第6話


「じゃーん! 見てみて! これ、書いてきた! 秘密の青春ノート!」

 その翌日、教室へ入るなり、山内くんはテンション高めに話しかけてきた。山内くんは手にノートを持っている。渡されて見ると、中にはたくさんのやりたいことが書かれていた。

『朝、一緒に登校する』

『お昼ご飯を一緒に食べる』

『放課後一緒に帰る。カフェに寄る』

『ハチ公前で待ち合わせして一緒に映画を見る』

『ミサンガを交換する(手作りのやつ)』

『ファミレスでテスト勉強をする』

『お弁当のおかずを交換する』

 などなど。

「おぉ……たくさん書いたね」

「うん! 後悔を天国に持ち込みたくないんで!」

「…………そっか」

 きっと山内くんなりの冗談なのだろうけど、うまく反応できず曖昧な返答になった。

「……あ、もしかして引いた?」

 山内くんが私の顔を覗き込んでくる。慌てて首を振った。

「えっ、ううん、ぜんぜん! ……少し、驚いただけ。私じゃたぶん、こんなにノートびっちりにやりたいことなんて書けないから」

 そう返すと、山内くんはにぱっと笑う。

「それじゃあ、これからは俺と見つけていこうよ! 一緒に」

「……うん」

 こうして、私たちの青春は始まった。



 ***



「んー、なに着よう……」

 ベッドにいくつかのコーディネートを並べてみて、腕を組む。

 袖のないサマーニットにデニムスカート、白いティーシャツにプリーツのロングスカート。いや、ニットは細身だし、チュールスカートのほうが合う? 若しくはパンツスタイル……。でも、デートで?

 いや、そもそもこれはデートなの?

 べつに付き合っているわけじゃない。告白されたわけでもないし、好きなのはきっと……。

 ぶんぶんと首を振る。

「それか、白のワンピース……は、さすがに可愛子ぶり過ぎ?」

 異性と出かけたことなんてない私は、着ていく服すらまともに決められない。

 結局、悩みに悩み抜いた末、ネットのお出かけコーデを参考にして、サマーニットとチュールのロングスカートにした。それから……眼鏡じゃなく、コンタクトで。


 待ち合わせの日、約束通りハチ公前で待っていると、私服姿の山内くんがやってきた。

「おまたせ、御島さん!」

 制服じゃない山内くんは新鮮で、いつもよりもどきどきした。

「きょ、今日は、よろしくお願いします……」

 ぺこりと頭を下げると、山内くんはふわりと笑って、

「こちらこそ。あ、御島さんコンタクト!? いいじゃん! すげー似合ってる!」

「そ、そう?」

「うんうん! あ、てか俺たちそろそろ苗字呼びやめない?」

「え?」

「俺、御島さんのこと愛来って呼びたい。ダメ?」

 突然名前を呼ばれて、心臓が鷲掴みされたような心地になる。

「俺のこともひなたって呼んでよ」

 ――ひなた。

 名前、呼び……。

 どきどきしながら、頷く。

「……う、うん、分かった」

 心臓がいつになくうるさい。

「私服もいいじゃん! いつも制服だから、こういうのなんかすごく新鮮!」

「そ、そう……かな」

 なんだか、そこらじゅうがむず痒くなってくる。

 私服姿だから? 褒められたから? よく分からない。

「コンタクト、入れるの大変だったんじゃない?」

「うん……一時間かかった」

 素直に言うと、山内くん――じゃなかった、ひなたくんは、わはっと笑った。

「慣れるまではねぇ……目、ごろごろしてない?」

「今のところ、大丈夫」

「そっか。慣れてないんだし、痛くなったりしたらすぐに言いなよね?」

「……うん」

「じゃあ、そろそろ行こっか」

 優しく呼ばれて、胸の奥がじんとする。

 なんだろう、これは。

 考えていると、ひなたくんが私を見ていた。なんだろう。

 心臓が激しく鳴って、私はどうしたらいいのか分からなくなる。

「どうかした?」

「ううん、なんでもないよ」

「……そっか」

 私と違って、ひなたくんは涼しい顔をしている。

 その顔を見て、そういえば、と思った。

 ひなたくんはどうして私なんだろう。ひなたくんの頼みならば、付き合ってくれるひとはいくらでもいるだろうに。

 ひなたくんの秘密を知っているのが私だけだから?

 そもそもひなたくんは、どうして私に秘密を打ち明けてくれたんだろう……。

「愛来?」

 名前を呼ばれ、ハッとする。

「どうした?」

「あ、ううん。なんでもない。それより映画、急がないと」

 足早に歩き出す。私の歩調は、はからずも心音に合わせているようだった。


 映画を見たあと、ちょうどお昼時ということもあって、私たちは駅前のファミレスに移動した。

「映画、よかったね」

「よかった。めちゃくちゃ泣いた」

「あはは、泣いてたー」

 あのシーンは笑った。あれはちょっとないよね。そういえばあのキャラ、クラスのあの子に似てなかった? 最後のどんでん返しなんてさぁ……。

 話が盛り上がり過ぎて、一度店員さんが注意しに来たくらいだ。

 店員さんがいなくなると、私たちは口を噤んだままお互いの顔を見合わせた。だけどだんだんそれすら面白くなってしまって、私たちは肩を揺らして懸命に笑いをこらえた。

 注文したドリンクが空になっても、しばらく私たちは映画の感想で盛り上がっていた。

「あー、楽しかった」

「話したねー!」

「わっ、もうこんな時間!?」

 時計を見て驚く。あっという間に三時を過ぎていた。映画が終わったのが正午だったから、三時間も話していたことになる。ぜんぜんそんな感じしないのに。

「休みってホント、あっという間だよなぁ」

 ふと、ひなたくんがしんみりとした声で言う。

「そうだねぇ……」

「…………」

 ひなたくんと話していると、たまに言葉が途切れて沈黙が落ちることがある。

 今日何度か訪れたその沈黙に、私はなんとも言えない気持ちになった。

 目の前にいるのは、いつもと違う、少し大人っぽい私服姿のひなたくんだ。クラスメイトで、となりの席で、私の秘密を知っている、たったひとりの男の子……。

 すぐとなりの席に、私たちより少し歳上らしき女子の集団が座った。華やかな喧騒が耳に届き、こちら側の沈黙がより際立ち始める。

「あー……なんか、混んできたかな」

「そうだね。今日、日曜日だしね」

「んー……」

 また、沈黙。

 今の私たちは、周りにどう見えているのだろう。仲のいい友だち? それとも、カップル?

 どちらにせよ、これまでの私では有り得なかった日常だ。

「ねぇ、見て見て。となりの席のカップル。高校生かな?」

「可愛いねぇ〜」

 となりの席の会話が漏れ聞こえてきて、余計に気まずくなる。

「愛来、どうかした?」

 ひなたくんはとなりの席の会話に気付いていないのか、不思議そうに私を見ていた。

「あっ、ううん!」

 私はなんでもないと返しながらも、そわそわと落ち着かない気持ちを誤魔化すため、前に落ちた前髪を耳にかけたり、ドリンクを飲んだりした。

「ねぇ愛来、そのパイひとくちちょうだい」

「あ、うん。どうぞ」

 今の私たちは間違いなくふつうの高校生で、淡い青春の中にいた。

 こんな日が来るなんて、入学当初の私なら考えられなかった。

 ちらりと正面を見ると、ひなたくんは鼻歌交じりに窓の向こう側を見ている。

 視線に気付いたのか、ひなたくんがふと私を見た。目が合って、私は慌てて言葉を探す。

「あ、そうだ、ひなたくん。次はどうする?」

「んーそうだなぁ……」

 と、ひなたくんはバッグを漁り始める。

「今日は一緒に映画を観たし、テスト勉強ではないけど、ファミレスもクリアしたよね」

「だね! あ、じゃあ俺、次はこれがいいかも」

 ひなたくんはそう言って、とある部分を指で指した。

「なに?」

 見ると、ひなたくんが指していたのは、『ミサンガを交換する(手作りのやつ)』だった。

 私はノートからひなたくんへ視線を移し、「手作りがいいんだよね?」と訊く。

「うん!」

「じゃあまずは糸買わないと。百均とかに売ってるかな? それとも手芸店とかのがいいかな……?」

「じゃあ、帰りに寄ってこう! お互い好きな色三つ選ぶの!」

 帰り道、歩きながらひなたくんはさっそくスマホで近くの手芸店を探し始めた。私は店探しはひなたくんに任せて、何色の糸にするか考えていた。

 お互いのイメージの色を選ぶ。

 思ったより難しいかもしれない。

 ひなたくんに似合うのは、何色だろう。

 ひなたくんの色……。

 まっさきに浮かんだのは、銀色だった。きらきらした、星のような銀色。触れたら少し、ひんやりしていそうな。

 でも、銀色のミサンガってどうだろう。あんまり見たことない気がして、悩む。

 やっぱり、無難に緑とかのがいいかな……。

 考えながら、あ、と思う。

「そういえばひなたくん、ミサンガ作れるの?」

「さぁ!」

「さぁって……」

 無責任且つ元気のいい返事に、思わず苦笑する。

「まぁでも、ネットで見たからいけるっしょ!」

「ちょ、そんなてきとうな! 私、そういうの作ったことないから、ひなたくんが教えてくれないとムリだからね!?」

「えっ、マジか!」

「マジだよ!」

「いや大丈夫だって! ネット見ればなんとかなるよ!」

 なんだかんだ言いながら、私たちは手芸店に入った。

「愛来ー、決まった?」

「わっ、ひなたくん!?」

 やっぱり銀色が捨て難くて銀色コーナーを物色していると、既に手に三色の糸束を持ったひなたくんがやって来た。

「おっ、銀? 愛来の中の俺は銀色かぁ!」

 私の手元を見たひなたくんが、嬉しそうな声を出す。

「や、これは違くて! まだ決めてないから……」

「いいじゃんいいじゃん! 銀色とかめっちゃかっけー!」

 思いの外、ひなたくんの反応はいい。

「……そ、そうかな?」

「うん!」

「……そっか……」

 本人がこう言うならいいのかな、銀色でも。

 悩んだ末、私は、青色、白色、銀色を買った。一方ひなたくんが選んだのは、オレンジ色、黄色、茶色。

 ……ちょっと意外。

「私って、オレンジっぽいの?」

「うん! なんていうか、愛来は向日葵ひまわりっぽいなってずっと思ってたんだよね。ほら、どう? ぽいでしょ? この色」

「…………」

「あ、あれ。もしかして、いやだった……?」

 不安げな顔で、ひなたくんが私の顔を覗き込んでくる。

 いやなわけない。むしろ、すごく……。

「……すごく、嬉しい」

 素直な気持ちを口にすると、ひなたくんはにぱっと笑って、早口で言った。

「てか、愛来こそ俺のイメージ寒色系なんだね! 俺、結構黄色系充てられること多かったから意外! 銀色とかめっちゃ嬉しい! あ、ちなみにこの色を選んだ理由は?」

 と、ひなたくんはマイクを向けるように、私に手を突き出してくる。どぎまぎしながら、私は小さな声で答える。

「な、なんというか……ひなたくんって流れ星っぽいっていうか」

「流れ星?」

「うん……」

 俯いているひとさえ思わず顔を上げてしまうような、眩い星。だけど見られるのは一瞬で、手を伸ばしても掴めない感じがする流れ星。

「流れ星かぁ! うわぁ。初めて言われたから、なんか嬉しいな。てか、俺が流れ星なら、愛来の願いを叶えてやらなくちゃな!」

 そう言って、ひなたくんは嬉しそうに笑った。

 渋谷駅に着き、改札の前まで来たところでひなたくんが振り返る。

「今日はありがとね。こんな時間まで付き合ってくれて」

「ううん。私も楽しかった」

「じゃあ、また明日。ミサンガは、今週中に作って交換しよう!」

「うん、分かった」

「じゃあな!」

 ひなたくんが手を振って、改札の中へ入っていく。

「バイバイ……」

 ひなたくんに向けて振る手から、力が少しづつ抜けていく。

 ――ミサンガ……。

 手元の糸が入った紙袋を見て、もう一度ひなたくんを見た。

 そして。

「あの、ひなたくん!」

 その背中を呼び止めた。

 私の声に、ひなたくんが振り返る。

「んー? なにーっ!?」

 ひなたくんのまっすぐな眼差しに、緊張がぶり返す。私はきゅっと手を握って、勇気を振り絞った。

「あ、あの、ミサンガなんだけど……よかったら、べつべつじゃなくて放課後一緒に編まない?」

 勢いに乗せて言った。

「え? 一緒に?」

 恐る恐る顔を上げると、目を丸くするひなたくんがいた。

「……う、うん。あの、私ひとりだとやっぱり自信なくて……」

 そこまで言って、急に心細さが私を襲う。俯き、目をぎゅっと伏せた。

 急に周囲の音が大きくなったような気がした。

 言わなきゃよかったかも……。

 やっぱりなんでもない、と言いそうになったとき。タッタッタッと軽やかな足音が聞こえた。

 顔を上げると、すぐ目の前にひなたくんがいて、驚く間もなく強く肩を掴まれた。

「いいよっ! 一緒に編も!!」

 きらきらした顔がすぐ目の前にあって、驚く。

「……え、あ、ありがと……っていうか、ひなたくんなんでそんな嬉しそうなの?」

「え?」

 ひなたくんがきょとんとした顔で瞬きをする。ぱちぱち、と音が聞こえてくるようだった。

 ひなたくんは我に返ると、嬉しそうにはにかんだ。

「そりゃ、初めて愛来のほうから誘ってくれたんだもん! 嬉しいに決まってんじゃん!」

「……初めて?」

「うん!」

 その笑顔に、つられて私も笑う。

「そうだっけ?」

「そうだよ!」

「そっか。でも、だからってちょっと大袈裟じゃない?」

「そんなことない! それじゃ明日、放課後一緒に作ろうな。ぜったいだからな!」

「うん」

「じゃ、今度こそまた明日。愛来」

「うん、また明日! ひなたくん」

 こうして、私たちは手を振って別れた。

 ひなたくんがとなりにいるだけで、ひなたくんの笑い声を聞くだけで、心にパッと火が灯っていくようだった。

 朝、学校に着いたら「おはよう」と言って、休み時間は他愛のない話をして。昼休みになったら、一緒にお弁当を食べて、おかずを交換したりして。

 放課後は、先生が見回りに来るまで教室で話していたりして。

 梅雨が明ける頃には、私はひなたくんだけでなく、クラスのみんなともふつうに話すようになっていた。

 ひなたくんといても、予知夢を見ないことが分かったからだ。

 二年になってから、私は、過去の予知夢を見たことはあれど、新たな予知夢は一度も見ていない。だれのことも不幸にしていない。

 そのことをひなたくんに話すと、それなら少しづつ友達を増やしていこう、と言われたのだ。

 そういうわけで、私は少しづつ、ひなたくんと仲が良かったクラスメイトたちとかかわるようになった。

 もともと人見知りというわけでもなかったから、すぐに仲良しの子ができた。

 特に一緒に過ごすようになったのは、羽山はやまさやかちゃんと、山野やまの野々花ののかちゃんという女子だ。さやかはショートカットで背が高い快活な女の子で、山ちゃんは長い髪をハーフアップにした美少女。

 ふたりとも素直で優しく、とてもいい子たちだ。

 ただ、同性の友達が増えたおかげで、私とひなたくんの間には、少しづつ距離ができていた。

 中間テストが終わったタイミングで席替えをしたせいで席も離れてしまったし、お昼は仲良くなったさやかや山ちゃんと食べるようになったから。

 ひなたくんと一緒にいられるのは、放課後ほんの少しの時間だけ。

 それでも、周りにひとが増えたおかげか、それともひなたくんとお揃いで作ったミサンガがあったからか、寂しくはなかった。

 このときの私はすっかり忘れていた。ひなたくんのとなりが期限付きであることを。


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