13話、知らないことは知りたくない


「束、ちょっとツラ貸してくんない?」

いつものことながら、どこのヤンキーだと突っ込みたくなる口調で有達が話しかけてくる。


出身中学が同じで、果彌の友人ということで彼女とも付き合いは長いがお互いに友達の友達程度の認識しかないため二人だけで話すということはほぼ皆無だった。


「お前から話しかけてくるなんて珍しいな」

「別にそんなことないでしょ」

ぶっきらぼうに、愛想のカケラもなく有達は言う。

果彌がいないタイミングで話しかけている時点で、いつもの果彌関連の話だろう。


中学の頃から事あるごとに噛みつかれているのでいい加減慣れてしまった。

このヤンキーのような口の悪さも慣れてしまえば個性なんだな程度の認識である。


「他の人に聞かれたくないからちょっときて」

不機嫌そうではあるが、少しいつもの様子と違う雰囲気からは断るという選択肢は生まれない。


小さくため息をつき、返事も聞かずに歩き出す有達の背を追いかける。

ペタペタとリノリウムの床特有の足音を立てて歩く二人の間に会話はない。


いつも間に立っている果彌という共通の友人がいなければこんなものだろう。

そんな彼女が他人に聞かれたくない話をするとは一体何事だろうか。


ロクでもない話でなければいいのだが……。


「ここでいいかな」

彼女が選んだのは普段使用していない空き教室の一つだった。

扉を開けて誰もいないことを確認してから口を開く。


「それで、こんなところに連れてきて何の話だ?」

わざわざ相手から切り出すのを待つ筋合いもないため遠慮なく問いかける。


その問いに彼女はこれまで見たことのない、どこか不安をにじませた複雑な表情をして言葉を発しようとする。


「あんたさ……なんであの時……違う……そうじゃなくて、まず先に言わなきゃいけないのは……」

何かを言いかけようとして何度も止まっては口に出すことを繰り返す。

それはまるで言いたいことがあるのに思考がまとまっていないようにも見え、会えて何も言わずに言葉となるのを待った。


「あの時は助けてくれてありがとう。

束が私を押してくれたから怪我しなくて済んだ。

本当に感謝してる」

小さく息を吸って気合いを入れたかと思うと、まっすぐに視線を合わせて小さく頭を下げる。


その言葉と行動に二重で驚いてしまう。

あの時の押した理由にも気付かれていたこともそうだが、彼女がこんなにも素直に行動を示すとは思っていなかったからだ。


「ごめん、本当はもっと早く言わなきゃいけなかったのに……。

助けてもらったお礼の一つ言うのにこんな遅くなってごめん……」

気にしなくていいと言おうとして有達の瞳からはボロボロと涙が流れていることに気付き、言葉に詰まってしまう。


「何度も助けてくれてありがとうって言おうとしたけど、私なんかを庇ったせいで怪我が酷くなったんじゃないかって思って怖くてずっと言い出せなかった。

私がいなかったらあんなことにならずに済んだんじゃないかって……」


あれほどに言葉にし辛そうにしていた理由がわかった。

有達友理という少女は口は悪くとも、その本質は善良な人間だからこそ、これまで悩み何を言ったらいいのかも分からなかったのかもしれない。


「気にしてない。

だから泣くな」

嗚咽を漏らし、懺悔する彼女の言葉を途中で制する。


感謝されるつもりも、恩に着せるつもりもないことでこんなにも自分を責めるような泣き顔は見たくない。


優しい人は苦手だ。

俺なんかのために泣く人の気持ちがわからないから。

そんなにも心を痛めて泣くくらいなら俺のことなんて気にしなければいいのに。


「ごめん、いきなりこんなこと言われて泣かれても迷惑だよな」


「違う」

涙を拭い、無理矢理笑おうとする姿を見てそれは違うと思う。

なぜかそれを見て自分の中の何かが痛んだ気がした。


「迷惑なんて思ってない。

俺はただ……」

果彌以外に俺のために泣いてくれる人がいるとは思わなかったから。

どうしたらいいかわからない。


それは上手く言葉にならず、心の中で消える。


「……いや、なんでもない。

俺も大した怪我はなかったし、お前にも怪我がなくて良かったよ」

適切な感情がわからず、普通を演じる過程で身につけた笑みを小さく浮かべる。


思えば、どうして自分はあの時に有達を助けようとしたのか。

体が勝手に動いていたというのは嘘ではない。

果彌を助けるついでだということも嘘ではない。


だが、あの一瞬において、有達を突き飛ばすという動作をしなければ怪我をせずにもっと楽に回避ができたのではないだろうか。

それでも、あの時の選択は間違えていなかったと思えてしまうのはどうしてだろうか。


わからない。


「私さ、ずっと束のこと誤解してたかも。

いっつも無表情で何考えるかわかんないくせに果彌にだけは過保護で意味わかんねーって思ってたけど、態度に出ないだけで優しい奴なんだね」

泣き腫らした目で微笑むその顔を直視できずにわずかに目を逸らす。


わからない。


「俺は優しくなんてないよ」

優しさってなんだろう。

俺にはわからないんだよ。


こうすれば優しい。

あのようにすれば優しい。

周囲を観察して、本を読み、学習して優しいと思われる行動を定義して実行しているだけに過ぎない。


優しいふりをしてるだけの欠陥品。

あの子のそばにいるために、優しいと思ってもらえるようにしているだけの偽物だ。


優しいと思ってもらえているのならその目論見は成功しているのだから、適当に頷いておけばいい。

この擬態に騙されているのであればそれでいいはずなのに、気付けば否定の言葉がこぼれ落ちていた。


「ウケんね。

束が優しくなかったら誰も優しい奴なんていないよ」

そんなに綺麗な目で俺を見ないで欲しい。

こんな嘘だらけの俺を肯定しないでくれ。


果彌だけだと思っていたのに。

思考に雑音が混じる。


「束……?

お前またなんか変なこと考えてんだろ。

そういう変に自罰的なとこがお前の悪いとこだと思うぞ」

有達は気を取り直せとバシバシと背中を叩いてくる。


「そうだな、ありがとう」

その労わるような軽い衝撃に軽く言葉を返せば、有達にはいつもの明るい表情が浮かんでいた。


「やっぱりお前は笑顔の方がいいな」

見慣れた笑顔に少し安心して思わず言葉がこぼれてしまう。


「へ……?

はぁ!?」

また余計な一言とか言われるかと思いきや、有達は目を見開いてじっとコチラを見て驚きに声を上げる。

わずかに顔が赤くなっており、また怒らせてしまったかもしれない。


「お前マジでいい加減にしろよ!

こっちの気も知らないで!

もう知らん帰る!バーカ!バーカ!」

ぐぅ……と、小さく唸り声を上げ、赤い顔で罵倒すると、背中を向けて小走りに走り去っていった。


「また怒らせたか……」

上手くいかないものだなと、誰もいない教室でポツリと呟いた言葉は誰にも拾われることなく消えるのだった。


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