第8話 検認のゆくえ

 私の前に置かれた便箋を手に取る。

 遺言書ってなんとなく縦書きのイメージだったけれど、横書きだ。ボールペンで書かれたらしい文字は封筒の方と同じく、震える手で書いたのか波打っている。

 便箋には横線が入っていて、文字は線と線の間に並んでいる。文字が震えている上に小さいので少し読みづらいけれど、読めないほどではない。封筒のときも思ったけど、余白が広いのがなんだかもったいない。

 文面は、

「遺言書

 全財産をたけおに」

というもの。シンプル。わずか十一文字だ。

 たけおに?竹鬼?武雄に……

 ああ、そういう意味か。

 あれ?清志さんが言ってた内容と全然ちがう。会社の話も、母さんが現金をもらえるって話もどこにも書いてない。この場合、どうなるんだろう。

 うーん。まあ、こないだまで親戚がいることも知らなかったし、私が現金をもらえる方が不思議な話なので、それはそれでよしとしよう。

 で、それから、一行空けて日付。

「令和3年3月3日」

 ここまで左詰めで書かれている。

 日付の下に例の丸に十字の手書きの記号があって、その右に印鑑が押されている。印鑑はぐにゃぐにゃとした難しい感じの、確か篆書てんしょとかっていう種類の漢字で二文字、多分「十蔵」だ。印鑑の直径はやや大き目。実印っぽさを感じる。

「大崎あかりさん、いかがですか?」

「日付、ゾロ目ですね。ぬこ神十蔵さんって、ゾロ目が好きだったんですかね。」

 法廷が一瞬静まり返る。法廷じゃなくて審判廷だったっけか?

 坂口裁判官があくまで穏やかな口調で改めて私に尋ねる。

「大崎あかりさん、タイトルと本文の筆跡はいかがですか?」

 あ、そういう話でしたね。

「分かりません。私、ぬこ神十蔵さんにお会いしたこともないですし、ぬこ神十蔵さんが書かれた字を見たこともないので。」

「日付はいかがですか?」

「はい、分かりません。」

「丸に十字の記号のようなものは?」

「これも分かりません。」

「印についてはどうですか?」

「分からないです。」

「ありがとうございました。」

 私から立花さんに遺言書を渡す。

 坂口裁判官がそれを見てから、一同を見回しながら言う。

「皆さん、ご協力ありがとうございました。これから封筒と文書のコピーを取らせてもらいますので、この後、申立人は書記官室に立ち寄って下さい。」

「裁判長!待って下さい、こんなのおかしい、あんな遺言書はデタラメです!」

 清志さんが立ち上がって叫ぶように言う。

「父は生前、私に、会社を、従業員たちを頼むと言い残していて、公正証書の遺言書まで残しているんです!全財産を兄さんにやるなんて、そんなことを言うわけないんです!あんな遺言書は偽造だ!」

「清志!俺が遺言書を偽造したっていうのか!」

 売り言葉に買い言葉、武雄さんが立ち上がって怒鳴る。

「他に誰が書くんだよ!全財産を兄さんにやるなんて、他に誰も得しないじゃないか!」

「親父が書いたんだろ!」

「ふざけるな!会社はどうなるんだよ!従業員たちはどうなるんだよ!いくら金が欲しいからってここまでやるのかよ!」

「お前こそ!親父がボケたのをいいことに好き勝手やりやがって!二十億以上の会社と不動産を自分のものにしておきながら、俺たちには五千万ぽっちのはした金を渡して我慢しろだと!金の亡者はお前だろうが!」

「それが動機かよ!」

「馬鹿野郎!お前が守銭奴だって話をしてるんだろうが!こんなことも分かんねえのか!」

「なんだと!」

「だいたいお前は……」

「はい、そこまでです!」

 法廷内に大きな声が響く。岩渕弁護士だ。

「武雄さん、検認の手続はそういう話をする手続ではありません。詳しいことは後でお打ち合わせをするとして、この場はここまでにしましょう。清志さんもよろしいですね?裁判所も困ってらっしゃいますよ?」

 岩渕弁護士が坂口裁判官の方を見る。みんなそれにつられるように坂口裁判官の方を見る。

「岩渕先生、ありがとうございます。それでは、検認の手続はこれで終了いたします。皆さん、長い時間お疲れ様でした。」

 坂口裁判官は何事もなかったかのように言う。どこまでも穏やかで冷静だ。

 って、え?終了?結局のところ、遺言書は偽造なの?そうじゃないの?

 モヤモヤしていると、坂口裁判官が法廷の奥のドアに消えていく。

 廊下に繋がる二つのドアとは別にこんなドアがあったとは。どこにつながっているんだろう。立ち上がって近づくと、

「ああ、大崎さん、そっちは裁判所関係者専用の出入口ですので。」

と、立花さんにたしなめられる。一般人は立入り禁止ということらしい。

「すみません。」

 ペコリ。

 しかし、なんで別の出入口があるのだろう。裁判所の謎は深まるばかりだ。

 気付くと、私以外の当事者は法廷から退出していた。中途半端な感じがすごいけど、さっき岩渕弁護士が言ってたみたいにこういう手続だと割り切るほかはないのだろう。

 傍聴席の工藤君と目が合う。

「大崎さん、とりあえず出よっか。」

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