第6話 検認はじめました

「では、申立人は遺言書を提出して下さい。」

「はい。」

 坂口裁判官の指示に岩渕弁護士が応じる。A4サイズの大きな封筒から、お手紙を送るときのような普通サイズの白い封筒を取り出す。立花さんがそれを受け取って、坂口裁判官に渡す。

 私の頭の中では、あの封筒から、更に小さい封筒が出てきて、その封筒から、更に小さい封筒が出てきて……というマトリョーシカ的な妄想が思い浮かんだけれど、もちろん黙って様子をうかがう。

 坂口裁判官は、封筒のサイズを定規で測って、立花さんに伝えている。あんなことまでやるんだ。

 それから、武雄さんの方に向き直って尋ねた。

「申立人の額神武雄さん、遺言書の発見の経緯とその後の保管の状況を説明してもらえますか?」

「はい。えー、私が父の遺品を整理するために、父の机の一番下の引出しを開けましたところ、封筒が出てきたものであります。封筒に遺言書と書いてあるので、岩渕弁護士に相談したら、開封せず、そのまま検認する必要があるというので、岩渕弁護士に預け、今回の申立てを依頼しました。」

 武雄さんが緊張しながら受け答えをする。

「机というのはどこの机ですか?」

「自宅の父の部屋の机です。」

「分かりました。ありがとうございます。」

 坂口裁判官が穏やかに言う。立花さんはメモを取っている。

 さあ、次はついに遺言書のご開帳かな?

 と、思ったのだけれど、坂口裁判官は封筒をひっくり返したりしながら、表と裏を観察し始めた。

 ……。開けないの?

「表面には中央に『遺言書』と書いてあり、裏面には左下隅に丸が書いてあって、その中に十字が書いてありますね。いずれもボールペンでしょうね。口は封がされていますね。」

 ふむ。普通の封筒なのに本当に遺言書なのかな、なんて思ってたけど、そういえば、遺言書ってちゃんと書いてあるという話だった。

「皆さんも順番にご覧下さい。」

 坂口裁判官は、封筒を武雄さんに渡す。

 武雄さんは神妙に封筒を持ち上げて、ひっくり返したりしながら見ている。いや、あなたが持ってきたんでしょ?

「武雄さん、表面の『遺言書』の文字は、十蔵さんの字ですか?」

「えー、はい、父の字です。」

「裏面の丸とその中の十字については何か分かりますか?」

「えー、これは、父がよく使っていた記号で名前の代わりだと思います。」

 丸の中の十字は十蔵さんの十だったのか。

「分かりました。ありがとうございます。遺言書を清志さんに渡して下さい。」

 坂口裁判官は清志さんに同じ質問を投げかける。

「そうですね。『遺言書』の方は字が震えていて、父の字のような気もしますし、そうでないような気もします。分からないです。丸に十字は父がよく使っていた記号ですが、簡単な記号なので、これも父の字かどうか自信がないです。」

 清志さんの受け答えは客観的でしっかりしている印象だ。会社の経営者だし、こういう場で意見を述べることにもあまり緊張しないのかもしれない。

 次は智子さんの番だ。

「『遺言書』は私の知ってる父の字とは何か違うような気が。すごくしっかりした字を書く人だったので。いや、ただの感想ですけどね。父が『遺言書』って書いたところは見たことないですし。裏の記号は父がよく使っていた記号ですね。父が書いたんじゃないですか。」

 しっかりした字を書く人が手が震えるようになったら、家族だって感想くらいしか言えない。そりゃそうだ。

 智子さんが私に封筒を渡してくる。

 あ、私の番か。

 封筒はお手紙に使う普通のもの。郵便番号を書くための欄もある。色は白。宛名を書くような感じで「遺言書」と縦に書いてある。宛先の住所が書かかれていないので余白が広い。震える手で書いたように線が波打っている。裏面には、確かに丸に十字の記号がある。言葉にすると、漢数字の十を丸で囲んだ、という説明になるのだけれど、丸の方も少し波立っていて、なんだか達筆な印象だ。

「なんかこう、遺言書って、もっと立派な袋に入っているものだと思ってました。本物はこんな感じなんですね。『遺言書』って字も、私だったらもっと大きく書くかなあ。」

「筆跡についてはどうですか?」

 おっと、聞かれてもいない感想ばかりだった。

「全く分かりません。」

 会ったこともない人の筆跡なんてわかるはずもないので、こういうほかない。

「あかりちゃん、やっぱりお父さんの孫ね。なんていうか、ふふふ。」

 何がツボだったのか、智子さんが笑う。

「そうだなあ、外見は櫻子にそっくりだけど、中身は親父に似てるんだなあ。」

 清志さんも同じ感想らしい。

「そうだよなあ、くくく、親父はいつも思いついたことはそのまんま言っちゃうんだよなあ。そっくりだ。あははは。」

 武雄さんまで笑い出す。失礼な。私だってマトリョーシカの話をしないくらいの自制心は持っているのだけれど。今回の武雄さんの発言については、清志さんはツッコミを入れない。

 傍聴席を見ると、工藤君まで笑っている。いや、君は私の味方じゃないのかよ。

 しかし、さっき初めて会ったばかりなのに、私は彼らの姪として受け入れられているらしい。母さんにしろ、ぬこ神十蔵さんにしろ、そんなに似てるのかな?血は水よりも濃い、だっけか。いや、こういう意味じゃないような気もするけど、血が繋がっているっていうのはすごいことなんだなあ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る