第31話 バイゴーンズ

 前回の裁判の期日が終わってから二週間後、次の期日まではまだまだ時間があると思っていた十月の半ばのこと、唐突に裁判の書類らしいレターパックが届いた。

 三条弁護士、仕事早いなあ、と思いながら受け取ったのだけれど、差出人の欄をよく見ると、清志さんの代理人である盛山弁護士からの書面だった。

 はて?次は三条弁護士のターンだったんじゃなかったっけ?いや、私のターンでもあるんだっけか?

 どうしてこのタイミングで盛山弁護士が出てくるんだろう。

 一人で考えてもさっぱり分からなかったので、私は工藤君を大学のカフェテリアに呼び出して相談してみることにした。


「では、工藤君、第三回作戦会議を開始しよう!」

「あくまで、そのノリでやるんだね。」

「うむ。それでは、さっそく届いた書類を読んでみてくれたまえ!」

 ほいっと、工藤君に書類を渡す。

 送付状が一枚と、陳述書というタイトルのA4サイズ5枚程度の書類が一部。これまでとは違って分量としては少なめだ。

「ふむふむ。」

 工藤君が書類に目を落とす。テーブルには二人分のチーズケーキとコーヒー。工藤君が手を付けないので、私も手を付けないで待ってみる。

「ねえ、工藤君、今って確か三条弁護士のターンだったと思うんだけど、なんで盛山弁護士から書類が届いたんだろう?っていうか、そんなことしていいの?」

「まあ、書類を出していけないって理由はないわけだし、盛山弁護士としてはこのタイミングで提出した方がいいって理由があるんだろうね。」

 工藤君が陳述書を読みながら、コーヒーを一口飲む。私も飲んでみる。やっぱりブラックだと苦い。口直しにチーズケーキを一口。甘い。コーヒーには改めてお砂糖とミルクを入れる。

「あー、なんとなく盛山弁護士の意図が分かったような気がするよ。」

「ふむ?どういうことなの?」

「その前に、まずは陳述書の内容を確認した方がいいかな。もう読んだ?」

「ええと、その、よろしくおねがいします。」


 陳述書は沼倉さんという人が書いたもの。

 彼は、額神製薬の元工場長で、なんと勤続四十五年を超えてるのだとか。十蔵さんがアメリカから帰ってきたときには既に働いていたという会社の生き字引的な存在だそうな。定年とかないのかな。

 彼の話はこんな感じである。


 沼倉さんが入社した頃の額神製薬は、若くして社長になった到次さんが工場を新設しようとしているところだった。

 新工場の話について、新入社員の沼倉さんはすごいことだとワクワクしていたが、長年勤めてきた社員たちからは、若い社長の判断に反発する声や、多額の借入が必要となることもあって反対する声も上がっており、会社が割れてしまうのではないかというほどに揉めていた。

 結局、到次さんは反対派の声を押し切る形で新工場の建設に踏み切ったのだけれど、心労がたたったのか突然の心筋梗塞で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった。あー、そういう事情だったのか。

 新工場の建設は既に着手していて、引き返せない状況だったのだけれど、リーダーである到次さんを失って、社員たちは分裂した。新工場の建設が間違いだったのではと言い出す者、弔い合戦だと息巻く者、元々反対派でそれみたことかという者、亡くなった到次さんに同情して新工場推進派に宗旨替えする者……。

 そんな社員たちを一つにするためには誰もが反対しないリーダーが必要で、創業家の長男、かつ、新工場建設に関してのゴタゴタと関係がなかった十蔵さんに白羽の矢が立つことになった。

 新社長に就任した十蔵さんが最初にやったことは宴会だった。

 乾杯の挨拶と称してビールのグラスを持ち、十蔵さんは、社員たちに、アメリカにいた頃に飛行機の会社の社長から繰り返し言われた言葉を紹介した。

「バイゴーンズ」

 過ぎたことをくよくよせずに前向きに、という意味だという。ただ一人の弟を失い、会社の都合で夢を捨ててアメリカから帰らなくてはならなかった、自分たち社員がゴタゴタと争ったからそんなことになったかもしれないのに、この人はそんな言葉を口にした。

 突然、新工場反対派の中心人物だった専務が立ち上がった。禿げ上がった頭を真っ赤にして、涙声で叫んだ。

「社員一丸になって、新社長を、支えようっ!新工場を成功させよう!額神製薬バンザイ!」

 余りの勢いにその場の誰もがつられるように何度もバンザイと叫んだ。その後は無礼講で皆がしこたまビールを飲んだ。十蔵さんも社員たちの中に割って入り、浴びるようにビールを飲んでいた。

 翌朝、沼倉さんは自宅の玄関で目覚めることになった。昨夜は何時まで飲んでいたのだろう。記憶は十蔵さんと肩を組んで歌っていたところで途絶えている。

 二日酔いで痛む頭を押さえながら会社へ行くと、自分と同じように青い顔をしている者も多かった。だが、皆が昨日までと違って晴れやかな顔をしている。お互いに何も言わなくても雰囲気でわかる。

 たった一晩で社員たちは一丸になっていたのだ。


「バイゴーンズ……?こういうときに英語出てくるのってちょっとかっこいいよね。小学校の校長先生の『やる気、元気、根気』とは大違いだよ。っていうか、英語、でいいんだよね?」

「うん、bygones、だから英語だね。」

「それにしても、十蔵さんはやっぱりスーパー経営者だったのかな?」

「経営学の授業で教授が話してたエピソードに似てる気がするよ。やっぱり只者ではなかったのかもしれないね。」



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