13話(裏)

地震が起きたあの時、私は束収護という腐れ縁のいけ好かない鉄面皮と思っていた男に助けられていた。


揺れを認識したと同時に手のひらで軽く押されて思わずよろけて数歩下がった私の目の前を天井から落下した電灯が通り過ぎ、 破砕音が響き渡っていた。


過去に一度として大きな怪我も事故にも遭ったことがなかった自分にとってそれは現実味のない光景で、あと一歩前にいたら大惨事の被害者となっていたという事実に遅れて気付く。


「……っ!」

思わず悲鳴が漏れそうになるのを噛み殺す。

先に誰かが叫んでいなかったらきっと我慢することはできなかった。


わずか一歩。

一歩先にいたら間違いなく自身の頭部に落下し、大怪我を負っていたことは間違いない。


「束が、助けてくれた……?」

たしかにあの時目の前で座っていた束が私の体を押し出し、果彌を守るように抱きしめて飛び退いたのを見ていた。


そうだ。

束と果彌は……。


視線を動かせばそこには果彌を衝撃から守るように抱きしめたまま床に転がった束がいた。


束の顔は青ざめ、荒く息を吐いて随分と苦しそうにしているのに駆け寄ることができない。

目の前で起きた出来事と、あり得たかもしれない最悪の想像のせいで体が硬直して動かない。


友達の倒れた姿が、まるで本来はお前がそうなっていたと言っているようで、身体がすくんで動かなかった。


ドクンドクンと、心臓が恐怖で急激に拍動して呼吸が荒くなる。


そうだ。

もし束が押してくれなかったらあの電灯は間違いなく自分の上に落ちてきていた。

私のせいであいつはあそこで倒れているというショックに視界が歪む。


幸いなことに落下による怪我はなく、少し傷が開いただけのようだという会話が聞こえてきて安堵する。

それでも、私があそこにいたから逃げ遅れたんだと思うと彼に何を言えばいいのかわからなかった。


せめてお礼を言わなきゃと思うけれど、どうしてか体は動かない。

病院に行くと言って出ていく束を見送ることしかできない自分の情けなさに涙が出そうだった。



***


目に焼き付いて離れない光景があった。

大怪我をしたばかりの痛む体でどこまでも果彌を庇い、気遣う姿。


自分のせいだと罪悪感に苛まれる心とは別の感情も芽生えていた。


きっと彼らは何度もそうやって助け合い、仲を深めていったのだと思わせるその在り方に惹かれ始めている自分がいた。


どこまでも紳士的で、自分のことよりも好きな人のことだけを考え、その身を呈して守ってくれる。

女ならば誰であっても憧れても不思議はない自分だけを守り、慈しんでくれる存在。


羨ましいな。

あそこにいるのが私だったら……。


そんな浅ましくて醜い感情を抱いていた自分に気付いて首を振る。

束は親友の彼氏だ。

あんなにもお互いを想いあっている二人に対して何を考えてしまったのか。


きっとただの吊り橋効果だ。

あんな奴を……なるわけない。


無表情で無感情で果彌のことを一途に思って自分のことより果彌のことばかり考えてる……優しくて不器用な奴。


なんだかんだで長い付き合いだからわかってる。

優しいくせにそれに気付かない。

自分に自信がなくて、卑屈になっていろんなものを諦めてる。


だから、果彌に惹かれたんだろうな。

底抜けに明るくて誰からも好かれる私の自慢の親友。


ずきりと胸が痛んだ気がした。

きっと気の迷いだ。


何年も果彌を通して交流があったギリギリ友達と言える程度の関係の人に何かを思うわけがない。

仮にそうだったとしても今更過ぎる。

もう入り込む余地なんてないんだから……。


「気のせいに決まってる」

こんなのはただの気の迷いで……なわけない。

だから明日にはちゃんと言わなきゃ。


「ちゃんと謝って、ありがとうって言おう」

ヨシと、腕を上げて気合を入れて気の迷いのことは忘れることにするのだった。



***



「束、ちょっとツラ貸してくんない?」

いつも通りの態度を意識して束を呼び出して誰にも聞かれないように使われていない教室へと呼び出すのは成功した。


「あんたさ……なんであの時……違う……そうじゃなくて、まず先に言わなきゃいけないのは……」

意を決して謝罪とお礼を言わなきゃと思っても言葉が上手く出せないことに気づく。


あれほどちゃんと言おうと気合を入れたはずなのに、当人を目の前にすると何も言えずに言葉が空回りして彷徨ってしまう。


どうしよう。

上手く言葉が出せない。

怖い。


許してくれなかったらどうしよう。

お前のせいで怪我したなんて言われたらどうしよう。


ここまできてまだ自分が傷つくことを気にして臆病になっている自分が恥ずかしくなった。


違う。

そうじゃない。


束はじっと何も言わずに私が何か言うのを待ってくれている。

本当にわかりにくいけど優しい奴だと思う。

そう思ったら少し肩の力が抜けていた。


うん、もう大丈夫。

ちゃんと言おう。


「あの時は助けてくれてありがとう。

束が私を押してくれたから怪我しなくて済んだ。

本当に感謝してる」

心からの感謝を言葉に乗せて頭を下げた。

ようやく言えた。


その事実が心を少し軽くしてくれた。

本当ならあの時すぐに言うべきことをここまで先延ばしにしてしまったのは私の心の弱さ。

勝手に怖がって、勝手に不安になって、嫌われるのが怖くて逃げようとした。


「ごめん、本当はもっと早く言わなきゃいけなかったのに……。

助けてもらったお礼の一つ言うのにこんな遅くなってごめん……」

自分の不甲斐なさと、情けなさに涙が出てきてしまう。

泣くつもりなんてなかったのに涙がこぼれ落ちるのを止めることができない。


私は泣く資格なんてないのに。

被害者ぶるなと思いながらも涙は止まらない。


「何度も助けてくれてありがとうって言おうとしたけど、私なんかを庇ったせいで怪我が酷くなったんじゃないかって思って怖くてずっと言い出せなかった。

私がいなかったらあんなことにならずに済んだんじゃないかって……」


涙と共に言うつもりもなかった言葉が嗚咽のように次々とこぼれ落ちていく。

まるで言い訳のような懺悔。


いつもはあんなに強がっておきながら自然と出てくる言葉はどこまでも情けない。

そんな自分の弱さにすら泣きたくなる。


「気にしてない。

だから泣くな」

束の無感情でありながら、どこか困ったような声にも聞こえる言葉。


また気を遣われてしまった。

こんな顔をさせるつもりはなかったのに。


束は気づいてないみたいだけど、困った時は表情に出やすい。

長い付き合いだからこそわかるわずかな変化、それが今表情に出ていた。


「ごめん、いきなりこんなこと言われて泣かれても迷惑だよな」

どうにか涙を止めようと袖で拭う。

化粧が落ちようと知ったことじゃないと、ゴシゴシと目元を拭い、無理やり笑顔を作る。


「違う。

迷惑なんて思ってない。

俺はただ……」

彼は何かを口にしようとして止まる。

一瞬見せたその表情はどこか泣き出す前の子供のようにも見えたのは気のせいだったのだろうか。


「……いや、なんでもない。

俺も大した怪我はなかったし、お前にも怪我がなくて良かったよ」

果彌以外にはほとんど見せることのない微笑みに少しドキリとしてしまう。


「私さ、ずっと束のこと誤解してたかも。

いっつも無表情で何考えるかわかんないくせに果彌にだけは過保護で意味わかんねーって思ってたけど、態度に出ないだけで優しい奴なんだね」


束収護は本当に優しい人だ。

本人はその優しさに気づいていないなんて本当に面白い。

今も私の言葉を否定しようとしている。

なんでそんなに自分を卑下するのかわからないけれど、これだけは言っておこうと思った。


「ウケんね。

束が優しくなかったら誰も優しい奴なんていないよ」

本当にウケると、笑みがこぼれた。

またいつもの自罰的な部分が出ているなと思い、励ますことも忘れない。

こいつは昔からこうだ。


なぜだか自己評価が低い。

その辺りも果彌がなんとかしてあげられればいいのにと思う。


「やっぱりお前は笑顔の方がいいな」

そんなことを考えていたからだろうか、不意打ち気味に言われた言葉に思わず奇声を上げてしまう。


心臓がドキドキと鼓動を早めているのがわかる。

これは不意打ちだったから!

気のせいだから!

こんなの……になってない!


「お前マジでいい加減にしろよ!

こっちの気も知らないで!

もう知らん帰る!バーカ!バーカ!」

顔が赤くなっているのを悟らせないように子供みたいな捨て台詞を吐いて走り出す。


決して恥ずかしくなったからじゃないし、赤くなった顔を見られたくないからなんて理由じゃない!


あんなやつにときめくなんてあり得ない。

ただの気の迷いなんだからと自分を誤魔化し続けることしかできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る