第58話 愛情 side西園寺結愛

 私は煌びやかなステージの上で歌いながら、激しく体を動かす。

 ステージの上では自分の魅力を出し切ることができ、アイドルという職業は自分に向いているのだと思う。


 しかし、今日は心の中がモヤモヤしていて歌とダンスに集中できない。

 こんな事は初めてだ。


「はい!オッケーです!」


 演出の人が元気よく声を上げる。


「いや~愛ちゃん!今日も良かったですよ!」


「ありがとうございます……。でも今日の自分は60点ですわ」


「そう?いつもより良かったような気が……」


「ファンの皆様をもっと楽しませられるようなアイドルになりたいですわ」


「す、ストイックなんだね……。今日のリハーサルはこれで終わりです」


「お疲れさまでした!」


 私は演出の人に挨拶して、楽屋に向かう。

 スタジオの廊下を歩いていると後ろからマネージャーさんが声を掛けてくる。


「結愛、今日はいつもより張り切っていたわね!何かいい事でもあったの?」


「でもあまり集中出来ませんでしたわ」


「そんな風には見えなかったけどね……何かあったの?」


「何故か心の中がモヤモヤしているんですわ」


「ふ~ん。それだけじゃ原因はわからないわね」


 私にもわからない。

 どうしていきなりこんな事になってしまったのか……。

 ずっと落ち着かない、原因不明の見えない不安が私を襲う。


「とにかく今日はゆっくり休んで、しっかり寝なさい!そうすれば前みたいに元気な愛に戻れるわ」


「そうですわね……」


「じゃあ私はプロデューサーに挨拶してくるから、先にタクシーで帰りなさい」


「わかりましたわ」


 私はそう言って、楽屋に入って着替える。

 衣装を脱ぎ、下着だけになる。

 鏡で自分の体を見て、小さい胸を触る。


「蒼太様は大きい方がお好きなのでしょうか?」


 ふとそんな事を呟いてしまう。


「わ、私ったら何て事を……。諦めたと決めたのに、茜様に申し訳ないですわ」


 私は自分の両頬を軽く叩き、私服に着替える。


「帰ったらまたお兄様成分を補給しないと……。待っていてくださいね、お兄様!」


 ◇


 マネージャーさんが呼んでくれたタクシーに乗って家まで帰って来た。

 辺りはすっかり暗くなっていて、空には綺麗な月がほんのり光っていた。


「ただいまですわ」


「お帰りなさいませ、結愛お嬢様」


 執事の女性が私に向かって頭を下げる。


「お兄様はいるのですか?」


「ええ、自室でゆっくりされておりますよ」


 自分の部屋でゆっくりしているという事はお風呂と夕食は済ませているという事だ。

 私はいつでもハグできるようにお兄様の行動パターンを完璧に把握しているので間違いない。


「そうですか……では先にお風呂に入りますわ」


「すぐに準備致します。お食事はどうされますか?」


「楽屋に置いてあったお弁当を食べたので今日はなしで構いませんわ」


「お嬢様……最近はいつもそればかりです。体に悪いのでたまには西園寺家のシェフが作ったお料理も召し上がってください」


「お弁当も美味しいですわよ?」


「……」


 執事は何も答えず、目を細くして私をじっと見る。


「はぁ~……わかりましたわ。気を付けますね」


 私は長い廊下を歩き、浴室に向かう。

 教室くらいの大きさの更衣室に入り、服を脱ぐ。


「蒼太様は今頃何をしているのでしょうか?……っていけませんわ!」


 私は頭を強く左右に振り、邪念を消そうとする。


「もう諦めるのです、結愛。茜様を応援すると決めたじゃないですか……」


 自分にそう言い聞かせて、浴室のドアを開ける。


 ◇


 私はお風呂に入った後、お気に入りのネグリジェに着替えて、お兄様の部屋に向かう。


 コンコンッ


「結愛ですわ。入りますわよ」


「ひぃぃ!」


 中からお兄様の声が聞こえてきたので、ドアを開けて部屋に入る。

 お兄様は椅子に座りながら、顔を真っ青にさせている。


「お兄様、いつものぎゅーの時間ですわ!」


 私は両手を大きく広げて、お兄様に近づいていく。


「や、やめてくれ」


「無理ですわ。だってなんですもの」


 私がそう言うとお兄様は諦めたように、体の力が抜けていく。


「ふふっ、今日もお兄様成分を摂取いたしますわ」


 椅子に座っているお兄様を前から優しく抱きしめる。


「……」


 そしてすぐにお兄様から離れる。


「えっ!?」


 お兄様は目を大きく開きながら、私を見上げる。


「あ、あの時と全然違いますわ……」


 このまま抱き着いていても何も感じないし、満たされない。

 そんな気持ちになってしまい、すぐに手を離してしまった。


「お、お兄様!」


「はい!」


「次は頭も撫でて頂けますか?」


「へっ?」


 私はお兄様に勢いよく抱き着く。


「ゆ、結愛……」


 お兄様の体が固まっているのが分かる。

 あの時とは違う、包まれている感じがしない。


「お兄様、早く頭を撫でて下さい」


 お兄様は私の頭の上に手を乗せて優しく動かす。

 頭からお兄様の手が震えているのが分かる。

 全く安心できない、やはり心が満たされない。

 頭を撫でてもらえれば、満たされるのではないかと思ったがさっきと何も変わらない。


「……」


 そしてまたすぐにお兄様から離れる。


「ど、どうしてお兄様とぎゅーすればするほど寂しくなっていくのですか?」


 私はその場に立ち尽くして、そう呟く。


「昨日まではお兄様とぎゅーしたら満たされていましたわ。でも今日は……」


 わからない。昨日と今日では何が違うのか。

 いや、一つだけ違うことがある。


「蒼太様……」


 その名前を呟き、その人の姿を思い浮かべながら自分を抱きしめるだけでも心が少し満たされていくのを感じた。

 気付かないふりをしていた、茜様を失いたくなくて現実から目を離そうとしていた。


「マ、マジかよ。神楽坂の言ってた事が当たった……」


 お兄様では満たされなくなったのではなく、元々満たされていなかったのだ。

 お母様もお父様とくっついている時間は私に比べて圧倒的に少ない。

 私は西園寺家の特徴を強く引き継いでしまったのだと諦めていた。


「でも違いましたわ。愛している人に抱きしめられるというのはこんなにも満たされる物なのですね。お兄様」


「えっ!?お、おう……」


 実はすでに、ある程度満たされていたのだ。

 お兄様とぎゅーしたかったのは蒼太様を忘れるため、私にはお兄様がいれば十分だとそう思いたかっただけだった。


「愛してますわ。蒼太様ぁ~」


 私は今まで抑え込んでいた感情を口にするだけで、心の中が満たされていくのを感じる。

 そうだった、私は【愛情】が強い西園寺家の女。一度執着した人を諦めるなんて最初から無理だったんだ。


「そ、蒼太。まさか結愛まで落とすとは……」


 お兄様は口をぽっかり開けながら、私を見る。


「お兄様」


「は、はい!」


「これからお兄様にぎゅーするのはやめますわ」


「ほ、本当か!?」


「はい!その代わり……蒼太様の事いっぱい教えて」


 そう言うと、私の目が黒く染まっていった。

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