第71話 西園寺兄妹

 結愛ちゃんは俺からは離れて、ゆっくり後ずさる。


「ど、どうしてですか!?茜様や莉乃様はよくて、私はダメなのですか!?」


 結愛ちゃんの目からは大粒の涙が溢れ出し、頬を伝って地面にぽたぽたと落ちる。


「私は……可愛くないですか?それとも性格?」


 結愛ちゃんは自分の胸を手で押さえて、呼吸が荒くなった。

 ブツブツと独り言をし始めた。


「ち、違うよ!結愛ちゃんの事は可愛いと思ってるし、すごく優しくて良い子だと思ってる!」


 俺は大きな声で弁解する。

 そう、結愛ちゃんの問題ではない。


「だったらどうして?」


「それは言えない……。でもこれは俺の問題なんだ」


 茜が苦しむから……そうではない。

 彼女達を満足させられていない俺が悪いんだ。


「蒼太様の?」


「うん。今の彼女達にもう少し時間を使ってあげたいんだ」


 結愛ちゃんは目を大きく開けて、固まったように立ち尽くす。


「ごめん」


 結愛ちゃんは拳を強く握り、俺を睨む。


「それでは納得できませんわ!もう少し時間を使ってあげたいとはどういう意味なのですか!?しっかり一から説明して欲しいですわ!」


 もし俺が茜の気持ちを下手に代弁すれば、茜が悪者になってしまうかもしれない。

 茜は悪くない、満足させられていない俺が悪いんだ。


「そ、それは彼女達の気持ちもあるから俺の口からは――」


「でしたら直接、蒼太様の彼女さん達に聞きますわ!」


 結愛ちゃんはそう言って、振り返ると長い金髪が大きく揺れた。


「貴重なお時間を割いて頂き、感謝しますわ。ではお兄様を呼んできます」


 涙をぬぐい、そのまま家の方に歩いて行く。


「ちょ、ちょっと結愛ちゃん!」


 俺は手を伸ばして、結愛ちゃんを追いかける。


「蒼太様、四大財閥の人間は一度執着したら絶対に諦めない。それはよくご存じのはずですわ」


 それはよく分かっている。

 茜や莉乃、葵も絶対に譲らない所がある。


「ファンや家族、友達を裏切ってでも、私は蒼太様を絶対に諦めません。だって西園寺家は四大財閥の中でも一番『愛情』が強いんですもの。諦めろと言われてもこれだけは譲れませんわ」


 はっきりとそう言われてしまい、俺はその場に立ち尽くしてしまう。

 俺は家に向かう結愛ちゃんの後ろ姿を只々見守る事しかできなかった。


 ◇


 あの後すぐに竜也がやってきて、しばらく話した。

 結愛ちゃんの言われた事で頭がいっぱいになり、正直何を話したのかは覚えていない。

 俺と竜也は車に乗せられ、寺田さんの運転で自分の家に帰っていた。


「悪いな、蒼太」


「……」


 竜也は困ったように頭を掻いた。


「結愛には俺からきつく言っておくよ」


「えっ?なんか言った?」


「おい!俺の話聞いてんのかよ!?」


「わ、悪い悪い。少し考え事をしてた」


 四大財閥の結愛ちゃんに執着されるとはどういう意味か……俺にはよく分かる。

 でもどうすればいいのか分からない。

 モヤモヤとした霧が心を覆っているような感覚。


「まさか結愛があそこまで怒るなんてな……。何かあったのか?」


「ま、まあ色々とね。でも俺が悪いんだ、結愛ちゃんは悪くない」


「けどよぉ、蒼太は客人だぜ?客人に対して怒るのはどうかと思うけどな」


「いや、本当に今回は俺が悪いんだ」


「……」


 竜也はそれ以上何も言わず、大きなため息を吐いた。

 俺は車の中からゆっくり後ろに流れていく建物をじっと見つめる。


「結愛は蒼太が家に来るのをずっと楽しみにしてたんだ。何日も前から服を何枚も来て、『これはどう』『あれはどう』とか聞かれたよ」


 窓に苦笑いする竜也の顔が薄く写った。


「俺が女の服の良し悪しが分かるわけないのにな。自分のお気に入りの紅茶をわざわざ取り寄せて、『絶対蒼太様に飲ませたいんですわ!』って言ってたぞ。紅茶嫌いな俺にも飲ませてきやがって……。全く、世話の焼ける妹だよな」


 竜也の言葉が俺の心臓を強く締め付ける。


「結愛ちゃんは竜也のことを優しいお兄様だって言ってたぞ」


「なにが優しいお兄様だよ。散々迷惑掛けてきやがって!俺は結愛のせいでトラウマになったんだよ」


 竜也は腕を組んで、鼻を小さく鳴らす。


「でもああ見えて繊細なんだよ。俺が子供の頃、結愛のスキンシップを拒否した時、結愛が過呼吸になってパニックになったんだ。今はさすがにそこまでひどくはならないと思うがな」


 いや、俺が結愛ちゃんの告白を拒否したとき、結愛ちゃんは過呼吸になっていた。

 きっと相当苦痛だったに違いない。

 本当は結愛ちゃんと付き合いたい、でもあの場でそれを言うわけにはいかなかった。


「そんな結愛を見せられたら簡単に拒否なんてできるかよ。まじで一人っ子が良かったぜ」


「……」


 すると見覚えのある住宅街にたどり着き、車が停車した。


「おっ!着いたな。悪いな、愚痴聞いてもらって」


「いや、全然いいよ。俺の方こそごめんな」


「また学校でな」


「ああ」


 俺はそう言って車から降りて、アパートの階段を上り自分の部屋に向かった。


 ◇


「ナイスアシストですよ、お坊ちゃま。お嬢様の紅茶の事や服選びの話をしたのは素晴らしいご判断でした」


「うるせえ!俺がせっかく二人きりになれる状況を作ってやったのに……。ああやって暴走する所は昔から全く変わってねぇな」


「まあいいではありませんか。青春ですよ」


「何が青春だよ!ああ~俺も一人っ子がよかったぜ」


「はいはい。お坊ちゃまのツンデレも昔から全く変わっていませんね」


「あぁ?なんか言ったか、寺田……」


「ふふっ。いいえ、何も」


「ちっ、まあ俺は結愛と蒼太の両方が幸せになって欲しいと思っているよ」

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