第5話
「あっ! おはよう! 御島さん!」
昇降口に入ったところで、山内くんに声をかけられた。私はじぶんの下駄箱を開けながら、小さく頭を下げる。
「……おはようございます」
視線を合わせないまま、私は挨拶だけを返して山内くんの横をすり抜けた。
素っ気ない態度の私に、山内くんはなにか言いたげにじっとこちらを見ていたけれど、私はそれを無視して教室へ向かう。教室に入り、自席についてからは、ずっと読書をするフリをした。山内くんが教室に入ってきたタイミングで、先生がちょうどやってきたため、私は話しかけられずに済んでホッとした。
それからしばらくのあいだ、山内くんからの視線を感じていたけれど、私は気付かないふりをした。
山内くんは、こんな私に話しかけてくれたひと。明るくて優しくて、私とは住む世界が違うひと。
彼を不幸にはしたくない。
だから、呪われている私は、もうかかわらないほうがいい。
「――あのさ」
放課後、素早く帰り支度をして教室を出たところで、山内くんに声をかけられた。私は反射的に足を止める。
「……なに?」
目を合わせないまま、訊く。
「……あの、御島さん、もしかしてなんか怒ってる?」
ひっそりとした、私を心底気を遣うような声に、胸がちくりとした。
「べつに、怒ってないけど」
「でも、今日なんか変だよ? なにかあった?」
「だから、なにもないって」
「じゃあ、なんで話してくれないの?」
「そ、そんなことないよ」
「あるよ! だって今日一日、一回も目、合ってないじゃん!」
山内くんはそう言って、私の肩を掴み、無理やり目線を合わせた。気まずくなって、私はパッと目を逸らす。
「ほら、やっぱり逸らす。……なんで? 俺、なにかした? やっぱり卵焼きのこと怒ってた?」
「ち、違う! それは違うよ」
「じゃあ、なんでよ。理由を教えてよ。言ってくれなきゃ分かんないでしょ」
廊下で痴話喧嘩のようなことを始めた私たちを、近くにいた生徒たちがなんだなんだと様子を見に来る。
私は注目されるのがいやで、この際早く話を終わしてしまおうと、
「かかわりたくないの」
と、はっきり言った。
その瞬間、パリンと音がした。山内くんの顔を見て、気付く。
「あ……」
私は今、彼の心にヒビを入れたのだ。彼の心に、傷を付けたのだ。
拳に力が入る。
……でも、これでいいのだ。これで。
私は心を凍らせた。
「……どうせ、陰キャの私をからかって遊んでるんでしょ。影でほかの男子たちと笑ってるんでしょ! ……私、私の知らないところで噂話されるとか、だいきらいだから。だから、もう私にはかかわらないで。山内くんうるさいし、騒がしいし、うんざりしてたの」
言いながら、言葉が刃に変わって、じぶんに向かってくるのが分かる。心臓に槍が突き刺さるような痛みを覚えた。
私は、振り切るようにして山内くんに背を向けた。歩きながら、手からはどんどん力が抜けていく。
……完全にきらわれちゃったな。
スポンジが水を吸収するように、心がずっしりと重くなっていく。
でも、そうなるよう仕向けたのは私なのだ。悲しむなんて都合が良過ぎる。
「……帰ろ」
呟き、頭を切り替える。
制服の袖で涙を拭った流れで、勢い任せに下駄箱を開けたとき、ぱしっと腕を掴まれた。驚いて振り向く。そこにいたのは、山内くんだった。
「なに……」
「話の途中でいなくなるのはずるいでしょ!」
強い口調で責められた。ムッとする。
「途中じゃない」
言い返すと、山内くんは被せるように言った。
「言っておくけど、俺、そんなことしてないから」
「え……」
「御島さんのこと、バカになんてしてない。したこともない。噂話だってしてないし、からかってるつもりだって、これっぽっちもなかった。……でも、なにか誤解させたなら、ごめん」
真剣な眼差しでそう言い、山内くんは頭を下げた。強ばっていた肩の力が抜けていくのが分かった。その弱々しい手に、私の心も萎んでいくようだった。
「…………違うよ。ごめんなさい。山内くんはなにも悪くない。噂話されてるとか、そんなこと思ってなかったから。私こそ、今のは完全に八つ当たり。ごめん……」
しおしおと謝ると、山内くんは顔を上げ、困ったように微笑んだ。
「なにかあったなら、話してくれない?」
優しい声だった。
「…………」
黙り込む私の顔を、山内くんが覗き込んでくる。
「……だれかになにか言われた? からかわれた?」
ふるふると首を振る。
「……そんなんじゃないよ」
「じゃあ、なに?」
「…………」
黙り込んでいると、山内くんが優しく私の手を取って歩き出した。
「えっ、ちょっ……ど、どこ行くの?」
「いいから来て。ちょっと外出よう」
山内くんは戸惑う私の手を掴み、すたすたと歩いていく。
やってきたのは、学校付近の公園だった。管理するひとがいないのか、雑草が伸び放題で公園とはいっても、遊具なんてベンチひとつしかない。これでは子供なんて寄り付かないだろう。
山内くんはベンチのすぐそばにある自動販売機へと歩いていく。
「……学校だと、いろんなひとがいるからさ。噂になってもいやだし」
と、少し言い訳めいた口調で山内くんは言った。
「飲み物、コーラでいい?」
「……あ、ありがとう」
山内くんは自動販売機でコーラとスプライトを買うと、コーラのほうを私に渡した。
「……で、御島さんはなにを隠してるの?」
私はコーラを受け取ると、両手で包むように握る。山内くんはベンチに座ると、缶を開けた。ぷしゅっと軽やかな音がする。
「……べつに、なにも隠してないよ。私はただ、今までどおりひとりでいたいだけ」
「どうして? 俺はもっと御島さんと仲良くなりたかったんだけど」
「……私は、なりたくない」
弱々しく言う私を、山内くんが覗き込む。
「だから、それはどうして? 君はなんでひとりがいいの? ……君は、なにが怖いの?」
優しく包み込むような言い方で言い、山内くんは私を見つめる。その声に、どうしようもなく胸が震えた。
「……だって、山内くん人気者だから、一緒にいるとどうしても目立つの。私なんて、ただ席が隣同士ってだけの地味なクラスメイトじゃん。もうかかわらないほうがいいよ。このままだと山内くんの評判にもかかわるかもしれないし」
そう言うと、山内くんは黙り込んだ。しばらく沈黙が続いて、そしてようやく、山内くんは口を開いた。
「……あのさ、間違ってたらごめん。でもそれ、違うよね?」
「え……」
「御島さんはきっと、ほかに俺と仲良くなりたくない理由があるんでしょ? 俺はそれを知りたい」
一瞬、ひやりとした。思わず顔を向けると、山内くんがこちらを見る気配がして、私は慌てて目を逸らした。
「……そんなのないよ」
「ないなら、仲良くしてよ」
「…………だから、それは」
目が泳ぐ。
「理由を教えてくれないなら、これからもかまうよ。俺は御島さんのこと好きだから」
「…………」
山内くんは、強い眼差しで私を見ていた。このままでは、とても引いてくれそうにない。
「教えて」
口調の強さからしても、教えるまで譲らなそうな気配を感じる。
「……教えたら、かかわらないでくれる?」
「……約束はできないけど、考えてはみる」
「…………分かった」
それからしばらく、沈黙が続いた。
山内くんは急かすことなく、私が口を開くのをずっと待ってくれている。
それでも言葉が出ないのは、たぶん、私がまだ、この期に及んで山内くんにきらわれることを恐れているから。
もし、私の体質を話したら、山内くんはどう思うだろう。
バカにしているのかと怒るだろうか。私のことを頭のおかしいひとだと思うだろうか。どちらにしろ、いい印象は持たれないだろう。だって、今から私が話す内容は、とても現実的な話ではない。
……もうかかわるのはよそうと、山内くんのほうから離れていくかもしれない。
――本当に、いいの?
心の中で、もうひとりのじぶんが叫ぶ。
きっと、こんな私を気にかけてくれるひとは、この先山内くん以外には現れないだろう。
もっと仲良くなりたかった。
一緒にいたかった。
……でも、それはできない。
優し過ぎる山内くんを納得させるには、遠ざけるには、やはり打ち明けるしかないのだろう。
覚悟を決めて、口を開いた。
「……前に私、言ったでしょ。自立したいからひとり暮らしを始めたって」
山内くんは、静かに頷く。
「でも、本当は違うの。自立したいからじゃない。……私はだれかといるとそのひとを不幸にしてしまうから、ひとりでいなきゃいけないの」
山内くんをまっすぐに見つめ、続ける。
「私、予知夢を見ることができるの」
「……予知夢?」
案の定、山内くんはぽかんとした顔で私を見た。汗が湧き出してくる手をぎゅっと握り込む。
「……予知夢って、現実に起こることを、夢で前もって見ちゃうやつ?」
「そう。私が見られるのは、大切なひとが巻き込まれる悪い夢だけだけどね」
山内くんは、信じられないものを見るような目で私を見た。
「だから、私は今までだれとも仲良くならないようにして、家族とも離れて過ごしてきた。みんなの悪い夢を見ないように」
呆然とする山内くんに、私はこれまで見た予知夢の内容について、さらに具体的に話した。
「……だから、山内くんとは仲良くできない。ごめんなさい。でも、山内くんにはなんの責任もないことだから、気にしないで」
ベンチの端に置いていたカバンを取り、立ち上がる。
「それじゃあ」
今までありがとう、と礼を言って立ち上がる。そのまま公園を出ようとしたら、
「待って」
と、手を掴まれた。
「……なに」
振り返ると、私よりも切ない顔をした山内くんがいた。
「そんな辛いこと、ずっとひとりで抱え込んでたの?」
「……え、なに……信じるの? 今の話」
「だって、この状況で冗談言うようなひとじゃないだろ、御島さん」
「……だ、だからって、こんな話信じるなんて……」
バカじゃないの。そう言おうとしたら、山内くんは微笑んだ。
「信じるよ。……当たり前だろ。御島さん、話してくれてありがとう。今までひとりでそんなこと抱えて、辛かったね」
――辛かったね。
そのひとことは、強ばっていた私の涙腺をあっさりと解いた。両目から涙がぽろぽろと溢れ出してきて、私は慌てて眼鏡を外し、手のひらで涙を拭う。
「……べ、べつに、慣れたらひとりも楽だし。これは、じぶんの心を守るためでもあったから」
ぼろぼろ泣き出した私を、山内くんは優しい眼差しで見つめた。
「でも、辛かったでしょ」
「…………」
「大丈夫、分かるよ。ひとりぼっちって寂しいよね。俺もみんなにちょっとした隠しごとしてるからさ」
「そうなの……?」
「隠しごとしてるとさ、心から打ち解けられてる気がしないんだよね。嬉しい気持ちも悲しい気持ちも、心から共有してる感じがしなくて、じぶんが存在している意味がだんだん分からなくなってくるっていうか」
「でも私は」
それでも仕方ない。そう言おうとする私を遮って、山内くんは続ける。
「あのさ、御島さん。ずっとひとりで生きていくなんて無理じゃないかな。友達も家族も作らず、ずっとひとを避け続けるなんてさ」
「……でもこうしなきゃ、私はだれかを不幸にしちゃうから」
「……御島さんの気持ちは分かった。でもそれ」
山内くんはそう前置きをして、私を見た。
「俺には、関係のないことなんだよね」
「え……?」
はっきり『関係ない』と言われ、私は戸惑いを隠せない。だって、山内くんがこんな強い口調をするのは珍しい。
「俺、三ヶ月後には死ぬ予定なんだよね」
さっきの口調とは裏腹に、抑揚のない、なんというか、さらりとした声だった。
「だからさ、たぶん、俺に関する夢は見ないよ。死ぬより不幸なことなんて、そうそうないでしょ?」
山内くんはそう言って、くるりと前を向いた。その横顔は、あまりにもいつも通りで。一瞬、脳が誤作動を起こしたのかと錯覚してしまいそうになる。
「ちょっと待って」
私は咄嗟に、山内くんの腕を掴んだ。
「ちょっと待ってよ、死ぬって……なに、それ。どういうこと?」
腕を掴む手に力を込めると、山内くんはふっと息を吐くように笑った。
「俺ね、病気なの。生まれたときから心臓に持病抱えてて、薬がなきゃ生きてられない。子どもの頃から何回も手術して、薬もたくさん飲んできた。それなのに先月、とうとう先生に余命宣告されちゃってさ。俺の心臓、もう薬飲んでもダメなんだって」
「なに、それ……」
頭の中が真っ白になった。言葉が見つからない。
山内くんが、もうすぐ死ぬ……?
死って、なんだっけ?
モコが死んでしまったときから、私はずっと死を避け続けてきた。
ひととのかかわりを断てば、死と離れられる。だれかがどこかで死んでいたとしても、私の知り合いではない。夢を見ていないのなら、その死は私のせいではない。
私には関係のない死だと思えたから、悲しみはなかった。
だけど……今回は違う。
「…………」
言葉を失っていると、山内くんは困ったように頬をかいた。
「そんな顔しないでよ。俺思うんだけどさ、死ってべつに、特別なことじゃないと思うんだよね。人間みんな、いつ死ぬかなんて分かんないんだから」
「それはそう……だけど」
「これでもね、俺は病気に感謝してるんだよ」
「感謝……?」
「そうだよ。だって、だいたいあとこれくらいで死ぬよって言われてたほうが、毎日を無駄に生きないで済むじゃん?」
頭を殴られたような衝撃が、全身を駆け巡った。
どうしたら、そんな前向きに生きられるんだろう。
死を突きつけられているのに。
「だから俺は、精一杯残りの人生も生きてやるぜ! 俺の明日に、乾杯!」
元気よく叫ぶと、山内くんはスプライトを天へ向けた。
山内くんはだれよりもまっすぐ、みずみずしく、鮮やかに今を生きていた。
「御島さん、秘密を教えてくれてありがとね! 言いづらいこと、聞いちゃってごめんね。ぜったいだれにも秘密にするから」
「うん」
「それと、クラスのみんなには、俺の病気のことも内緒にしてくれる? 俺、あんまり可哀想キャラ似合わないからさ」
「分かった」
「……それと、もうひとつ。この期に及んで図々しいかもだけど、御島さんにお願いがあるんだ」
「お願い? なに?」
「俺、御島さんともっと仲良くなりたい。御島さんと、青春したいんだ」
「……青春?」
「うん。俺にとっての青春は、御島さんともっと仲良くなること……なんだけど」
伺うような山内くんの視線と交差する。少し恥ずかしくなって、目を逸らして私は訊く。
「でも……青春って、具体的になにするの?」
「えっ、付き合ってくれるの!?」
「まぁ……」
小さく頷く。
「私で青春できるかは分からないけど……」
すると、山内くんはこれ以上ないってくらい深いため息をついた。
「え、な、なんでため息?」
「だって! 俺めっちゃ重い話したし、ぜったい迷惑がられると思ったんだもん!」
顔を上げた山内くんは、太陽そのもののような柔らかな笑みを浮かべている。
「じぶんを話すのって怖いけど、やっぱり受け入れてもらえると嬉しいんだよなぁ」
にぱーっと笑う山内くんを見て、私は頬が熱くなるのを実感した。
「……べ、べつに。重い話なら、私もしたから。お互いさまだよ」
山内くんは、なにかを噛み締めるように唇を引き結んでいる。
「……うん。やっぱり俺、御島さんのこと大好きだわ」
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