第22話 幸運な十蔵さん
私の困った様子を見て、工藤君が書面を見ながら武雄さんの主張を説明してくれた。
武雄さんの主張のメインは筆跡や印鑑など、検認した遺言書を十蔵さんが書いたという話なんだけれど、そっちは置いておくとして、武雄さんが主張する十蔵さんの物語はこんな感じだ。
戦後間もない頃に小田原のぬこ神家の長男として生まれた十蔵さん、機械と飛行機に関心があって東京の大学へ進学した、と、ここまでは清志さんの主張と同じだ。
大学へ進学した武雄さんは、当時の若者たちの間で盛んだった学生運動に参加した。機械工学を学ぶ代わりに、政治的な主張のためにヘルメットをかぶって大学の教室を占拠したり、デモ行進をしたりしていたらしい。なんと逮捕されちゃったこともあったとか。
そんなわけで、十蔵さんは、大学であまり勉強はしなかったらしい。
十蔵さん自身は当時のことについて、若気の至りだという一方で、一生ものの友人も出来たとまんざらでもないように話すのが常だったとか。
学生運動は政治的な活動なわけで、それだけ聞くと真面目な話ばかりなのかと思えるんだけど、一方でデモ行進にしろ、教室の占拠にしろ、暇な待ち時間が多いものらしく、かなりの時間を麻雀やサイコロを使うチンチロリンというギャンブルをして過ごしていたのだそう。十蔵さんと親しかった友人に彼の趣味を尋ねれば、飛行機ではなくギャンブルと答えるに決まっている、という。
大学卒業に際して、十蔵さんは、実家の家業を真面目な弟、到次さんに押し付けて、自分は東京で就職して気ままに暮らそうとしたらしい。
ところが、逮捕歴のせいもあってよい就職先も見つからず、一方で趣味のギャンブルも止められず、だんだんと退廃的な生活に溺れていくことになっていったんだとか。
このままじゃダメになる、と本人も焦っていたころ、転機になったのは、学生運動のときの仲間だった
加保茶さんは、その頃、東京で風俗店の経営に挑戦して失敗したところだったのだけれど、ほとぼりを冷ますついでに、俺はアメリカで風俗王になる、日本は俺には狭過ぎる、などとのたまう斜め上の志を持つ人だった。彼は、その志のための仲間として学生運動時代の信頼できる同志たちに片っ端から声をかけてまわった。
かつての同志たちのほとんどは、大学と学生運動から卒業して普通の社会人になっていたから、加保茶さんの話に呆れ、相手にもしなかった。
だが、そんな者たちばかりではなかった。加保茶さんの志の下、彼と十蔵さんを含む七名の同志たちが集結、彼らは遠くアメリカの大地に挑むこととなった。彼らの目的はアメリカの風俗王になることである。なんだかなあ。
彼らは小田原の北条早雲公の故事にならい、彼ら七人のうちの一人が成功したら、六人は部下として成功した一人を支えよう、と誓ったとか。
これはこれでプロジェクトなんとかっぽい話の展開だ。いや、志の内容がコンプライアンス的に不適切にもほどがあるだろうか。
加保茶さんと愉快な仲間たちは意気揚々とアメリカに乗り込んだ。これが映画やドラマなら、苦労の果てに成功するのだろうけれど、現実は甘くなかった。結局のところ彼らは夢破れて、一人、また一人と帰国することになった。
十蔵さんは彼らの中で最後までアメリカに残ったのだけれど、生活は苦しかった。飛行機の会社で働いた、という話も、一時的にオフィスの清掃の仕事を得たというだけで、飛行機に関わる仕事ではなかったらしい。
そんな頃、家業を継いだ弟の到次さんの急死をきっかけに、十蔵さんは小田原に帰ってきた。アメリカに戻る理由もなかったため、周囲から勧められるままに家業を継ぐことになった。
十蔵さんには会社経営についてのノウハウも何もなかったが、幸い到次さんが着手していた会社組織の合理化や番頭さんたちの努力などのおかげもあって、会社の業績は安定していた。
ほっとした十蔵さんは、アメリカでの苦労の反動もあって、土日も平日も遊びに出かけてしまうようになった。周囲は十蔵さんとぬこ神家の未来を心配するようになったが、結果的にはこれが額神製薬の飛躍の原因となった。
またも十蔵さんの運命の転機となったのは、加保茶さんだった。一足先に日本に帰っていた加保茶さんは、懲りずに再び風俗事業に挑戦したところ、今度はちゃんと成功を収めることができていた。
十蔵さんは加保茶さんやかつての同志たちと遊び回っていたところ、ひょんなことから加保茶さんの会社へ額神家の先祖伝来の精力剤である豪心丸を卸すこととなった。豪心丸は、服用した客たちの間で話題となり、客の中には大企業の社長やら社会の名士やらもいて、あれよあれよといううちに、気づけば豪心丸は全国的な知名度と販売網を持つようになっていた、のだそうな。わけが分からないよ。
十蔵さんは、なんだかよく分からないうちに事業が成功してしまったこともあって、いくつになっても、いい加減なところがある人のままだった。
ただ、こういった成功が自分一人の力によるものではないことは強く認識していた。生前、事業の成功は個人の能力ではなく、人と人との縁と幸運によるものだと言っていたそうな。
子どもたちに対しても、常々、親しい人を大切にしなさい、謙虚に、人の意見を聞いて、何でもよくよく話し合いなさい、と言い聞かせていたという。
そんな十蔵さんの人となりからすると、有無を言わせず清志さんを後継者としてあれこれと細かいところまで決めている公正証書遺言は十蔵さんらしくない、十蔵さんの意思によるものではなく、清志さんが作らせたものに過ぎない、ということらしい。
突拍子もない話ではあるけれど、たぬき系の十蔵さんの写真を思い出すと、妙にしっくりくるような気がする話でもある。
果たして、十蔵さんはスーパー経営者なのか幸運で謙虚な遊び人なのか。
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