


「オーディション受かってたわ!パイン役!」


「ほっ本当ですか!?!はい!ありがとうございます!」


ピッ


「コイジ、受カッた!?」


「うん!」


「やっター!おめデトう!!」


化け物は無邪気な子供のようにピョンピョン飛び跳ねて私がオーディションに受かったことを喜んでくれた。なんで私は今出会った化け物と喜びを分かち合っているのだろうか。だが、そんなことは関係ない。今はただこの喜びを誰かに伝えたい。これが私と「サーベル」の出会い、見た目も海賊パインに登場する師匠のサーベルみたいだったからその名前をつけた。他の化け物は人を襲うかもしれない、でもこの子は私の命を助けてくれた。この子は悪い子じゃない。そのことを他の人にも、ユイアちゃんにも分かってほしい。
























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