第74話 本当の自分 side神楽坂茜

 皿の上にまだ食べ物があったが、私はフォークとナイフを置いて口元をナフキンで拭いた。


「お嬢様?」


「由里、ごちそうさま」


 そう言うと由里が心配そうに私の顔を覗き込んだ。


「お好みの味付けではありませんでしたか?もしそうであれば、シェフにお伝えいたしますが……」


「ううん、美味しかったよ。でも最近あまり体調が良くなくて」


 私が教室から出て行った後、結愛ちゃんは蒼太君の彼女になったみたいだ。

 それから何故か食欲がなく、体もだるい。

 毎日不安で眠れず、どうすればいいのかわからない。


「学校にはいつから登校できそうですか?」


 実は3日前から学校を休んでいた。

 今、蒼太君や他のみんなと会ったら自分がどうなるか分からない。

 だから少しの間、距離を取ろうと思った。


「わかんない……、でもしばらく様子見てみる」


「そうですか……。何かあれば、いつでもお呼びください」


「うん」


 私は立ち上がり、洗面所に向かう。

 洗面所の白いタイルの床は清潔感を漂わせ、天井まで届く大きな鏡が、部屋全体を明るく照らしている。


 鏡に映った自分は、目の下に大きな隈があり、少しやつれていた。


「私、どうしちゃったのかな?」


 鏡を見ながら苦笑いをし、そう言った。

 当然返事は帰ってこず、一本の歯ブラシとチューブに入った歯磨き粉を手に取る。

 チューブを軽く握ると、真っ白の歯磨き粉が出てきて、歯ブラシの上に付いた。


 もう一度鏡に映った自分を見ながら、歯ブラシを口に近づける。


『本当はわかってるんでしょ?』


「えっ!?」


 私の体が一瞬跳ねて、歯ブラシを手放してしまう。

 歯ブラシが音を立てて、洗面所の床に転がった。

 後ろを振り向いて、周りを見渡すが洗面所には誰もいない。


「だ、誰?」


 もちろん誰も返事はしない。


「気のせいかな?……あっ!歯ブラシ落としちゃった」


 歯ブラシに付いていた歯磨き粉が床に飛び散っている。

 私は腰を曲げて、床に落ちた歯ブラシを拾う。


「はぁ~、ちょっと疲れてるかも……今日は早く寝よ」


『このままだと今日も寝れないよ?』


「え?」


 鏡を見ると、そこには不気味な笑顔を浮かべた私が映っていた。

 その眼は底が見えないほどの闇で覆われて、その目を見つめると恐怖で体がブルリと震えた。


『苦しいんでしょ?蒼太君を独り占めできないから』


「あ、あなたは誰?」


『私は神楽坂茜。あなた自身だよ』


「そんなわけない!私は独り占めしたいなんて思ってない!」


 おかしい。

 どうして鏡に映った自分が自分と違う動きをしているの?

 この人は誰?


『いい加減、自分に嘘を付くのはやめようよ。苦しいだけ』


「私は苦しいなんて思ってない!」


『じゃあどうして泣いてるの?』


「え?」


 自分の頬を触ると顔が濡れていた。

 鏡には別の自分が映っているため、確認することはできないが、手に付いているのは自分の涙だろう。


『今まで苦しいのによく頑張ったよ……。これからは自分に正直に生きよう』


 その言葉を聞いた途端に胸が苦しくなり、目頭が熱くなる。


「そんなこと言わないで!!これからも頑張らないといけないのに……」


『ううん、もういいの。やっぱり私はなんだよ』


「……」


『神楽坂の血には勝てない。子供の頃からお母さんにそう言われてたでしょ?』


 好きなものを自分だけの物にしたい、そう考える事は間違ってない。

 あなたは他の人とは違うかもしれないけど、それでいいの。

 あなたは悪くない。


 昔、お母さんに言われたことが脳裏によぎる。


「だ、だってみんなと仲良くするにはそうするしかなくて――」


『苦しい気持ちを我慢して本当の自分に成れないなら、みんなと仲良くする必要なんてないよ』


「そんなの嫌!!みんないい人達で……それで――」


『いい人達だよ。でも自分には蒼太君さえいればいいよね?』


「そ、そんな事な――」


『じゃあみんなか蒼太君のどちらを選べって言われたらどうするの?もちろん蒼太君だよね』


「……」


 私は何も言い返せなかった。

 この鏡に映っているのは闇の自分、私が今まで奥底に閉じ込めていたもの。


『このままだと蒼太君が私と会ってくれる時間が少なくなるよ?それでもいいの?』


「それだけは嫌!!ただでさえ今でも寂しいのに、これ以上はもう我慢できないよぉ!!」


 私は泣いて、その場で膝から崩れ落ちた。


『だったら蒼太君を自分だけのものにするしかないの。そうしないと私は絶対に幸せになれない』


「でもどうしたら――」


『この家の地下室あるでしょ?そこに蒼太君を閉じ込めるの。蒼太君の世界には私以外の女は存在しない』


「っ!!でもそんなことしたら、友達だっていなくなるし、蒼太君に嫌われるかもしれない……」


 でもそれをやったら間違いなく私は幸せになれる。

 そう思ってしまった。


『蒼太君の世界には私しかいないんだよ、嫌われるわけないよ。それに友達なんて必要ない、そうでしょ?』


 私は鏡に映った自分をじっと見つめる。


『莉乃ちゃん、結愛ちゃん、岬さん、会長。その四人と蒼太君、どっちを取るの?今すぐ決めて』


 私は蒼太君を愛している。

 蒼太君がいないと生きていけない。

 でも他のみんながいなくても私は……。


「そんなの蒼太君に決まってるよ!!今更離れるなんて無理!」


『じゃああなたが欲しいものは何?蒼太君とどうなりたいの?』


「蒼太君には私だけを見て欲しい。蒼太君が欲しいものを何でもあげたい、蒼太君と子供をいっぱい作りたい、蒼太君にも私に執着してほしい、蒼太君と――」


 私はその後もひたすら鏡に向かって言い続けた。


『だったら他の女に興味を無くなるくらい綺麗でいい女にならないとダメ。目的のためにはしっかり寝て、ご飯食べる。そして蒼太君と私だけの世界を作るの』


 私はその言葉を聞きながら、何度も頷く。

 するともう一人の自分が鏡の中から手を鏡に当てた。


『さあ、私と一つになって本当の自分を解放しよう』


 私は手を合わせるように鏡に手を当てた。


『これから楽しみだね。だって蒼太君が私の――』


「お嬢様?」


 勢いよく振り返るとそこには由里が立っていて、心配そうな顔で私を見ていた。


「お嬢様の様子を見るためにお部屋に行ったのですが戻られていなかったので、探していたんです。こんな所で何をやっていたんですか?」


 スマホで時間を確認すると夕食を食べてから結構時間が経っていた。


 私は鏡越しに由里を見る。


「心配かけてごめんね。それよりもこの家の地下室って使ってる?」


「しばらく使っていませんね。今は物置になっています」


「そっかー……。わかった!」


 私は笑顔でそう言った。

 鏡に映る自分の瞳が、自分でも分かるくらい深い闇に覆われていた。

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