第9話 ふりかえり

「結局、偽造なのかな、そうじゃないのかな。」

 裁判所の廊下を歩きながら、私はなんとなく工藤君に尋ねる。

「さあ、それを判断するには情報が足りないね。」

「清志さんが言ってたのとは全然違う内容だったけど、それで偽造ってことにはならないの?」

「やっぱり気が変わった、って全く違う内容の遺言書を作るのは自由だからね。偽造かどうかも問題だけど、まず問題になるのはどっちの遺言書が後に作られたのか、ってことだよ。」

「なるほど。」

「って、本当はよく分かってないでしょ?」

 まったく勘のいい工藤君である。

「まあ、分かっているか分かっていないかといえば、その、つまり、どういうこと?」

「遺言書は、気が変われば何度でも書き直していいものなんだ。後に違う内容の遺言書が作られたのなら、前の遺言書は無効になるんだ。」

 そうなんだ。遺言書ってもっと重いものだと思ってたけど、気楽に書いて、気楽に書き直せるものらしい。

「あ、でも、清志さんが言ってた遺言書の方はお役所で作った特別な遺言書だって話だったよね。それでも書き直せるの?」

「公正証書遺言だね。その場合でも、後の遺言書が優先のはずだよ。」

 さすが法学部。頼りになるなあ。

 あとは、真実はいつも一つ、とか、決めゼリフでもいえば完璧だよ。

 しかし、どうなんだろうなあ。さっきのやり取りを思い出してみる。

 武雄さんには、一応は偽造をする動機があることになる。でも、検認の前の武雄さんと清志さんのやり取りを考えてみると、偽造をした人の態度のようには思えない。とはいえ、会ったばかりの人の心の内側なんて分かるはずもないわけで。検認で言ってたことに何か不審なことはなかったかな?

 三階から一階へ移動するため、エレベーターに乗り込む。扉が閉まる。

 ……。

「ああああああっ!!」

「どうしたの?大崎さん?」

「ごご、ごごご、ごご、」

「え?なに?」

「ごご、五千万って言ってたよね?武雄さん、五千万ぽっちのはした金って言ってたよね?」

「あー、そういえば、そんなことを言ってたね。」

「えっ、なに、それじゃ、もらえるかもしれない現金って、五千万円なの?いや、さすがに一人五千万円なわけないか。ないよね?って、三等分しても千六百万円?えっ?なにこれ?うそ?」

「ちょっと落ち着こう。ね。深呼吸。はい、すーはーすーはー。」

 すーはーすーはー。

「いいね、上手だよ。」

 一階でエレベーターの扉が開く。思わず叫んじゃったけど、エレベーターってちょっとした個室みたいなものだよね、よかったよかった。

「大崎さん、ちょっと冷たい物でも飲んで落ち着こうか。」

 目の前にはちょっとした待合スペースと自動販売機があった。私はフルーツティーを、工藤君は缶コーヒーを買う。お役所の自動販売機ってどうして普通のところよりも安いんだろう。

「私、現金って聞いて、金一封的なのを想像してたの。五万円とか十万円とか。だって、現金って言葉で札束の山は想像しないよ。」

「僕らみたいな大学生だとそうかもね。」

「でも、言われてみれば、大きな会社のオーナーの相続だから、遺産って、ものすごい金額になってもおかしくないんだ。」

 工藤君は先を急かさずにうんうんとうなづいて、私の次の言葉を待ってくれる。

「会社と不動産とか、二十億円、ケタ違いだよ。私には想像できないけど、武雄さんが怒るのも無理はないのかも。私は会社とか分かんないし、千六百万円ももらっちゃったらそれで十分というか、できれば、その、千六百万円の方は欲しいというか。いや、あれ?その?」

 自分でも何を言ってるんだか、何が言いたいんだか分からなくなってきた。実感が湧かないほどの大金の相続人だったと分かって興奮してるんだろうと思う。

 フルーツティーを一口飲む。冷たくて少しだけ甘い。マスカットの匂い。冷静になってくると恥ずかしくなってきた。

「えっと、その、幻滅した?」

「いや、大丈夫。誰だって大金がもらえるなら欲しいだろうし、喜ぶのも自然なことじゃないかな。」

「あ、ありがとう。」

 工藤君にどう思われるかを気にしても仕方ないのだけれど、なんだかほっとした。フルーツティーをもう少し飲む。

「でも、大崎さん、武雄さんの話の雰囲気だともらえる金額は五千万円じゃないかな?」

「ぶふぉっ!」

 吹き出したフルーツティーが霧のようになって飛び散る。

「あははは、大崎さんは本当に面白いね。」

「いや、今のは工藤君が悪いんだよ。」

「ごめんごめん。」

 いや、本当は工藤君は全然悪くないんだけど。

 工藤君は、鞄からティッシュを取り出して、床に飛び散ったフルーツティーを拭きはじめた。慌てて私も拭く。

「でもさ、大崎さん、遺留分を主張すれば、五千万円どころか、二億五千万円とかになると思うよ。」

「え?どういうこと?なんで五倍になるの?」

「遺留分っていうのは、遺言書がある場合でも、法定相続人が請求すればもらえる相続分のことで、大崎さん場合は、法定相続分の半分、つまり、遺産全体の八分の一ってことになるはずだよ。」

「なるほど?」

「だから、請求すれば、二十億円の八分の一で二億五千万円は少なくとももらえるんじゃないかな?」

 ほえええ……。

 どうしても「二億五千万円」と「少なくとも」が結びつかない。少なくないじゃん。億、って単位が全くイメージできない。金額が大き過ぎて、なんか逆に冷静になってきた。

「いや、でも、さすがに私としては、そこまで請求するのは気が引けちゃうな。もらえるならもらうけど、自分から請求するっていう話になると、さすがに、ねえ?」

「そう?法律で認められた権利だから、請求してもいいと思うけど。ま、大崎さんがそう思うなら、請求しない方が気が楽だろうし、その方がいいのかもしれないね。」

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