第37話 遺言書と署名
私のくだらない質問に諏訪裁判官が答えてくれた後は、粛々と次回の期日を決める。それで、今回の裁判の期日は終了した。
次回の期日は12月22日木曜日午後3時から。
ちゃんと工藤君にもアイコンタクトで確認したので、対応できるはず。
裁判の期日を終えた私たちは、エレベーターで一階に降り、これまでと同じように待合スペースで今日の裁判期日の振り返りをすることにした。
自動販売機で工藤君はブラックの缶コーヒーを、私はペットボトルのカフェラテを買う。長椅子に並んで座り、さっそくキャップを開けると落ち着く匂いがする。
「工藤君、諏訪裁判官の話だと、争点は三つってことだったけど、遺言書が偽造かどうか?十蔵さんはボケていたのでは?の他に何があったんだっけ?」
「あと一つは、遺言書の要件を満たすのか、ってことだったね。清志さんの訴状にも書いてあったことだけど、自筆証書遺言に本人の署名がないんじゃないか?ってことだね。」
「えーっと、署名、なかったっけ?」
がさごそとバッグの中から手書きの遺言書のコピーを出してみる。
改めて見てみると、本文の下に日付があり、その下には丸に十字の手書きの記号、その右に印鑑。
確かに署名はなさそうだ。
「署名、ないね。ってことは無効なのかな。あれ?そもそもの話だけど、ハンコも押してあるのに、署名もないとダメなの?」
「一般論でいうと、自筆証書遺言は、本文の他に、日付、署名と押印、が必要だから、署名がなかったら有効な遺言書とはいえないことになるね。」
「うーん、じゃあ、無効ってこと?」
あれ?こんなに分かりやすく無効なら、なんで筆跡とか議論してるんだろう?っていうか、そもそも裁判する意味なくなっちゃうんじゃない?
私が首をかしげていると、工藤君が説明してくれる。
「署名って言っても、本名をフルネームできちんと書かなきゃ無効ってわけではなくて、例えば、ペンネームとかでもいいんだ。武雄さんは、この丸に十字の手書きの記号は本人が署名代わりに使っていたものだから、署名として有効だ、って主張してる。」
「あー、これかあ、署名……かなあ?あれ、そもそも署名ってなんだろう?サイン?」
「名前を手書きしたもの、かな?きちんとした法律上の定義があるかどうかまでは分からないね。」
「有名人のサインとか、お店に飾ってあることがあるけど、なんて書いてあるか分からないのとか、ヘンテコな記号みたいなのもあるよね。あれも署名ってことになるのかな?」
工藤君が缶コーヒーをごくりと飲む。
「うーん、どうだろう。達筆過ぎて読みづらいから無効、とか、字が汚くて読めないから無効、ってわけにもいかないだろうし、その場合は署名として有効になるんじゃないかな?」
「じゃあ、十蔵さんが例えば俳優さんとか有名人だったら、あの手書きの遺言書もサインがあるから、署名ありってことになるのかな?」
これまでも私の中では十蔵さんはコロコロとキャラ変してきたので、実はアメリカにいる頃はロックスターでした、とかって話が出てきたとしても驚かない気がする。それで、ロックスター時代のファンがサインしてもらったTシャツを証拠として持ってきたりとか……。
いや、やっぱり、さすがにそれはないか。
たぬきだもの。
「有名人かどうかは関係ないと思うけど、あの記号が署名扱いになるのか、ならないのか、はどちらもありうるんじゃないかな。だからこそ、盛山弁護士は無効だというし、岩渕弁護士は有効だというんだろうね。ちなみに、三条弁護士だけは、あれが署名扱いになるかどうかに言及していないね。」
「あれ?なんでだろう?三条弁護士も『手書きの遺言書は無効だ』派だったよね?」
私のイメージの中で、三条弁護士のトゲトゲ付きのヒールが、カツンッと床を叩く音が響く。あの強そうな感じ。なんていうか、主張を忘れたりするような気はしないんだよなあ。
「どうしてだろうね。多分、何か意図があってそうしてるんだと思うけど。」
うーん。どうしてだろう。
「まあ、工藤君に分からないのなら、私が考えても分からない気がするなあ。とにかく、ここは岩渕弁護士対盛山弁護士で一対一で決めてもらったらいいんじゃない?」
「あはは、そうだね。少なくとも、専門家同士でやりあうんだから、僕らが出る幕はなさそうだね。」
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