第35話「月明かりのスポットライト」

【5年前・東京都内のマンション】



私は自分の名前が嫌いだ。

「日向」という名前をつけた亡くなった両親を何度恨んだことだろうか。日向っていうのは日光が当たる場所を指す言葉だ。私はその名にふさわしい中学校のクラスの中心人物でもないし明るさが取り柄なポジティブ人間でもない。その真逆だ。何もない人間。趣味といったら自室のパソコンでゲームをプレイしたり、たまに作ったりくらいだ。


「は?ふざけんなよ。なんでうまくいかねぇんだよ!」


暗い自室で唯一の灯りであるパソコンの前で暴言を吐く。こんな夜中に大きな声を出していたらきっと母親に「いつまで起きてるの!早く寝なさい!」と普通の家庭は言われるんだろう。だが、あいにく私には両親はいない。母は私を産んですぐに肺の病気で亡くなって、父は私が8歳の時に仕事先で亡くなったらしい。そんな私も天涯孤独っていうわけではない。ただ1人の肉親である姉がいる。名前は月条 美夕(ツキジョウ ミユ)


「ヒナ、こんな夜遅くまで起きてないで早く寝なさい。」


言っていたら私の部屋に姉が来た。今日はバイトだから遅くなると聞いていたから帰ってくるのが早すぎないかと思ったが、どうやら私が作業に集中しすぎて時間感覚がおかしくなっていたらしい。まだ午後10時だと思っていたがパソコンの画面に映し出された時刻を見ると午前1時半だった。


「ごめん。でもあともう少しで完成するから...」


「早く寝なさい。明日は学校行くんでしょ?」


「......」


何も返事ができなかった。行きたくないのが本心だ。それと同時にこれ以上、姉に迷惑をかけたくないという気持ちもある。両親が亡くなってから姉は高校を中退して昼夜ずっと私達の生活費のために働き続けていた。私達には頼れる親族もいない。2人で生きていくために姉は自身の将来を捨てた。


「そう。」


また姉に悲しそうな顔をさせてしまった。吐くようにそう言うと部屋のドアを静かに閉めていってしまう。私は姉を笑顔にできるような人間にはなれない。だから私は自分の名前が嫌いだ。きっと日向という名前の人間はもっと明るい性格で困った人を見過ごせない天真爛漫な女の子なのだろう。


「あぁ...変わりたいな......」


冷たい夜風が頬に当たる。白いカーテンが揺れて外の景色が目に映った。ビルや繁華街の灯りがギラギラと眩しく輝く。これでは星や月の明かりが見えやしない。きっとこんな私を慰めてるくれるのは前者ではなく後者なのだろう。






【大田区日本文化ホール 14:32 p.m.】


「わーすごい!」


ユイア達は再び大田区にある日本文化ホールへと訪れていた。先日の舞台とは違い大勢のスタッフがセットを組みあげている姿があった。海を思わせる青色のスポットライト、サーベルやピストルなどの小道具、そして何より舞台の右半分以上を占める海賊船のセットが目に入った。


「あの船が私達を冒険へ連れ出してくれるナイトオーシャン号だよ!」


「ナイトオーシャン号...」


ユイアは舞台へと近づくと海賊船のセットの全体が明らかとなった。海賊船のセットは前半分しかなく後ろ半分は舞台の袖によって観客席から見えないようになっている。


「海賊船の後部には階段があってね。私達は上手からその階段を上がって海賊船に乗るの。」


「なるほど...でも前半分しかないとはいえこの重そうな船を場面に合わせて戻したり出したり大変じゃない?」


「そこは大丈夫だよ、お嬢さん。」


声がして振り返ると体格のいい40代前後のおじさんが腕を組んで立っていた。


「遠藤さん、お疲れ様です。」


「この海賊船の底には20個のキャスターがついていてね。大人が5人いれば簡単に移動させることができるんだよ。」


それを聞いてユイアはちらっと海賊船を見てみると確かに海賊船の底が床から少し浮いており、小さなタイヤのようなものが見え隠れしていた。


「ほんとだ。おもちゃみたいに小さなコロがある!」


「これを使って暗転の間にセットを移動されるんだ。」


この舞台では大きく分けて六つの場面で構成されている。


一つ目はジュエリー姫が逃亡する最中に砂浜で悪い海賊に襲われる場面。ここで上手から少しずつ海賊船が舞台に出てきて海賊船から飛び降りたパインが悪い海賊を倒し、仲間達と海賊船によって逃亡する。


二つ目は海賊船での戦闘場面。先ほど倒した悪い海賊達がパインの船に乗り込み、船の上での乱闘が行われる。


三つ目はジュエリー姫の回想場面。洋風なベッドやソファーを置くことで姫の自室を表現する。


四つ目はお宝が眠る目的の島に到着する場面。一つ目の場面と同じ構図だが砂浜にある植物を変えることで別の島だということを表現する。


五つ目は洞窟を探検する場面。その奥で待ち受けるジュエリー姫と因縁のある敵が登場。お宝を巡ってパインが一対一の決闘を行う。


そして最後の六つ目、全てが解決しパインとジュエリー姫の別れの場面。夕日をバックに緞帳が降りて物語が終わる。


この六つの場面を暗転している数分間でセットを移動させて作り出さなければいけない。


「そろそろバミリしまーす!」


バミリとは劇やテレビの番組で行われる出演者やセットをどこに配置するのか床に色ごとに分けたテープを貼ることで決める作業のことだ。


「そろそろ見学も終わりかな......ユイアちゃん、明日からこのセットでリハーサルをやっていくんだよ。」


「ここでリハーサル...」


自分達がこれから劇をする場所、少しずつ完成していく舞台を前にまた胸が締め付けられるような感覚に襲われた。メモリスと対峙する時にいつも感じる緊張感とは別の種類の緊張感だ。他の出演者達とは違い初心者である自分が失敗したらどうしようという不安と緊張で押し潰されそうになる。胸を手で抑えながら自然を下を向いてしまった。


「大丈夫だよ、ユイアちゃん。みんな緊張しているから。」


「え、」


「舞台はドラマと違って一発本番、撮り直しなんてできない。来てくれたみんなに最高の劇を届けたいっていう気持ちがあるから私達は不安に思ったり緊張するの。演者さんも脚本家さんもスタッフさんもみんな気持ちは一緒、ここにいる全員が仲間なの。」


「仲間......」


「だから困ったことがあったらなんでも言ってほしい。みんなで助け合おう、みんなで最高の劇にしよう!」


「コイジ...ありがとう。少し楽になった。うん、一緒に頑張ろう!」


自分だけが不安に思って緊張しているんだと思っていた。でも違った。みんな気持ちは一緒なんだ。コイジの言葉を心の中で復唱するように言うと先ほどまで感じていた不安や緊張が少し軽くなった気がした。




【大田区日本文化ホール控え室 16:21 p.m.】


「ねぇコイジ。」


「うん?どうしたのユイアちゃん。」


舞台裏にある会議室のような控え室で演者達と共にユイア達は休憩をしていた。ユイアは台本を読んでいるとある違和感に気づき、オレンジティーを飲むコイジに質問することにした。


「ここにいる人達はみんな劇に出る人であってるよね?」


「うん、そうだよ。例えばあそこで雑誌を読んでるのはこの劇の敵役ドーン大佐を演じる沢木さんだし、スマホでゲームをやっている春川さんはパインの仲間で頼れる姉御肌のパッションを演じるよ。」


この場にいる演者達はユイア達を合わせて32名。ユイアとリンはジュエリー姫を演じるため登場人物は31名となるはずだ。しかし、ユイアが持つ台本には登場人物は32名と記載されている。


「1人足りない?」


それを聞いた瞬間にコイジの表情が変わった。目が見開いて驚いているような表情だ。その後すぐにコイジはユイアから目を逸らした。


「ほら、サーベル役の俳優さんが足りないんだよ。」


サーベル、主人公パインの師匠であり育ての親。両親を失い海に漂着したパインを拾い、5年間育てあげた人物だ。序盤では頻繁に登場していたがパインが成長し1人で冒険に出ると登場頻度は少なくなった。しかし、パインがピンチになると必ず助けにくる。実はパインを見守るような形で海賊船のあとを追いかけたり島へ先回りをしたりなど子離れができないキャラクターとしても描かれ、一部の層からは人気が高いキャラクターだ。過去に受けた顔の傷を海賊帽とマスクによって隠しており、素顔が未だに判明していないのも人気の秘密だと言われている。


「そっその俳優さんはね!すっごい忙しい役者さんだからリハーサルにしかスケジュールの都合で来れないの!」


「そっか......原作読んでてサーベル師匠、好きだったから残念だな...なんていう俳優さんの?」


「えーっとえーっと、あっ!それよりユイアちゃん一緒に飲み物買いに行こうよ!」


「え?うん、いいよ。」


強引に話を逸らされたが明日のリハーサルでサーベル役の俳優に会えると聞いたことでユイアは明日まで楽しみとすることにした。2人で控え室を出ると長い廊下を淡々と歩き始める。控え室と楽屋の他に用具などが置かれた倉庫も並んでいる。


「本当に広いね〜」


「この倉庫には照明や音響設備の予備がたくさん保管されているからね。ほら、あそこに自販機が...」


ガタン!


何かが倒れる音がした。長い廊下にはユイアとコイジの2人しかいないはずだ。


「何か音がしなかった?」


「きっ気のせいじゃないかな?」


「ウッうゥ〜」


今度ははっきり聞こえた。しかも人が唸るような声だ。その声はユイア達が通った用具が置かれた倉庫の中から聞こえてくる。


「やっぱり!誰かが倉庫で怪我をしたのかも!」


「まっ待ってユイアちゃん!」


コイジはユイアを止めようと手を伸ばすがユイアはもうすでに駆け出して倉庫のドアを開けていた。灯りがついていない倉庫の中は真っ暗で何も見えない。


「大丈夫ですか!」


ユイアはドア付近の壁を手探りで触って電気のスイッチを探し始めた。すぐにスイッチは見つかりカチッとスイッチを押すと蛍光灯が倉庫内を照らし始める。壁沿いに沿って見たこともない機械が入った段ボールが棚に収納されている。倉庫の真ん中にはうずくまる人の姿があった。


「どこか怪我をされたんじゃ......え、」


「ゆっユイアちゃん!」


うずくまる人物にユイアはすぐに違和感を感じた。青い長いコートに古い大きな海賊帽。腰から下げたサーベルが他の金属具と当たってカチャカチャと音が鳴る。ゆらゆらと目の前にいる人物はゆっくりと立ち上がった。2メートルほどある身長でユイアのことを頭につけた銀色のマスクの隙間から光る青い瞳で静かに見下ろした。


「え...あ......」


「まズい、バレた。」


ヒーローものでよく使われる特殊なスーツを着ているのかと一瞬思ったがすぐにその答えは頭の中でかき消された。ユイアは知ってるはずだ。ずっと見てきたはずだ。目の前に立つ人物の正体が一体なんなのか。


「ユイアちゃん...その......」


「あなた......メモリス...だよね?」































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