第4話 遺言書と遺言書

 清志さんが話を続ける。

「どこから説明したらいいかな。私たちの父である額神十蔵は、額神家が小田原で二百年間代々続けてきた製薬事業を拡大して財を成した人なんだ。この辺りで額神製薬といえば、それなりに名の通った企業なんだよ。」

 え、ここから犬神家的な展開に行っちゃうの?私が工藤君の方を見ると、工藤君は「ちがうよ。」と言うように頭を振った。だよね?

「まあ、全国区の知名度がある企業というわけではないからね。」

 清志さんは工藤君のリアクションを誤解したみたいだ。

「いやいやいや、額神の豪心丸は日本全国で愛用者がいる精力剤なんだぜ。あかりちゃんたちが知らなくても、世のおっさん方には有名だし、会社だって決して小さくはないんだよ。」

 武雄さんが誇らしげに情報を追加する。いや、精力剤とか言われても、どうリアクションしたらいいものやら。

「こほん。すまないね。兄は少し無神経なところがあってね。」

 清志さんが武雄さんをとがめる。とはいえ、あまり強い調子でもない。武雄さんがボケで、清志さんがツッコミ、というくらいの印象だ。兄弟仲は悪くなさそうに見える。清志さんが話を続ける。

「それで、今は私が会社を引き継いで経営しているわけだけど、約百人もの従業員を抱えている責任もあって、親父が死んだ後もちゃんと事業を続けていかなくてはならない。そこで、親父は、会社の株式や工場の敷地にもなっている不動産を含めて遺産は全て私に相続させ、その代わりに、私以外の兄弟三人には、私から現金を払う、ということにしたんだ。」

「なるほど。」

 分かったような、分からないような。要するに会社っていうのがメインの遺産で清志さんが後継者っていう理解でいいのだろうか。まあ、何にせよ、私が細かいところまで理解する必要もないだろう。清志さんが更に続ける。

「そういう経緯で、親父は生前に今言ったような内容の遺言公正証書、つまり公正証書の遺言書を残していてね。親父の意思は分かっているってことなんだよ。」

「ええと、つまり、手続が始まる前だけど、ぬこ神十蔵さんの遺言書に書いてある内容は皆さんご存知ってことなんですね。私、検認って、ドラマみたいに秘密の遺言書をご開帳する手続なんだと思ってました。」

 公正証書というのが何なのかはよく分からないけれど、考えてみれば、遺言書の内容を秘密にする必要はどこにもない。むしろ、会社のことを考えれば、後継者に関する話なんかは従業員たちにもあらかじめ公開しておいた方がいいだろう。

 犬神家の人も遺言書の内容を秘密にしたのがよくなかった。そりゃ、揉めるに決まってるし、名探偵も活躍しちゃうでしょうに。っていうか、名探偵が主役の話だからどうしてもそうなるのか。やっぱり、名探偵のせいじゃん。な、工藤、ワイの言うたとおりやろ、と思いながら工藤君の方を見ると、工藤君は「ちがうよ。」というように頭を振った。

「ああ、大崎さんはちょっと誤解されているように思いますね。」

 岩渕弁護士が言葉を挟む。

「清志さんが言っている遺言公正証書と、今回の検認手続の対象となっている遺言書とは別の遺言書ですよ。」

「なるほど。」

 別の遺言書?ということは二通あるってこと?検認も二回やるの?私の様子を見て、岩渕弁護士が続ける。

「遺言公正証書は、公証役場というところで公証人という役人も関与して作成する遺言書なので、検認は必要ないんです。一方、自筆の遺言書は原則として検認の手続を行わなくてはならないというルールなんです。今回の検認は、遺言公正証書とは別に自筆の遺言書が入っていると思われる封筒が発見されたために申し立てることになったものです。ですから、遺言書の内容については今回の手続で初めて開示されるわけです。清志さんが言っているのは、遺言公正証書の内容からすれば、おそらくは今回の遺言書も同じような内容であろう、ということですよ。」

 立て板に水、という言葉があるけど、まさにこういうのを言うのだろう。まるで台本を読んでるかのようだ。とても考えながら話してるようには思えないんだけど、内容からすれば考えながら話してるんだろうなあ。

 私の様子を見て、考え込んでいるように思ったのか、智子さんが話しかけてくる。

「まあ、あんまり難しく考える必要はないのよ。相続の手続も税金の手続も会社の弁護士さんや税理士さんがやってくれるし、あかりちゃんは櫻子姉さんが受け取るはずだった現金を受け取ることになると思うわ。」

「な、なるほど。」

 げ、現金だって!?おいくら万円くらいなんでしょう?そういえば、そんなはなしだった。いや、さっきはじめましてだったのにもらっちゃっていいんだろうか?

 思考のほとんどが平仮名になるくらい混乱していると、第四号法廷のドアがガチャリと開き、中からパンツスーツの女性が出てきた。ショートボブの黒髪に縁無しの眼鏡。理知的な印象だ。

「皆さん、お揃いのようですね。時間ですので、お入りください。」

 この声、書記官の立花さんだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る